track6-2. そして彼は『女王』になった -Thus He Became the "Queen"-
翌週の月曜日、達哉は学校からの帰り道、都心にあるスタジオを訪れた。
コントロールルームに入ると、複数のスタッフがスタジオを隔てた窓の中を見つめている。
達哉に気付いてお辞儀をするスタッフたちに小さく会釈を返しながら、部屋の端に鞄を置く。
近付いてきたマネージャーの越智を手で制し、達哉も皆の視線の先に目を向けた。
そこには、ヘッドホンを付けてマイクの前に立つ小鈴の姿があった。
「(小鈴ちゃん、今日もいい感じだよ)」
小声でひそひそと越智が話しかけてくる。
「(――わかったから、ちょっと静かにしてて)」
達哉がそう返すと、越智は「(ごめん)」と困ったような笑みを浮かべて後ずさりし、そのまま携帯電話を片手に部屋を出ていった。
越智とは達哉がデビューする前――コンテストで優勝し、今の事務所に来た頃からの付き合いだ。
ひょろりとした細身の体つきで、眼鏡をかけたその顔はいつも微笑んでおり、不機嫌になることが多い達哉とは正反対だ。
何を考えているかよくわからないところはあるが、仕事はきちんとやってくれているし特に不満はない。
そうこうしている内にレコーディングが始まる。
既に達哉の演奏は収録済みで、今日は小鈴の歌パートだけだ。
しかし、達哉は必ず小鈴のレコーディングに立ち会うことにしている。
自分が制作した楽曲のイメージと小鈴のボーカルがマッチしているのかを確かめるためだ。
今はまだ作詞・作曲だけだが、最終的に自ら全体プロデュースを行うためにも、達哉はできる限りの時間をKing & Queenに割いている。
真剣な表情でマイクを見つめる小鈴を眺めながら、達哉は初めて彼女の歌を聴いた時のことを思い出していた。
それは達哉が中学卒業を控えた冬の日のことだった。
まだまだ寒いが、立春を過ぎて少しずつ季節は春に向かっている。
達哉はその細い身体には重た過ぎるコートを身に纏い、行き慣れない道を歩いていた。
達哉が事務所を訪れるのは、今日で二度目だ。
一度目は年が明ける前だった。
レコード会社主催のコンテストで優勝したあと、正式にアーティスト契約を締結するため母親と共に訪れたのが最初だった。
その足で達哉が所属することとなるレーベルと、その親会社となるレコード会社の社長にも挨拶に行った。
学生服で現れた達哉を見て、社長は少し驚いた顔で「本当に中学生なんだな」と言いながら、手を差し出してきた。
茶色く染められた髪は綺麗に整えられていて、笑みが零れた時に見えた歯は白く輝いている。
一般的な『社長』のイメージと全く異なる相手に少し戸惑いながらも、その動揺が悟られないよう達哉は目の前の手を強く握った。
「君、キーボーディストなのに、力強いね」
キーボードを弾くことと握力の相関関係はよくわからなかったが、社長は愉快そうに笑い――そして達哉の手を力強く握り返してきた。
「この度はアーティスト契約成立おめでとう。だが、ここがゴールじゃない――すべてはここから始まるんだ。君には期待しているから、頑張って」
そのまま彼は達哉の耳元に顔を近付け、そっと囁く。
「――頼むから、ちゃんと売れてくれよ」
相手によっては脅しにも聞こえるようなその言葉に、達哉は無言で頷き、社長の顔をじろりと見上げてみせた。
そのリアクションを見て社長は眉をひそめるが、次の瞬間には満面の笑みに戻る。
――重圧なんて感じない。
安心しなよ、こっちだってそのつもりだ。
ご期待通り『ちゃんと』売れてみせるから。
当時のことを思い返しながら、二度目の訪問となる事務所に到着する。
中に入るとマネージャーの越智が立っていた。
駐車場に向かう道中で越智が達哉にこのあとの予定を説明してくる。
「今日は達哉くんのユニット相手になる女性ボーカリストの最終選考です。候補者は五人に絞り込んでいて、達哉くんが作った曲に合わせて今日歌ってもらって確定させる感じかな」
車の後部座席に乗り込むと運転席の越智が書類を渡してきた。
候補者のプロフィールのようだ。
「この前説明した通り、最終的に達哉くんが誰とユニットを組むかは会社側で決めさせてもらうけど、意見はどんどん言ってもらって構わないからね」
「言われなくてもそのつもりです。でなければ、今日来た意味がない」
プロフィールに目を通しながら返すと、越智は一瞬間を空けたあと笑い声を上げた。
「そう来なくっちゃ。でも達哉くんって肝が据わってるよね。今日の最終選考だって元々君は同席する予定じゃなかったのに、社長に直談判しちゃうんだから」
「自分の知らないところで選ばれた人に、自分の歌を歌われたくないんで」
「正直だね」
10分も走ればレーベルの入ったビルに辿り着く。
廊下を並んで歩きながら、越智が達哉に訊いてきた。
「ちなみに、今日何でわざわざ事務所まで来てくれたの? 学校まで迎えに行ってあげても良かったのに」
「無駄に目立ちたくないだけです、あんまりそういう学校じゃないので。進学先の高校は自由さが売りなので、今後はお願いするかも知れません」
「あ、推薦合格決まったんだっけ、おめでとう。今日終わったらお祝い兼ねてごはん食べに行こうか。親御さんに連絡しておいた方がいい?」
越智がにこにことこちらを見る。
この人いつも笑ってるな――そう思いながら、達哉は静かに答えた。
「ありがとうございます。あと、親には連絡しなくていいですから」
吐き捨てるように言い終えたその回答に、越智は笑顔のまま「いいお店予約しとくよ」とだけ返す。




