九十二話〜苦悩〜
侍女は湯浴みの支度を整え終わると「ごゆっくりなさって下さい」と声を掛けて下がって行った。
エヴェリーナは土埃で汚れた衣服を脱ぐと、身体を洗い浴槽に浸かり息を吐く。
大分落ち着いたが、未だに鼓動の音が煩く感じている。
脳裏に昼間の出来事が浮かんだ。
『高貴なお方ってやつか?』
あのならず者達の雇い主は結局分からず仕舞いだが、リズである自分をエヴェリーナだと認識していた事からして恐らくエヴェリーナの見解に間違いはないだろう。
ローエンシュタイン帝国皇帝か第二皇子か……。どちらにせよ、命を狙われている事に違いはない。
瞬間、全身が粟立つ。
湯に浸かっているのにも拘らず、血の気が引き身体冷えていくように感じる。
あの瞬間、死を覚悟した。
もっと自分は潔い人間だと思っていたが、情けない事にあったのは生への執着と死への恐怖だった。
セドリックが助けてくれなければ、あのまま殺されていただろう。
「……」
夢を見ているようだった。
私を助けてくれる人間なんて、この世界のどこにもいないのだと思っていたのに……。
彼がまるでおとぎ話に登場する勇士のように見えた。
エヴェリーナは自分の身体を抱き締める。
あの時、セドリックが抱き締めてくれた温もりがまだ残っている。とても安心出来た。
セドリックは、大丈夫だろうか……。
帰りの道中は特に異変は見られなかったが
きっと今頃、身体に発疹が出て苦しんでいるに違いない。
ただその原因はエヴェリーナにある。心配する資格など自分にはない。
優しい彼は震えているエヴェリーナを放っておけなかったのだろう。でもだからと言ってあんな無茶をするなんて……。
射抜くような彼の瞳は怒気を孕んでいた。
醜態を晒したエヴェリーナへの怒りか、それとも他に理由があるのか……彼が分からない。
湯浴みを済ませ応接間へと向かうと、そこにはアルバートやディアナ、サイラス達が待っていた。だがやはりセドリックの姿はない。
「リズさん! 話を聞きましたが、大丈夫ですの⁉︎ お怪我はなさってない⁉︎」
「ご心配お掛け致しました。ですが、私は大丈夫です」
ディアナはエヴェリーナが部屋に入るや否や、駆け寄って来た。そして手を取られ握られる。
眉根を寄せ不安気な表情から、本気で心配してくれている事が伝わってくる。
「リズ嬢、疲れただろう。座ってくれ」
サイラスに促され、エヴェリーナは彼の向かい側のソファーに座った。
「ルークの所為で君を危険な目に合わせてしまった。本当にすまない」
サイラスは隣に座っていたルークの頭に手を載せると頭を下げさせ、自らも頭を下げてくれた。
その事に罪悪感を覚えるが、事実を話す事は出来ない。ただ謝罪を受け入れる他なかった。
その後は、状況整理をしてこれからの話をした。
同行していた護衛二人が犠牲となり、ならず者五人は全員死亡した。持ち物や町周辺への聞き取り調査を行い男達の素性を洗うそうだが、恐らく無駄骨になるだろう。
何故なら痕跡を残すなどそんな軽率な真似はしない筈だからだ。
「リズ、ごめん……俺が森に行くって言ったからっ」
話が終わり席を立った瞬間、何時もとは違いしおらしいルークが声を掛けてきた。
ずっと我慢していたのだろう。
唇をキツく結び目に涙を浮かべ今にも溢れ落ちそうだ。
「ルーク様の責任ではありません」
側に寄り彼の前に膝をつき視線を合わせる。
頭を撫でると、ルークは堰を切ったように泣き出し抱きついてきた。
エヴェリーナは小さな身体を抱き締めながら、これから自分がどうするべきかと苦悩した。




