九十九話〜リナ〜
向かい側に座るセドリックは分かり易く不満気な顔をしている。
馬車に乗ってから彼はずっと黙り込んだままだ。実はその理由はエヴェリーナにある。
馬車の行き先は城であり時刻は夕暮れだ。
今宵は城で開かれるシャーロットの誕生祭であり夜会に出席する。
「……どうして、その格好にしたの?」
何度目か分からない同じ質問をされたエヴェリーナは苦笑する。
少し前、準備を終えたエヴェリーナがエントランスへと行くと既にそこにはセドリックの姿があった。そしてエヴェリーナの姿を見た瞬間彼は固まった。
「以前もお話ししましたが、私には身分不相応です。ですので、もし参加させて頂くのであればこの格好が適切だと判断しました」
「だからって、何も”リナ”じゃなくてもいいと思うけど……。それなら何時ものリズのままが良かったよ」
以前セドリックが屋敷に呼んだ仕立て屋には丁重にお断りをして帰って貰い、その後ジルに口裏を合わせて貰いセドリックにはドレスを購入したと報告して貰っていた。
そして今のエヴェリーナの姿は以前コルベール家に潜入した時に変装していたリナの姿だ。短い黒髪のカツラとメガネを着用している。
「地毛ですと目立ってしまうので」
「それでいいんだよ。リズが僕の庇護下にある事を周りに知らしめないと意味がないんだから。それにリナだと兄上に知られているから、僕と一緒にいたら不審に思われるかも」
確かに皇太子とはコルベール家の侍女として対面している。
皇太子と顔を合わせたのはその一度きりだが、油断ならない相手だとは感じた。だが、たった一度対面した一介の使用人を一々気にはしないだろうと思う。
そもそもセドリックはあのように言っているが、侍女の姿で夜会に参加する意味はない。
周りに知らしめる事で多少危険を遠ざける事は出来るかも知れないが、結局は使用人は使用人に過ぎないのだ。
故に今回エヴェリーナが夜会に参加する理由はセドリックを納得させる為だ。ただ少し確認をしたい事もあった。
ヴュストでエヴェリーナ達を襲撃してきた男達の事だ。
指示を出した人間が皇帝か第二皇子のどちらであるにせよ、国交のない他国にて暴挙に出るのはかなりのリスクがある。単純考えればこのルヴェリエ国内に協力者がいると考えるのが普通だ。
向こうは既にこちらの所在を掴んでおりエヴェリーナがリズだという事も知っていた。
セドリックはルヴェリエの第二皇子であり、彼の内々の事柄はそう容易く知る事は出来ない筈だ。そう考えると、それなりの地位がある人間若しくは彼に近しい人物であると想定出来る。
これ等はあくまで推測の域でありなんの確証もない。だが、全くないとも言い切る事は出来ないのも実情だ。
セドリックの言葉に甘え屋敷に残る事にしたのだから、誰にも迷惑を掛けないようにしなければならない。
「転職した事にしておいて下さい」
「それだと、うちの屋敷には侍女が三人いる事になるよ」
一瞬流石に皇太子が不審がるかと思ったが、寧ろその方が色々と動き易いかも知れないと思い直す。
「それでお願いします」
苦笑するセドリックにハッキリと告げると、彼は渋々了承をしてくれた。
「折角リズと踊ろうと思ったのにさ」
これ見よがしにため息を吐き拗ねる姿に思わず頬が緩んだ。
「申し訳ありません」
夜会にパートナーとして出席するならばダンスはつきものだ。故に暫くダンスの練習や姿勢の矯正などをする事になった。
ただエヴェリーナには全く必要はないので、寧ろ出来ないフリをするのが大変だった。
「……夜会は諦めるから、今度一緒に踊ってくれたら許すよ」
「練習のお相手になるかは分かりませんが」
彼も何れ婚約者を決める為、女性と交流を持たなくてはならないだろう。そして最終的には触れる事が出来なくてはならない。
エヴェリーナに触れる事が出来るようになった理由は不明だが、きっと少しずつ克服しつつあるのだろう。
ふとディアナと親しげにしていたセドリックの姿を思い出し胸の奥が痛むのを感じた。
「僕はダンスは結構得意だから練習は必要ない」
「それでしたら……」
「ただリズと踊りたいんだ。ダメかな?」
「っ……」
言葉に詰まるなどらしくない。
だが彼からの言葉が余りに予想外で、何故か無性に嬉しいと感じた。
「いえ、ダメではありません」
「じゃあ、約束だからね」
「はい」
また一つ彼との約束が増えた。
むず痒い気持ちになる自分自身に戸惑うが、エヴェリーナは無意識に微笑んでいた。




