80.退部するバレー部3年生
椿が上げたボールを、1年の鳥羽が相手のブロックに当てる。相手のブロッカーは午前の準決勝も、この決勝もフル出場していたから、もう疲れていて、上手く跳べなかったのだろう。鳥羽の強引なアタックは相手のブロックにあたり、そしてネットの向こう側に吸い込まれて落ちた。15-11。インターハイの決勝は5セットマッチで、最終セットは15点先取なので、これで試合終了。
インターハイでの優勝は3年ぶりなので、私が初めて経験した優勝だ。私と同じようにスタンドで観戦していた、前後左右のチームメイトとハイタッチを交わす。こうして私の2年半の部活生活は公式戦での出場回数0で終わった。
翌日の解散式で退部した私は、新宿から実家方面に向かう特急列車に乗った。2年前の3月、逆向きの特急に乗った時には希望に満ち溢れていた。全国でも指折りの強豪校にスカウトされて、そこで絶対に正セッターになると息込んでいた。実際には、3年生の中でも2番手止まり、インターハイに選手登録される18人には入ったものの、ベンチ入りの14人に入ることは最後まで無かった。
「頑張ったんだけどな」
私が公式戦に出れなかった理由はいくつかある。同学年に1年生からベンチ入りするような同じポジションの選手がいたこと。そして彼女、椿に追いつこうとしてしまったこと。追いつこう、勝とうとするのではなくて、使い分けできるような選手を目指すべきだった。今となってはそう思う。実際、予選からこの本選決勝までベンチ入りした2年生の控えセッターは、椿と違うタイプのトスを上げる選手だ。もっとも試合には椿が最初から最後まで出続けたので、スタンドで試合を見るか、ベンチで試合を見るかの違いだったわけだが、それは大きな違いだ。
「この優勝は、試合に出た選手も出なかった選手も、マネージャーも寮母さんも含め、チーム全員が総力戦で勝ち取った優勝だ」
解散式で立浪監督はそう言ってくれたけれど、やっぱり試合に出た選手になりたかった、そう思うのは贅沢なことだろうか?
それに家族や地元の友達になんて言われるかとか、これからどうしようとか、そういうことばかり考えてしまう。ダメだ。せっかくチームが優勝したのに、こんなネガティブなことばかり考えていたらダメだ。
退部したからこの後バレーの練習をする必要はない。だから大学を受験するか、専門学校に行くか、就職するかを決めなければいけない。今すぐでなくてもいいけど、早い方がいい。でもどこかに進学している自分も、働いている自分も全然思い浮かばない。これはこの数年間バレーボールしかしてこなかったツケだ。
そして、まだバレーボールボールを続けたい自分がいる。
普通列車に乗り換えて実家の最寄り駅で降りたら、予定通りに父が車で迎えに来てくれていた。
「インターハイ優勝おめでとう」
父も母もそう言ってくれたけど、私は苦笑するのが精一杯だった。久しぶりの実家に着くと、母が用意してくれたごちそうが優しく迎えてくれた。そして久しぶりに自分のベッドで寝た。これからどうしよう?
バレーボールでプロ選手になるのは無理だ。でも、どこかの大学か会社に入ってバレーボールを続けることはできる。でも高校の3年間公式戦に出てない選手が推薦されることはあり得ないから、大学なら受験しなきゃいけない。バレーで就職することも当然無理だ。
それにバレー以外で自分でやりたいことが決まっていないのだから、進路を決めようがない。
実家に帰って2日程経った後、中学の時の部活の友人と待ち合わせをした。暇だったら彼女が通っている高校のバレー部の練習を手伝って欲しいという。私はあんまり家にいたくなかったのでそれに応じた。退部したから、もう8月中は寮に戻る必要がない。
「電話でも言ったけど、ちゃんと中学の同級生って言ってよ。群星の元バレー部員とか言わないでね」
地方の公立高校の小さな体育館。そして部員が9人しかいないバレー部。紅白戦をするには、既に引退した3年生を駆り出す必要があるし、受験を控えた3年生が全員来るわけでもない。私は3年生の同じ中学の友人として、彼女の後輩たちの練習相手を務めた。少しプレーしただけで、この10数人の中では私が圧倒的に強くて上手いことがわかる。トスワークはもちろんだけど、サーブもレシーブも何もかも私が上だ。
せっかくだから私は友人の後輩たちにサーブやレシーブを教える。
先輩、バレーボールすごく上手いですよね。
教え方も丁寧でわかりやすいです。
正確には先輩の友人だが、私のことも先輩と呼んでくれる。それがすごく嬉しい。私は体育館が使えるぎりぎりまでそこで友人の後輩たちに自分が教えられることを教えた。
家に帰って両親に私は相談した。
「あのさあ、1年浪人してもいいかな?」
両親は私を少し驚いた目で見た。
「私、今日バレーボールで、友達の後輩指導を手伝ったんだ。そうしているうちにね、これから勉強して大学で教育学部に入りたいな、って思ったの。そして教師になって生徒にバレーを教えたいって。でも今から半年だとどう考えても間に合わないから、浪人すると思う。ダメかな?」
冬、私は実家から通える国立の教育学部を受けたけど、やっぱり不合格だった。でもチャレンジするなら、予備校に行って浪人していい、と親が言ってくれたから、来年もう一度同じ大学を受けることにした。次はもちろん合格するつもりだ。




