track3-5. 冬人は焔を見出す -The Winter Man Found the Flame-
待合室のソファーに座って待っていると、スタジオのドアが開き中から小学生が飛び出してきた。
康二郎と目が合った瞬間彼はびくりと固まり、「せんせーさよーならー!」と足早に外に出ていく。
あの小学生と逢うのは何度目かだが、なかなか慣れないようだ。
「はい、さようなら」
奥から化粧っ気のない女性が顔を出し――康二郎を見て口を尖らせる。
「康二郎くん、まだあの子に怖がられてるの?」
「……和沙先生、俺どちらかといえば被害者ですけど」
「康二郎くん、本当はいい子なのにね。どうしたらその良さが伝わるかなぁ」
「『本当は』は余計じゃないすか?」
康二郎の返しに、和沙は「冗談冗談」と笑ってみせた。
和沙は育児休職していた音楽教師の復帰に伴い、康二郎の通っていた小学校を辞めている。
そして、彼女が本業であるドラム教室の講師に戻ると聞いた康二郎は、以来このドラム教室に通っているというわけだ。
スタジオに入り、練習の準備を終えた康二郎が顔を上げると、和沙は笑顔のままこちらを見ている。
「――何すか?」
「……康二郎くん、遂に彼女できた?」
「は!?」
一体何を言い出すのか、康二郎が思わず大声を出すと和沙は「違うの?」と首を傾げた。
「いや、何ていうか――すごくいい顔してるからさ」
その時康二郎の脳裡を過ったのは、間違いなく夏野の顔だった。
和沙とは長い付き合いだ、何か感じるものがあったのかも知れない。
できれば彼女であってほしかったが――そうそう悪くない出逢いとも言える。
そんなことを考えた自分に、康二郎は小さく笑った。
「――さぁ、どうっすかね」
瞼の裏に、楽器店にいた夏野の姿がよみがえる。
店内でバンドスコアを見ていたその真剣な眼差しには、確かにあの日感じた熱があり――康二郎は近い内に夏野とまた再会するだろうと確信した。
そして、再会の日は康二郎の想定よりも早く訪れた。
「おはようございます」
楽器店で逢った翌日、登校途中に背後から声をかけられる。
振り返るとそこには夏野が立っていた。
「おう、よく逢うな」
夏野は康二郎の言葉に「そうですね」とはにかみ、隣に並んで歩き出す。
「今日、練習の日ですよね。急ですけど、もう一回俺たちのセッション聴いてもらえませんか」
――きたか。
少しむずがゆいような、そしてそれでいて小さな歓びを感じながら――康二郎は感情を隠しつつ鼻を鳴らす。
「何だ、もうリハビリ済んだのか」
「それはわからないんですが、先輩の言う通りだなと」
横目で夏野を見ると、彼はこちらを真剣な面持ちで見つめていた。
「――まずはやるしかないなと思って」
その瞳に焔を確認して、康二郎はニヤリと笑う。
これだけ俺を期待させたんだ、半端なもの見せるんじゃねぇぞ。
「わかった、放課後な」
そして放課後が訪れる。
康二郎がスタジオの扉を開けると、中にはあの日のように夏野と春原がいた。
「おつかれさまです」
夏野が笑顔で声をかけてくるが、春原はあの日と同じく無愛想にこちらを睨んでいる。
文句の一つでも言ってやろうとしたところで「ほら、春原」と夏野に促され、春原が小さく会釈してきた。
康二郎は仕方なく「おう」と答え、荷物を置く。
椅子にどっかり座って肘を付き、康二郎は不敵に笑ってみせた。
「どうだ、もうちょっと練習するか?」
「いえ、もう大丈夫です」
夏野が春原に目配せをする。
春原がギターを構え、夏野がマイクを握った瞬間――空気がぴんと張った気がした。
「――いきます」
ギター音が鳴り響き、夏野が口を開いた瞬間――康二郎は瞳を見開く。
曲はMr.Loudのものではなく、別のハードロックバンドのものだった。
20年程前に全米で流行したバンドだが特にこの曲は有名で、康二郎も以前ドラムの課題で叩いたことがある。
しかし、康二郎が驚いたのはその選曲ではない。
――目の前の声と音は、康二郎の想像を大きく超えていた。
線が細い身体から放たれる夏野の声は、圧倒的な声量と深い安定感、そして何より艶があった。
康二郎もそんなに多くのボーカルを見てきたわけではないが、同年代でこんな歌声の持ち主に出逢ったことはない。
あの初対面の日のか弱い姿からは想像できない程、目の前の夏野は圧倒的な存在感を放ち、そして――焔を瞳に宿して歌っていた。
また、春原のギターもそれにまったく劣らない。
先日聴いた限りでも技術の高さは感じていたが、ギターソロに差し掛かるとやけに情感の籠った弾き方をする。
そのギターは夏野の歌に応えるかのように鳴いていた。
春原の表情は険しいままだが、その身体からは躍動する感情が迸っている。
――何だ、こいつら。
気付けば前のめりになって、康二郎は目の前のセッションを聴いていた。
身体の奥深くに眠っていた熱が揺らめくのを感じ、康二郎は笑みを抑えることができない。
あの日、和沙のドラムを聴いたあの瞬間以来――目の前の音楽に魂を揺さぶられる感覚は初めてだった。
最後に夏野の伸びのあるシャウトと春原のギターサウンドが絡み合い、そしてそれがフェードアウトした果てに、静寂が戻る。
康二郎は純粋な拍手でその静けさを割った。
目の前の夏野と春原から発せられていた熱意がふっと和らぐ。
「いいじゃん、おまえら。貸してやるよ、俺の練習シフト」
「本当ですか!?」
ぱぁっと夏野の顔が明るくなり、春原もほっとしたように息を吐いた。
しかし「但し、条件がある」と康二郎が続けると、二人の表情はすぐに曇る。
そんな二人の困惑を蹴散らすように康二郎は揚々と立ち上がり――そして高らかに宣言した。
「なぁに、簡単なことだ――俺もおまえらのバンドに入れろ。それだけだ」




