54・策士にしてやられた、リターンズ
さて私は今、馬車に揺られています。
夜勤を無事に終え、皆と別れて屋敷に戻ると、何故か結婚当日一晩にしか足を踏み入れたことのない本館に誘導されそうになった。それを全力で拒否して離れの私のお部屋に戻ったところ、アルジを除く私付きの侍女+α名がわらわらとやってきて、バスタブに用意された香油と花びらを浮かせた温かいお湯に放り込まれ、そこで茹っている間に、私の頭の先から足の先、何ならあんなところからこんなところまで丁寧に丁寧に磨かれた。(人間の尊厳を失わされたと思っているわ) その最中に寝ちゃったら、次に目が覚めた時には浴室の隣のベッドの上で、つるっつるのぴかっぴかに磨かれている最中だった。そして目が覚めたのであればこちらを召し上がってくださいと、お腹に優しいお昼ご飯一式に加え、試作品と銘打たれた極上プディングを食べさせられ! おなかいっぱい、ぱんちくり~ん、と満足してお部屋の長ソファにゴロンして、本を読みながらウトウトしていたら、そんなところでは駄目だ、と天蓋付きふっかふかのベッドに放り込まれて気が付いたら朝でした。(長かった)
朝まで寝ましたよ、気分爽快。
初めて昼前から翌日の朝まで寝たよね、一瞬2晩寝たかと思ったわ、このまま仕事に行くの!? どれだけ寝汚いの、私!? ってね……。
そんな考えでベッドの上でうろたえていた私のところに、久しぶりに侍女の制服を身に着けたアルジが、やってきてくれてた。
(えぇ、いま考えるなら、その時に気が付くべきだったんだわ。)
なにも気が付かなかった私は、アルジと朝の挨拶をして、久しぶりにされるがまま、身支度を整えてもらった。
私の派手な髪を、可愛らしく裕福な商家のお嬢さん風に編み込んで左肩から前に流してもらった。それから18歳くらいの裕福なお嬢さんが着ていそうな、可愛らしいふわふわのAラインの浅葱色のワンピースと、ペタンコの可愛い靴、お帽子まで用意してくれた。
騎士団では、シャツにトラウザーズにエプロンだったから、久しぶりのスカートはスースーするわね、とか思いつつ、仕上げてもらった可愛い恰好に、鏡の前でちょっと心躍って浮かれていた。
(だって前世と違って私の顔、かわいいんだもん。 ロリータ系のかわいいお洋服も似合うのでは? とも思ったわ。 だから嬉しかったのよ? この可愛い洋服に靴に帽子が。)
しかし、だからといって浮かれすぎだった、今考えてもあれは無い。
だから現在の状況を招いたのだと反省している。
身支度も終わり、小さくて可愛い鞄を渡され、用意してもらった家紋のついていない馬車に促されて乗ったまでは良かった。
馬車に乗ったところで、その馬車の室内の左奥の席に、夕焼け色の髪を背中で一つに纏め、黒曜石のような瞳をこちらに向けた旦那様が座っていたのはなぜだったのだろうか。
一瞬体の動きが止まった。
「……え? 旦那様?」
「……そうだが?」
「すみません、降ります。」
「なぜ降りる、領地の視察に行くのだろう?」
「え? えぇ。 それはそうなのでございますが……」
「従者が困っている、早く座れ。」
「は、はい。」
と、何故か旦那様に言われるがまま、腰を降ろしてしまった。 すると従者から。
「では奥様、扉を閉めます。 お気をつけください。」
と声をかけられ扉を閉められてしまい……。
(え?! アルジは乗らないの?! というか、なぜ旦那様が?)
と言いたいが言葉にならず。
「え? えぇ?」
と、混乱している私に気づかない旦那様は、手に持った杖でこんこんと、座面の背面を叩き『出してくれ』と言われた。
と、馬車は走り出してしまい……。
「え?!」
慌てて窓から外を見れば、家令に侍女長に執事にアルジまでが、頭を下げて見送っている。
(いや、ちょっと待って!? アルジはどうしてそこにいるの?! どうしてこんなことになっているの!?)
と、大混乱のまま……現在、旦那様と馬車の中で対角線上に座って、ただただ無言のまま領地に向かっている。
(そういえば、アルジは何か言っていたような?)
ふと思い出し、馬車に乗るときに渡された小さな鞄を開けると、銅貨や銀貨の入ったお財布やハンカチと共に小さく折られた便箋が入っていた。
(手紙?)
首を傾げながら開くと、そこには少し下手な文字で。
『奥様、申し訳ございません。 街歩きが家令と侍女長に知られており、このような形になりました。 本日行く予定の街は、辺境伯領の中でも治安の良い場所ではありますが、どうか旦那様や護衛とお離れになりませんようになさってください。 私がついていけない代わりに、食べ歩き用のお小遣いを家令さんよりいただいておりますので入れておきます。 申し訳ございません。』
と、書かれていた。
(ア……アルジ……)
読んだ瞬間、私はぐったりした。
なぜ侍女長にばれたのかは、まぁ医療班の皆に、おすすめを聞いたりしていたので、そこからバレたのであろうが……、
(なぜ、旦那様と一緒なの? これはどんな罰ゲームなの? 12日ぶりのお休みなのに!)
休日に上司とお散歩とか、接待! これでは仕事と変わらないではないか。
(どうりであれだけ磨かれたわけよね……。 しかしまた謀られたわ。 こんなに主人を謀ってばか……あ、雇ってるのは旦那様だったわ……。)
私はお飾りだったと思い出しながら手紙を小さく折りたたみ、鞄の底に入れながら溜息をついたところで、旦那様から声を掛けられた。
「その溜息は何だ。 街に行きたくはないのか?」
(あぁ、そうだよ、お前とは何が何でもいきたくないよ!)
とは、雇用主に対してけして、口が裂けても言えない。
なので私はにっこり笑って旦那様の方を見る。
「いえ、そうではないのです。 もともと侍女を連れてお忍びで行くつもりでしたのに、お忙しい旦那様のお手を煩わせることになり申し訳なく思っただけです。」
申し訳ございません、と淑女の鑑とまではいわないが、パーフェクトな答えを返すと、その返答に満足いったのかは不明だが、なるほどな、と、組んでいた腕を解き、右手であごに触れた旦那様。
「気にするな。 今日は休みで、視察に行く予定だった。 そこに今日、ネオン嬢……君も視察に出るらしいが、護衛のこともあるし、一緒に行ってはどうかと言われたのだ。 それに君の視点の意見を貰えば、領地運営がより良くなるのではないかと進言された。 これから行く街は、辺境伯領では一番大きく栄えている場所だ。 君一人で行くより、行き慣れた私と行った方が効率もいいだろう。 だから気にするな。」
「左様でございますか。」
気にするな、と仰いました……気にしてませんよ、というか。
(変に気を回して余計なことしないで欲しいわ……しかし、旦那様本人に、旦那様と一緒なのが嫌なんです、とは言えないわよねぇ……。)
そう思案し、私はゆっくり頭を下げた。
「さようでございますか。 お心遣いありがとうございます。」
そう言って穏やかに微笑むと、旦那様は何故か目を逸らしすっと窓の方を見た。
(目をそらされてしまったわ……あぁ、でもそうね。 お飾りの奥様の私とは、これ以上話すことはないですものね。)
そう自己完結で納得し、では私も窓の外の景色でも楽しもうかと体の向きを変えようとした時、だった。
「手を出せ。」
「は? ……旦那様、今なんと?」
しまった、淑女ならざる声を出してしまった。 慌てて言葉を繕うと自分の左手を私に差し出してきた。
「右の手を出してくれ。」
(え? 急に何かしら? 怖いわ……)
と不安になり、パニックになりそうな自分をどうにか押し込めながら旦那様を見ると、彼はこちらに向かって手を出し、私が手を差し出すのを待っている。
「こ、これで、よろしいですか?」
とりあえず、言われるがままに恐る恐る右手を差し出し、旦那様の手の上に触れるか触れないギリギリのラインで留める。
すると旦那様はそんな私の気持ちを無視し、がしっとその左手で私の手を掴むと、中指に何かを嵌めた。
(……え?)
それは小さな紫色の石のはまった細い細い銀色の指輪で、キラキラと光を放っている。
「旦那様、こちらは?」
手を離して貰えたので、私はその指輪をまじまじと見る。
すると、嵌っていた透明な石が赤色に変色し、同時に綺麗に編まれ左肩から胸の辺りに流されていた私のあのド派手な髪の色が、柔らかな栗色の髪に変わったのだ。
「ど、どうして……?!」
両手で私は自分の髪に触れる。
どこからどう見ても綺麗な栗色の髪に、びっくりして何度もひっくり返したり裏返したりして見ていると、これも、と旦那様から細い銀縁の女性もののおしゃれな眼鏡を差し出された。
「かけてみろ。 目の色が変わる。」
「え!?」
恐る恐る受け取り、その眼鏡をかけると、やはりメガネがチカチカッと光った。
しかし。
「自分では、何色に変わったのかわかりませんね……。」
「安心しろ。 青い瞳に変わっただけだ。 両方この地方に多い髪と目の色だからこれで目立たないだろう……君の姿は目立つからな。」
と旦那様はうっすらと笑われた。
(なるほど、目立たないために魔道具を貸してくださったのね。 そうよね、今日は騎士団で動いているわけでもないし、私のあれは目立つから……)
『選ばれた公爵家の血筋の者でも、直系にしか出ない、公爵という血の宝飾。 政略結婚のために生み出された金の生る色』
思い出した声に、ちくっと、胸の奥で何かが痛む気がした。
この目と髪の色では、嫌な思いをたくさんした。 それが古傷のように痛むのだろう。
泥や油で髪を、顔を汚し、目を伏せ、猫背にして生きていた約10年間。
「このような魔道具もあるのですね。 初めて知りました。 これは、お高いものなのでしょうか?」
「なぜだ?」
「いえ、初めて見ましたので。 出来れば私も手に入れたい、と。」
もっと昔、これを持っていればもっと生きるのが楽だったろうにな、と思っただけだ。
それが顔に出ていたのかもしれないし、口にももしかしたら出ていたのかもしれない。
「君の美しい髪も目も、恥じることはない。 本来であれば、こうして魔術で隠すのが残念なくらいだ。 気にするな。」
(……はっ!?)
旦那様の言われた言葉に、私がびっくりしてそちらを見ると、目が合った旦那様はぼそっと。
「なんでもない。 気にするな」
とだけ言って、窓の方を向いてしまった。
そして、私に何か言われるのが嫌だったのだろう。 おもむろに顔を背けながら、自分にも指輪と眼鏡を付け始めた。
綺麗な夕焼け色の鮮やかな赤は真っ黒に。 窓越しにだが、黒曜石のような瞳は緑色に変化しているようだ。
「……旦那様も、色を変えられるのですね。」
「私の髪も、目立つからな。」
(そんな眉間にしわを入れて言うということは、もしかして旦那様も嫌な思いをしたことがあるのかしら? あんなにきれいな夕焼けの赤なのに……)
急に言われた言葉を打ち消すようにそんなことを考えていると、旦那様はコツコツ、と眼鏡を人差し指で叩いた。
「これらは色変えの魔道具だ。 公爵家であれば、特に君の様に色を持つ家門であれば、それなりの数あるだろうが、君は初めて見たのか?」
「はい。 あの家で過ごしたのは8歳まででしたので。」
「……そうか、そうだったな。 すまない。」
(あら、もっとなにか仰ると思ったのに、意外に素直に謝られたわ……。)
少し意外だと思っていると、旦那様は居心地が悪かったのか、私に話を振ってきた。
「今日は何がしたいのだ。」
「え?」
それには私がびっくりする。
「なにが、とは?」
「目的があって降りるのだろう。 君にとっては初めての土地だ、何がし、見たいか。わかれば道筋など決めやすい。」
その言葉に私は吃驚して声を上げた。
「だ、旦那様が道案内なさるのですか? え? 街まで送ってくださるだけでなく!?」
「そうだ、悪いか?」
「い、いえ、悪いとは言いませんが……大変申し訳なく……」
(窮屈ですから別行動したいです、ともいえるわけもないし……)
聞こえない程度にはぁ、とため息をついてから、私は実は、と話し始めた。
「辺境伯領の大体の物価や流通している品を知るために、市場に行く予定でした。 それから、この指輪や眼鏡の様な魔道具を売っているお店、本屋、図書館、出来ればお医者様にもお会いしたいですし、神父様にお願いしてあることがありまして、教会にも寄りたいと思っておりましたが……。」
それを聞き、今度は旦那様が驚いたような声を上げた。
「なんだ? 君は、宝飾品やドレスを買いに行くのではないのか?」
つられて私も目を見開いてしまう。
「……は? そのような物、いりませんが?」
(もしかして旦那様は、私か散財をしに行くと思っていらっしゃったのかしら?)
はぁ~と、今度は本当に大きくため息をついて、私は旦那様に体ごと顔を向けた。
「今の私が必要としているのは、王都と領地の物価の違いや、最新の魔道具や医療、医療用具などの患者に対しておこなわれている行為に対する知識です。 お飾りは必要ありません。」
そう言い切ると、少し目を見開いたままの旦那様は、腕を組んでそうか、となぜか少し嬉しそうに呟いた。
「使用人に聞いた通り、君は大変に勤勉なのだな。 我が屋敷の図書館の本もかなり読み終わったのだろう? 隣国の本も読めると聞いた。 しかし、それならばこの国の本も随分読んだのではないか? 辺境伯領は王都より本の流通は遅いから、流行の本は期待しない方がいい。 その代わり隣国の本は入りやすい。 もし、王都で読んでいた流行りの本が欲しいのなら、半年は待った方がいい。」
好意でそう言って下さっているのだろうが、ちょっと私の思いと外れているようなので、本屋に行く前に訂正しておく。
「流行りの本が欲しい訳ではありませんわ。 そもそも私は、王都でも自国の本は読んだことがありません。 お屋敷の図書館の本は、歴史の勉強という意味で大変に役に立ちました。 しかし、私は学校に行っておりませんので知識が足りないのです。 ……旦那様は、この国の本がとても高い事を御存じですか?」
「高い?」
それには旦那様は首を傾げた。
「古文書や魔術書などの専門書であれば、金貨や大銀貨が必要だろうが、市井の本屋の本などは、1000マキエ程度、いくら高くても銀貨(10000マキエ)で釣りがくるはずだが?」
貴族様はそういうだろうが、その1000マキエ程度というお金は……。
「……1000マキエあれば、一家族が2~3日3食食べられます。」
「……は?」
呆気に取られたような顔をされた旦那様に、私はたんたんと話す。
「私は8歳から王都の市井で暮らしておりました。 母は病気で働けませんし、弟妹は幼い。 兄は住み込みで商家に働きに出たので、その時必要なお金を稼げたのは私だけでした。 私は公爵家で読み書きなどは教えられていましたから働けたのです。 その私の稼ぎで弟妹は学校に行かせたかったし、母の薬代も必要でした。 娯楽のための本など、買えるはずありません。」
「しかし、では隣国の本は……」
「庶民は他国の言葉を知りません。 市井の古本屋で、隣国の本は誰も読む者がいないからと、一括り10冊10マキエで投げ売りになっているんです。 それを同じく捨て売りされていた辞書を片手に読んでいただけにすぎません。 それだけが楽しみでしたから。」
そう、前世で辞典まで読めるタイプのオタクだったのが今世にも影響してたのか、それが全然苦じゃなかったのだ。後は弟妹の教科書は読んでいたな……。
「……君は……苦労しているのだな。」
しみじみとそう言った旦那様に、私は首を振る。
「苦労とは思っておりません。 もとより、あんな公爵家にいるよりはずっと幸せでしたので。」
「……そうか……そう、か……」
(それより、今日は結婚初日や10日前と違って、随分印象が違うというか、柔軟というか……よくしゃべるわね?)
黙り込んでしまった旦那様に、首をかしげながら、私はつまらない話をしちゃったなぁとため息をついた。
その頃には、走る馬車の窓から見える光景が、木々や牧草地から綺麗な街並みに変わりだしていた。




