track5-4. 王が来たりて -The King's Coming-
その日、小鈴は都心の公園をぶらぶらと一人歩いていた。
思ったより仕事が順調に進み夜までぽっかりと時間が空いたのだが、特にやりたいことが思い付かず、気付けばここに足が向いていた。
よく街に繰り出していた高校生の頃、帰り際にこの公園で喫茶店で買ったドリンクを飲みながら散歩するのがお決まりのコースだった。
入口近辺はイベントが行われるなど賑やかなスポットだが、木々が生い茂る公園の中まで入り込んでしまえば人は多くない。
都心のエアポケットのようなこの場所が、小鈴は好きだった。
近くのベンチに腰掛けて、買ってきたドリンクを袋から出す。
最近バタバタしていて、先月発売された新作のフレーバーをまだ飲めていなかった。
ストローを一口吸うと甘さが口いっぱいに広がって、小鈴は満足気に息を吐く。
左腕の時計に視線を落とすと午後4時を過ぎたところだ。
ここのところ忙しい日が続いてまともに休めていない。
たまには贅沢に何もせず、過ごすのも良いだろう――
――ふと、周囲に人の気配を感じて、小鈴はゆっくりと目を開いた。
どうやら気付かない内にうたた寝をしてしまっていたようだ。
まだ微睡みの中にいたいと思いつつ、周囲を見回し――小鈴は一気に覚醒した。
先程まで誰もいなかったはずなのに、周囲には十数人程の人が集まり、小鈴の隣のベンチや周りの芝生に座っている。
小鈴は慌てて被っていたキャップの鍔を目深に引き下げた。
横目で集まった人々を観察すると多くは学生のようだが通りすがりらしき大人も何人かいる。
何かイベントでも開かれるのだろうか、これ以上人が集まってくるようであれば場所を変えた方が良いか――そう考えあぐねていた時、「あっ来たよ!」と声が上がった。
顔を上げた小鈴の視界に入ったのは、ニワトリと犬のかぶりものをした二人組がこちらに歩いてくる姿だった。
一瞬大道芸人か何かかと思ったが、ニワトリの後ろを歩く犬がギターケースを担いでいる。
そのまま二匹は小鈴のベンチの前方に陣取り、いそいそと準備を始めた。
小鈴の背後から声が聞こえてくる。
「ねぇ、本当に来たね」
「前は金曜日だったから月曜日も来るか不安だったけど、来て良かったー」
「他の人たちも噂を聞いて来たのかな? 何か前より人増えてない?」
そんな会話が交わされている間にも、また人が増えてきたようだ。
今更ここを離れるのも目立ちそうな気がして、小鈴はおとなしく座ったままでいた。
犬がアコースティックギターを軽く鳴らすと、ニワトリがそちらに顔を向け小さく頷く。
二匹は小鈴を含む観衆たちに向き直り、無言で礼をした。
観衆たちが拍手で応えるが、その拍手が鳴り止むのを待たずに犬が激しくギターを奏で始める。
一聴して何の曲かはわからないが、随分と弾き慣れている様子だ。
そして、前奏が終わってニワトリが声を発したその瞬間――小鈴は息を呑む。
その喉から放たれる歌声には、圧倒的な華があった。
音程が正確なのは勿論のこと、歌の技術も低いわけではない。
しかし、そんな要素を差し置いても聴く者の心を掴む力がその歌声にはあった。
聴いていく内に、演奏曲は洋楽の有名なロックナンバーだということがわかる。
2コーラス歌い終わると、犬がギターソロを掻き鳴らした。
そこまでギターの演奏技術に詳しくない小鈴でも、いわゆる伴奏のようなギターとは一線を画しているということはわかる。
――この二人組、何者?
あっという間に1曲終わり、次の曲の演奏が始まった。
目の前で繰り広げられるそれを目と耳に焼き付けながら、小鈴は笑みを浮かべる。
気付けば周囲は段々と日暮れてきていたが、折角のこの邂逅をもっと楽しんでいたかった。
最終的にその唐突なストリートライブが終わる頃には、聴衆の数も当初の倍以上になっていた。
演奏を終えた二人組は湧き上がる拍手の中冒頭と同じく無言で深く一礼をして、手際良く片付けを始める。
「あっ、待って――」
彼らに声をかけようとした時、小鈴の携帯電話が鳴った。
仕事の電話を意味する着信音に苛立ちを感じつつ、バッグの中を探って電話を切る。
そして振り返った時には、彼らの姿はもうなかった。
***
その日以来、小鈴の心の一部をあの不思議な二人組――正確に言えばあの『ニワトリ』の歌声が占めるようになった。
しかし、日々は忙しく過ぎていき、あの時間帯にあの公園を訪れることができないまま今日に至っている。
恐らく声質からして男性だろうが、名前はおろか顔もわからない。
ただ、ストリートで活動をしているということは、いつか世に出てくるかも知れない。
そんな淡い期待を抱きながら、小鈴は日々を過ごしていた。




