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4-06 百合の間に挟まらない女(※ただし、中身は元♂)

由利葉(ゆりは) (たかし)、享年49歳。

コッチコチの超氷河期世代で就職に失敗。容姿は下の中。彼女いない歴=年齢。

唯一の楽しみは百合漫画やアニメで可愛い女の子たちの戯れを見る、という侘しい人生だった。

「ああ、一度でいいから生の百合を拝んでから死にたかった……」

死の間際、そう呟いた為か。彼が意識を取り戻すと高橋(たかはし) 夕莉(ゆり)という少女の体になっていて!?


今まで独身で母親を心配させる以外は至極真っ当に生きてきた尊。「自分が死ねば天国に行けるはず」と思ってはいたが。

「こ、これぞ天国では……?」

右を見ても左を見ても美少女だらけ。夕莉が通うのはお嬢様学校で知られた女学園だった。


「フッ、自分にはわかりますぞ。百合のかほりが致しますな……」

美少女たちの百合が見たい!壁になりたい!の一心で、学園内の揉め事に首を突っ込む女(中身は♂)の人生やり直し&趣味謳歌ストーリー。

「観ン自ィ在菩行~深ン般若ァー波ァ羅ァ……」


 ポクポクという木魚のリズミカルな音に合わせ、僧による独特の抑揚をつけた読経が続く。それは白黒の幕をかけた、古びた建屋の玄関の外まで聞こえてくる。

 その、どこか寒々しいモノクロの世界の中心に。鮮やかな赤がぽつり、とあった。

 門外に佇む白い顔に黒髪の少女の、形の良い唇。リップもプランパーも塗っていなくとも赤く瑞々しい。それらが上下に開かれ、形の揃った綺麗な歯がチラリと見えると、隙間から金糸雀のごとく美しい声が零れる。


 ……ただ、その声が形作る言葉は随分と美しくないものだったが。


「ったく。こんなことに金かけやがって。古臭ぇよ」


 少女は自分で毒づいておきながら、ハッと口に手を当てる。続きは心の中で付け加えた。


(どうせ誰も葬式になんて来ないんだ。母さんの年金だって多くないんだから、金をかけずに密葬で良かったのに)


 次の瞬間。わああっと老いた女性の泣き叫ぶ声が中から聞こえてきて、少女はびくりと身体を固くする。その勢いで彼女の黒い髪とセーラー服の襟が少し、揺れた。


(たかし)! たかしぃ。ごめんね……!!」


 声の主は故人の母親だ。その心は後悔と哀しみの色に塗り潰されていると、声を聞くだけで容易に想像できる。無理もない。


「ちょっと牛乳買ってきて」


 そんな言葉が息子と交わす最後の言葉に……いや、そもそも買い物を頼まなければ、彼は行き掛けの交差点で事故に遭うこともなかったのだから。


 故人は、由利葉(ゆりは) 尊。享年49歳。

 コッチコチの超氷河期世代で就職に失敗し、非正規社員として長年地元の食品工場に勤務。当然結婚はおろか彼女もできず、ずっと実家暮らし。


「今どきは子供部屋おじさん、って言うんでしょう? いい年して漫画やアニメばっかりで困るわぁ。もっと現実の人間と関わらなきゃねぇ……」


 古稀を過ぎた母親は、過去にご近所さんとの井戸端会議でこんな愚痴をこぼしていたらしい。それも彼女の後悔のひとつかもしれない。息子は現実の人間と確かに関わった。交差点でトラックに轢かれそうになった高校生の腕を咄嗟に掴み、救ったのだ。

 代わりに体を入れ替えた彼が命を落とすことになったのだけれども。


「……お嬢様、夕莉(ゆり)お嬢様」


 後ろからの再三の声掛けに少女はハッとする。それが自分に対するものだと漸く気がついたのだ。振り返るとパリッと隙のない黒スーツを着こなした小柄の老人がいた。


「し、設楽さん、尾行(つけ)てきたんですか」

「申し訳ございません。ですがやはりお嬢様が心配で……」


 少女は何とも言えない曖昧な表情で頷く。この葬式には自分一人で訪れたいと我儘を言ったが、高橋家に長らく仕えているらしいこの執事はこっそり後ろからついてきたのだろう。それは別にいい。彼女の先日の事故を考えれば、独りにしておけないと心配するのも尤もな話だ。しかし少女には別の懸念があった。


(さっきの独り言を聞かれてないといいけど。もし聞かれていたら記憶喪失のせいにするしか……)


 だがその心配はどうやら杞憂のようだ。執事は呟きには触れず、優しく微笑むと提案をしてきた。


「夕莉お嬢様、よろしければ私めが代わりに弔問に伺いますが」

「……そうだね。自分が行ったら遺族の人たちも気まずいだろうし」

(それにこっちも気まずいしなぁ。自分で自分の葬式を見るなんてさ)


 そう考えながら、彼女は手に持っていた分厚い香典袋を執事に手渡した。


「こ、これは必ず受け取ってもらって。向こうは断るかもしれないけれど、な……亡くなった人は自分の命の恩人なんだから」

「勿論でございます」


 設楽に香典を渡す際、少し手と唇が震えてしまった。でもきっと執事は別の意味にとっただろう。実はこんな大金を現ナマで持つ機会に恵まれず、緊張したとは思うまい。この金持ちのお嬢様、高橋 夕莉にとって百万単位の金なんて日常的なもののはずだ。


 そして想像もしないだろう。彼女は事故で頭を打ち、一部の記憶を失ったことになっている。

 実はこの身体に入っているのが、事故で死に、今葬式の真っ最中である男の魂であるなどと。




「30まで童貞で魔法使いになれるなら、俺は大魔導士のはずなんだが」


 その自虐が、彼の持ちネタだった。実に寒いが、尊本人は笑えるギャグのつもりだったのだ。

 自分が社会的弱者の位置に存在すると自覚はしていた。だが仕方がなかった点もある。勤めていた食品工場では「十年フルタイムで勤続したアルバイトは正社員登用する場合もある」と言われ続けていて、彼はそれを信じて真面目に働いていた。


「え? そんなの十代からバイトに入っている子だけだよ、もうお前32だろ? まさかそんなのを信じてたの?」


 工場長に薄笑いでそう言われて貴重な二十代を搾取されたと気がついた時には、転職ができるようなスキルは何も身についておらず、ただ工場で一番都合よく動けるバイトリーダーという名ばかりの立場を貰っていただけだった。

 彼は失望し、工場を辞めようとしたが途端に工場長は手のひらを半分返した。つまり、正社員登用はして貰えなかったが、給料はそれなりに上げてもらえたのだ。「リーダーが辞めるなら、私たちも辞めるわ」とパートのおばちゃんが何人も抗議してくれたから。彼は今までの働きぶりが彼女たちに認められていたことに感激し、あとでひとり涙をこぼした。


 しかしまあ、逆にこれでおばちゃんたちへ義理を感じてしまい、彼女らが年を取って辞めるまでズルズルと工場で働き続ける結果となったのも、また事実。この状況を「弱者男性の自己責任」と揶揄されれば返す言葉もないのだが、一方で彼の恩義に篤い真面目な人間性を表しているとも言える。


 さて、おばちゃんの最後の一人が辞めると、当然ながら非正規雇用の従業員で最もベテランは尊になった。そして仕事を辞める理由ができても50歳手前で今更転職をするのも難しい。結局彼は現状に不満はありつつもそれを受け入れ、今後も現状維持をする方を選択した。

 彼は今までも全てを諦めて受け入れてきた。だから由利葉 尊としての死を迎える直前、彼の胸を大きく占めたのは不満よりも後悔の言葉だったのだ。


「ああ、一度でいいから生の百合を拝んでから死にたかった……」


 未来ある若者を助け、トラックに轢かれても。最期まで他人への恨み言ではなく己の趣味を優先させた彼は、間違いなく善良と言って良い。本人も死んだら天国に行けると思っていた。

 しかし天国というものがこの世に存在するならば、同時に神もこの世に存在する。そしてその神はちょっと……いや、割と歪んでいるらしい。確かに尊にとっての「天国」に彼を導いてはいるのだが。




「こ、これぞ天国では……?」


 設楽と別れ、運転手付きの車に乗り込んだ夕莉(中身は尊)は、通っているリリア女学園に送ってもらった。事故により数日休んでいた高校への登校を今日から再開する予定だったのだ。午前中は弔問のため、午後からの遅刻扱い。しかも事故で記憶が曖昧という状況を事前に学校に相談し、保健室登校という特殊な形で。

 そして学園の門をくぐり、中庭を見た途端、先の「天国では?」発言が漏れ出てしまったという訳である。


 学園はちょうど昼休みに入ったところであった。そして中庭は右を見ても、左を見ても、美少女だらけ。CGではなく生の美少女。それらが中庭のベンチに座り、きゃっきゃウフフとランチを摂っていたからだ。

 中にはテーブルに広げたお弁当のおかずを「あーん」しあう少女たちや、手を握って耳打ちをした後、頬を染めて微笑み合う少女たちまでいる。


(ふ、ふおお! 自分にはわかるぞ!! これは百合のかほり!!)


 夕莉は……いや「中の人」の尊はすんでのところで声と鼻血を出すのを必死でこらえた。こめかみのあたりで血管がピキッとしていたが。


 尊が大興奮するのも無理はない。自称大魔導士は恋人のいない侘しさを、当時ハマった百合漫画とアニメで癒していたのである。そんな彼にとって目の前の光景は「生の百合を拝んでから死にたかった」という願いがもう半分叶ったようなものだ。尤も、既に死んでいるのだが。


 できるだけ不審者にならぬよう、かつ、美少女たちの恋愛未満友情以上のいちゃつきをチラチラと目に焼き付けながら中庭を抜け、校舎に入った尊。そこに綺麗だが冷たく固さのある声がかかる。


「あら、高橋さんじゃありません?」


 振り向いた瞬間、尊の目が潰れそうになった。そこにいたのは絢爛豪華な縦ロールのお嬢様。美しいが少し怖いほど固い表情で腕を組み、取り巻きらしき女子二人を従えて立っている。


「もうお怪我はよろしいの?」


 お嬢様が表情を変えぬまま冷たい口調でそう言うと、後ろの二人がクスクスと笑う。


「大変な事故に遭われたとか。本当かしら」

「本当なら、もう少しお休みになられたら?」


 実にイヤミな二人である。状況を見てなるほど、もしかすると……と尊は考えた。

 彼の頭の中には膨大な百合漫画データベースがある。今、その中から一つの例を抜き出した。例の台詞を参考に話しかけてみる。


「……すみません。事故のせいで記憶が曖昧でして。心配してくださるということは、お友達ですよね?」

「え!?」

「高橋さん生意気よ!」

「愛華様に失礼でしょ!」


 真っ赤になった縦ロールのお嬢様……愛華様は、慌てる取り巻き二人を無視して返事をした。


「そそそ、そうよ! わ、わたくし、貴女の親友なの!」


 尊は心の中でガッツポーズする。


(ふおお、これが生のツンデレお嬢様!!)

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