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4-02 ロンド・リング

無為にやり直しても人生は変えられない。2度目の人生を得た僕は、ただ無駄に時間を浪費する、高等遊民としての同じ人生を歩んでいた。

だが、3度目のやり直しで、直前に知り合ったクボタカナエさんの母親・ユウカと会う。僕はユウカの人生の再建に関わっていくこととなり──。その過程で、僕らは聞き捨てならない都市伝説を耳にする。


『川越祭。時の鐘の裏にある小さな露天でお守りを買うと、過去に戻ることができる』

 若返り薬

 という映画をご存知だろうか。


 戦前日本にてアシヤ製作所が作成した、幻の映画。今では映像が残されていない。

 若返り薬の主人公である老人はその薬によって人生をやり直す機会を得るが、結局同じ過ちを繰り返し、周囲の嗤いの対象となる。


 今の僕は、この映画の主人公と同じだ。

 本当に僕は若返ってしまった。信じられないかもしれないが。


……いや、もっと鮮烈な事象だ。

 僕は若返り、高校一年の頃から過去をやり直したのだ。

 SF名作のようなタイムパラドクスとも無縁だった。世界で僕だけが、僕自身のことを、過去の自分であると知覚できていたのだ。『強くてニューゲーム』の状態だった。



 ──その結末を言おう。


 この脳内で紡がれる日記を読み解く賢明な()()()()()の方々は既に勘づいているであろうが。

 39歳時点。今の僕は、前世の僕と同じ人生の轍を踏んでいる。


 僕という人間はどうにも社会で頑張れない奴だったらしい。生まれ変わってやり直すことだけで、人間そうそう変われはしなかった。

 ナマポもらってただただ家に引きこもって、いたずらに歳を重ね、古本と映画に囲まれた高等遊民としての生活を営むことだけで、僕は人生に満足してしまう。


 やり直しの初めのほうは、生き生きした男(オム・ヴィタール)になることを願い、張り切るも長続きはしなかった。借り物の人生・借り物の言葉では、僕の元居る魂の巣に最後には惹かれ帰ってきてしまうらしく、この書物で囲われたかび臭い1Kの部屋こそ、僕の運命(ファタール)なのだろう。


 

 ただ、些細な違いではあるが、僕は前世では埼玉県の川越に住んでいた。故郷でもあった。

 現世にて、福岡県の柳川に住んでいる。


 この二つの街は、古風な街並みを観光資源としている点で共通しているし、僕はそういった雰囲気が好きだ。柳川のほうが人は少ない。都市圏の人の多さに辟易した結果、前世と毛色を少し変えてみたくなったのだ。物価も安いし、より閑静。我ながら英断だった。


 それに、代り映えしない人里よりも、僕にとっては潮満ち引きの激しい有明の海を見るほうが性にあった。干潮の浅瀬に取り残された魚たちを探しに行くのも、割と飽きないものだ。


 此の街で来たる死を""まちぼうけ""するのも、いささか悪くはないだろう。もっとも、守株(しゅしゅ)とは似て否なるものだが。



 しかし、たまに海を見ていると妙な衝動が頭をよぎるようになった。

 この2年ほど、ずっと。



 ──沖まで、限界が来るまで泳いでやろうか。



 人間、平坦で何もないと気が狂うのだろうか。駆け出したい、海に飛び込みたい衝動に抗い続けていた。

 ””無敵の人””の製造過程の中なのかもしれない。そこまで考えて、首を激しく横に振る。実際に起こったおぞましい事件の数々がよぎったからだ。虐殺者と同列ではありたくない。


 到底、空想の日記では表しきれない感情だ。

 孤独であることを好むのは人間的な事象だが、孤独により蝕まれるのもまた、人間的な事象のである。僕が中世の哲学者なら自著の冒頭にそう記すだろう。


 さながら今の気分というのは……(おもり)と弾の重量に耐えきれず、支点で真っ二つに砕けそうな天秤(カタパルト)の竿みたいな感じかもしれない。

 半端な人生に対してこれでいいのかという迷いと、これで終わりたいという思いの投げやりさに、心が一刻も早い回答を出したがっている。そんな気がする。人生がめんどくさくなってきたのかもしれない。


 この堕落し切った生き方をしながらも「人生がめんどくさい」と思える自分の図々しさには、我ながら乾いた呆れ笑いしか出てこないが。


 反面、その竿が壊れる時は思った以上に早く訪れた。

 僕みたいなやつが、普段から人に優しくできるわけもないし、きしむ抑圧感を解放する理由だけを探していた様に思える。


 僕は正義を盾にして、目の前の偶然にあやかったまでだ。


 


「おい、やめないか」


 ある日の美術館鑑賞の帰りだった。

 駅前で女性にしつこく絡む二人のいかつい、見るからに不良な男ら。その間に割って制して、すぐに後悔した。まさか、僕にこんな蛮勇があろうとはつゆにも思わなかった。

 本当に、誓って、普段の僕なら絶対にしない事だ。

 人生二周目も変わらず、事なかれで生きてきた男が、こんなこと……。


 天秤(カタパルト)の竿がはじける様に心が爆発して、言動に出てしまったことは理屈じゃない部分で理解した。……きっかけなんざ何でも良かったのだろう。それほどに自分の心が貧しくなっていた事実に虚しくなる。


「誰だ?おっさん」

「こ……怖がってるだろ」

「かんけーねーだろ、なあお姉さん」

「こら、触るな!」


 咄嗟に出した手が、ぴしゃりと片方の男の手の甲を激しくたたいた。

 あ、と血の気が引いた時には遅かった。


「……ッ!死ね」


 拳が飛んできた。

 そのあとの記憶は飛んでいる。



 目が覚めたのは、救急車の中だった。

 鼻骨が折れているらしかった。ひどくいたい。頭にもガンガン響いてたまらない。

 治療中の合間にも顔が腫れていった。



 治療室の外で女性が心配そうに待っていた。

 たしか僕がさっき、助けに入った時の──

 逆に手を煩わせてしまったようだ。謝らないと。まさか救急の世話になるなんて……置いて去ってくれたら良かったのに。


「ごめんなさい」


 先に謝ったのは女性だった。今にも泣きだしそうだ。僕は戸惑いながら、言葉を必死に探した。


「いやあなたが謝ることじゃないです。自分、その……無謀でしたので」


 そんな僕の困った様子を見て、女性は、はっとしたように目を見開いて……。それから、深々と頭を下げた。


「あの……助けてくれて、ありがとうございました」



 その後、女性と共に警察から軽い聴取を受け、家計的に痛過ぎる医療費の支払いを済ませて、病院から出ると彼女がタクシーを手配していた。



「流石に、送らせてください」



 遠慮をする僕を強く引き留めて、タクシーに乗せた。

 社交辞令の様な他愛ないやり取りの中で彼女が17歳の高校生ということを知った。大人びていたので少し驚いたが、ひとまずその感想は懐にしまっておいた。クボタカナエ、彼女はそう名乗った。

 美術館鑑賞の帰りであったことを話すと、パッとクボタさんの表情が晴れる。美大志望という事を話してくれた。

 好きな美術作品についてしばし話し合った。

 笑うと怪我に響くが、あまり気にしないことにした。痛覚に鈍感な方で良かったと思う。



「芸術、詳しいんですね」

「暇人なので……あ、そこを左で……信号の前で降ろしてください」



 そう運転士に伝えると、クボタさんは「えっ」と声を上げた。どうやら同じアパートに住んでいたらしく。


 2人で思わず笑った。タイムリープの経験よりも何だか非現実的で、都合が良い感じがした。


「改めてお礼させてください」

 というのを嗜めて、解散した。これ以上年端もいかない少女に、何か負担させたくはない。あまりの気迫にタクシー代は出させてしまったが……。


 にしても顔中痛い。

 出しっぱなしの布団に横になって、もらった鎮痛剤を、用法を無視して追加で一錠飲む。


 不思議と、気分は晴れやかだった。

 人の善意をまともに感じたのは久々だ。基本的に世の中、善意には善意で返ってくるものなのだな。そんな、人と人との関わりによって生まれるはずの、当たり前のことすら忘れていた様だ。


「やっぱ、人には優しくしないと、ダメだ」


 当たり前の事をぼやいて、そのおかしさにまた笑って

 ────。



 *



 強い光を、瞼の裏に感じた。

 電気をつけっぱなしで寝たかと思って、目をあけると、澄み渡ったスカイブルーが広がった。


「なに!?」


 飛び起きる。

 あまりの力強さに、反動で座るお尻が少し浮いて、ベンチから転げ落ちた。とてつもない違和感。まず自分の手の甲を確認する。経験上、嫌な予感がした。


 若い。手だけは取り繕いができず歳が出る。そういう部位だ。それが若い。そして────


「鼻……治ってる」


 それと母校の制服。たぶん、予感は的中した。


「また、戻ってきた……」


 見渡すと、既視感の強い校舎内の景色があった。ここは体育館裏のちょっとした広間だ。寂れた木のベンチがある。

 ズボンの右ポケットの中身を取り出す。ガラ携だ。昔使っていたものだ。


「……」


 嬉しくもないし驚きもない。喪失したものもない。ただ空虚だ。変わらない人生をまた繰り返すのだと、信じているからだろう。

 昼休み終了5分前のチャイムが鳴る。


 ため息をつき、校舎の裏口扉を開けようとしたその時


「ギャ!」


 ばんっ、と勢いよく開かれた扉に顔をぶつけて、もんどりうった。また鼻折れそう。


「ご、ごめんなさい!?」


 女の子だ。声に反応して見上げると


「え?」


 一瞬痛みを忘れた。その子はあまりにも、

 リープ直前に面識があった、クボタさんにあまりにも似ていた。別人ということは分かる。髪はクボタさんより短いし、顔つきもちょっと印象が違う。


 何やら尋常ではない様子で

 涙を流していた


 ──ある可能性が、閃きが頭をよぎった


 理屈なんてないただの勘だ

 非現実的な空想だ

 でも 母親であるとしたら


「クボタ、カナエさん?」


 脈絡もなく、その可能性だけを拾う名前を呟く。

 彼女の目が、驚愕に大きく見開かれた───

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