4-15 舐めて齧って残さず食べて
因習のある村から駆け落ちしてきた曽祖父母をもつ高浜慈雨。
ある日彼のクラスに転入生がやってくる。冴吹八尋と名乗った彼は美しい銀髪と薄氷のような青い瞳の持ち主だった。
だけど、八尋のことをそんな人外めいた色彩に見えていたのは慈雨だけだった。
八尋に胡散臭い物を感じて距離を取ろうとする慈雨と、何故か慈雨に対して距離を縮めてくる八尋。
そんなある日、八尋は慈雨の流した涙を舐めてきて?!
「やっぱり君だったんだね……。ねぇ? もう腹ペコでどうしようもないんだ。だから……全部食べさせて?」
腹ペコ神様×生贄の血筋だったDK。捕食者と被食者の追いかけっこが今始まる?!
「あぁ……なんて美味しいんだ。やっぱり君だったんだね……。ねぇ? もう腹ペコでどうしようもないんだ。だから……全部食べさせて?」
俺の目尻から零れ落ちた涙を啜り上げたイケメンが、恍惚とした表情を浮かべそんなことを宣う。
少女マンガならキュンの1つでも感じるシーンなのかもしれないが、俺にとってはドン引き案件でしかなかった。
だから……。
イケメンの顔を避けて腹パン1つで逃げ出した俺は……たぶん絶対悪くない……と思う。
『オヤシロ様に見つかってはいけないよ。見つかったら食べられてしまうからね』
それは曾祖母の口癖だった。
曾祖母の娘である祖母も、孫娘である母も、ずっとずーっと言い聞かせられていた口癖。
その話をする曾祖母の隣で、曽祖父はどこか遠くを睨みつけるように見ていたらしい。
そして絶対曾祖母を渡さないと言わんばかりに腰を抱き寄せていた曽祖父の、火傷の痕が残る太い腕も。
曾祖母が亡くなって、曾祖母を亡くした途端糸の切れた人形のように生気を失くした曽祖父が後を追うように亡くなった。
そんな二人の遺品整理をしている時に祖母が見つけたそうだ。
彼らの……遺言にも似た、懺悔の言葉を。
彼らはここから随分遠くにある山深い村出身だった。
その村には代々その村に伝わる古い掟、今でいう因習があったそうだ。
それが、とある家に生まれた女児は、18の年になると村の守り神様である『オヤシロ様』に嫁がせなければならないというものだった。
嫁……と言葉を変えていても、やはりそれは生贄に等しいものだったらしい。
そしてその家に生まれた女児だった曾祖母。その家の隣家に生まれ幼少期から仲良く過ごしてきた曽祖父。
そんな二人が恋仲にならない訳もなく。そして恋仲の二人が互いを想い、死にたくないと、死なせたくないと思うのは当然のことだった。
だから二人は……生まれ育った家を、村を、因習を捨て、駆け落ちしたそうだ。
その後何年かしてその村はダム建設計画に巻き込まれ、今は水底に沈んだらしい。
それがただ単に高度経済成長の一環だったのか、生贄を捧げなかったことによるオヤシロ様の怒りだったのか。
分からないまま曾祖父母は、互いがいる幸福感と、生まれた村を、親を、親戚を、村人を不幸にした罪悪感を抱えて生きてきたそうだ。
更に曾祖母は気づいていた。常に感じていた。
オヤシロ様がけっして自分を、自分の血族を諦めた訳ではないことを。
だから曽祖父母は転勤族となって各地を転々としていた。
それは祖母が生まれてからも同じで。祖母自身にも祖父と同じような転勤族の夫を進めてなるべく一か所に留まらないようにとことあるごとに注意を促していた。
そして祖母の娘である俺の母も同じように言い聞かせられていた。
『オヤシロ様に見つかってはいけないよ。見つかったら食べられてしまうからね』
そんな曾祖母の妄言とも執着とも思える注意喚起は、俺が生まれた時に霧散したらしい。
孫娘が生んだ子供が男である俺だった時、曾祖母は号泣したそうだ。
『あぁ、やっと……やっと……』
そう言って泣き続けた曾祖母は、その後まるで生きる気力を失くしたように衰弱していき……儚くなった。
その後を追うように曽祖父が亡くなった後、我が家はまるで追い立てられるようにしていた転居を止めたそうだ。
そんな過去があった事など微塵も知らなかった俺は、生まれてこのかた引っ越しに縁もなく、幼稚園からこちら地元から出ることもなく生活していた。
そして高校ですらチャリで通えるところを選んだあたり、冒険心に欠けると言われても仕方ないと思う。
だけど意外と同じような考えを持っている人間は多く、小中はもちろんだが、高校になっても顔見知りが多くいる生活は、新鮮味はないが、新しい人間関係を構築するストレスもないということもあって気に入っていた。
そんな俺の波風立たない日常に波紋をもたらしたのは、ある日転入してきた男子生徒の存在だった。
「冴吹八尋です。どうぞよろしくお願いいたします」
担任の後に続いて入ってきた新顔の男に、俺が持った第一印象は「うわぁ」だった。
我ながら失礼だとは思うが、言い訳を聞いてほしい。
だって、そこそこのレベルとは言え一応進学校なんだよこの学校。
なのに光に透けそうな銀髪(not白髪)、カラコンでもしてんのか透き通るような水色の瞳。
そんなハデハデな見た目の男子高校生がクラスメイトだって入ってきてびっくりしない訳がない。
いやもしかしたら、外国の血が入っていて髪も目も生まれつきなのかもしれない。
だってド派手な髪色や目の色に相応しい、いわゆるイケメンだったからだ。
こりゃ、女子が騒ぐなぁと周囲に耳を傾けてみると、確かに女子たちはきゃあきゃあと騒いでいるが、誰も髪や目の色に言及してるヤツがいない。
不思議に思って、思わず隣の席のヤツに声をかける。
「なぁなぁ、イインチョ。転入生の髪とか目の色って天然なんかなぁ?」
俺の質問に、隣の席のイインチョこと学級委員長をしている山田君は少しだけ首を傾げた。
「そうなんじゃない? 日本人に多い色だし」
イインチョの返事に俺も首を傾げる。銀髪に水色の目が日本人に多い色だって初めて知ったんだが?
訝し気な表情をする俺を訝し気な表情で見るイインチョ。
「……なぁ、転入生の髪色って……銀だよな?」
俺の言葉に、ますます首を傾げるイインチョ。
「……黒だけど? そんなチャラいタイプには見えないよ。冴吹くん……だっけ?」
黒板に視線を戻したイインチョが、担任の書いた転入生の名字を読み上げる。
つられるように前を向くと、そこには黒目黒髪の男子高校生が立っていた。……イケメンなのは変わりないが。
「あ……れ?」
ごしごしと目を擦ってみても、転入生の見た目に変化はない。
挙動不審な俺に気づいたのか、転入生がこちらを見た。にこりと笑みの形に眇められた瞳。
その奥にあった不穏な光に、俺はこの時気づくことはなかった。
「じゃあ、そこで眠そうに目を擦ってる高浜! 冴吹に校内案内してやってくれ」
「おっれぇ?!」
突然の担任からの指名に思わず動揺してしまう。
つか、俺じゃなくて隣のイインチョの方が相応しくねぇか?!
そう言って隣に視線を向けると、「頑張れ~」と口パクで伝えられ、イインチョからの助けは期待できなくなった。
だったらさっききゃあきゃあ騒いでいた女子に……とも思ったけど、不思議なことに誰も何も言わない。
きょろきょろと教室を見回しているうちに、どうやら俺の後ろの席に来るらしい転入生が近づいてきてしまう。
「……冴吹八尋です。えっと……高浜くん? よろしくね」
にこりと微笑まれたはずなのに、俺の背中にゾワリとしたものが走った気がした。
だけど、それは流石に気のせいだと思って、慌てて俺も口を開く。
「あ、俺、高浜慈雨。よろしくな」
「ふぅん……慈雨っていうんだ……。いい名前だね」
普通の会話だ。初対面同士が自己紹介する時にテッパンの会話だ。そのはずなのに……。
何故か俺はぞくぞくとしたナニカを感じた。感じてしまった。
「えっと……ここが体育館に繋がる渡り廊下な。1階からもいけんだけど、そすっと外履きに履き替えないとなんねぇから……。
まぁ、だいたいのヤツは上履きのまま移動してんだけど、センセに見つかるとうるさいからな……」
新学期初日のせいか、まだ部活も休みなのか、人気の少ない校舎の中を男二人連れ立って歩く。
既に2年通ってる俺から見れば当たり前の光景だが、今日からここの生徒になった冴吹にとっては新鮮なのだろう。
あちこちきょろきょろしながら興味深げに歩いている。
「へぇ。あ、あっちは?」
「ん? あぁ、あっちは武道館に繋がる渡り廊下だな」
「へぇ、体育館とは別なんだね」
「まぁ、古い学校だしな」
興味を引かれたのか渡り廊下を歩き出す冴吹。
つられるように俺も冴吹の背中を追いかける。ふわりと窓から吹き込んだ風が冴吹の長めに整えられた髪を揺らし……。
透けるような銀色が俺の目に映った。またかと目を擦って……。
「いって!」
「どうしたの?」
目を刺す激痛に生理的な涙が浮かぶ。
こちらに近づいてきた冴吹が長身を折り曲げるようにして俯いた俺の顔を覗き込んだ。
「いや、擦った時にまつ毛が目に入ったみてぇ……」
つっーと頬を滑っていく涙を拭おうとした瞬間、俺は冴吹に手を、顎を掴まれていた。
「……あぁ、やっぱり……やっと……」
ミツケタ
「さえ……ひぅ?!」
冴吹の真っ赤な舌が俺の頬を滑り落ちていた雫を舐めとった。
舌先に乗ったそれを俺に見せつけるようにしてから、口を閉じる。
こくりと喉を鳴らした後、冴吹は満足げに……微笑んだ。
「あぁ……美味し……」
「ひっ!?」
再び冴吹の整った顔が俺に近づく。
ちゅるりと音を立てて涙が吸われた。滑った温かい肉塊が頬を這う感触にゾワリと腰が震える。
「あぁ……なんて美味しいんだ。やっぱり君だったんだね……。ねぇ? もう腹ペコでどうしようもないんだ。だから……全部食べさせて?」
恍惚とした表情とは裏腹に炯々と水面のような瞳を光らせて冴吹の顔が三度近づく。
それは。
曽祖父母が逃げ切ったはずの過去に追いつかれた瞬間だった。





