77・医師、降り立つ。【加筆】
エピソード追加しました。
「やぁやぁ、ネオン隊長。 今日から頼むよ。」
「クルス先生、マイシン先生。 いらしていただけてうれしいですわ。 こちらこそよろしくお願いいたします。」
「うん、こちらこそよろしく頼むね。」
教会でマイシン先生に引き合わせていただいてから2日後。
先日と変わらぬ飄々とした雰囲気で、弟子のマイシン先生と共に辺境伯医師団治療院にいらっしゃったクルス先生に、私は挨拶をし、二階の執務室に向かおうと声をかけた。
「では、先生、書類を用意しておりますので、先に契約を……。」
そういう私に、クルス先生はニヤッと笑う。
「う~ん、そういう面倒くさいのは、マイシンに任せて、僕は患者を診たいんだけど。 どうかな?」
(え? これからの勤務形態や、お給金の話とかもあるのだけど、いいのかしら?)
「まぁまぁ、師匠。 来たばかりなのですからそう焦らず。 ほら、辺境伯夫人も困っていらっしゃるじゃないですか。」
あっけらかんとそういうクルス先生に、一瞬戸惑い、どうしていいものか思案を巡らせた私に、助け舟のようなマイシン先生の言葉が聞こえた。
「申し訳ありません、奥様。 師匠はいつもこんな感じなのです。」
「そうなのですね。 そういえば、王都でお会いした時も……。」
「えぇ。 私は長い付き合いですから師匠の事はよくわかっておりますので慣れております。 契約などはあらかた文面もわかっておりますし、後でも大丈夫です。 どうぞ師匠の言うとおりにしてあげてください。 ……『実は師匠、へそを曲げると、面倒くさいんですよ。』」
そう言ったマイシン先生は、最後の部分をこそっと私に耳打ちをし笑う。
「マイシン、『悪口』、聞こえてるよ。」
「どこを聴いたら悪口になるんですか。 先生の言うとおりにした方が楽ですよ、という、弟子なりの気遣いです。」
「物は言いようだよね。 まぁ、いいけど。 それより、患者を診せてくれるの?」
つん、と口先をとんがらがせたクルス先生の様子に、戸惑いながらも好感を持った私は、解りました、と、頷いた。
「では先生。 診察からお願いいたしますわ。」
「ふ~ん……うん。 なるほどね。」
一度二階に上がっていただき、私の執務室に荷物や外套、ジャケットなどを脱ぎ置いて身軽になったクルス先生とマイシン先生と共に1階へ戻ると、皆には清拭などに回ってもらい、私とクルス先生、マイシン先生、そしてラミノーの4人で、最も傷の酷い患者の元に向かった。
包帯を解き、当て布を外し、泡立てたシャボンで傷口を綺麗に洗って水けを拭って、その部位を先生方に見てもらう。
いろんな角度から見、傷口に触れながらう~ん、という顔をしたクルス先生と、やっぱり怪我を見るのは苦手だなぁと顔を顰めるマイシン先生。
「いかがですか?」
折っていた腰を伸ばし、腕を組んだクルス先生は、私の問いにちらっと視線を動かすと、笑った。
「うん。 そうだね、かなりひどい。 で、奥方。 君はこの傷、どう思う?」
「私ですか?」
「そう。」
(わ~、医者の方から看護師に意見を求めることって今まで一回もなかったから、ものすごく新鮮!)
前世にはなかった感動を覚えながら、患者の傷を保護しなおし、一度その場を離れて中央のナースステーションエリアに戻ると、彼の看護記録を開き経過を説明しながら、感じた事を伝えた。
「そうですね。 私は魔物の傷を見たのは初めてでしたし、魔障の事もよく解りませんので、それがこの傷にどのような影響を与えているのかはわかりません。 しかし、怪我の状態だけで言うのであれば、少なくともこのままでは、治癒にはかなり長い時間がかかるのではないか、と。」
「なんで?」
軽い問いかけだが、しっかりと答える。
「腕、足ともに切断面は焼き切っています。 組織が炭になるまで徹底的にです。 最初は滲出液も膿も多かったですが、洗っているときに木の屑も多くついていたことが解りました。 おそらく、失血死する前に傷口に松明を押し当てたのではないかと。 どちらにせよ、炭化した組織細胞が新しく皮膚が形成されるのを阻んでしまっている状況ではないかと考えています」
「うんうん。 なるほどなるほど。」
腕を組み、目を閉じて私の考えを聞いていたクルス先生は、パチッと目を上げて私を見た。
「じゃあ、これ。 どう治療をする方がいいと思う?」
(……あれ? 私、これ、試されてるの?)
不安を感じながらも、私は素直に答える。
「そう、ですね。 私の憶測になりますか、炭化した部分を一度綺麗に切り取り、綺麗な面でつなぎ合わせるのが良いかと思います。 ただ、傷口を新たに作るためには……その、やり方がこの世界で確立していないのではないか、と。 そもそも良い組織の部分は神経が通っていますので、かなりの激痛が伴いますし、出血も伴います。 それに、皮膚の部分をつなぎ合わせることを考えると、皮膚の伸縮を考えながら、今ある部分の骨や肉を削らなくてはなりません。 そうすると推測ですが、残存部分が現在より15センチほど、短くなると思います。」
「うん、そうだね。 実際はもう少し残せるとは思うけど、僕も同じ所見だ。 なかなかいい読みだよ、完璧。」
うんうん、と頷きながらそう言ったクルス先生は、それでね、と、私の顔を見た。
「それ、今ここでできると思う?」
「それは無理かと。」
もうこの際はっきり意見をした方がいいと判断した私は、クルス先生に言う。
「なぜ?」
「私が知る限り、想像する限りのお話になりますが、先ほど言った処置を行うとなれば、患者の受ける痛みは想像を絶する痛みになります。 患者の精神も肉体も持たない気がするのです。 理想は『痛みを感じないような環境で』その処置を行うことだと思います。 ですが……その方法がないと思うのです。」
(前世には、全身麻酔、局部麻酔とかあったけど……そもそもそれがないもの……)
本をいくら調べても、其れらしきものは見つからなかった。 意識がある中での、大きな手術は患者の体は勿論、精神的にも負担が大きいだろう。
そもそも戦闘中に魔物に襲われる中で腕と足を失い、仲間によって『焼く』という方法で止血され生き延びた方に、その上さらに、(治療とはいえ)意識がある中で、上腕部、大腿部の断面という広範囲の傷口を切り、さらに骨を削るのだ。 時代劇では四肢を動かないようにしっかりと縛り上げて固定し、猿轡を噛ませて手術していたが……うん、想像しただけで気を失いそうである。
また、麻酔が見つかっても問題がある。 麻酔をするという事は全身の神経系にその伝達を抑えるよう作用するということ。
電力会社(脳)から供給された電気(指令)を変電所(脊髄や、各伝達系)など通過して各家庭(末端の組織細胞)に送ると考えた時、それを遮断して停電(まひ状態)にするのが麻酔だ。
局所であれば一戸家庭や集落を、腕や下半身、などなら変電所を止めればいい。 だが中枢部である脳に作用する全身麻酔だと、呼吸をつかさどる中枢は脳にあるから、呼吸は止まってしまう。 すなわち死を意味する。
そもそもこの世界に注射などがない以上、部分麻酔は難しい。 子供の予防接種や透析の針を刺す際に、痛覚をまひさせるためのを麻酔テープを貼る事があるが……それはあくまで表面上の問題で、今回のように骨の切断や皮膚の切り取りに意味がない。 疼痛緩和のための麻薬テープも存在はするが、果てしなく論外であるし……この世界には呼吸を管理する医師も、機械もない。
ここまでを踏まえて、『無理だと思う』なのだ。
そこまでの話を聞いていたクルス先生は、うんうん、と頷いた後、ニヤッと笑った。
「いや、まったく同意見だね。 うん、凄いよ。 で、奥方のそれは、何処から得た知識なんだい?」
「え?」
「いやぁ、『方法がない』のに、思いつかないと思うんだよね。 前例もない『意識を失わせている間に処置をする』治療法、なんてさ。」
(しまった!)
私は息をのんでしまった。
その通りだ。 その通りで気を付けていたはずなのに、意見を求められたことでつい、しっかりと『この世界にない知識』を当たり前の様に答えてしまった。
ドッドッドッと鼓動が早くなるのを身のうちに感じながら、私はにっこりと笑う。
「きっと、何かの本で読んだのを、勘違いしていたのかもしれませんわ。 いま、先生に言われて私もあり得ないと思いましたもの。」
「ふぅん。」
覗き込むようにして私の顔を見、笑った先生は、まぁいいや、と、頷いた。
「奥方の言う事は一理あるからね。 気が付かなかったことにしてあげよう。 で、だ。 さっきも言ったとおり、大筋で僕も同じ意見なんだよね。」
「同じ意見、とは?」
「足の炭化した部分をすべて切り取り、綺麗にしてから縫合する。 その方が治りは早いし、その後も格段に綺麗になる。 ただしかなりの激痛だし、それにすでに同様の事を経験した衰弱している体がもつはずはない。」
「では、このままゆっくり完治するのを待つしか方法はないのですね。」
ため息をついた私に、先生はなんで? と笑った。
「方法はあるよ。 君の闇魔法だ。」
「……え?」
「よし、これ以上の詳しい話はさっきの部屋でしよう。」
「は、はい。」
私は、業務をみんなにお願いすると、先生方と共に執務室へと戻った。
作者的、麻酔の利き方説明について(電力会社の……)は、かなりぼんやりした書き方です。 間違ってるかもしれませんが、おおざっぱにはあってます(笑) 気になる方は『麻酔の効き方』で調べてください。
あくまでフィクションですので、そうなんだ、くらいで見てくださいね。(薬理学苦手)




