九十六話〜矛盾〜
昼下がり、セドリックやアルバート、ディアナにルークが応接間でお茶をしていた。
エヴェリーナがお茶のお代わりを注いでいると、明日ヴュストを立つ話になる。
セドリック達が明日帰る事を知ったルークはエヴェリーナに帰らないでここに残って欲しいと嘆願するが、エヴェリーナは自分はセドリックの侍女でありそれは出来ないと首を横に振った。
するとルークは拗ねた様子で応接間から飛び出して行った。
「放って置けばいいよ。慰めても事実は変わらないんだから」
セドリックのいう通り確かに追いかけて話をした所で、ルークの期待する言葉を掛ける事は出来ない。
だがやはり放って置く事は出来ない。
「セドリック様、申し訳ありません。少し外させて頂きます」
苦笑し頷いてくれたセドリックに頭を下げて部屋を出た。
エヴェリーナがルークを追って廊下を歩いていると、向かい側からサイラスが歩いて来るのが見えた。
「サイラス様、ルーク様をお見かけしませんでしたか?」
「ああルークなら、今し方中庭の方に走って行ったのを見たが……何かあったのかい?」
「それがーー」
経緯を説明すると彼は苦笑した。
「今は感情的になっているがその内落ち着くだろう。暫く放って置いてやってくれ」
「ですが……」
「それより、少し話さないかい?」
意外な提案に内心身構えるが、エヴェリーナに拒否権はないので頷く他なかった。
場所を変えようと言われサイラスについて行くと、そこは西側に位置する古びた塔の最上部だった。
彼が窓を開けると穏やかな風が吹き込んでくると共に辺り一帯が一望出来る。
「気に入ったかい?」
「はい、素敵な眺めですね」
「君はこのヴュストをどう思う?」
脈略のない抽象的な言葉に窓の外に向けていた視線を思わずサイラスへと向けると、彼は誇らし気に微笑んでいた。
セドリックと同じ色の瞳とよく似た目鼻立ちに先日の彼を思い出してしまい、どこか落ち着かない。
「自然に囲まれ豊かで、領民達も活気に満ちておりとても良い所だと思います」
質問の意図は分からないが、取り敢えず模範的な返答をする。
「実は私がヴュストを治める以前は、ここは不毛の地と言われ見放されていた」
「不毛の地……」
「ああ、そうだーー」
サイラスの話ではヴュストは代々とある伯爵家で管理してしていたそうだが、歴代の伯爵もとい領主は怠惰で領地の管理をろくにして来なかったという。それというのも伯爵家は鉱山をいくつも所有しており、領地から税収は必要としておらず関心も低かった。
だがそれでも作物を育てる好条件が揃っているヴュストの環境下ならば管理が行き届かなくても領民達の力でどうにかやって行く事が出来るだろう。ただそれは平常時の話だ。自然が豊かである故に必然的に災害に見舞われる事が多い。領主の支援なくしてはどうにもならない事もある。
ただ伯爵家は呆れた事に自分達の資産を領地の管理に回したくなかったという。それでも税は確りと徴収していたというのだから呆れてものが言えない。
そんな事を何世代にも渡りしてきたので、思うように作物は育たず不毛の地と呼ばれ領民達は苦しんできた。
「陛下から爵位と領地を賜る際に、私はヴュストを望んだ」
新たに爵位や領地を授ける場合、国領を与えるのが一般的なので珍しい事例だと眉を少し上げる。
当初所有者であった伯爵家にはそれ相応の対価を渡し手放させたそうだ。
「子供の頃、私は一度ヴュストを訪れた事があった。その際に目の前の光景に酷く衝撃を受けたんだ。同じ国だとは到底信じられなかった。ずっと盲目的にルヴェリエ帝国は豊かな国だと信じていた自分が恥ずかしくなってね」
「それで、ヴュストの領主になられたんですね」
以前セドリックがサイラスは変わり者だと話していたが、今それを実感している。
誰も好き好んで苦労をしたいとは思わないだろう。まして彼の場合はもっと好条件を幾らでも選べた筈だ。エヴェリーナとは違って……。
十三歳の時に、ジュリアスが十歳まで生きた事への祝いとして不毛の土地だったグレミヨンを賜った。当然だがジュリアスに管理能力はなく、エヴェリーナが代わりに管理をする事となった。
また一つやるべき事が増え、当初は絶望すら感じた。
「ここまでくるのに大変だったが、後悔をした事は一度もない。君は後悔をした事はあるかい?」
その言葉に心に影を落とす。
「……あります。でも、そうやって生きるしかなかったんです」
矛盾した言葉に内心苦笑した。
後悔しているというならば、それは別の選択肢があった事になる。だが後者はそれを否定している。
ただあの時は選択肢などある筈がないと思っていた。逃げ場のない檻に閉じ込められ、課された問題を延々と解き続けるしか道はない。
「……確か君はセドリックより三つ上だと聞いたが、とてもそうとは思えないな」
「それは」
「ああ、君が老けているとかそういうのではないよ。内面の話だから。……随分と苦労をしてきたようだ」
「っーー」
瞬間心臓が跳ねるが、動揺しないように平静を保つ。
真っ直ぐにこちらを見つめる青眼からは、何の感情も読み取る事は出来ない。
「正直、懸念が消えた訳ではない。だが私は君を信じてみようと思う」
以前彼と話をした時は、彼はセドリックやルークを信じているからこそエヴェリーナを容認してくれた。
だが今はエヴェリーナ自身を信じると言ってくれた。
「君がいてくれて良かった。お陰でルークも随分と明るくなったよ。それにセドリックも方向性が些か心配ではあるが成長はしているようだ。リズ嬢、あの子を宜しく頼む」
否定も肯定も出来ず、エヴェリーナは僅かに口角を上げ頭を下げた。




