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4-23 彼らは啓蟄の皮肉屋

「互いの事情にはできる限り触れない。そう、契約したはずだが?」


 軽薄な大学生の翅切舞人(とばずまいと)は年上のエリート男凪巣刺我(こどくしが)、通称"シガー"と共同生活を送っていた。

 正反対の二人は、表面上はどちらも煌めく生活に見えていたが、実態は違う。


「舞人は『猫の怠惰』を知っているか?」

「それ、オレとシガー、どっちの話?」


 常に皮肉の応酬、嫌味の連撃で、甘い雰囲気など微塵もなく。

 むしろ、毒々しいほどの生活であった。


 しかし、ある春の日、彼らは喧嘩をした。

 隠しきれていない本性を、お互いに突いてしまったから。

 

 でも、たぶん。

 これが本当の『共同生活』の始まりだった――。


「娯楽に溺れることを厭わない人間と結婚したい」


 整髪剤で手を汚しながら、刺我(しが)のヤツは冗談みたいな夢を、曇りガラス越しに吐き出した。水蒸気に霞む影は、煩わしそうな毒を吐き出しはじめる。


 蛇口を回し、石タイルに水音を響かせて。

 耳障りな音をかき消して、砂糖菓子のような願望のみを記憶にしまい込もう。


 オレは水音を鳴らすシャワーを、水気が染み込む茶髪にお湯を軽く振りかける。


 顔を出した軽やかな眠気には抗えず、もとい自ら甘えるように身を任せて。


舞人(まいと)は『猫の怠惰』を知っているか」

「ん、なに?」


 ピシャリとドアが開かれ、触覚と輪郭が鮮明になる。

 熱湯とのコントラストが激しい。

 だが洗面所から入る外気は肌寒く、されど身体の熱を冷ますほどではない。


「猫は労働で得た褒美より、脈略の無い褒美を選ぶほど怠惰という話だ」

「それ、オレとシガー、どっちの話?」


 催促に似たこぼれ話か、自嘲混じりの催促か。鉄仮面の裏側が見えない以上は、分かるはずもない。


 けれど、まあ。


 寝坊を責められているのなら、解答結果を揃えればいいだけの話。

 途中式の説教は無視だ。


「多数の猫は風呂を嫌うものだが、好きな猫も案外いるらしい」

「そらそうでしょうに。オレみたいな猫にも多様性の時代は訪れるよ」


 水飛沫に襲われるのも構わずに、刺我は話を続けていく。

 次々と浮かぶ嫌味のシャボンは実に粘ついていて。

 けれど、案外潔癖ではないのはヤツを構成する重要なポイントだ。


 皮肉っぽくて、陳腐な表現を嫌う。

 底意地の悪さは天下一だけど、そんな仮面じゃ素顔は隠せていない。

 冷ややかな黒目がちの瞳の奥は、何を宝物としているのかわからないけど。

 

「おい、道化師の猿真似で何を誤魔化している?」

「えー? 裸を見られた羞恥心、とかかな」

「青臭い果実を貪る物好きはここにいない。

 御託はいいから、さっさと風呂から出たらどうだ?」


 いつものオールバックに、仕立ての良い礼服で見下ろしてくる。オレを嘲笑う形の良い鼻にかかるのは、堅物な黒縁メガネ。

 やっぱり、今日も完璧に仕上げてくる。


 ””きちんとした人””のお手本も、猿の真似じゃできそうにないか。


「知らない人の結婚式だよ? オレ行く意味ないよね」

「舞人は昼も夜も、花の蜜でも吸って生きるつもりか?。

 同居人として、お前の健康は管理すべきだろう。

 ……それとも、駄々でも捏ねて俺を引き止めるのか」


 下がった口角の、その内側。

 刺我には妙な期待が滲む時がある。浴室の熱にやられたのか、氷が溶けだすのがいつもより早かった。


「じゃ、哺乳瓶とか用意してよ。ついでにオムツと着替えも。

 お昼は外で食べたいな、お子様ランチのあるとこ」

「期待に添えるかなんて、まだ分からないだろうに。

 ……裸の王様の存在意義を疑ってしまうな」


 広いおでこに刻まれた、細かなシワ。

 たまに、ヤツの言葉が分からなくなる。刺すような甘い毒の気配は、声の外側を超えては来ずに消えてしまって。


 まあ、よくあることだ。

 話の通じる宇宙人程度に思えばいい。世界は何も変わらず、ただ一人の異分子で革命が起こるほど人間はヤワじゃないのだから。


 当然、オレ自身も。


「じゃ、デートならオレも気合い入れていくよ。

 彼女のためにも、事前練習は大事だからね」


 軽口に嘘を馴染ませて、まるで綺麗な極彩色だ。

 ひとつの違和感も感じさせずに、神様さえ騙せるような口先を向けておく。

 地球を楽しむには、ちょっとぐらいのスパイスがちょうどいい。


 降りしきるシャワーを止め、未だに動かないヤツを見つめる。

 風呂から出ろと言ったのはそっちなのに、全く察して身を退かす様子も見られない。でも口に出すのはなんか癪で、自動ドアに空気を読んでもらうような時間が続いた。


 曇りきったメガネの先で、何を考えているのやら。


「舞人」

「なに、黙ってちゃ伝わらないけど。ちゃんと犬みたいに吠えないとさ」

「お前がアダムだとしたら、隣にいるのは本当にイヴか?」


 吠え面も鉄色で、意図すら読めない。

 でもとにかく観測して、本音の色を霞ませれば、オレの中へは辿り着けないだろう。大丈夫だ。


「いないよ。だって、服着てるじゃん」

「……さっさと熟して、罪の果実を実らせろ」


###


 礼服の隣でカジュアルを身に纏うのは間違っていたのか。

 いや土曜の昼間、天辺まで昇った太陽と二人三脚で歩くのだ。着替えてない刺我の方がおかしい。


「舞人お前、カラスの隣で堂々と食事するつもりか?」

「いや、春に現れる方が悪くない? 似合わないよ」


 セットで浮き気味の格好は、妙に視線を集めている。

 虎視眈々と狙われる子猫みたいな気分は、いつになっても慣れない。


 様子の違うオレに憐憫でも覚えているのか、鋭利ななため息が返ってくる。


 どこか、諦めた瞳。

 それは、どこかで見た瞳。

 ヤツではなくて、もう少し草臥れたスーツの””誰か””が。

 オレを変な瞳で見ていたような。

 

 違う。無い。有り得ない。


 そんな言い訳が、脳裏の空から落っこちた。


「……先に多目的トイレを探すべきか」

「いいよ。オムツは受け止めるためにあるんだから」

「ならば、ミルクはいるか?」

「別に。どちらかと言えば、お子様ランチかな」

「本当に?」


 限りなく透明で、サラつく声に肩が跳ねる。

 普段よりも無機質で、水というよりぬるま湯に近い、全く似合わない声。

 泣いた子どもを慰める、あの感じ。


 首根っこを掴まれたみたいに、身体が動かない。いや、別に怖くはないはず。

 ただ、宇宙人ですらない何かにすり変わったみたいで。


「オレ、犬カフェがいいな」

「お前にドッグフードは残してくれないぞ」

「じゃ、シガーが食べたらいいじゃん」

「言いなりになるつもりはない。俺は適当な公園で時間を潰す」


 でも皮肉屋の影は色濃く、すぐ水底は見えなくなる。

 安心感とは別に、気のせいで片付けるのは鼓動が認めてくれそうにない。


 犬カフェで腹を満たして、フワフワの毛並みを撫でても、そこには黒目がちな瞳があって。

 

 しばらくして、限界が来た。


「蝶よ花よと育てられても、蜜の在処は忘れるもんなんだな」

「毒の隠し場所なら、暗号を解読すれば余裕だけどね」


 近くの適当な公園で待っていると聞いたから、ゆったりと合流したのに早速文句を刺してきた。

 温室育ちのボンボンではあるけれど、蜜を吸ったことは一度もないのに。

 刺我にはわからないのだろう。

 蠱毒で育ったヤツには、甘い毒も蜜と同等らしい。


 それからは、いわゆる冷戦状態。

 最近は上手くやっていたはずなのに、情緒が荒ぶってしまった。

 

 ヤツは胸ポケットから葉巻を取り出し、ベンチに座って手慰みにしている。

 オレは隣に座るのはプライドが許せず、背後から刺我の肩に止まる蝶々を眺めていた。


 微動だにしないからか蝶々はしばらく止まった後、飽きた子どものように近くのタンポポへ飛んでいく。


 視線はずっと遠く、世界の果てをも見下すような嫌な瞳。

 全てに興味が無いようで、万物を受け入れてるかのようにも思えて。

 まるで癇癪を起こしても、見向きもしない親のようで。

 

 無性に腹が立った。


「シガー、仕事は順調?」


 ギロリ、と振り返ってくる。

 振り返って、くれた。


「互いの事情にはできる限り触れない。そう、契約したはずだが?」

「あれ、シガーも触れてなかったっけ」


 さらに喧嘩を売る。とにかく格安で。

 いつの間にか飛び回っていた蜂も、この激情の前には無意味で。


「そうだな。だが迂遠だ。

 全てお前が躱して、とぼけられる問い方だ。

 実際、お前は全て見事に避けきった」

「刺して回ってるなら、変わらないと思うけどね。

 少しでもオレが失敗してたら、未必の故意で罪人だよ?」

「だからなんだ。リンゴを齧ったところで、世界は何も変わらない。

 そう、お前もだ。

 俺が罪人として追放されたとて、何の感慨も抱かないだろう?」

「面白いこと言うね。

 もしかしてさ、ヤケになって普段からオレに当たり散らしてたの?

 社会で上手くいってないから、学生のオレに?」


 焼き切れるほどの口論も、ヤツの沈黙で幕を閉じる。

 羽音がうるさくて、黄色と黒が目障りで、毒々しい存在はオレらの事情など関係なしに飛び回る。


 鉄のお面は剥がれかかっても、涙は絶対に流さない。

 たぶん、お互いにそういう人間だ。


 ブンブンと鳴り響く羽音が、本当に鬱陶しい。


 だから、蜂を吹き飛ばせるぐらいに、大きな声で。


「温もりの通路が一方通行なら、当然冷めていく。愛と同じだね」

「…………」


 訝しげに首を捻る刺我は、ちょっとおかしかった。

 無色透明の仮面に変わっていることも、気づいていないのだろう。

 

「浴室さ、めっちゃ寒かったんだけど」

「ああ、朝の」

「せめて洗面所もあっためといてよ」

「まあ、次からな」

「てかさ、そもそも開けないでくれる?

 普通に罪に問えるけど?」

「……俺も服を脱げばよかったか?」


 段々と色付いていく仮面に、残念な気持ちもある。

 でも、心地好い春風が気を紛らわせてくれる。

 首に感じた、チクッとした痛みも、きっと。


「舞人お前、蜂が」


 意識が朦朧とする中、抱き上げられて鼻先に蝶が止まったことを自覚する。

 すぐさま飛び立った蝶々に、なんだか嘲笑われたような気がした。

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