145・籠の鳥の監視人
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ブシロードノベルより『目の前の惨劇で前世を思い出したけど(略』1巻2巻発売中です。
コミックグロウルにてコミカライズ第4話更新されています。
お手に取っていただけると嬉しいです(^^
「南方辺境伯本宅の、家令・侍女長を筆頭とした古参の使用人からは『テ・トーラ公爵令嬢にお話しすることはなにもない』と話を聞くことは出来ませんでした。書類の方も手を借りる事は難しそうです」
「……そう」
予想通り。とはいえ貴族に仕える上級使用人とは思えぬその行動に、私は落胆する。
「わざわざ調べてきてくれてありがとう、無理をさせてごめんなさい。彼らについては職務放棄だと叱りたいところだけれど……予想通りね」
(後の祭りだけど、こんなことなら毛嫌して避けず、少なくとも旦那様とよりを戻せって言っている間に話を聞いておくか、必要最低限の友好関係くらいは築いておくんだったわ……)
その日の夕刻。
私が入院中の荷物を持参したという名目で医療院に到着したデルモから聞かされた言葉に、私は溜息をつきながら頷いた。
「彼らから距離を取り、家政から目を背けていた私の落ち度だわ。嫌な役目を押し付けてごめんなさい、デルモ」
「いいえ。力が及ばず申し訳ございません」
「やれやれ。あの者らは変わりませんな……」
自分の落ち度に頭を下げる私とそんなことはないと慌てて頭を下げるデルモ。
その様子を見てため息交じりにそう呟いたのは、私の足元にある椅子に座り、アルジの用意したお茶を手にしたモリマで、心配げに目元を下げながら私を見た。
「しかし嬢ちゃま、驚きましたぞ。時折倒れられることはありましたがまさかまた……よほどご心労が祟ったのでしょう……病室に花を届けてほしいとの言伝も。まさかこの老いぼれが、ここに来ることになるとは思いませんでしたが、嬢ちゃまに頼られるのは嬉しい限り。どうですかな? 気に入ってもらえましたかな?」
その言葉に、私は自分の手の中にある、好きな花だけで作られた小さなブーケを見た。
「えぇ。モリマの育ててくれた花が、香りもいいし一等好きよ。とても嬉しいわ。わざわざとどけてくれてありがとう」
「なんの。嬢ちゃまの為なら悪路にも耐えますぞ。それにしても」
ふっと笑ったモリマは、ベッドにそえられた机の上の書類の山をちらりと見た。
「この、病人の部屋に不釣り合いな書類の山はなんですかな?」
その指摘に、私は苦笑いする。
「これは王都へ提出用の辺境伯家代理当主着任の許可願いとそれに伴う書類よ。それで、デルモ。申し訳ないのだけれど、この書類を本部のカルヴァ隊長の元にある書類と照らし合わせて齟齬がないか確認して来てほしいの。機密書類が多いし、家令が職務を放棄してしまったからデルモにお願いするしかなくて」
「かしこまりました。では早速」
「頼むわ」
机の上に置かれた書類を丁寧に抱えて出て行ったデルモを見送ると、今度は私の身支度や着る物の整理をしてくれていたアルジに視線をやる。
すると、それに気づいたアルジが微笑んだ。
「ネオン様、お花を活けて参りましょうか?」
「えぇ、お願い」
「かしこまりました」
その問いかけに頷き花を渡すと、先ほど出て行ったデルモと同じく、部屋を出たアルジを見送って。
ゆっくりと私はモリマの方を向いた。
「本当に、こんな風に遠い所を呼び出してしまってごめんなさいね、モリマ」
そういえば、彼はいつもの柔和な笑顔を浮かべる。
「なんの。先程も申し上げましたとおり、嬢ちゃまのためならばやって参りますとも。……しかし」
ふっと、室内の空気が変わった。
「ネオン様は、デルモを使って何をお調べなのですかな?」
その言葉に、やはりそうだったかと目を伏せた私は、顔を上げて姿勢をただした。
「実は少し前に、北方辺境伯家のショーロン隊長にお会いしたの」
「おや、珍しいですな。北のあの方がお見えになるとは」
「モリマは彼を知っているのね?」
問いかけに、彼は頷く。
「北の辺境伯卿と先代様はご友人の間柄でいらっしゃったのです。以前、共にこちらにお出でになられた際、奥様への土産に花を所望され、僭越ながら儂が庭をご案内したのです」
そう、と頷いて、私は静かに話す。
「奥様思いなのね。私が彼の方にお会いしたのは2回目なの。婚姻前に王都で。二回目は昨日……わざわざ私に会うためにいらっしゃったようなの」
「……旦那様ではなく、嬢ちゃまにですか?」
「えぇ。それでね、忠告を頂いたの」
「ほう、忠告とは?」
「これから起こるかもしれないことのために身を護るように、と。詳しい内容は言えないけれど、私はそれに従う事にした……けれど、家政をしていない私が、モルファ辺境伯夫人として動くには、取り巻く状況が自業自得だけれどあまりよくない。それでね、どうしようかしらと思った時に思い出したの」
「何を、ですかな?」
促すような相槌に、私は言葉を選びながら続ける。
「先日、ベラ隊ちょ……いいえ。私の護衛となったベラに初めて会った時のことよ。モルファ辺境伯家のために辺境伯夫人としてここにいてほしいと言われたこと。それから、もしモルファ辺境伯家の事を知りたければ、リ・アクアウムの屋敷を調べるといいと言われたの。
今まで旦那様や家令たちに対する嫌悪感や忙しさも相まって、気になっていたけれどなかなか手を付けることができず、そのまま忘れていたの。けれど、今回旦那様が病気療養となって私が当主代理を務めるのだから、ちゃんと調べたほうがいいかもしれないと考えたの」
「……なるほど」
鼻の頭に皺を寄せ、すこし難しい顔をしたモリマは、すするようにお茶を飲むと、深く息を吐いた。
「しかし、今まで知らずともここまで来られたのです。であれば、このまま知らず先へ進まれても良いのではないですかな? そこまで嫌悪し遠ざけて来た事柄なのです。いまさら辺境伯家の確執をお調べになったところで何が変わりましょうか。それに、もしそれが見過ごせぬことだと知った時、嬢ちゃまはどうなさるおつもりなのです」
「どう、とは?」
その声はいつもの声よりやや低く、優しいモリマのものとは思えぬほどで、私は一瞬たじろぎそうになったが、それを気取られぬように気をつけながら問いかけると、モリマはカップを置いた。
「旦那様の事は自業自得と言わざるを得ないでしょう。しかし、忙しかったとはいえ忘れてしまえるほどしか関心を持てなかったモルファ辺境伯家の歴史、確執を知ってどうなさるおつもりか。一時の酔狂や好奇心、中途半端な正義感や責任感、罪悪感からであるのなら、止めておかれたほうがいい。今のままであれば『知らなかった』の一言で済ませられるのです」
穏やかな語り口であるにもかかわらず、言葉の端々に感じる棘にひやりとしたものを感じながら、それでも私はまっすぐとモリマを見る。
「モリマは、私が知ることはないと思っているの?」
「……事と子細によるでしょう。これから嬢ちゃまは何をしたいのか。それによっては知る必要がある事柄もある。ネオン様は儂の役割にお気づきになられた。そして根底にある確執を、見て見ぬふりを決め込んだまま先に進むか見極めたかった。だからこそ、儂のような爺をここにお呼びになったのでしょう?」
そう言ったモリマに、私は少しだけ眉を下げた。
「……気が付いた?」
そう聞けば、彼は静かに目を伏せた。
「いくら嬢ちゃまのお気に入りとはいえ、庭師の儂ごときがこのような場所に呼ばれる事自体、おかしなこと。花が欲しければデルモに託してほしいとおっしゃればよかった。しかし儂自ら届けてほしいと仰った。よほど重大ななにかがある。もしくは、自身の正体がばれたと思うのは当然でしょう」
「そこまでわかっていたのに、なぜ従ってくれたの?」
「先代様からの御命令ですのでな」
その言葉に、私は目を伏せ笑った。
「……やっぱり」
今度は確信をもって、尋ねる。
「モリマは、前辺境伯様の命令を受けて、私の傍にいてくれたのね?」
「いいえ」
しかし私の言葉にモリマはきっぱりと否定の言葉を口にする。
「その様な生易しいものではありません。儂は、嬢ちゃまを監視していたのですよ。だからこそ、決してお傍を離れなかった。嬢ちゃまは、何故お気づきに?」
「つい先ほど。ショーロン伯爵とお話しした後なんとなくそうおもったからお手紙を……でもまだその時は疑心暗鬼だったわ。けれど、その後ドンティス隊長とお話ししたとき確信したの。
隊長から、私の血縁上の父親の話を聞いたわ。そしてショーロン伯爵も彼を注視し、周囲に注意喚起をしていたと。であるならば、その子に対して警戒するのは当然よね? そしてその通り、ドンティス隊長は私を警戒していた。けれど……旦那様にはその雰囲気はなかったわ」
そう、だから離れに暮らし、好きに生きることを許した。考えることもせず、簡単に。
そして私も、使用人たちを全員追い払って離れに移り住んだ……はずだった。
「身の回りの世話をする者……侍女や侍従は最低限つけると確かに言われていたけれど、私の話し相手になってくれて、慰めに手品まで見せてくれる庭師のことは言われなかったわね……」
思い出すのは、熱を出した日の蝶々。
毎日届けられるお花。
そして、庭師であるのに離れから領都に共に居を移してくれたこと。
「離れに移った翌々日、庭に出た私はモリマにあった。私は花が好きだし、花壇や畑を作ろうと思っていたくらいだから、その専門家のモリマとはすぐ打ち解けたわ。モリマも、私の気がまぎれるようにたくさん、私の好きな話だけを聞かせてくれた。でもね、庭師が庭にいるのはもちろんおかしい話ではないけれど、貴族の夫人相手に老人とはいえ庭師が話しかけたりすることは、本来はない事……だからあの出会いも、偶然ではなかったのではないかしらと思ったの。けれどそれを命じたのが旦那様ではないとしたら、私がここに来ることを危険視するのは誰かを考えた。私がこちらに来ることを危険と感じた北方辺境伯様とショーロン伯爵、ドンティス隊長は御学友だった。であれば、モリマを通じて私の監視をしていたのは前辺境伯様ではないかしら? とおもったの」
「なるほど……」
実際は、前世の記憶から『貴族の家には隠密や影がいるのでは?』と思った時に『御庭番か!』と思いついた……とはいえず、後付けのように頭の中で状況証拠を重ねた推察でしかないのだが……。
それでも、それは十分だったようだ。
「……嬢ちゃまは少々頭が回りすぎるようですな。先代様が『公爵家の宝石』が嫁いでこられることを危惧し、しかしその身を案じておられた理由がよくわかる」
「そんな大層なものではないけれど……やっぱりそうなの?」
「正しくは、陛下が我が王位可愛さに愚さに走られたと聞いた辺境伯家当主が話し合った結果だと言うべきでしょうな……」
丸めていた背をすっと伸ばしたモリマは、酷く冷えた視線を私に向ける。
「儂は、南方辺境伯家を影からお支えしていたモノ。すでに現役を退いて長いですが、そこに組織せずとも、必要とあらば『司法公の令嬢』で『宝石姫』である嬢ちゃまの事でさえ弑し奉る覚悟もある……。
……はずだったのですがなぁ。」
息も出来なくなるほどの圧迫感は、けれどたった一瞬のうちに消えさった。
目の前には、先ほどまでの殺意が放たれる瞳ではなく、いつものように柔らかな目元を隠し、背を丸め、穏やかな笑顔を浮かべるモリマがいる。
「いや、情けない。年を取ったせいか、つい、嬢ちゃまのお人柄に絆された。儂の目の前で、手を土で汚し、小さな野草や蝶に喜び、儂のために茶を淹れ、菓子を焼いてくださる嬢ちゃまが……この辺境の民のために我が身をやつれさせても身を粉にして動かれる嬢ちゃまが、我が身可愛さに辺境を、辺境伯家を破滅に追いやるわけがないと。我が身をもってそのお心と性根を知ってしまってからは、先代様への報告は致しておりますが、我が身を顧みぬ嬢ちゃまのお守りのつもりでしたな。旦那様もそれで良い、と。……嬢ちゃまとの暮らしは、儂にとっては孫娘と暮らしているような、幸せなものになっておりますよ」
「……モリマ、ご家族が……」
いるの? と聞こうとした私は、彼の穏やかな微笑みになぜかその先を聞くことができず、言葉を変える。
「前辺境伯様……お義父様は、今どちらに?」
それには、モリマは少しだけ考える風を見せ、それから目を伏せた。
「お住まいは秘しておきましょう。それが先代様の望みです。彼の方のお住まいを知るのは北と西の当主様と儂、それから領都の屋敷を管理するジミー・マーシ夫妻のみ。
先代様の事で嬢ちゃまにお話しできる事柄があるとすれば、フィデラ様がお亡くなりになられ、奥方様が後を追うように亡くなられた後、挿げ変えで当主となられるラスボラ様の事を誰よりも深く案じておられた。しかし御身ではラスボラ様や周りの者たちを正すことも、お守りすることもできないと苦しんでいらっしゃった。ですから、先代様は各所にご自身の腹心をおき、モルファ一門が離散、もしくは内部から瓦解しないように心を配っておいでだと言う事だけですな」
ジミー・マーシ夫妻もだったのかと内心苦しくなりながら、私は静かに尋ねる。
「……なぜ?」
「一部の者しか知らぬことですが、フィデラ様を砦まで連れ帰られたのは先代様です」
「……え?」
驚いた私に、モリマは一つ頷いて見せ、それから目を伏せる。
「先代様は、ラスボラ様が抱えられて帰ってこられたとき、名目上は第一、二部隊にその捜索に向かわせましたが、その影で、儂らのような腹心だけ連れてフィデラ様を助けに行かれました。お二人の部隊を襲った魔物の強襲をせん滅させ、フィデラ様の亡骸の一つ一つ、肉の欠片の一つ一つを自身の手で集め、抱きしめて帰ってこられました。そしてその亡骸を隊長に預け、そのまま意識を失われた。精神力と胆力で3日後に目を覚まされましたが、その時にはすでにお体は魔障によって病を得ておられました」
「……それは……?」
「徐々に体の自由が効かなくなる病です。徐々に体が動きにくくなる中、腹心の者達だけにそれを伝え、ギリギリまで騎士団の団長であられましたが、お一人で立ち上がる事が出来なくなり始めた時、ラスボラ様にすべてを託し、腹心の者へそのすべてを託され、ご自身は蟄居なさったのです」
「ではまだ……。いえ、クルス先生の診察を……」
「いいえ。爵位を譲られた時点で積極的な治療は全て拒否しておいでです。現在はもう体を動かすことはもちろん、声も出ない状況です」
その言葉に息をのむ。
「では、身の回りのことなどはどうなさっているのですか?」
「魔障に侵されたその身を『魔障病』の研究に差し出す代わりに、世話していただいている、とだけお話しします。しかしお教えできるのはここまで。いつかネオン様が先代様の事をお尋ねになられた際、我らが話しても良いと判断した時は、ここまではお話ししても良い、という事になっております。」
「……そう、なのね。そして貴方たちは、私がどれだけお願いしてもそれを覆すことはしないのね」
「それが、先代様の望みなのですからな」
そう言ったモリマは、首元から、ひとつのペンダント引きずり出すと、私の手の上に置いた。
「これは?」
「古いお話をお聞かせしましょう」
モリマの体温の残るそれは、分厚く頑丈なモリマの手で拳を作ればすっぽりと納まってしまうくらいの、モルファ家の紋章の彫られた金属のペンダントトップで、返せば小さな三人の家族の姿が描かれていて、女性は、なんだかモリマに似ている気がした。
「もしかして、この方たちは……」
「儂が先々代の御当主様にお会いしたのは物心ついた頃……燃え尽きた村の真ん中で立ち尽くしているところを拾っていただきました。まだ孤児院も何もない時代、儂はお屋敷の下働きを始めました。大人の使用人皆に可愛がられ、その内、庭師としても『牙』としても一人前だと認められた頃、当主となられた先代様にお仕えしました。洗濯を専門にするメイドと恋に落ちましてな……一人の娘を授かったのですよ。
その娘は、このお屋敷で、自分たちがそうであったように皆に見守られ育ち、ついには辺境の騎士と所帯を持ち、同じように孫娘を生みました。しかし、娘たちが住み移った村は、魔物の強襲に襲われた……我が手に戻ってきたのはこれだけ。妻は嘆き悲しみ、失意のまま病で亡くなり、儂は一人になりました」
私の手からペンダントを優しく掬い上げたモリマはそれを掌に載せると、反対の手でそっと撫でた。
「嘆き悲しむ儂に、先代様は声をかけてくださった……ともに涙を流し、儂を気遣ってくださった。家族を奪われた悲しみを分かち合ってくださるその方の、心からの願いを叶えることは、悪い事ですかな?」
顔をあげれば、いつもの穏やかな表情のままのモリマに私は首を振った。
「いいえ」
それに、モリマは一つ頷いた。
「嬢ちゃまの良いところは、心根がお優しく、下々の生活の末にまで目を向けるお心の余裕があり、感情豊かで正義感がお強いところでしょう。だがしかし、やや潔癖で、自身が嫌う者を遠ざけ、目の前のことに強く感情を動かされ、周囲を見ず突っ走ってしまうきらいがおありだ。ですがそれは自身もお気づきで、そうならぬようにと一度心を落ち着けようとなさっておいでです。
ですから、嬢ちゃまならば正しい判断がおできになると儂は信じております。しかしもう少しでよろしい。御身を大事になされ。周囲の人間は敵ばかりでない。味方もおります。自己防衛は確かに大切ですが、自身だけで何事も成そう、解決しようとなさっても苦しくなるだけ。もう少し早く、助けてほしいと手をのばしてみると宜しい。
自身の周りを良く把握し、状況を見極め、考えながら先に進みなされ。
その上で、此度の事。必要があると判断された時は、もう一度儂にお声を。その際には必要な情報を、必要なだけお話ししましょう。もちろん、そのほかの事も手が欲しければお声がけを……正当な当主でない以上嬢ちゃまが『牙』を動かすことは出来せませぬが、儂らはネオン様をお助けできる」
それには、私は唇を強く引き締め頭を下げた。
「……ありがとう、モリマ。」
笑顔で頷いたモリマは手にしたペンダントを服の下に隠すと、冷たくなったお茶を啜った。
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