4-12 朝、隣で眠る見知らぬ女の子と三歩先の記憶
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「ん?」
甘いまどろみの中、気がつくと俺の指先に温かく柔らかくものが触れている。合わせて温かい陽差しも感じ、もうそろそろ学校にいく時間なのだろう。
だけど、この人の温もりのような暖かさの正体を知ろうと思い目を開けた。
その瞬間、俺は固まる。
布団の中に、見知らぬ女の子が潜り込んでいたからだ。
「誰?」
どういうことだ。彼女いない歴=年齢の俺が、朝起きたら女子と同じ布団。そんなイベント、人生の想定外にもほどがある。
混乱と恐怖で頭は真っ白になったけれど、目だけは勝手に彼女を追っていた。茶色のセミロングは寝癖でぴょんと跳ね、ぱっつん気味の前髪が頬にかかっている。
長いまつげがくっきり影を作り、伏せた瞼の端にはうっすら涙の跡。
本来なら、飛び退いて悲鳴コースだ。けれど「かわいい」と思ってしまった瞬間、悲鳴は喉の奥で止まった。
「お、おい……だれだよ……」
おそるおそる声をかけると彼女はまぶたを震わせ、ゆっくりと目を開いた。
長いまつげの間からのぞく瞳が俺を捉え、次の瞬間、涙の跡なんてなかったみたいに、にこっと笑う。
「……おはよ、悠真くん!」
俺の名前。喉がからからになる。
「どうして俺の名前を……ていうか、なんでここに……?」
彼女は小首をかしげ、布団から腕だけ出して、自分の袖口をちょいちょいと直す。
白いシャツにネイビーのブレザー、赤いリボンタイ。見慣れた制服。乱れひとつなく、きっちり着こなしている。
そこで俺は少しだけ安堵した。少なくとも、俺の記憶の外で何か過ちを犯したわけじゃなさそうだ。
「ん……えっと……なんかね、悠真君に会いたくなりました」
「俺は君のこと知らないんだけど? って、そもそもどうやって家に入った?」
「ええとですね……そうだ、思い出しました! 勝手口はずっと開いていますということを。そこからは体が先に動いたのです。一回やったことがありますわ」
「思い出した?」
わけがわからない。俺は、まだ夢から覚めていないのだろうか。
どうにも要領を得ない。明るくハキハキした様子で話している様子は陽キャのそれだ。どことなく上品さも感じる。
でももし、彼女が言っていることが本当だとすると、それって——。
「不法侵入じゃんそれ」
「ち、違いますわ! まだしていないことですから。これから、することです!」
上品な言葉で堂々と泥棒を宣言してやがる。だいたい、今だってここにいるってことは、そういうことじゃないか。
「それって、未来に起きること? 夢じゃなくて?」
「はい。でも、それ以外のことはぼんやりしているの……青いシャッターと、鉄の匂い……それと猫。そこだけ、はっきり覚えてます。いやな感じがします」
「シャッター? 鉄?」
いや、もっと根本的な疑問は——。
「その前に、ほんとに――誰?」
「あ、自己紹介をしていませんでしたわ。白鳥柚。来月から、桜丘高校に行きますの」
白鳥柚。名前の響きが耳に残る。桜丘高校は、俺が通っている近くの高校だ。しかし彼女が着ている制服はウチの学校じゃない。同じ市内にある、お嬢様学校だったような。
私立学校から公立に来るんだな。
「転校生って、昨日のホームルームで来るって話があった……?」
「きっとその人です。楽しみですわ。でも、そろそろ起きた方がいいような気がします」
「いや——そうだな」
現実をひとつずつ飲み込み、深呼吸する。
俺はいつだって、目の前のことだけを解決してそれ以外はどうでもいいと考え後回しにする癖がある。そのおかげで、色々と失敗してきたし後悔することも多い。
でもやめられない。今日もそうだ。一旦、この子のことは後回しにしよう。俺はそう決めて起き上がった。
「あっ!」
俺の手のひらが、未だに柚の胸元にあることに気付き、慌てて離す。
「ご、ごめん!」
「いいえ、悠真君なら大丈夫ですよ。もっと、触ってても」
「えっ!?」
かわいいと思ってしまった手前、そう言われて一瞬鼻の下が伸びそうになった。
しかし、この柚という女の子のことをまだ知らないし油断はできない。勝手口の話もあるし、柚がどんな子なのか見極めないといけない。
ただ、ハッキリしているのは、柚はどうやら俺に好意を抱いているということだ。敏感じゃなくても、それくらいは分かる。
「それでは、準備できるまで外で待っていますわ」
「あ、ああ」
そう言って止める間もなくぱたぱたと部屋を出ていったのだった。
嵐が過ぎくような怒濤の時間は終わり、静けさが部屋に戻る。
両親は仕事が忙しいらしく数日前から戻っていないことに安堵する。いたら大騒ぎだっただろう。
「あの、早くないですか?」
家の前の道ばたで待っていた様子の柚が笑顔で俺に声をかける。
まだいたんだ。
「あんまり時間ないし、もう行かないと」
「そうですね。じゃあ、話しながら行きましょう」
そういえば、柚が通っているという私立校は、桜丘高校より遠くにあるものの方向は同じだ。
柚の言葉には説得力があり、嘘はない。未来のことを思い出したとかいう話を除いて。
「それで、未来には何が起こるんだ? 例えばマンガで地震が予言されているという噂は?」
「うーん、それは分かりません。でも多分、何もおきません」
「そうなんだ。つまらないな」
「いいえ、こうやってずっと健康でいられるのが一番だと思います」
微妙に曖昧なところがあるのは、思い出したという記憶がまばらだからなのだろうか。
「そうだな」
四月上旬、住宅街のうえに広がる空はからっと晴れていて。電柱のてっぺんでカラスが鳴き、郵便配達のバイクがすれ違う。
軒下の影で、か細い鳴き声が一度だけ「ミャ」と響いた。
柚はそちらを見て、小さく手を振る。「……この声、前にも聞いた気がします」と独り言みたいに零して、すぐ笑顔に戻った。
「一緒に登校するの、懐かしいのと、楽しいです」
「いや、俺は初めてだけど?」
そろそろツッコむのも疲れた頃、俺たちは通学路途中の商店街に差し掛かる。
その商店街の角に、古い青いシャッターのビルがある。今朝はそこに、新しい黄色い掲示が貼られていた。取り壊しに関するお知らせ。通行の際は注意――。鉄の匂いが風に混じる。
柚は足を止めかけ、低くつぶやいた。「……ここ、知っています。というか、知っていた気がします」でも、すぐに首を振り、「ごめん、なんでもありません」と笑った。
演技ではないように感じる。そんな、記憶に振り回される様子に少し同情を始めたとき、
「三歩、下がって!」
「え?」
「三歩!」
言われるままに下がった瞬間、目の前に赤い物体——自動車が映った。それが通り過ぎた瞬間、ドーン、ガシャンと大きな音が響く。
道路を挟んだ向かい側を見ると赤いスポーツタイプの車が店の入り口に突っ込んでいた。
危なかった。あのまま進んでいれば車にぶつかっていただろう。
「あ、ありがとう。今の、たまたま?」
「いいえ、あの車、見たことがあって、それを急に思い出して」
「もしかして、未来のこと?」
「はい。もう今となっては過去のことですけど」
下がって、と言われた瞬間、俺たちの位置から赤い車は見えていなかった。
本当に未来のことを知っているのだとしたら、こんな芸当は可能だろう。
「もしかして、前は柚が轢かれたの?」
「いいえ、あの時はかする程度で大した怪我はなかったのですが、しばらく運転手の方と揉めることになって」
そう言って顔を伏せる柚。
車の方を見ると、なんだか喚き散らしながら男が運転席から出てきた。どうやら、大した怪我もなく無事のようだ。
きょろきょろと辺りを見渡し始めている。まるで、何か鬱憤をぶつける物、ではなく人を探すように。
「ちょっとここから離れよう」
「は……はい!」
柚の手を引っ張り俺は路地に駆け込む。
以前男と揉めたのなら、同じことが起きるかもしれない。運転手の男が柚に目を付ける前にその場を離れた方がいいと判断したからだ。
「あの……悠真君?」
俺は思わず柚の手を強く握ってしまっていた。
「腕が痛いです」
「ご、ごめん!」
「大丈夫。でもちょっとびっくりしただけで」
柚は俺の顔をじっと見つめてから、ふいにぱあっと笑顔になる。
「どうしたの?」
「いえ、こういうの楽しいなって。悠真君と一緒に、歩いたり、走ったりというのが、すごく」
柚は嬉しそうに頬を染め俺に抱きついてきた。
「悠真君……」
心臓がバクバクして破裂しそうになる。こんな、可愛い女の子に密着されるなんて。
だけど、急にずしっと体重が預けられる感覚を受けた。
「柚?」
「……」
返事がなく、さらに体重がかけられてきて、慌てて腰に手を回し支える。
見ると、顔色は蒼白で、額には汗がにじんできていた。そして、その体は小刻みに震えている。
「大丈夫か? 具合悪いのか?」
柚は首を横に振る。
「一番……大切なこと、思い出した。悠真くん、あなたは——」
「おい、どうした?」
そのまま、柚の全身から力が抜け、俺は支えきれず地面に座り込む。
焦りながらも救急車を呼ぼうとスマホを取り出したが、柚の苦しげな様子に手が止まる。
「ごめん……なさい……」
「いいから」
俺は呆然としつつも、救急車を呼ぶことにした。
ふと、朝のことを思い出した。布団の中にいた時、柚の顔に涙の痕があったことを。





