不自由な自由に乾杯
「まんじゅ」
ナポリタンが温泉まんじゅうの包みをはがした。
「まんじゅう」鳴海が言いなおす。
「なぜ熱した水につかりに行くのだ。コレを作りにいくのか」
箱の中に黒い塊が8つ入っていた。旭がひとつ手にとって「食べてもいい」と鳴海をみた。片手をさしだして勧めると、かじりついて「おいすい」と言う。
「はじめて食べた」
「まんじゅうをか」
「うん。どのタイミングで食べるものか知らない」
「どのタイミングもこのタイミングも、じいさんばあさんの家に行くと必ず出てくるだろ」
合宿の翌日、鳴海はさっそく旭の家を訪れた。手土産に温泉まんじゅうを買ってきたのだが、珍しがられるとは思っていなかった。
「ジイサンバアサンとはなんだ。人種か」
「人間の行きつく先のことだよ。旭のご両親はイギリスにいるんだよな、ほかの親戚はこっちなのか?」
「どちらもだいぶ前に死んだ。会ったことない」
「……そっか」
「君はジイサンバアサンの家にいく?」
「いや、俺も会ったことないんだ。ただ近所に老人が多いから、昔からよく貰うんだよ。まんじゅうとかせんべいとか」
旭はうわの空になった。自分の世界に飛び立ったのだろう。これが彼の習性のひとつであると気づいたのは最近だ。
まんじゅうを食べながら待っていると、彼は現実に戻ってきて「今日はどうする」と聞いた。
鳴海はにやりとした。「その質問を待ってたんだ」とリュックから透明なファイルを取りだすと、旭とナポリタンが寄ってきた。
「旭が経験していなさそうな、かつ実行可能なことを、思いつくかぎりピックアップしてみた。上から難易度がやさしい順になってる」
「いつ作ったの」
「合宿中。ひまだったから」
ナポリタンが触手をたゆたわせて「これらを経験するコトで本当に旭は幸福になるのか」とたずねた。
「ユウキさんの話には説得力があったと思うけど」鳴海はこめかみをかいた。
「でも旭がどう思うかは分からない」
「僕はこれらを実行することに問題を感じない。上から順にやる?」
「まあ、やさしいことからやるのが良いだろうな」
リストの一番上に書かれた文を読む。
「……どこでやる?」
ふたりは顔を見合わせた。ナポリタンが「家ではできぬのか」と聞いた。
「野郎と鎌倉くんだりに来るとは思わなかった」
小倉通りの入り口に立って鳴海は顔をしかめた。
「まあ買い食いっつったらここだろ」
旭は外国人観光客を避けながら、リストに連なった文字に目を走らせた。
「買い食い、他者と出かける、観光する、が埋まる」
ナポリタンは旭の肩におおいかぶさって、興味深そうに周囲をうかがっている。
「ココはなんだ」
「鎌倉。むこうに鶴岡八幡宮がある。反対側には鎌倉大仏」旭が歩きながら説明する。
「来たのははじめて」
「俺もひさしぶりだな」鳴海は懐かしむように目を細めた。
「理央と来たのが最後か」
「りお」と旭が首をかしげる。
「無関係女だ。アノとき一緒にいた」とナポリタンが触手を突きつけた。
「そうだけど」鳴海は苦々しく「彼女なんだ」と説明した。
旭は納得したのか「鎌倉はでーとすぽっと」と、頷く。
「まあ今日は野郎ふたりで行くっきゃねえな……あそこの団子屋美味いぞ」
平日の午後、由緒正しい小倉通りは、元気な老人会の集団、大きなリュックを背負った外国人観光客、老若男女の日本人によって混雑していた。こじんまりした店舗の屋根はどれも可愛らしい小豆色や渋紫で塗られ、観光情緒を呼び起こす。団子屋のショーウィンドウも類にたがわず、種類豊富な串団子が目を引く。
「ずんだは前に食べて美味かったが」
「今朝食べたモノと異なる。だが似ているな。まんじゅ」
「だからまんじゅうな。どっちも和菓子だ。今日は和菓子デーだな」
無意識につぶやいて、鳴海は頬を赤くした。店員の女性がくすくすと笑ったからだ。
「俺はみたらしとゴマにする。旭は?」
「みたらしとずんだ」
ふたりは沿道に立って団子を食べた。
「買い食い。みんな歩いている。歩かなくていいの」
「歩くと危ないだろ」
「……君、意外とそういうところある」
「なんだよ、そういうところって」
「いや」
旭はぷいと顔をそむけた。ナポリタンは触手をずんだ団子にくっつけて「もちもち」と驚いている。
「地球人の加工文化は愉快。なぜコノ島国にいる人間、もちもちを食す。歯がヨワイのか」
「米を使った菓子が多いからじゃないか。それにせんべいなんかは硬いだろ」
「フカシギ。和菓子と洋菓子。地球人はなぜチガウモノ食す」
「文化が違うからだろ」
「なぜ文化がチガウのだ」
「そりゃ歴史が違うからだよ」
「なぜ歴史がチガウのだ。オナジだ」
「宇宙単位じゃ一緒かもしれないが、これは国単位の話だ。たとえば日本とアメリカじゃ、ぜんぜん歴史が違うだろ」
「違わない。我からすれば同一。なぜ違うモノを食すのだ。フカシギ」
「……違う成長をするべきだったから」ぽつりと旭が言った。
「人間は違うものを受容することで成長した生命」
「む」とナポリタンがうなった。
「旭、めずらしいな」
鳴海は通りを眺めてあくびをした。
「旭はどっちが好きだ?」とたずねてみる。
「和菓子と洋菓子」
「ぼくはナポリタンが好き」
「ほう、我も我が好きだぞ」
「そういうことは聞いてねえよ」
鶴岡八幡宮まで歩いて参拝をした。大仏を観終えた頃には夕方をまわっていた。鳴海の体力は限界をむかえていた。昨日までの合宿疲れが足に来ていたのだ。
通りの角に酒屋があった。休憩をしようと誘うと旭も同意する。木造造りの古めかしい店だが、洒落たテラス席があって、夕暮れを肴に日本酒をたしなむ客の姿が見える。
「飲むか?」
旭は悩んでから「ちょっとだけ」と言った。かまぼこと野菜の炒め物、大仏ビールを注文して席につく。
「リストに外飲みもつけ加えたほうがいいな」と鳴海は笑った。
旭は物珍しそうにきょろきょろとした。
「君はお酒が好き?」と聞きながら、木目のテーブルを手でなぞる。
「そうでもない。あんま強くないし」
「でも飲む」
「強くなっておきたいって考えがある。世の中、酒が好きな人間のほうが多いから、付き合いで飲むんだ。それに好きなペースで飲んでいいなら嫌いじゃない」
「どうして?」
鳴海はよくよく考えてから「ほろ酔いの感覚が好きなのかもしれない」と答えた。
「感覚」
「自由な気がするだろ。社会人が酔わずにいられないのは、自分は自由じゃないって根本的に思っているからかもしれないな」
鳴海は、話しながら耳が熱くなるのを感じた。わかったような口を利いている自分がみっともなく思えたのだ。旭との会話では、どうしてか妙なことを口走ってしまう。
「いま言ったことは忘れろよ」と釘を刺すと、旭は柔らかくほほえんだ。
「君は自由」
のどにビールが詰まった。咳をする。
「だから忘れろっつってんだろ。恥ずかしい」
「君がそう思ってないにしても、君は自由」
「……そりゃ触手に寄生されてるよか、自由だろうよ」
「聞き捨てならぬハツゲン」
おこぼれを突くハトとたわむれていたナポリタンは、鳴海の背中に飛びのった。グラスを落としかけたが、抵抗をするのも面倒だったので、眉をひそめるに留める。
「旭さあ」
髪で遊ぼうとする触手を払いのける。
「なに」
「なにかしたいこととか、目指すものとかないのか」
ハトが飛び立った。旭はおだやかな瞳で羽ばたきを追う。
「特に将来にたいして思うことはない」
「そりゃそうかもしれないけど、もったいない」
「もったいない」
「せっかくいろいろできるのに、なにも目指さないなんて、もったいなくないか」
疲れのせいで酔いが早い。かぶりを振って「まず地球滅亡を回避してからの話だな」と、みずから話題を切る。
「それはそのとおり」
「だけど」
念のために就活はしたほうがいいぞ、と偉そうな発言をするまえに口を閉じる。自分があれこれ口を挟むことではない。すると触手が素早く伸びて、鳴海の唇をぐにょんと引きのばした。ぎょっとして引きはがそうと試みるが、びくともしない。
「ほま」
言葉を途中で止める。どう頑張っても面白い声しか出ない。
「無い脳みそでナニを考えるのだ。ワカラヌ。考えるだけで話さないのならば、このような発声器官は不要。我が裂いてモット大きくしてやろう」
鳴海は青ざめた。「やめて」と旭が触手をやさしく叩くと、拘束が解けた。口の左右を手でこすり「この麺類」とナポリタンをにらみつける。
「ぼくに言いたいこと、ある」
視線を泳がせてから、しぶしぶ話しだす。
「俺が言うことじゃないだろうけど、今から就活したほうがいいんじゃないかって。それだけだよ」
「もったいないから?」
「それもあるけど」
眉間をもんで唸る。
「旭はもっと……世間と関わってもいいと思うんだよ。エイリアンっぽいし、ちょっと変わっているけど。社会とこう、交わってもいいだろ」
話しているうちに、やけになってきた。
「もったいないって俺が思うんだよ」と横を向く。
「せっかく能力があるのに、だれにも認められないなんて嫌だろ」
「それは鳴海くんがそうだから?」
鳴海は眉間をこする指を止めた。旭はビー玉のような目をしていた。
「そうだよ」と、うなずく。
「俺だって自分の能力が認められないと嫌だ。だから旭にもそう思うんだ」
「ぼくは君に認めてもらえてうれしい」
親指に冷たいものが掛かった。視線を落とす。こぼれたビールが、テーブルをびっしょり濡らしている。
「旭さ、やっぱり彼女作れば?」
「なぜ」
「俺にそんな歯の浮くようなセリフが言えるんだから、女の子にも余裕だろ」
旭はきょとんとしている。ぐいっとビールをあおって、手洗いに向かう。
個室の鏡に映る横顔は、まんじゅうのようにむくんで赤くなっている。頭を振ると脳みそが軽やかに揺れる音が聞こえそうだった。ひたいを小突いて用を足す。
その日、鳴海が帰宅したのは夜の10時だった。ぶらぶらと鎌倉をまわってから、地元のファミレスで食事をして解散した。目的なく買い物をする。ファミレスでだべる。どちらもリストに書かれた項目だった。
店には両親がいた。哲夫は明日の仕込みに取りかかり敏江は床をモップでふいていた。
「鳴海、ちょっといい?」と声をかけたのは敏江だ。
「なに?」
「おねえちゃんのことで」
ふりかえって母親の顔色を見る。暗い話題を口にする様子はない。
彼女は手のひらを頬に当てて「顔あわせをするらしいのよ、ええっと、吉田さん家との」と話しだした。
「ああ、なるほど」
「それで日取りなんだけどね、来月の27日って空いてるかしら」
「まだシフト出してないから、たぶん」
「そう。じゃあその日で進めておくわ……なにか準備したほうがいいのかしらねえ?」
「さあ。ホテルとか、そういう場所でするのか?」
「たぶんね。おねえちゃんの話を聞くと、結婚式はしないつもりみたいなんだけど」
「相手の家はどんな感じなんだ」
「いい人たちだっておねえちゃんは言ってたけど。でも相手方のご両親を悪くは言えないわよねえ」
「まあ姉貴がいいならいいんじゃねえの」
階段をあがって自室に戻る。早く風呂に入って寝ようと思い、たんすから下着とタオルを取りだす。ふと、視界が本棚へと吸いよせられた。一番下の段に収められた大きな本を引っ張りだす。ほこりを払ってケースから抜く。
原小学校の校章が現れた。その場にあぐらをかいて、固いページをめくる。
6年3組、右上に目的の人物がいた。まるい目をカメラに据えた表情は、衝撃的なほどの無表情だ。6年3組1番、青山旭は幼かった。
影のさす教室を思い出す。
2時間目の後に中休みが15分、4時間目の後に昼休みが30分あった。
とりつかれたようにドッヂボールばかりしていた。机にかじりついて勉強するようになったのは、2学期がはじまって1カ月後、秋めいた今頃の時期からだった。
ひとりの休み時間は意外と気が楽だった。算数のドリルや漢字練習帳の復習をしていた。それに飽きると窓の外を眺めた。ドッヂボールを楽しむ友人たちは、最初の頃こそ鳴海を誘ったが、だんだんと彼の存在を忘れたようだった。
教室には数えるほどしか生徒がいなかった。ひとりは中学受験にそなえて鳴海には意味のわからない問題を解いていた。もうひとりは眠っていた。掃除用具入れのそばで女の子たちがおしゃべりをしていた。
その子たちに、ちりとりか箒のように無視されていたのは、一番入り口近くの席についた青山旭だった。
会話をした記憶はない。旭はいつも本を読んでいた。おそらく児童書ではない、難しそうな本。
鳴海は2学期、彼の反対側の席にいた。ほんのまれに教室に居残る生徒たちがいなくなった日にも、旭は決して外に出なかった。
なぜ彼はどこにもいかないのだろう。
うっとうしかった。邪魔だった。ひとりにしてほしかった。ふたりきりになると、妙に緊張して苛立った。それでも旭は教室に居座りつづけた。
アルバムを閉じて本棚にもどす。明日も旭と会わなくては。心の中でつぶやいて、鳴海は自分でも知らず知らずのうちに微笑んだ。




