148・疑惑と反省と、新たな一歩
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ブシロードノベル『目の前の惨劇で前世を思い出したけど(略』1巻2巻発売中ですブシロードワークスより『目の前の惨劇で(略』コミカライズ第1巻5月8日発売決定しました! 予約開始中です!
「右の肘と肩、それから右の膝から足首にかけてはまぁ立派な擦り傷……か。折れた左の胸をかばったからそうだったのだろうけれど、これは悪手だったね」
「……申し訳、ありません」
ベラに抱き上げてもらいベッドに戻った私のところにやってきたのは、処置道具を乗せた包交車(サービングカート改造品!)を押したアルジと、珍しく無表情のクルス先生で、アルジに指示を出しながらてきぱきと処置を行ったクルス先生は、滲む血液を洗い流し、擦り傷に入り込んだ床材のささくれや泥の欠片を抜き、再度洗浄をしてからスラティブを貼って包帯を巻いてくれ、私への心配と日ごろの疲れのために青い顔をしていたアルジには休息を命じ、温かいハーブティーを持ってきてくれたベラには砦本部にいるカルヴァ隊長への報告を依頼し、私が誤って倒してしまった魔導灯で焦げた床の片づけをしてくれたブルーガへは、病室の外での警備をお願いするように命じると、病室の扉を閉め、ため息をついた。
「さて、と」
やれやれと、頭をぼりぼりと掻いたクルス先生は、ベッドに横になっていた私の傍の椅子に座ると、先ほどまで使っていた包交車を手元に近づけ、それからずいっと右の手を出した。
「右の手」
「……え?」
「え? じゃない。この手だ」
首を傾げた私に、クルス先生は表情一つ変えぬまま、自分の左手で私の右手首を掴み引っ張った。
とっさに引っ張られた右の手首から、手のひらにかけて痛みが走り顔をしかめる。
「いた……」
同時に、開いてしまった右の掌に、クルス先生は珍しくも苛立ちを隠せず素で舌打ちまでした。
「先程、見せなかっただろう?」
「それは……」
「ばれないと思ったか?」
「……いえ……ただ……」
「ただ、なんだ?」
舌打ちをし、それから一度遠くにやった包交車を乱暴に引き寄せる。
「医療に明るくない護衛二人や君のことになると観察力の落ちるアルジと違い、こんなひどい火傷をした手を僕に隠し通せるとでも? 確かに君の隠し方はうまかったかもしれないが僕は医者だ。握っている隙間からも見えていた。指の中の第二度の火傷(全体の発赤と水泡形成ができる)、しかも、これを見ればわかる。君は燃えた紙を握っていたのだろう? こんな傷、痛いに決まっている。君は僕を、医者として馬鹿にしているのか?」
(そこまでバレていたのか……)
その言葉に、すっと血の気が引く。
消える彼の足元で燃えた呪符を咄嗟に掴み取るために掴んで床に派手に転んだ跡、アルジやベラはひざ掛けや肩掛けをかけて肌を極力出さないようにしながら処置を行っていた。その時、肩掛けを被って隠していた右の掌は、左のそれと共に握り締めたままでいてとても怖かったと言った風を装っていたのだ。
勿論、腕の処置中も痛みを我慢しているといった具合に肩掛けの中で強く握り絞めて見せないようにしていた。
それに気が付かれていたのだと改めて驚き、息を呑み、それから、恐る恐る掌を広げた。
「申し訳、ありません」
「まったくだ」
手首を掴んでいた手の力を抜き、手のひらの残った紙切れを丁寧に攝子(医療用ピンセット)で剥がしとった彼は、そこから私の手を洗面器に入れると、丁寧に泡で洗い、洗浄用の清潔な水で綺麗に注ぐと、乾布で丁寧に水けを押し拭ってからスラティブを丁寧に塗り込み、小さく切った布を貼り付けてから、一番細い包帯で丁寧に手を巻いていく。
その手さばきは丁寧だが、隠し切れない苛立ちがあるのか、包帯や布を貼る時に指を伸ばされると、ピリピリとした痛みが腕全体に走る。
「痛い、です」
「当たり前だ」
珍しく怖い表情のまま手に包帯を丁寧に巻き終わると、ひとつ、深くため息を吐いた。
「それで?」
「……え?」
顔を上げた私に、クルス先生は包帯を巻き終わった手を離すと、それとは反対の手にハーブティーの注がれたカップを渡した。
「君が怪我をした理由……は、まぁ予想できる」
ふぅっとため息をついたクルス先生は、私の手から取り出した焼け焦げた紙の欠片を膿盆の上に広げ、それから彼のいた場所を流し見て、言う。
「これは東方の術式……こちらで言う魔術に使う媒介の一部だ。そこで使ったのだろう。で、これで焦げた床は咄嗟に魔導式手燭を倒したかなにかで隠した……といったところかな?」
「……なぜ?」
「この怪我を隠そうとしているというのが一番だが、まずは部屋に入った時の魔術の残り香、といったところかな。ここに入った時にすぐわかったよ」
ティーカップ越しの挑発的な笑顔に、すっと、肝が冷えた。
このオトシン・クルスという人は、いったいどんな人なのかと。良い腕の医師が欲しいという短絡的な考えで身の内に入れて以降、様々な問題には契約書を重ねて何とか対応してきたが時折ひやりとすることがある。
「残り香、ですか?」
「そう……感じたことはないかい? 魔力じゃなくてもいいのだが……誰かの匂い、だったり。わかりやすい例だと、すれ違いざまにアイツの昼飯カレーだったのかな? とかと同じ感覚だよ」
「なる……ほど?」
その喩えはどうかと思うが理解はでき、しかし魔術に関しては感じたことがないため首を傾げる。
「しかし私にはわかりかねますわ……魔術も実際に習い始めたのはこの半年で、結界を作るなどのモノが多いものですから」
「昔、スライムに刻印をした話をしたけれど、あれと一緒だよ。あぁ、誰かが魔術を使ったな、となんとなくわかる程度さ……まぁ僕の場合は、人生のほぼすべてを医術と魔術に捧げてきた。他者とは関わっている時間が違うから他人にはわからない感覚かもしれないけれどね」
そういうと、両手の中で水の塊を作ってくるくると回転させてから、私を見る。
「こうして、僕が魔術を使ったとして」
ぱっと、水の塊が消える。
「さて、いま僕が水の魔術を使ったのは目で見たけれど、他の魔術も併せて使った。何を使ったかわかるかい?」
「……いいえ」
「じゃあこれが薬草だったらどうだろう」
ふるふると首を振る私に、彼は『だろうね』と頷いて、こんどは薬草の入った瓶を取り出した。
「僕や君、それからモリーであれば、先ほどまで何の薬草を摘んでいたか、薬研で引いたこれが何の薬草かわかるだろう。他の隊員にはそれが出来上がらないと解らないけれど……それと同じだ」
「なるほど……」
魔術の残り香など、私は感じたことがないが、薬草ならば確かに分かる。扱う者ならわかる、という事はそういう事なのだろう。
公爵家でもなぜか使うことはなく過ごしていたし、市井にいた時は魔道具を使うとき以外は魔力を使う必要がなかったから先生の言う『魔術の残り香』がわからなかったのだろうと思いながら頷くと、今度は先生が燃えカスをつまんで私の前に突き付ける。
「それでこれなんだけど、なぜそんなにしてまで隠そうとした?」
「……痛みで忘れていただけですわ」
「そうとは考えられないな。傷の状況から見ても、わざと魔導灯を落としてボヤを作って部屋に焦げ臭さを残したこと、処置の時に火傷した掌を出さなかったこと……忘れていた、ではない。単刀直入に言えば
隠ぺい、かな?」
「……」
その通りであるため全く答えられないでいる自分に、酷い罪悪感と気持ち悪さに言葉も出ない。
皆が心配してくれて、慌てて走り回ってくれて、手を尽くしてくれる。なのにその原因になるものを言えない……言えないでいる自分に、酷い吐き気が喉元まで上がってくる。
ここで話さなければ、いつかはわからない、けれど必ず皆を危険にさらす可能性がある。
ならば話す必要がある、目の前で起こったことをすべて暴けばいい。
それでも、言えないのは……
「……君には隠し事が多いな」
「先生には、負けますわ……」
「う~ん、それを言われると、何も言えなくなってしまうなぁ」
自分が圧倒的に悪い状況であるくせにそう言ってしまったのは、先生に会ってからずっと感じている違和感や疑念。もしかしたら自分と同じく異世界転生もしくは異世界転移者か? と疑うことは多くあった。
それは医療、それから食事に関することがとても多かったのだが、先生の雰囲気や自分がそうであることへの秘匿感から、互いに深入りしなかったというのが正しいのかもしれない。
それしてそれは先生も一緒なのか、確かにと小さく笑ってから、二人分のハーブティーを淹れなおしたクルス先生は、ひとつだけため息をつくとあきらめたように紙片をテーブルの上に広げた。
「さて、ちょっと防音の結界を張らせてもらおうかな……」
すっと先生が初歩の防衛魔術を使ったのを、やっぱり残り香とかはわからないな、と思いながら様子を確認すると、とんとん、と燃えカスを見てというように指先でそれを叩いた。
「侵入者が使った魔法術式のヒントだけでも手に入れたかったんだろうね。見上げた根性だ、その胸の骨折の事を忘れて床に飛び込むんだから」
「……申し訳、ございません」
ぐうの音も出ない真っ当な回答に、私は処置されたばかりの手で受け取ったカップをぎゅっと握り、静かに謝る。すると目の前のクルス先生は解りやすくため息をついた。
「教えたのが少し昔になってしまったけれど、魔術の基本は覚えている?」
突然聞かれたそれに、私は戸惑いながらも頷く。
「五大要素に、光に、闇、それから……無、ですね」
「そう。五大要素は解りやすいから説明は省こう。まずは君の魔力である闇。闇と言うと負のイメージをいだきがちだが、何度か話した通り、基本的には違う。闇属性は星月夜を思い出すのがいい。静寂、睡眠、鎮静、安寧、休息……心を落ち着けるために明るい部屋で叫ぶ馬鹿はいない。刺激となる音も刺激も少ない静かな場所で人は心を休める……」
「……はい」
「対して光。人は目から光を取り入れることで気分を高揚させ、意欲的に活動をするようになる。また、光は手に入れたい奇跡や宝石の輝きに似ている。人も、動物も、草花も、日の光を求めて突き進む。樹木草花はいい例だな、葉の茂み、花の咲く方向。生存競争での進化による例外はあれど、大概、日の光に向かっている。人だって、太陽を神と見立て、あがめることもあるだろう一方、その力を求め続け、焦がれ続け、近づく距離を誤った者はその身を焦がすことになる」
「……あの、先生」
その話を聞き思い出すのは、ドンティス隊長の話していた『父親』の事で、私は一度躊躇した後、それでも言葉に出してみた。
「なんだい?」
包帯の下で火傷特有のズキズキと痛みを訴える掌を眺めてから、目の前でハーブティーを飲むクルス先生を見る。
「先生は ……光属性の人間を、見たことはあるのですよね?」
「あるよ」
そっけなくそう言った彼に、私は尋ねる。
「その方は、どのような方ですか?」
「どんな、とは?」
うん? と、首を傾げながらぺろりと唇を舐めたクルス先生に、私は具体的に問いかける。
「光属性を持つ一個人として……争いを好むのか、人が傷つくのを厭うのか……問題の中心にいる人間なのか……」
「ふむ……」
私の要領を得ない例えに、しかし意図したことを理解したらしく、すっと赤味を帯びた瞳を細めたクルス先生は、ティーカップを置いた。
「そのまえに、一人、僕の問題児の被検体の話をしようか」
「……問題児の……患者?」
「うん。僕の被験体はね、上手く人を見ているつもりかもしれないがそうではない。自分でも気が付いているようだが『そうかもしれない』程度の、大変に不器用な人間だ。
まずその被検体は、自分の心の領域に他人を入れない。酷く周囲を気にし、声をかけ気を配るが、自分の事は表面上でしか表現しない。しかし、付き合っていくうちに相手の事を気に入った、気になった、庇護しなければと思うと、急に自分のテリトリーに入れ、それは他者が驚くほどに守り抜くんだ。それこそ、自分の体はもちろん、命までも軽んじてまで。もともと自己評価が大変に低いようだが、それ以上に自分の使える物以上の手段を使ってでも、敵とみなしたものを強く攻撃し、排除しようと意固地になる。たとえそれが自分をボロボロに打ちのめしてしまう可能性があると解っていてもそれをいとわずに、だ。
そして酷く秘密主義だ。相手の心を開くため、表情や言動豊かに使い、自分の気持ちや状況を話しているけれど、絶対にすべてを他者に明かさない。どれだけ心を許した相手にでさえもだ。
そして他者に裏切られることを恐怖しながらも、心のどこかでそれを覚悟……いや、嫌われるように導いていく場合もある。これに関しては、自分から他人を突き放すよりも、その方がずっと楽だし、いろいろと自分の中で簡単に諦めがつくからだろう。
こう説明すると、この被験者はとてもひどい人間だ。他者のために跪く優しさを持つと同時に、隠し持った錆びた剣で相手が苦しいと叫んでも淡々と追い込みをかける、酷く攻撃的で、自分の正義の為ならば、自己中心的に物事を動かしても良いという考えを持つのだから」
「……? それが、光属性の患者ですか?」
「いいや?」
随分と酷い人間性の患者だと思いながら聞いていた私に、ふはっと噴き出したクルス先生はすっと、細くしなやかな右の人差し指を、私の火傷をした掌の真ん中に突き立てた。
「僕の被検体の中で、今、唯一闇属性を持つ、君の事だ」
周囲の音が全部消え、自分が座っているはずのベッドが消えてなくなり、自分が何者か、わからない感覚に陥りそうになる。
が、手のひらに突き立てられた指先が強く穿たれた痛みでそれすらできない。
「君は自分を、聖人君子かなにかかと勘違いしている……なんてことは言わないよ。だが、たかが魔力属性で人の性格や性質を知ろうとしない方がいいだろう。僕は君を気に入っている、それは、人間として、綺麗で汚くて秩序的なようで混沌を孕んだ酷く矛盾を抱えた人間だからだ。完璧な聖人君子の君と出会ったなら、僕の興味の対象にすらならなかっただろうね」
無表情とは違う、酷く冷たい顔でそこまで言ったクルス先生は、私の手のひらから指を離すとぱっと表情を変えた。
「さて、ここまでをふまえて、なんだけどね?」
にこっと笑ったクルス先生は腕を組んだ。
「僕の被検体の中に光属性は2人いる。その内一人は残念ながら意思疎通ができない。理由は生まれ落ちた瞬間に、その魔力に魅入られた乳母によって誘拐され成育されたところとある筋で保護され、まぁその後諸事情があって僕の実験室に連れてこられた。自分では何もできない赤子のような者でね、たった一人の従者によって生活の全ての世話をさせている。ちなみに、君が気になっていた大量のスライムの魅了は、その被検体の『遊び相手』としておいたスライムたちだ」
「……それは」
「それからもう一人」
想像を超えた話に言葉が出ないでいるところに、畳みかけるようにクルス先生は言う。
「こちらはそうだな、最初の被験者を『皆で甘やかして育てた結果』のような人間だ。すべてを手に入れ、何を言わなくても、何を求めなくてもすべてを手に入れてきた人間。そして自分が『光属性』と知った瞬間から『それがどこまで許されるか』を微笑み一つでやってのけて来た。怖いだろう? 皆、彼の言いなりだったらしいよ。ただ、ひとつの『誤算』で、全てが終わった」
「『誤算』」
「たった一人の人間と関わったことで、周りの人間すべての魅了が解けてしまった。それからは彼の人生は思い通りにいかず、それまでのツケを払うように真人間になる事を求められたが、それまでそうして生きてきた人間がそうなるのには、かなりの努力が必要だろう? そんなものが彼にあるはずもない。結果、彼は『幽閉』された」
「幽閉……?」
「……気になるよねぇ。君はその被験者によく似た人間を知っているのだから」
その言葉は、話を聞いていた間に感じた疑惑から確信に変わり、私は痛む手を握りしめる。
「……先生は、何を、何処までご存知なのですか?」
私の震える声に、にこやかにクルス先生は笑う。
「昔、先生は私に仰いました。『知らないことを具体的に話すのには知識が必要で、それはどこかから得た知識なんだ』と。では先生の知識はどこで知ったもので、何処までご存知なのですか? お姿と年齢が違う事は存じ上げております、ですがそれでも……」
「……はい、そこまで」
冷たい人差し指を唇に当てて微笑んだクルス先生は、私の唇から手を離すと、その指にチュッとキスしてから笑った。
「高位貴族の御婦人の口づけ一つ分の話をしてあげよう。この国の太陽は、西方から交易でやって来た美しい占師を大変気に入って愛妾にした。そして愛妾が占うままに、君たち『宝石』を王都から出すように進言されて今回の政略結婚を命じた……っていう噂がある」
「占師を、愛妾に?」
首を傾げる私に、クルス先生は笑う。
「『宝石』達が止めても愛妾にされた『占師』は、星を使って物を測り、吉凶の占いをする。遊牧商隊にもそんな奴がいなかったかい?」
そういえば、と頷く。
客として泊まっていた宿屋兼酒場の片隅で、顔かたちを隠した美しいモノが『占い』をしていた。
「しかしそれが……」
「ちなみに東方では魔術属性を持たない者――『無』と呼ばれる者は意外と多い。そして彼らは決して『体が爆発して死ぬ』なんてことはない。なぜならば彼らは『魔力を放出』できるようこちらで言う魔術、向こうで言う『呪術』『妖術』として扱うように教えられるからだ」
「……では、これは……」
「こちらで言う『風』の魔術に相当する呪術の魔法術式の残り滓だ。使ったものが『無』属性なのか他に属性を持っていてその上でこれを使ったのかはわからないが、東方は、魔術においても他の国より秀でている、と知っておいた方がいい」
「……そう、ですか……」
解決したようなしないような、そんな気持ちでいる私の手から空になったティーカップをするっと抜き取ったクルス先生は、立ち上がり、茶の道具も包交車の上に載せた。
「さて、そろそろ寝たほうがいいな。明日にはここを退院して領都の屋敷へ戻るのだろう? その前に打ち合わせと、本宅へ一度行くと聞いている。明日は忙しくなるだろう。……それに、十日後からは認めたくないけれど、仕事復帰だ。他辺境伯騎士団の医療隊が来るのであればしょうがないからね。領都の方も、看護師の育成を同時に始めるのだろう?」
「はい。そのつもりです」
やれやれ、と肩を竦めたクルス先生は結界を解き、扉を開けて外にいたブルーガと、本部から戻ってきたらしいベラと顔を合わせてからもう一度私を振り返った。
「ではやはり休むといい。無理はしないこと、薬はちゃんと飲むこと、身体介助はアルジと二人で行う事。三日に一度こちらへ顔を出すときには僕の診察を必ず受ける事。いいね? じゃあ、ベラ。後は頼んだよ」
「はい。ではネオン様、お体を横にしましょうか?」
「ありがとう」
部屋に入ってきたベラに手伝ってもらいながらベッドに横になった私は、「約束だからね」と最後にもう一度、強く言い聞かせるように言われたクルス先生の言葉に、しっかりと頷いた。
「かしこまりました」
******
「彼の方は、こちらでお待ちでございます」
「ありがとう」
そこに入ると、本日会う予定の客はいた。
「やぁ、モルファ夫人。待っていたよ」
「こちらからお願いしたのにお待たせし申し訳ございません」
「いや。療養中の身である君はこちらの都合に合わせてくれたのです、何を謝る必要がありましょうか。それから。西方の貴婦人の挨拶はお怪我をした体に障る。礼は不要です、モルファ夫人」
「東方の猛き賢人を前に、そういうわけにはいきませんわ」
にこやかに微笑みながらカーテシーの体勢をとろうとする私を、今日も東方の美しい衣装に身を包んだ相手に止められた私は、では、とそのまま背筋を正すとスカートをつまむはずだった両の手を目の高さで重ね合わせ、手の位置をそのままに静かに頭を下げた。
「スティングレイ様には、本日の急な面会の申し出をお受けいただき、誠にありがとうございます」
「なんとっ」
すると、感心した風に声を上げたスティングレイ商隊長の機嫌よさそうな笑い声が聞こえた。
「モルファ夫人は、東方の挨拶の作法をご存知か」
それは以前、立ったまま行う最も相手を敬う形の礼の仕方だと教わったもので、顔をあげながら私は努めて柔らかに見えるように微笑む。
「付け焼刃の拙い所作ではございますが、養父より学んだものでございます」
嘘は言っていない。
半年の領地軟禁から王都の屋敷へ居を移した際、重要な東方の商人が公爵家に訪れることがあり、顔見せとして会う機会を用意された時に養父と、交易相手である東方ビ・オートプの属国にあたる国から公爵家の使用人となった女性からしっかりと習った作法で、一年以上使っていなかったから少々心もとなかったが失礼に当たるようなことにはならなかったようだ。
「いや、拙いなどと謙遜を。帝国の令嬢のそれより美しい所作だと感心しましたよ」
「お褒めにあずかり光栄です」
さらににこやかに微笑めば、彼も穏やかに微笑む。
ひやりとした緊張を感じながら、私達は案内してくれた者に促されてソファに座ると、役場職員によってお茶が運ばれてくる。
手を付けるかどうするか一瞬悩み、それでもとティーカップに手を伸ばそうとした時、扉を叩く音が聞こえた。
入室許可すればリ・アクアウムの役場長がやってきた。
「モルファ夫人、スティングレイ商会長様、お目見えの機会を頂き、感謝いたします」
私達が座るソファの傍で両の膝をつき、頭を下げた彼にわたしもスティングレイ商会長も頷いた。
「会談の場を提供してくださってありがとう、役場長」
「いえ。バザー開催の事前のご相談、しかもそこにスティングレイ商会の部隊が立つとお聞きしております、今日は鈴蘭祭の担当も揃っておりますので、どうぞ何なりと仰ってくださいませ。また、カルヴァ侯爵夫人も到着なさり、別室でお待ちでございます」
「ご協力、感謝致します。スティングレイ様。先日急にお願いを申し上げましたが、本日はモルファ辺境伯家のバザーの件もありますので、今後、私の補佐を担ってくださることになりましたカルヴァ侯爵夫人も同席させていただきます」
「あぁ、聞いておりますよ。ご主人の御容態も心配ですが、モルファ夫人お一人で騎士団と家政を仕切られるのは大変だと心配していたのです。手伝ってもらえるものがいてよかったと安堵しております」
「御心配をおかけし、夫の身まで案じてくださってありがとうございます。それでは、役場長、会場へ案内をお願いします」
「かしこまりました」
にこやかに対応した後、役場長に案内され、別に用意された会議室に向かう。
私はスティングレイ商会長にエスコートされる形で、案内役を買ってくれた役場長の後ろを歩く。そんな私とスティングレイ商会長の後ろには、東方の衣装を身につけた護衛騎士が二人付き従い、私の後ろには侍女のお仕着せをきたアルジとベラ、そしてベルーガがいる。もちろん、ベラとベルーガは色変わりの魔道具(護衛期間中は外れることの無いようにピアス型らしい)を使用して、今までのそれとは正反対の色合いを纏って傍にいてくれている。
それは今までもあるようないつもの光景なのであるが……。
(……彼が、いない……今日は非番なのかしら)
護衛剣士の中に腹心としてずっと傍に置いていると聞いていた彼がいないことを疑問に思いながら、私はそれを隠し歩く。
用意された会議室に到着すれば、そこには教会主様と修道士様、鈴蘭祭を担当した役場員やモルファ家一門の商会長、そして東方の衣装に身を包んだ初老の男性二人、そしてほぼ同時に部屋に到着したカルヴァ侯爵夫人とモルファ辺境伯家の家令代理のナハマス、そして私の執事のデルモが待っていて、私とスティングレイ商会長が席に着くと、僭越ながら、と鈴蘭祭の担当者が話を始めた。
お読みいただきありがとうございます。
更新に長くお時間いただき、申し訳ありません。次回も同じくらいお時間いただくかと思いますが、お許しください。
リアクション、評価、ブックマーク、レビュー、感想などで作者を応援していただけると、やる気がもりもりわきますので、是非よろしくお願いします。
感想のお返事が出来なくて申し訳ありません……ですが嬉しく読んでおります!
また、ご指摘の矛盾点は少しずつ直していきますのでお待ちくださいね。ありがとうございます。
誤字脱字報告、ありがとうございます。
***注意書き***
作者の全ての作品は異世界が舞台の『ゆるふわ設定完全フィクション』です!
その点を踏まえて、楽しくお読みください。




