track4-6. 秋の少女は英雄を待つ -The Autumn Girl's Waiting for the Hero-
そして、あっという間に6月公演の当日がやってきた。
自席でサンドイッチを頬張りながら楽譜を読み返していると、隣の席から佳奈が覗き込んでくる。
「すごーい、亜季ほんとに軽音楽部と掛け持ちしてるんだね」
同じバレー部の佳奈とは1年の頃から仲が良い。
彼女は丸い目をぱちぱちと瞬かせながら、人懐っこい笑みを浮かべた。
「本番、今日だよね。こっそり観に行っても良い?」
「やだ、余計緊張しちゃう――」
そこまで言ったところではっと我に返り、亜季は続ける。
「――嘘、やっぱり観に来て。うちのバンドすごいから」
ちらりと夏野の席を窺うと、夏野はイヤホンをしたまま目を閉じていた。
机の上にはゼリー飲料の残骸が置いてある。
いつもならがっつりと食べるのに――歌う前だから節制しているのだろうか。
「夏野さん、高梨さん」
教室の入口から声が聞こえる。
視線を向けると春原が迎えに来ていた。
「わぁ、あの子いかにも軽音だね。後輩?」
その明るい髪色に驚いたのか、小声で囁く佳奈に亜季は頷いてみせる。
「春原くん、行こっか」と答えた亜季の視界の片隅で、夏野が黙ったまま席を立った。
公演会場の視聴覚室は後方の入口から前方に進む度に段が下がって行き、最前方が教室内で最も低い場所となっている。
音楽の授業でミュージカル映画を観る時に訪れたくらいだが、他の教室とは違う独特な構造がより非日常感を煽るように感じられた。
授業の時にはスクリーンが下りている前方に、今日は楽器とアンプが並べられている。
亜季は前方に下りていってシンセサイザーの確認をした。
置かれているのは、いつも亜季が練習で使用していたシンセサイザーだ。
別のスタジオのものではなく使い慣れた楽器が置かれていたことに、亜季は一人胸を撫で下ろした。
隣では春原がマイクを含めた機材と楽器を確認している。
トイレに寄ってから来る夏野の分もチェックしてくれているのだろう。
ふと背後に視線を移すと、軽音楽部らしき生徒たちが既に集まってきていた。
楽しそうに話しながら教室の中央の席に五人の女子たちが陣取っている。
そこから少し距離を置いて、四人組の男子たちが何をするでもなくだるそうに座っていた。
まるで共通項の見えない集団だが、ここに集まっているということは今日の演者――新入部員なのだろう。
いつまでも前方に立っているのも気が引けて、亜季は女子たちの集まる席の前方に座った。
「ねぇ、あなたも軽音?」
背後から声をかけられて振り返ると、一人の女子がニコニコとこちらを見ている。
頭の高い位置でポニーテールが揺れた。
「私、B組の杉下香織。あなたは?」
「あ、私は――」
「杉下、そのひと2年生」
機材確認を終えたらしき春原が亜季の隣に座る。
香織と名乗った少女が「えっ」と慌てたように立ち上がり、頭を下げた。
「すみません! 楽器の確認してたから、同じ1年かと思っちゃって」
「いえ、私も新人だから……高梨亜季です。よろしくお願いします」
「新人?」
首を傾げてから春原を見て、そこで香織は「あぁ」と頷く。
「春原くんのバンドなんですね。てっきり皆男の人かと思ってました。女子の先輩もいるなんて嬉しいです! ね、繭子」
香織が隣に座るマスクをした少女に声をかける。
繭子と呼ばれた彼女は亜季を見て、ぺこりと黙礼をした。
マスクで顔のほとんどが隠れているが、ぱっちりとした猫目は長い睫毛に彩られている。
皆いい子そうで良かった――亜季は少し緊張がほぐれるのを感じた。
「私も杉下さんたちを見て少し驚いた。軽音って男の子だらけのイメージだったし」
「――部長も女性です」
繭子がぼそりと呟く。
落ち着いた綺麗な声だな――亜季がそう思ったその時、部屋のドアが開き冬島が入ってきた。
「あ、冬島さん」
冬島は亜季を一瞥し、「おう」とだけ答えてそのまま教室を降りてくる。
香織と繭子がその姿をぽかんと見上げていた。
1年生の女子から見ると、冬島は怖く見えるのだろうか。
彼はそんな視線を気にする素振りもなく、亜季の右隣にどっかりと座った。
室内がしんとしてしまった気がして、亜季は小声で左隣の春原に囁く。
「春原くん、軽音の部長って鬼崎さんじゃないの?」
「はい、三条さんっていう人です」
「そうなんだ」
思えば亜季は全然軽音楽部のメンバーを知らない。
鬼崎をまともに見たのも彼が夏野を教室に訪ねてきた一度きりだ。
あとで夏野に紹介してもらおうか――そう思ったところで、はたと気付く。
――夏野がまだ来ていない。
冬島が亜季を見た。
「おい、夏野はどうした?」
「あ、なっちゃんは――」
亜季の言葉の途中で春原が立ち上がった。
見上げると、春原の表情が硬い。
「――俺、様子見てきます」
視聴覚室を出ていく春原の背中を見ながら、亜季は今日教室で見た夏野の様子を思い返す。
目を閉じて机の上で指を組む、その姿がまるで――何かに祈っているようにも見えたことを。
それからどれ程の時間が経っただろうか。
不意に教室の扉が開き、上級生たちが入ってきた。
彼らは一番後ろの席――つまり視聴覚室で最も上の席に思い思いに座っていく。
下級生たちはそれを前方の席から振り返って見上げる形となった。
しっかりとした印象の眼鏡の女性を筆頭に、髪に青いメッシュが入っている女性や一見おとなしそうな男性も――亜季は知らない顔ばかりだが、皆独特の雰囲気を纏っているように見える。
しかし、その中でも一番最後に入ってきた男性――鬼崎達哉の存在感は、圧倒的に思えた。
長い金髪を揺らしながらゆったりと歩き、中央の席に座るその仕種は女性の亜季ですら美しさを感じる。
彼が座るのを待っていたかのように、最初に部屋に入ってきた眼鏡の女性が立ち上がった。
「皆おつかれさま。初めましての人もいるね。部長の三条です、よろしく」
先程春原と繭子が話していた部長というのは、この人だろう。
よく通る声でそう挨拶したあと、彼女はちらりとこちらを一瞥し――そして「あれ?」と首を傾げた。
「冬島――何でそっちにいるんだっけ?」
亜季の隣で冬島が舌打ちをして、香織と繭子がびくっと反応する。
その様子を見て、三条があっはっはと豪快に笑った。
「ごめんごめん、冗談だって。くれぐれも後輩の皆さんにご迷惑をおかけしないようにね――さて」
三条がぐるりと教室全体を見回す。
「その可愛らしい後輩がまだ来ていないようだけど、どうしたもんかな。そろそろお客さんを入れる時間なんだけど」
「もういいんじゃないすか」
それまで黙っていたもう一組――四人組の男子たちの一人が口を開いた。
男子にしては少し長めの髪の隙間から、ピアスが光っている。
隣の席の冬島がふんと鼻を鳴らした。
「――誰だてめぇ」
「1年の御堂です。来てないのって、あんたら上級生との混成バンドの奴でしょ。元々おまけみたいなもんなんだから、来なきゃ来ないでいいじゃないすか」
言い捨てるようなその台詞にカチンときたのか、冬島の纏う空気が瞬時に熱を孕む。
「あ? てめぇ良い度胸してんな」
「冬島さん、ちょっと」
立ち上がろうとする冬島を慌てて抑え込む。
そして亜季が顔を上げると、三条が、香織が、繭子が、御堂が、そして――鬼崎がこちらを見ていた。
――どうしよう、何か言わなくちゃ。
考えがまとまらない中、亜季が口を開こうとしたその瞬間――扉が開く音がした。
そちらを見上げて、思わず口を尖らせる。
「もう――遅刻だよ」
亜季の台詞に、遅れて来たヒーローは申し訳なさそうに微笑んだ。
何度でも言おう
あなたの歌が、私の日々に彩りをくれた
だから私は今日もここで
英雄の帰還を一人待つのだ
track4. 秋の少女は英雄を待つ -The Autumn Girl's Waiting for the Hero-




