track3-2. 冬人は焔を見出す -The Winter Man Found the Flame-
そして康二郎がドラムに更に傾倒する出来事が起こる。
康二郎の学校は小学5年生で地域の音楽会に出場することが決められていた。
合唱曲が決まると、和沙はドラムパートを康二郎が担当すると皆の前で宣言する。
驚きの声を上げるクラスメートたちを前に、和沙は「じゃあ、やってみて」と康二郎にドラムを叩くよう促した。
――あぁ、やってやろうじゃないか。
元々肚は据わっている方だ。
康二郎は一つ深呼吸をしたあと、和沙から習った通りにドラミングを始めた。
余計なことを考えず、確実にリズムを叩き出す――それだけに神経を集中させ演奏を終えたその時、康二郎は周囲が自分を見る眼差しが変わっていることに気付く。
厄介者を見るように遠くから投げかけられていたはずのその視線は、いつしか驚きと尊敬の色に染まっていた。
そして迎えた音楽会の本番の日――この日のことを、康二郎は一生忘れないだろう。
広い会場で空気を震わせる振動と、その場のピッチを支配する感覚、演奏を終えたあとの大歓声。
すべてが初めての経験で、康二郎はすっかりドラムの虜になった。
また、以降周囲の女子たちの自分を見る目が変わったことも、康二郎をドラムへと焚き付けた一因であった。
バレンタインデーに初めて母親以外からのチョコを受け取り、康二郎は確信した。
つまり『ドラムの上手い奴はモテる』のだと。
それ以来、親に頼み込んでドラム教室に通わせてもらっている。
家では並べた紙皿やクッションをドラムセットに見立てて練習していたが、中学に上がったタイミングでそれまでの貯金をすべて注ぎ込み中古の電子ドラムを買った。
バスケをやっていた頃は気が向かなかった筋トレも、ドラムを叩き続けるスタミナをつけるためであれば苦にならない。
結果、高い身長に加えてがたいもかなり良くなった。
そして将来プロドラマーになるため、今はドラム教室とスタジオの練習日以外アルバイトに勤しみ、専門学校進学のための費用を貯めている。
勿論音楽は好きだしバンドを組むことも考えたが、バンドは人間関係が面倒くさそうだし、何より自分を差し置いてモテるメンバーがバンド内にいると面白くない。
それならばプロのバンドのサポートやスタジオミュージシャンとして活動する方が、余計なしがらみもないように思う。
幸いにも通っているドラム教室から推薦を受けて出たコンクールで康二郎は入賞しており、やっていける自信は十分にあった。
唯一の誤算は何故か彼女がまったくできないことだが――それは一旦置いておく。
そんな康二郎にとって、高校の軽音楽部はただドラムを叩く場所でしかないが、ドラム教室の練習日以外に生ドラムを叩ける貴重な機会だ。
入部以来どこのバンドにも属さず頼まれた時にサポートで叩く程度だが、それでも康二郎用にスタジオの使用シフトは組まれており、水曜日の放課後はその内の一つだ。
そこに見慣れない下級生が二人飛び込んできたとあっては、康二郎の胸中は当然ながら穏やかでなかった。
「見ねぇ顔だな――誰だ、おまえら」
「あ、すみません」
マイクを持っていた下級生が頭を下げる。
丈の長いシャツからは細い足が伸びていた。
康二郎の体格と比較すると大抵の男子高校生は小さく華奢に見えるが、目の前の彼は中でも小柄な方だろう。
焦げ茶色で少し長めの髪に、目は大きく印象的な顔立ちをしていた。
「――夏野さん、謝らなくて大丈夫ですよ」
そう言い放った明るい茶髪のギタリストは、憮然とした表情のまま鋭い目付きで康二郎の方を睨み付けている。
「1年の春原ですけど、何ですか? 俺たち、鬼崎さんに呼ばれてここに来たんですけど」
「――あ? 鬼崎だと?」
春原の悪いとも思っていない態度と口から飛び出した鬼崎という名前――この二つが康二郎の導火線を炙るのは造作もないことだった。
康二郎は舌打ちをして目の前の春原を睨み返す。
――鬼崎の野郎、俺のシフトを勝手に下級生に渡しやがった。
「鬼崎が何言ったか知らねぇが、この時間は俺のシフトなんだよ。わかったらさっさと出ていけ」
大概の相手はここで折れ、尻尾を巻いて部屋を出て行くが――どうやらこの春原という1年生は随分と図太いようだ。
一寸たりとも怯む様子を見せず、当然ながら撤退する気配すらない。
「そんなこと言われても困るんで。今日は俺たちが使います」
「おい、春原……」
夏野と呼ばれた下級生がとりなそうとするが、春原は頑固なものだ。
そんな二人の様子に康二郎は頭に血が上るのを感じたが――その一方、目の前の彼らに気を惹かれてもいた。
――今春原は、「鬼崎に呼ばれた」と言った。
何故鬼崎は彼らをスタジオに呼んだのか。
鬼崎は自分の気に入らないものにははっきりNOを出す。
逆に言えば、わざわざ呼んだということは――鬼崎が少なからず彼らを評価したということではないか。
今の状況はまったく面白くないが、鬼崎のお眼鏡に適ったこの二人組に対して、康二郎の好奇心はくすぐられた。
一度だけチャンスをやるか――康二郎は決意し、息を吐く。




