79.高校1年生・春(その4)
早苗が最初に言った浮気者、いうのはそういうことか。
「それは多分逆だと思う。もし私が小さい頃からバレーばっかりやってたら嫌になってたと思うよ。実際中学でバレー部に入ったのは、ピアノが嫌になり始めてたからだと思う。今だって、バレーがちょっと嫌になった時、ここのピアノ使わせてもらってるからね。だから小学生からバレー一筋に頑張れる早苗が私からみたら眩しいよ。早苗はバレーが嫌になったことなんかないでしょ?」
早苗はちょっと困った顔をする。
「嫌になったことなんか何度もあるわ。この前の決勝かて、もっと早くうちを出してや、て思ってたし。まあでも吹雪のピアノすごくよかったわ。もう何曲か弾いてもろてええ? それ聞かせてもろたら、一旦寮に戻ってそっから実家に帰るわ」
何曲かねぇ。
私と早苗、二人ともこのインターハイ後の休みに実家に帰る。寮の玄関から自宅の玄関まで1時間もかからない私と違って、早苗は関西まで帰らないといけないので、時間の貴重さは違う。早苗はそんな貴重な時間を潰して、ここで私のピアノを聞いているわけだ。
2曲目もCMとかで使われているような、早苗でも知ってそうな曲を弾いてみよう。3曲目は弾き語りでもしてみようかな。
私はもう一度鍵盤に向かって、2曲を続けて弾いて歌った。
一緒に鍵を職員室に返しに行く時、何曲目が良かったか聞くと、3曲目だという。
「やっぱり一緒に歌えたのは楽しかったわ。ようあんな弾きながらハモれんなあ」
私が去年大ヒットしたJPOPの弾き語りを始めると、早苗もカラオケ感覚で、一緒に歌い始めたので、私は主旋律を早苗に任せてハモりにいった。そうすると早苗が私の声に引っ張られて音を外し始めたので、私は自分の声を落として、ピアノでガイドメロディを入れてみた。そうすると早苗も気持ちよく歌えたようだ。
早苗には言ってなかったが、歌も素人なりには得意だ。それでこうやって戦友に喜んでもらえるのはとても心地よい。
「今度は他のみんなにも声かけてみよかな。クラスの吹部の子が吹雪にピアノを弾いてもらおかて、言うてたのがわかったわ」
前半も後半も悪い冗談にしか聞こえない。吹奏楽部の子が私のピアノのことを知っているのも少し気になる。昔のコンクールの実績とかを知っている子がいるのか、それとも音楽の先生から聞いたのか。
「それはどっちも恥ずかしいからやめて」
夏休みでも交代で職員室にいた先生に声をかけて鍵を所定の位置に戻す。入学してしばらくたった5月の頭頃、私は音楽の先生にピアノを弾いてよいか聞いた。一度先生の前で弾いてからは、空いている時であれば第二音楽室を使っていいと言ってくれた。そしてそれを他の先生方に伝えてくれているからとてもありがたい。
校舎を出たところで早苗と別れた。
「制服のまま手ぶらで実家に帰るん?」
私はうなずく。部員が帰省できるのは年に2回、インターハイが終わった後の数日と年末年始だけだ。だから一部の生徒は昨日、解散式が終わったらすぐに帰省している。もちろんこの期間も寮に残って自主練に励む部員も少なくない。
私の場合はバレー部じゃなかったら、毎日通学できる距離なので財布とスマホだけあればいい。服もスマホの充電器も実家にある。でも関西まで帰る早苗はさすがにそういうわけにはいかない。
「じゃあまた来週ね」
「ん、ほなね」
私は寮に戻る早苗を少しだけ見送った後、校門に向かった。
学校を出て、小一時間で実家に戻ると、かつてないぐらいハイテンションの母にものすごく祝ってもらった。高校進学前とは随分と扱いが違う。それがこの数ヶ月、顔を合わせていなかったからなのか、曲がりなりにもインターハイに出て優勝したからなのか。
そういえば、観客席のどこに居るかはわからなかったけど。母もインターハイに応援しに高崎まで来てくれた。セカンドリベロとはいえ、そこそこ出番があったので、少しはいいところを見せることができたと思う。
夜は、会社を微妙に早退してきた父と合流してうなぎ屋に連れて行ってもらった。
「それにしても吹雪が1年からベンチに入れるとは思ってなかったわ」
「ほんの数ヶ月前にリベロにされた、ってちょっとがっかりした様子で電話してきたのにね」
1年程前、本当にピアノを辞めるのか、バレーボールで進学することを選んで本当によいのか、それを何度も両親に問いただされたのを思い出したが黙っておいた。
それにいつまでもリベロ専門でいるつもりは無いしね。やっぱり両利きの特徴を活かせるようにしたいので、新体制になったら人数も減るし、攻撃の練習にも参加させてもらうつもりだ。上手くいけばリベロじゃなくて、ローテーションに入ることができる。そうなったらもっとバレーが楽しくなるに違いない。




