4-22 名探偵からは逃げられない
小説家、白城達家は元探偵である。
「面白い推理だ、探偵さん。小説家にでもなったらどうだい?」
などという、どこの犯人が言い出したのかも分からない台詞に唆され、ものは試しと書いてみれば、なんとビックリ大ヒット。
儲からない探偵はさっさと引退。
小説家だって儲かるわけじゃないが、遺体や殺人犯と接するよりは余程良い。何故か元助手が担当編集になっていたりはしたが、それはそれ。
これで穏やかに暮らすことができる。
だが、事件を引き寄せる名探偵としての性質は、引退したからといって消えはしない。
行く先々で起こる事件が、探偵の沙汰を待っている。
「探偵からは逃げられない、ってやつさ。お互いにね」
探偵とかいう仕事は儲からない。
例えば不可解な殺人事件に巻き込まれ、犯人を捕まえて事件を解決したとしよう。
この時、探偵はいくら稼ぐのか。
お答えしよう。ゼロだ。
そりゃあそうだろう。
たまたま現場にいただけの、契約も何も交わしていない人間に、一体何を支払うのかという話である。
例えば爆弾魔から挑戦を受け、爆弾の設置場所を示した暗号を解き明かしたとしよう。
この時、探偵はいくら稼ぐのか。
お答えしよう。ゼロだ。
これに関しては貰っても良いと今でも思っている。
だが、犯人から送られて来た暗号を解いて通報しただけの人間には、何も支払われることはない。世知辛い話である。
例えば連続殺人犯に助手が誘拐され、命からがら救出したとしよう。
この時、探偵はいくら稼ぐのか。
お答えしよう。もちろんゼロだ。
助手に金をせびる人間には絶対になりたくない。
かといって他に請求する宛てがあるのかと聞かれれば、答えは否。命はプライスレスである。
厄介な事件には巻き込まれるというのに、興信所に頼むような調査には縁がない。
あるいは、マスコミへ積極的に自分を売り込むことができたなら、今頃こんな悩みは吹き飛んでいただろう。
しかし、探偵の癖してシャイな俺は、そういったことに対して乗り気にはなれなかった。
そしてぼちぼち年齢を重ね、このままで良いのかと自問し始めた二十代後半。
最早日常と化していた、滞在先での事件。
あとは証拠を並べるだけとなった犯人との対決にて。
「面白い推理だ、探偵さん。小説家にでもなったらどうだい?」
そんな台詞を聞いて、それも良いなと思ったのだ。
◆
俺の名前は白城達家。
元探偵、今は小説家だ。
今までの事件をミステリ小説風に綴ったものを新人賞に応募してみたところ、これがなんと大賞を受賞。
あれよあれよという間に書籍化し、今では大ヒット……とまではいかないが、シリーズとして刊行することを許されている。
「いやいや、普通に大ヒットで良いと思いますよ」
近頃はシリーズ作になるのも大変ですからねー。
と、我が物顔で作業部屋のソファにふんぞり返った女――常村兎羽はコーヒーを啜った。
「はぁ……編集様が一体何の用だ?」
「もちろん進捗の確認に。そろそろ次巻の企画書は書けましたか?」
ぎくりと身体が硬直した。パソコンの画面を確認すれば、そこには絹のように美しい真っ白の文書が表示されている。
「締切はまだの筈だが……」
「いつもならそろそろ書けている頃じゃないですか」
「……まだ書けてない。帰ってくれ」
「それは困りましたね」
大して困ってもいなさそうな顔で、兎羽はわざとらしく溜息を吐く。だが、彼女の兎のような赤い瞳が喜色を孕んだのを、俺は見逃さなかった。
「では、ここは一つ気分転換なんていかがですか?」
「気分転換?」
「えぇ。具体的には温泉旅行とか「却下」
にべもなく断れば、やたらと整った顔が不機嫌そうに歪んだ。
「行くわけないだろ。妙な事件は御免だ」
「はぁ……少しくらい悩んでくれれば良いのに。事件があっても何だかんだ解決するんですから」
「もう探偵はやらないの。事件はどれも運が良かっただけだよ」
すると、兎羽は再び大きな溜息を吐いた。
「流石、名探偵様は謙虚ですね。先生」
「うるさいな、元助手のくせに……あともう探偵じゃない。名も付けるな」
そう、常村兎羽は白城達家の元助手である。
この態度のデカい元助手は、俺が小説家としてデビューし探偵を引退するや否や、いつの間にか出版社に就職し、担当編集の座に着いていた。
確かに賞に応募したことや、選考を通過したことも伝えていたが、それにしても行動が早すぎる。というか普通に怖かった。
曰く、『先生の相方は、他の人には任せられませんから』とか何とか。
何故か背筋がぶるりと震えたが、この件に関しては一旦思考を放棄したので大丈夫だ。探偵としてあるまじき態度だとかいう意見は無視する。だって探偵辞めたし。
「まあ旅行の件は後で話すとして」
「話さないぞ」
「どこで詰まってるんですか。ネタならいくらでもありますよね?」
旅行はさておき、編集として聞かれれば答えなければならないだろう。
「次は鬼ヶ島の事件を使おうと思ってるんだが……」
「あの四人組の連続殺人ですか。良いと思いますけど、何に悩んでるんです?」
「あの事件、結構報道されただろ。どうやってぼかそうかなって」
あー、と納得したように宙を見上げた兎羽。
鬼ヶ島の事件は、発生からはもちろん解決してからもそのニュースで持ちきりだった。何年か経ったとはいえ、まだ覚えている人間の方が多いだろう。
実在の事件を扱うのは中々に大変だ。かといって過度に手を加えれば、内容が破綻することもある。
「まあでも、一度気分転換はした方が良いと思います」
「だから旅行は」
「気分転換の方法はそれだけじゃないでしょう」
パッと立ち上がった兎羽が、壁に掛けられたコートを俺に放り投げた。
「お茶でもどうですか。先生?」
「……ご相伴にあずかるよ」
◆
元探偵事務所、現自宅を後にした俺たちは、少し離れた喫茶店へとやって来た。
「コーヒーを二つ。ブラックで」
店内に漂う豆の匂いはかなり強烈だ。
俺は初めてだったが、兎羽は何度か来たことがある店らしい。彼女は味にうるさいので、品質には期待できそうだった。
「いやぁ、最近は冷えてきましたね」
「もう十一月だしな」
メニュー表を流し見てから、半ば無意識に店内の人間を観察する。趣味が悪いことは百も承知だが、こればかりは職業病だ。それも、前職と今職の。
カウンター席に高齢の男性が一人。
埋まったテーブル席は俺たち含めて四つ。
勉強道具を広げる男子学生が一人。
ベラベラと大声で雑談する女性が二人。
一人でテーブルを埋めるサラリーマン風の男性がいるが、対面に荷物とコーヒーカップが置かれている。店先に人の姿はなかったため、電話ではなく手洗いで離席しているのだろう。
店員は二人。
注文を託したフロア担当の女性と、慣れた手付きでコーヒーを淹れる高齢の男性。ここは個人経営のようだから、彼が店長なのだろう。
気になったのはサラリーマン風の男性。
貧乏ゆすりが多く腕時計を気にしている。同席者の離席時間が長いのか、随分と苛立っているようだ。
「ちょっと雉を撃ってくる」
「古風ですね? いってらっしゃい」
少しだけ気になる。
無論復職する気はない。これは興味本位というやつだ。
俺は手洗い場を確認するために席を立った。
手洗い場は、男性用と女性用が一つずつあった。
男性用は使用中であり、鍵が掛かっていて中には入れない。
推理と呼ぶほどでもない予想の的中を確信しつつ、軽く二回ノックする。
返事はない。
「すみませーん」
返事はない。
さて、少し嫌な予感がして来た。
店員に中からの返事がないことを伝えると、店長がのそのそとした動きで手洗い場に現れた。
「すみません、お客さん!」
店長がコンコンとノックしながら声を掛けるが、やはり返事はない。
何事かと他の客もざわつき始めた。約一名だけは呆れたようにこちらを見ていたが、どう考えても俺の責任ではない。
「仕方ありません。開けましょう」
「開けるんですか?」
「えぇ。古い鍵ですから、硬貨で捻れば開きます」
鍵としてのプライドを感じない仕様だが、今だけは都合が良い。
宣言通り店長が十円玉で鍵を捻ると、がちゃりと音を立てて鍵が解けた。
そのまま扉を開き、中を確認する。
そこにいたのは、三十代程に見えるスーツ姿の男だった。ズボンを履いたまま便座に座り項垂れる姿は、まるで眠っているように見える。
店長もそう思ったのだろう。溜息を一つ吐き、ずかずかと侵入して男性の肩を強く揺さぶった。
「お客さん、起きてください!」
だが、男性は目を覚ますことなく、揺さぶられた勢いのまま床へと倒れ込んだ。
「……え」
「ちょっと失礼」
動揺を露わにする店長を押し退け、倒れ込んだ男性の首に手を当てる。
「……脈がない」
「は?」
「店長。警察と、一応救急車に連絡を。お早く」
「え、は、はい!」
一見、自然死に見える状況。しかし。
「首に掻き毟った跡がある……」
詳しくは鑑識、検死待ちになるが、まず考えられるのは、持病の発作等。だが胸辺りを抑えた形跡はない。
首以外に外傷はないが、手が赤くなっている。何かを、おそらくドアを強く叩いた跡だ。出ようとしても出られなかった、ということか。
死因は毒物だろう。であれば、この死は計画的なものであることが確定する。状況から考えて自殺である可能性は低い。
残った可能性は一つ。他殺だ。
ここは密室というには鍵が緩すぎる。一瞬外から開けてガスを充満させるのは可能だ。手洗い場らしく換気扇は動いているから、俺たちが入るまでに換気されるのはあり得る話だろう。
それなら、店内の誰にでも犯行ができる。
「先生」
「あぁ、兎羽か。どうした」
「これ、どちらですか?」
騒然となった店内で、彼女の冷静な声はやけに明瞭に聞こえた。
だから、俺としてはこう返すしかない。
「どうやら、『探偵』からは逃げられないらしい」





