69.高校2年生・秋(その5)
行きと同様にエコノミークラスに押し込まれて私たちは日本に返ってきた。アジア大会に優勝したということで、多くの人が成田空港まで迎えに来てくれたし、行きよりも盛大な記者会見があった。
こういうことに使うお金があるなら、せめて優勝した凱旋帰国時ぐらいビジネスクラスにしてくれないだろうか? 日当5千円からの向上よりも私はそちらを切に要望する。
学校でも全体朝礼で表彰された。先日の国体の後も部長と副部長ということで、私と早苗が代表で表彰されたから、結構な頻度で表彰されている。その後の授業は出ざるを得なかったが、流石に部活は休ませてもらった。たった一度の海外渡航経験で言わせてもらうと、西へ行くのはいいが、東に戻る時の時差の解消は難しかった。
次は年明けの春高バレーが目標になる。
しかし、アルマトイのロビーのピアノのせいだろう。学校に戻ってきてから、私は第二音楽室に行くことが増えた。今はベートーヴェンを練習している。ピアノソナタ第8番「悲愴」、中学生の私はこの辺りの曲でも普通に弾きこなせていたが、今はいきなりだと弾けない。昼休みなど、隙間時間に何度か練習していて、ようやく人前で披露できるレベルになったと思う。
だが、悲しいかな聴かせる相手がいないので、そろそろ別の曲を練習しよう。これまで私はシューマンはあまり弾いたことがない。その中でも「夜に」は有名な曲だけど、まったく弾いたことがないので、これを一から練習してみるか、音楽室の本棚に楽譜あるかな、とか考えている時に、ひとりの生徒が第二音楽室に入って来た。
ここのところこの第二音楽室は私が一人で占拠していたけれど、他にもピアノを弾く生徒がいたのか。
「あっ。すいません。ピアノ弾きますか?」
私がそう問いかけると彼女は自己紹介を始めた。普通科の1年生で放課後に週一でピアノの先生の元に通っているという。
「そっか、私は2年の長崎吹雪。よろしくね」
そう挨拶した後、今はどんな曲を弾いているのかと尋ねた。まさかこの第二音楽室でピアノトークができるとは思っていなかった。
「今は『貴婦人の乗馬』を練習しています」
おお、私基準ではブルグミュラーの代表曲だと思っている。聞いていると情景が目に浮かぶ名曲だ。
「うん、いい曲だよね」
私がそう言うとこの子がすぐにかぶせてきた
「私は、小4からピアノを始めてますが、高校生にもなってそのレベルです。先輩はさっきベートーヴェンの方の『悲愴』を軽々と弾きこなしていましたよね。バレー部なのに、やっぱりすごい人はすごいんだな、そう思いながら聞いていました」
うーん。これは良くない。このままピアノ辞めます、的な雰囲気を感じる。私はこの学校に先輩後輩ひとくくりにしてバレ友はいっぱいいるが、音友はいない。同じクラスの吹奏楽部の子たちとは普通の話はするけど、音楽の話はほとんどしたことがない。せいぜい次のコンクールの曲はなににするの、ぐらいだ。
「私は幼稚園の時から習い始めたけど、もうレッスンは受けてないよ。だからこうやって、弾きたい曲を弾いてる。楽しんで弾けばそれでいいと思うよ。ねえ、私に聴かせてよ。あなたの『貴婦人の乗馬』」
私が勧めると彼女はピアノに向かった。暗譜はできているのか楽譜なしに弾き始めた。何気にこの部屋で、他の人の曲を聴くのは初めてだと思う。そもそもこの部屋、ピアノを弾く人用の一脚しか椅子がない。
最初の軽快なスタッカートの和音。これを聴くだけで、彼女がしっかり弾きこんでいるのがわかる。途中にある左手がオクターブ超えるところもきっちり弾けている。彼女が弾き終え、私は拍手した。
「しっかり弾けているじゃない」
「でもまだ、先生は合格をくれないんです」
うーんなんだろうね。細かいことを言うときりがない。楽譜に細かく記された強弱の付け方の表現方法がご不満なのかな? それとも最後のセクションの16分音符のところで、ほんの少しテンポが落ちているところかな?
いやそんなんじゃないよ。小2の時、名前も知らない小学校の音楽の先生が私のピアノを褒めてくれたことを思い出した。
「多分この楽しい曲を楽しそうに弾けてないからだと思うよ。もっと楽しいことをいっぱい考えながら笑顔で弾けば、きっと合格できると思う。せっかく『25の練習曲』の最後の曲なんだから、楽しんでブルグミュラーを卒業して欲しいんじゃないかな」
そうですかね?
そうだよ。
「じゃあ今度は笑顔で弾いてみて」
そう言ったところで5限のチャイムが鳴った。やばい。遅刻だ。
「ゴメンゴメン。私はここにたまにくるから、また今度会おうね」
私たちはそう言って別れた。その後彼女には2~3ヶ月に1度ぐらいのペースで会うようになった。ある時私にこんなことを言ってくれた。
「私、まだ下手くそですけど、吹雪先輩のおかげで音楽がまた好きになりました」
どうしよう。この言葉が泣いちゃいそうなぐらい嬉しく感じる。その時私は思った。そうだ。もっと多くの人に音楽を好きになってもらったら私はもっと楽しく、嬉しくなるはずだ。そのために私にできること、これまでに既におぼろげながら見えていたこと、それがこの時明確に見えた。
私が音楽の先生になればいいんだ。




