24・突然の来訪者
「奥様。」
扉を閉めたと思っていたところで、中から出てきた騎士様が二人、私に向かって頭を下げていた。
(見送りしてくれているの?)
そんなことは必要ないのに、と、私は騎士様に近づき、頭を上げてもらい、此方がゆっくりと頭を下げる。
「先ほどは兵舎の中だったのではっきりとお話しできませんでしたが、今回は、私の我儘にお付き合いいただき、本当にありがとうございます。 心より感謝をもうしあげますわ。」
「奥様、おやめください! 私共に頭をお下げにならないでください!」
「奥様、私共はお礼申し上げたいのです。」
え? と、顔を上げた私に向かって、再度、頭を下げてくださった2人の騎士様がゆっくりと顔を上げてくれる。
その顔は、暗闇の中、足元を照らすくらいの光源しかない魔導ランプの明かりもはっきりとわかるくらい、泣き出しそうないびつな笑顔だった。
「私共は、奥様に感謝こそすれ、迷惑などとは決して思っておりません。 負傷者を前に何もできず、ただ名ばかりの医療班であることが心苦しく、しかし上官に逆らうこともできず辛かったのです。 亡くなる同僚を前に、己の無力に泣くこともございました。 だから、いま、こうしていられることが本当に嬉しいのです。」
そうしてまた、私に深く頭を下げる。
「そう言ってもらえると嬉しいわ……。 では、先ほどもお願いした通り、ブルー第三騎士隊長殿との話がまだ終わっていないので、もうしばらくこちらで皆様の看病していただいても大丈夫ですか?」
「はい! 奥様が戻られますまで、此方はしっかり守らせていただきます。」
「ありがとうございます。 では、よろしくお願いいたしますね。」
2人の騎士様に頭を下げてから、私は静かに救護院から出た。
さて実は、『聞かなきゃよかった、旦那様の過去と糞作戦』を聞かされたため、本当にしたかった『医療院の今後について』の話が出来ておらず、これも長くなりそうだったので、話し合いを一時中断し、騎士様たちの容態の確認にだけ、私は戻ってきたのだった。
「ブルー第三騎士隊長殿は、すぐに用意できるものはすると言ってくれたけれど……一番欲しいのはやっぱり人手だわ。 あの方たちだけに、無理はさせられないもの。」
わたしが体感で2時間ほど、策士気取りの3人による与太話に拘束されていた間、騎士様を見ていてくださった医療班の方2名は、あの部屋で、私がお願いしたことをしっかりしてくださっていた。
本当はもっとやってほしい事……重傷者だけで言えば、2時間おきの体位交換と、こまめな水分補給、それから排泄の確認があったのだが、説明しないままお願いすることはとても厳しいので、私が帰ってからやる事にし、起きることのできる4人の軽症者の、食事や排せつの付き添い、水分補給など、おそらくは面倒くさい、煩わしいと思われるであろう仕事をお願いしていたのだ。
正直、騎士団の事は何も知らないくせに、突然現れた騎士団長の奥さんという立派な肩書だけ持っただけで責任者になった小娘の私に従わなければならなくなった彼らに、仕事を放棄され、憎まれ口をたたかれこそすれ、あのように、お礼を言われるとは思っていなかった。
(……私のような小娘にすがらねばならないほど、医療班の皆様は、苦労なさっていたのだわ。)
何とかしなければ、という思いは強くなる。
しかし人手に関しては、私に従いたくない者は異動を許可すると言われている。
今はブルー第三騎士団隊長に従って、あの場で仕事をしてくださっているあの方たちも、別の部隊へ行くことを希望されるだろう。 それなのに、医療班へ人員をくださいと、あの旦那様を説き伏せるのはかなり難しいだろう。
(私の宿屋での仕事は裏方をしていて、夜明けから夕方まで10日働いて8万マキエだったでしょ? 騎士団ともなればもう少し高いわよね? 基本給に危険手当に夜勤手当と……資格給? 普通よりもいいから騎士をやめられないという話だし、辺境騎士団はどれくらいお給金を出しているのかしら?)
騎士様一人につき一ヵ月いくら給料を払うのかも知らない。
だから、考える。
自分に充てられたあの私費で、辺境騎士団医療班の、一体どれだけ物資と人手が賄えるのか。
「そもそも、辺境の物価は、王都とだいぶ違うのかしら……? 少し落ち着いたところで一度、辺境伯領の主要の街に出て、市場や商店を確認して市場調査を……。」
いろいろと思案しながら騎士団本部に向かう途中、私は近くに人の気配を感じた。
「誰?」
手持ちの魔導ランプの明かりでそちらを照らすと、ぼんやりと見えるのは長いスカートの裾のようだ。
(こんな時間に、こんな場所に、女性?)
日も落ち、暗くなった騎士団の砦に女性がやってくることがあるのだろうか。
不審に思い、もう一度、声をかける。
「そこに、誰かいるの?」
そう問えば、おずおずと、スカートの主はこちらへ足を進めた。
私の手に持つ明かりが、その顔を照らし出す。
「……奥様。」
「アルジ!」
その顔を確認した私は、慌てて彼女に駆け寄ると、大きな籠を持ったまま頭を下げるアルジに、頭を上げるように促した。
「あぁ、顔を上げて。 それより、こんな時間にこんな場所にどうして? 私は屋敷で休みなさいと命じたはずよ?」
すこし責めるように言ってしまったのは、昼間、慣れない仕事で酷使してしまった彼女が心配だからだ。
しかし彼女は真剣な顔で首を振ると、腕に抱えた大きな籠を見せてくれた。
「ご命令違反については心からお詫びを……しかし、お屋敷に戻りましても、いてもたってもいられず、お着換えと軽食とお茶、それから馬車に持ってこれるだけの手布やシーツ、それに看病に使えそうな物をお持ちしました。 ……奥様、お顔の色がよくありません。 お食事はまだでございますか?」
その心配げな声に、彼女は心から私を心配してきてくれたのだと解る。
わかるから、そっと、背中をなでた。
「ありがとう。 顔色は手燭のせいよ。 食事は先ほど軽食をいただいたけれど、せっかく持ってきてくれたのだもの。 今晩のお夜食にいただくわね。 アルジ、貴方だって疲れているのに、私を気遣って来てくれてありがとう。 アルジの気遣いのお陰で、今夜は安心して仕事できるわ。 さ、夜が更けないうちに屋敷へ戻りなさい。」
ここから屋敷までは、深い森があるのを見てきた。
夜の森は、野党はさすがに出ないだろうが野犬や、魔物が出る可能性はある。
「さ、早く馬車へ……」
「いえ、わたしは……。」
アルジを促して、馬車へ送って行こうとした時だった。
「奥様。」
アルジと違う女性の声に、私は顔をそちらに向けた。
こちらに近づき、あと2歩、というところで足を止め、頭を下げたのは、結婚式当日の挨拶と、翌日に結婚に際しての契約にも立ち会った時以来3度目の対面である、ひっつめ髪にきつめの綺麗な顔立ちの、モルファ辺境伯家の侍女長だ。
何故、彼女が? と、私は眉をひそめた。
「侍女長? 家令もこちらに来ているのに、貴女までこちらに来て……お屋敷は大丈夫なの?」
私が静かに尋ねると、彼女も落ち着いた様子で頭を下げた。
「モルファ辺境伯家には、家令、私の他に、執事もおります。 また、残してきた使用人は皆、大変に優秀ですので大丈夫でございます。」
なるほど、と思いながら、用件を聞く。
「そう……屋敷が大丈夫である事はよくわかったわ。 それで、どうして貴女がここに?」
尋ねれば、彼女は私をしっかり見たまま、言葉を続ける。
「アルジが帰宅時、奥様とご一緒でなかったこと、また、本日午後に一度使用人が十数名、屋敷を出て、すぐに戻って来たこともあり、先ほど帰宅したアルジを呼び、確認しました。 そうしたところ、本日、此方でおきました話を詳細に聞くことが出来ました。 その間も、アルジは奥様の心配をし、終始落ち着きを取り戻せませんでしたので、やむを得ず、此方へ向かうことを私が許可しました。 奥様のご命令に背く形になってしまい、申し訳ございません。 また、私がこちらに参りましたのは、昼間の件についてでございます。 ぜひ、奥様にお話をと思い、共に参りました。」
(なるほど。 お飾りの奥様が、休暇中の使用人を一瞬とはいえ勝手に呼び出した事に対して、お小言を言いに来たってところね。)
私はアルジから手を離すと、侍女長にしっかりと体を向け、頭を下げた。
「その件については、名ばかりの女主人が貴女に許可も取らず、勝手をしたことをお詫びするわ。」
先手を取って謝ってみたけれど、帰ってくるのは嫌味か、叱責か。
さて、どちらかしら? とちらりと侍女長を見ると、彼女は深く頭を下げていた。
「え?」
驚いて頭を上げた私に、彼女は頭を下げ続けた。
「いいえ、奥様が謝られることは何一つありません。 また、奥様が使用人に頭を下げることがあってはなりません。 お詫びしなければならないのは、私共のほうでございます。」
そう言う彼女を、私は目を見開いて、その姿を凝視した。




