4-24 前世大魔法使いの平凡少女は悪魔に騙される〜契約の代償に溺愛なんて聞いてません!〜
少女は疲れ果てていた。
「焦げ臭っ」
「あ……起きてたんだ。おはよう」
「いつもいつも何なんだよ、この悪臭は」
挨拶もなしに悪態を吐かれ、馬鹿にされ、挙句の果てには浮気まがいのことをされる毎日。
ただひたすら憂鬱で、夜は哀しい夢ばかりを見る。
そんな少女に救いの手を差し伸べたのは、一人の男だった。
どこか懐かしさを感じる彼は、悪魔だと名乗った――。
これは、前世が伝説の大魔法使いだった少女が自称悪魔に愛され、幸せになる話。
アタシの体はボロボロだった。
満ち溢れていた魔力は枯渇し、疲れ果てて身を起こすことすらできない。どのくらい長いこと眠っていなかったっけ。もはや食事も喉を通らないから、このまま死ぬんだろうな、と思った。
「これが大魔法使いの末路かぁ……」
一人でも多くの人が救われますように、と願って生きていたら、いつの間にかそう呼ばれていた。
カッコいい呼び名は気に入っていたけれど、その称号にこだわらずにさっさと逃げ出して旅にでも出ていれば良かった。
まあ、全ては今更だ。
「主様っ、主様!」
愛弟子がアタシに駆け寄ってくる。
彼の声はひどく震えていて、もしかすると、サファイアみたいな綺麗な瞳には涙が浮かんでいるかも知れなかった。
いつも無表情だった男の泣き顔を見てみたかったけれど、残念ながら目が霞んでしまって何も見えない。
「もうダメみたい。今までたくさん迷惑かけて、ごめんね」
愛弟子が「待ってください」と縋り付く。
その声に応えてあげられないのが申し訳なかった。
「お願いだから、どうか、あなただけでも幸せになって」
「何をおっしゃってるんです。主様がいなければ幸せになどなれるわけがないではないですか……!」
「わがままだね」
最後の力を振り絞って、かすかに微笑んで見せた。
「ばいばい、ヨハン」
⚫︎ー⚫︎ー⚫︎ー⚫︎
そこで、はっ、と目が覚めた。
何だかよくわからない、ただただ哀しい夢だった。最近こんな夢ばかり見る気がする。
平々凡々たる村娘でしかないアタシが、伝説の大魔法使い様の夢を見るなんておかしな話だけれど。
「せめて夜くらい安らかでいたいのに……はぁぁ」
深いため息が出た。
寝ても寝ても寝た気がしない。体は今すぐにでも二度寝したいがその気になれなかった。
憂鬱な気分で部屋を出て、厨房に立つ。
なんてことない目玉焼きを作っていると、いつの間にか、隣に人の気配があった。
「焦げ臭っ」
「あ……起きてたんだ。おはよう」
「いつもいつも何なんだよ、この悪臭は」
挨拶もなしに悪態を吐かれる。
以前はそんな風に言われなかったのに、と苦しくなりながらも努めてにこやかな表情を作り、そちらを見た。
頭一つ分くらい背が高い金髪の少年がジッと睨みつけてきている。
はたから見た人は、誰も思わないだろう。
コイツとアタシが恋人同士だなんて。
彼は村長の息子。
昔からの遊び仲間だったアタシを気に入って、付き合ってくれとせがんできたのは何年前だったか。アタシはそれに快く頷いた。だって、アタシもコイツが好きだった……いや、現在進行形で好きだから。
彼と一緒の家で暮らしたくて、村長夫妻に話を通した上で、お手伝いという形で村長宅に住み込んだ。
結婚できる十八歳になるまであと一年。それまでの間、この家で愛を育んでいくはずだった。
けれども彼の心はアタシにはもう向いていない。
一ヶ月ほど前に村に転がり込んできた女にぞっこんなのだ。家が没落したことで貴族の世界から追放されたお嬢様だとかで、お人形みたいな物凄い別嬪さん。
村長夫妻も他の村民たちも「あれは心を奪われても仕方ない」と彼を庇護する。そして、アタシは彼の恋路を邪魔しているという。
毎夜の悪夢も悶々としてしまうのも、全部そのせいだ。
確かにお嬢様と比べれば、アタシは魅力的ではないと思う。
ポンコツで、何をやってもダメ。料理はすぐ焦がしてしまうし、機織りしたら機織り機をぶっ壊し、掃除をしたらなぜか床板が剥がれる。
普通は生活魔法で上手く調整するところを、魔力をろくに扱えないからそうなるらしい。
そんなポンコツだから、せめて人を不快にさせたくなくて、どんな時でもなるべく笑顔を見せるように心がけてきた。
おかげでよく『明るさだけが取り柄だ』と評価される。
気分が沈んでいる今は、その数少ない取り柄さえ見る影もないけれど。
魔力なしに生まれたことがそんなに悪いのだろうか。
魔力が豊富で、美人なお嬢様には敵うわけがないのだろうか。
もう彼が振り向いてくれることはないのだろうか。
「まずい」とか何とか散々文句を言いながらも朝食を食べ終えた彼は、すぐに家を出て行ってしまう。
お嬢様に会いに行くのだ。
そして日が暮れるまで帰って来ない。
「行ってらっしゃい」
声をかけたが、当然のように答えはなかった。
住み込みお手伝いとしては普通の対応だが、恋人なら、優しく抱きしめ口付けてくれてもいいのに。
すぐ傍にいたいから、朝早くに起きて、苦手な料理を頑張り、彼の帰りを毎日待っているのに。
――何のためにアタシはここにいるんだろう?
「助けて差し上げましょうか」
不意に、声がした。
村長や村長夫人のものとは違う。村長宅はおろか、村では耳にしたことのない、鼓膜を揺さぶるような低い声。
何かの聞き間違いかな、と思いながら顔を上げると、見知らぬ男がアタシを見下ろしている。
キュッと目尻が吊り上がった漆黒の双眸。長く艶やかな黒髪。病的に白い肌と、背中あたりから生えた羽が特徴的だった。
どう見ても普通の人間ではなかった。
昼も夜も休まらず疲れ切っているから、幻覚や幻聴が見えても不思議ではないけれど、男から感じる存在感は幻とは思えない凄まじさだ。
「あなたは……?」
「悪魔です」
え、と思考が一瞬止まった。
悪魔というのは御伽話の中で、禍々しく描かれていることが多い存在。現実には現れないはずだ。
呆気に取られるアタシをよそに、男――自称悪魔は薄い唇を笑みの形に歪める。
「どうやらお困りの様子ですね。暗い顔をなさっている理由を、どうかお話ししてはくださいませんか」
怪しさ百点満点。そんな風に告げられて、一体誰が信用できるだろう?
しかし、自称悪魔の言葉には何とも言い表せない。真剣味があり、そして自称悪魔そのものにも初めて会った気がしなかった。
甘い誘いが胸の中に染み込み、一瞬にして広がっていく。
気づけば口から勝手に感情が溢れ出していた。
「嫌だ、嫌なんだよ、アタシ。蔑ろにされたくない。アイツのこと好きなのに、もう耐えられなくて。お嬢様のところに行ってほしくない……!!」
眦に涙が浮かぶ。
情けなく嗚咽が漏れて、震える指先で自称悪魔の腕を掴んだ。
泣きたくなるような、どこか懐かしいような、確かなあたたかさがそこにあった。
「利用され、ボロボロになって死んでいく。そんな未来を迎えるべきではない。絶対に迎えさせない」
契約しませんか。
そう、耳元に囁かれる。
「俺があなたの不幸を取り除きます。幸せに、させてみせます」
その声はあまりに優しくて――。
「おねがい、たすけて」
「承知しました、主様」
アタシの手首と自称悪魔の首が、謎の鎖のようなもので繋がれる。
アタシは、彼と契約をした。
……したのだけれど。
「この契約の代償に、俺に身も心も預けてください」
「えっ……ちょ、待っ、聞いてないけど!?」
「尋ねられませんでしたから。不用心なんですよ、主様は」
ちゅ、と音がして、頬に柔らかなものが当たる。
それは唇だった。
甘美な声に惑わされ騙されたと気づいても、もう遅い。
「主様は俺のものなんですよ? 絶対、他の男には渡しませんから」
だってアタシは知らなかったのだ。
――この自称悪魔の愛がとんでもなく重いだなんて。
――アタシを幸せにするためだけに、長い長い時間をかけてここに辿り着いていたなんて。





