32・小隊長の目覚め
2人目、3人目、4人目、5人目……と、状態の悪い騎士様を全員看て回り、一息ついたところで今度は軽症者の騎士様の様子を見ようと、部屋の奥の方へ踵を返した時だった。
「……あ……な、たは?」
背後から聞こえた、掠れた声に振り返れば、一人の軽症者……とはいっても、それは傷の問題で、魔物の瘴気によってつい今まで昏睡状態だった騎士様が、顔だけをこちらに向け、大きく目を見開き、私を見ていた。
「あぁ、良かった。 目を覚まされましたか……?」
気が付いた騎士様は奥から3つ目の並びのベッドにいて、体を横たえたまま、シーツから腕を上げ、包帯代わりの布の巻かれた自分の両の腕を見、そして周りの様子を見て……と、随分困惑しているようだ。
「ここはどこだっ! 」
「お静かに。」
私は人差し指を唇に当て、し~っというジェスチャーをした。
そのジェスチャーがこの世界で通じるかわからなかったが、どうやらわかってもらえたようで、私が近くに寄るまで静かに待ってくれた。
「御気分はいかがですか?」
彼は信じられないものを見るような、畏怖の色をした目で私を見ていたが、私の言葉に心底ほっとしたような表情になった。
「……あぁ、そうか……。 ここは神の国で、貴方様は女神でいらっしゃるのですね……?」
彼の声は心底安堵したものだったが、私は表面上はいつもの微笑みを浮かべていたが、内心では、ぽかーん、となっていた。
(あらあらまぁまぁ、こういう臨死体験的な人が目覚めた時のセリフって、本当にそう言うんだ。)
でも、しっかりと覚醒したという確認になった。
「まぁまぁ、落ち着いてくださいませ。 ひとまずお水をお持ちしますわ。」
笑みを深めてしまった私にやや怪訝な顔をされた騎士様に、ハーブ水を注いだコップを渡し、体を起こすのを手伝うと、彼はやや痛みに顔をしかめながらもしっかりと体を起こし、一気に飲み干した。
「……あら。」
勢いのままに飲んだのだろう。 口の中に入りきらず、口の端から零れ落ちる一筋を手布でふき取る。
彼は、そんな私を見ている。
「ありがとう、ございました。 ……あぁ、やはり神はいらしたのですね……。 神よ、お聞きください。 私は、私は部下たちと突然現れた魔物と戦って、それで……それから……。」
「お待ちくださいませ。」
涙を浮かべ、懺悔の様にそう言いだした彼の背中を擦ると、彼と視線があった。
そこでもう一度微笑み、静かに説明した。
「まずは、お疲れ様でございます。 ここはどこか、とのことですが、神の楽園などではございませんよ。 周りをよくご覧になってください。 見慣れた場所ではありませんか?」
私の言葉に目を見開き、周囲を見回した騎士様は、目玉が落ちそうなほど目を見開き、何度も周囲を見返してから呟いた。
「ここは……騎士団の……。」
「はい。 ここは辺境伯騎士団の、夜勤の方の仮眠棟だったところです。 そして私は残念ながら女神などではありません。 私の名はネオン・モルファ。 モルファ辺境伯の妻で、昨夜から辺境伯騎士団第十番隊医療班の隊長を仰せつかったものですわ。」
「な、あっ!」
私の名を聞き、私の顔を確認するかのようにまじまじと見た彼は、何かに思い当たったのだろう、飛び跳ねるように身を震わせると、慌ててベッドを降りようとした。
しかし。
「お、くさっ……!。 ぐう、ぅ……。」
動こうとしたタイミングで、全身を襲ったであろう激痛に、彼は顔を大きく歪め、ベッドの上でうずくまった。
(確かに傷は軽症の方だけれど……魔物の瘴気ヤラレが、一番ひどかった方なのよね。)
予想通りというか、傷を抱えた体、急に体を動かせばそうなって当然なのだ。
そっと、背中に手をやり、何度か撫でつけて、荒くなった呼吸が落ち着くのを少し待つ。
「急に動いてはいけませんよ。 今は、どうぞご無理なさらず。 ここは騎士団の砦の中の救護院で、貴方は怪我人なのです。 ここで優先されるべきは、傷病人である貴方の体の方ですからね。 礼など今は不要なのです。 どうぞお休みください。」
背中を擦っていた彼が、落ち着き、一つ頷いたのを待ってから、ベッドに横になるように促す。
私の手を借りることを最初は渋りながらも、促されるようにベッドに横になってくれたその人の体に、ゆっくりとシーツをかけ直した。
ベッドの中でその人は、痛みに顔をしかめながらも躊躇いがちに、私に聞いてきた。
「……奥様……あの、そのお姿は……。 初めてお目にかかった時とは別人のようで……いえ、こうして拝見すれば、確かに奥様なのですが……気が付かず、申し訳ございません。」
私の、貴族の婦人にあるまじき、よく言えば飾り気のないさっぱりした、悪く言えば貴族のそれとはわからない、みすぼらしい姿はどうしたのか、と聞いているのだろう。
しかし。
「初めてお会いした時、ですか?」
私の中にこの方とお会いした記憶がなくそう尋ねると、病床で彼は頷いた。
「はい……。 団長と奥様のご結婚の際、教会から御屋敷までの間を、護衛を担当させていただきました。 第2部隊第5班第2小隊隊長プラティ・グピーと申します。」
「グピー小隊長様……。」
結婚式の時と言われて思い出してみれば、領地の教会で式を終え、そのままお披露目でその街を一周し、屋敷に向かった。 その際、確かに大きな騎士の方に挨拶をされた気がする。 が、あの時は、監禁教育の疲れと、政略結婚に対するプレッシャー、何一つ失敗できないという緊張で、挨拶を誰かにされた、程度しか覚えがない。
(でも、ごめんなさい、解りませんって、言えないわよね。 では……)
「あの時は本当にありがとうございました。 あの時とお姿があまりにも違い、今、こうして言っていただくまで気が付きませんでした。」
と、申し訳なさそうな表情を浮かべてそう告げると、そんな私に彼は柔らかく微笑んでくれた。
「いいえ。 あの日、奥様はかなり緊張なさっておいででしたし、いまの私はこのような有様……お解りにならないのも当然のことです。」
(逆に気遣われてしまったわ。)
申し訳なく思いながらも、小隊長を務めると言う彼が懺悔のようにつぶやいた言葉を考えると、あの名ばかりの救護室にいた全員が、彼の部下だったのだろうと、確認をする。
「グピー小隊長殿がこちらにいらっしゃるという事は、あの日、怪我をされ救護室に運ばれた皆様は、第2小隊の隊員の皆様という事でよろしいでしょうか。」
私のその言葉に、グピー第2小隊長は首だけを動かし、左右のベッドに眠る騎士様の顔を見て……ひとつ、溜息をついた。
「少なくとも、私の隣にいる者達は、私の部下ですので、間違いありません。」
「そうですか。」
と、私は頷く。
「わかりました。 教えていただいてありがとうございます。 まだ夜も明けておりませんので、いましばらくお休みくださいませ。 そしてもしよろしければ、後程、こちらにいらっしゃる皆様のお名前を教えていただきたいですわ。 騎士様、とお呼びすると、ここにいらっしゃる全員を指してしまって、不便なのです。」
そう私が告げると、彼は戸惑うような顔をした。
「はい……いえ、しかし……私どもは、あの時、あの、救護室へ……。」
ベッドの上で、宙を彷徨う瞳、複雑な感情が入り混じった表情。
もしかしたら、意識を手放さずにいた時に、投げ込まれるようにあの医療室へ入れられ、それを思い出しているのかもしれない……。
だとすれば、班長たる彼は、目の前で部下が魔物にやられ、自分も動けなくなりながら、あの小屋に放り投げられ、苦しみ、死にゆく部下の姿を見続けながら、なすすべなく意識を手放したのだろうか……。
そうなると、彼が味わったものは。
(私の勝手な想像でしかないけれど、それはおそらく……絶望、かしら。)
だが、そこからこうして目覚めたのであれば、少しでも、希望を持ってほしいと思う。
(伝えなければならない、彼が苦しむであろう事実があって、黙っていることが心苦しいけれど……でも、せめて今は、ゆっくり休んでほしいわ。)
そう考えた私は、そっと彼のベッドのそばに行くと、グピー第2小隊長の胸を、シーツの上からトントン、と、幼子を寝かしつけるように撫でる。
「お、奥様……。」
「先程も申し上げました通り、まだ夜明け前ですのよ。 もう少しお休みくださいませ。 他の皆様の事は、今はどうぞ私にお任せください。 詳しい話は起きられてからいたしますが、ご想像のような事には決してなりません。 ご安心くださいませ。」
「それ、は……。」
その縋るような目に、私は一つ、大きく頷いた。
少しずつ、青い瞳が瞼に隠れていく中で、大きな涙を枕へ落としながら、彼は一つ、安堵の言葉と共に息を吐き出した。
「あぁ、よか……った……。」
そう言うと、彼は再び眠りについた。




