六十一話〜潜入 二〜
エヴェリーナがコルベール家の屋敷に潜入してから数日。
怪しまれない程度に屋敷内を見て周っているが、今の所有力な情報は掴めていない。
やはり執務室や寝室などを調べるべきだろう。ただどちらも新米侍女が簡単に立ち入る事は難しい場所故、頭を悩ませている。
皆が寝静まった夜中に忍び込む事も考えているが、万が一見つかった時に言い逃れる事は厳しいので出来るだけ避けたい。一番安全な方法は掃除と称して調べる事だが、幾ら人手不足といえ新米侍女にそんな重要な仕事は任せてくれないだろう。
エヴェリーナは何か手掛かりはないものかと、頭をしぼる。
一つだけ気になる事がある。
この数日働いてみて、コルベール家は意外にもお金に困っているのではないかというだ。
初めに感じた違和感はその所為だろう。
応接間を始めとした各部屋の調度品類は明らかに簡素であり、食事は質も悪く量も少ない。庭などは手入れは行き届いておらず荒れている。
使用人の服も使い古されているのか、ヨレヨレだ。それに最近退職者が増えたとは聞いていたが、そもそも元の使用人の数は少なかったみたいだ。
屋敷を管理する上で、経費を削減するなら人件費を削るのが手っ取り早い。
そんな中、彼女だけは違った。
あれからビアンカにお茶を運ぶ仕事は任せられる事はなかったが、一度だけ茶器を下げに彼女の部屋に入いる機会があった。
『失礼致します。カップを下げに参りました』
『……』
エヴェリーナなどには目もくれず、ビアンカは壁に掛けられた肖像画を食い入るように見つめていた。
『どうして……私はセドリック様のものなのに……。私は皇子妃になるのに……。私はーー』
その肖像画はセドリックのもので、彼女はそれに向かって独り言をずっと呟いていた。正直、正気だと思えない。
それにしても、彼女の部屋はまるで別の屋敷にいるようだった。
豪奢な調度品に鏡台の上に無造作に置かれた高価な装飾品。
彼女の身に纏っているドレスも一目で分かる程の高級品だ。
この屋敷では明らかに異質な空間だった。
そしてコルベール家の困窮の原因は恐らく彼女だろう。
「何してるの?」
「ニコラ様」
早朝、エヴェリーナが庭で花に水をやっていると、後ろから声を掛けられた。
「お花に水をあげておりました」
「……殆ど枯れているからそんな事したって無駄だよ」
九割方枯れている花壇の花を見ながら、ニコラは無表情で言った。
「無駄などではありません。こちらを見て下さい」
エヴェリーナは花壇の端へ目を向けると、ニコラも釣られて視線をやった。するとそこには蕾をつけている一輪の花がある。
「他の花は枯れてしまいましたが、この子は花を咲かせようと頑張っています」
「……」
「ニコラ様?」
「……本当だ」
ニコラはゆっくりと花壇の端へ近付くと、蹲み込み凝視する。
「諦めずに水を与え続ければ、きっと花は咲きます」
無論、既に枯れてしまった花が生き返る事はない。だが水やりをやめれば、この蕾をつけている花も何れ枯れるだろう。
エヴェリーナが水やりを始めたのはほんの数日前に過ぎないが、見つけたからには放って置けなかった。
たった一輪だが、それは決して無意味などではない。
「昔は、この花壇も花がいっぱい咲いていたんだ。庭もこんなに荒れていなかった」
彼をよく見ると、堪えるように唇を噛んでいるのが分かった。
「屋敷だってっ……。ごめん、何でもない」
何かを言い掛けるが、途中で我に返った様子で言葉を切ると俯いた。
「失くしたものを取り戻す事は容易ではありません。ですが、諦めなければ必ず取り戻せる筈です」
その言葉にニコラは顔を上げエヴェリーナを見る。その表情は驚きの中に不安や期待感といった様々な思いが含まれているように感じた。
「本当に? また昔みたいに戻るかな?」
「この世界に絶対などはありませんが、それでも成せば成ると私は信じています」
これまでエヴェリーナは沢山の不条理の中で生きてきた。だがそれでも降り掛かる困難をどうにか乗り越えてきた。
そして理不尽な形ではあったが、今は自由を手にした。どんな事でも何もせずに諦めたら、そこで終わってしまう。
「じゃあ、どうしたらいい⁉︎ ボクは何をすればいい⁉︎ 教えて‼︎」
勢いよく立ち上がり、ニコラはエヴェリーナに詰め寄る。
予想外の反応に目を見張った。
「ニコラ様、落ち着いて下さい」
「っ、ごめん」
「大丈夫ですよ。どうすればいいのか、一緒に考えましょう」
セドリックにされた事への意趣返しのつもりでコルベール家の屋敷に潜入したが、これは少し方向性が変わりそうだと内心苦笑した。




