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【完結】 夏鳥は弾丸を噛む -傷心のボーカリストは二度目の春を歌う-  作者: 未来屋 環


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track5-1. 王が来たりて -The King's Coming-

 あの日少女が決断したのは

 過去の自分との訣別(けつべつ)だった



track5. 王が来たりて -The King's Coming-



 この世界には音楽があふれている。

 美しい旋律も趣向の凝らされた楽曲も、それこそもっと上手い歌だって、これまで幾らでも聴いてきた。


 ――でも、何故だろう。

 あの時偶然聴いた歌声が、今も私の頭から離れない。


 そう、知らず知らずの内に――私は今日も、あの『ニワトリ』を探している。


 ***


 その日の昼下がり、山口小鈴(こすず)は或る高校の廊下を歩いていた。


 といっても、自分が通っている高校ではない。

 そもそも小鈴は既に高校を卒業している身で、本来ここにいるべき存在ではない。


 校内ですれ違う学生たちは皆私服で、部外者の自分に気付く様子もない。

 一応目立たないようネイビーと白を基調とした『制服らしい』おとなしめの格好に眼鏡とマスクをしてきたが、まったくの取り越し苦労だったようだ。


 土曜午前の授業が終わり週末を迎える解放感からか、学生たちは皆一様に明るい表情をしている。

 そんな彼らを、小鈴は少し羨ましく思った。

 小鈴が通っていた高校は地味な制服でメイクも禁止、今振り返ってみても特に思い出らしい思い出も見当たらない。

 無味乾燥な学生生活だった――小鈴は一人心の中でため息を吐く。


 その反動ゆえに、週末には思い付く限りのおしゃれをして都心の街に出かけて行った。

 何をするわけでもない、ただ人混みの中を一人歩き回るだけだ。

 普段の地味で色のない自分とは違う、多種多様な人々が行き交うカラフルな街に溶け込んでいられる時間が好きだった。

 週末用に仕上げたビジュアルはそこそこ人の目を惹き付けるようで、気付けば小鈴は声をかけられたり雑誌に載るようになっていた。


 周囲の家庭と比べて多くはないお小遣いや昼食代を切り詰め、家に大半を入れなければいけないバイト代の残りで服とメイク道具を買う――そんな娘のことを、母はきっと理解できなかったのだろう。

 仕事なのかそれとも恋人にでも逢いに行っているのか、母はほとんど家におらず、たまに小鈴と顔を合わせても大した会話をした覚えはない。

 母と小鈴の関係性はずっと淡白だった。

 少なくとも――父が出て行ってしまった日以降は。


 父が出て行った理由を小鈴は今も知らない。

 小学生の頃、家に帰ると仕事でいないはずの父が珍しくリビングにいた。

 彼は小鈴の頭を優しく()でたあと、おもむろに部屋を出ていき――それ以来、二度と逢っていない。


 その後帰ってきた母は、ただ「(しばら)く学校休むことになるから」とだけ言った。

 幼心(おさなごころ)に理由を聞いてはいけない気がして、小鈴は言われるがままその幾日かを過ごし――次に学校に行く許可が下りた時には、『山口小鈴』になっていた。

 周囲のクラスメートもそれに触れてはいけないと思ったのか、特にその後の学校生活で嫌な思いをした記憶はない。

 ただ、小鈴は父のことを決して嫌いではなかったから、胸にぽっかりと穴が開いたような感覚をずっと持っていた。


 高校を卒業して家を出る日の朝も、母は小鈴に何も言うことはなかった。

 あれから4年程経つが、小鈴は一度も母の住む家に帰っていない。

 仕事がなかなか上手く行かず食べるのに苦労した時期もあったが、不思議とそれでも帰りたいと思うことは一度もなかった。

 あそこには自分の居場所がないということに、とうに気付いていたのかも知れない。


「――はぁ……」


 階段を昇りながら、小鈴は小さくため息を吐いた。

 久し振りに学校という空間にいるせいか、昔のことばかり思い出してしまう。


 校内案内図によると、目的の教室は5階にあるはずだ。

 意識的に過去の記憶を切り離すべく、小鈴は階段を昇ることに専念した。

 階を上がる毎に学生の数はまばらになっていき、いよいよ5階に到着する頃にはほとんど学生の姿は見られなくなった。

 端の教室に目を向けると表示板に『視聴覚室』と書いてある。


 ざわめきが(こも)った様子のその教室の前に立ち、小鈴はそっとドアを開ける。

 中を覗いてみると、そこには小鈴が思ったよりも多くの学生たちがいた。

 ぱっと見た限り150人程のキャパシティはあるだろうか――所々空席を挟みながらも全体的に座席は埋まっており、教室の後ろと両脇には数名の立ち見客さえいる。

 教室の前方には楽器が並べられており、その近辺の席には楽器を持つ数組の学生たちが陣取っていた。


 そんな彼らを遠目に見ながら、小鈴は目立たないように最後列の一番端の空席に座る。

 学生たちは小鈴の存在に気付くことなく、近くの席の友人たちと楽しそうに時を過ごしていた。


 ――そんな教室の様子が変わったのは、その数分後だった。

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