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音楽室と体育館  作者: 多手ててと


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52.高校3年生・冬(その2)

むかしむかし、私が幼稚園に通っていいた頃、私はピアノを弾いてみたいと母に言ったらしい。多分その時の友達の誰かが幼稚園で弾いたのを見たかそんな理由なのだろう。母はとあるピアノ教室に私を連れて行ってくれた。


そのピアノ教室の先生の名前も、そこにどれだけの期間通ったのかすら私は覚えていない。1ヵ月後なのかそれとも3ヵ月後なのか。ともかく私は違う教室に連れていかれた。連れられた先にはピアノ教室の看板もなく、ただグランドピアノがあって、その隣におばあさんがいた。それが谷山先生だった。


当時の私は全然状況を理解していなかった。今になって振り返ってみると、とにかく最初の先生は自分では私を扱いきれないと思ったようで、比較的近くにいる、より格上の谷山先生のところに私を連れて行ったようだ。


私はそのおばあさんが怖かった、まだ小学生に入っていない子どもに、来週までにはちゃんとここまで弾けるようにしておきなさい、と厳しい口調で言った。そして弾けなかった時はものすごく怒られた。私はそのおばあさん、谷山先生が嫌いになった。


前のピアノ教室では私のレッスンが始まる前には他の子が習ってたし、私のレッスンが終わる頃には次の子が待っていた。でも谷山先生のところでは、他の生徒さんと会うことはほぼ無かった。私の練習時間が大幅に伸びても、誰も来なかった。ほぼというのは10年間の間に、ごくたまにお客さんなのか生徒さんなのか、どちらかわからない人と何度か会ったことがあるからだ。


人間としての相性はともかく、振り返ってみると師匠と弟子という意味で言うと、谷山先生と私は上手くいっていたのだと思う。先生は難しい要求を私にどんどん突き付け、私はいやいやながらそれに応え続けた。その一方でどんどんピアノが、そして音楽が嫌いになっていった。


小学生になり、友達ができ遊ぶようになると、ピアノの練習時間はとても嫌なものになった。友達はまだ遊んでいるのに、私だけ家に帰ってピアノの練習をしなければならないからだ。


だが小学2年生の時、私にとって忘れられない出来事があった。いや細かいことは忘れているのだが、大事な部分はいつまでも忘れない。


学芸会で2年生は合唱をすることになった。そして教室で、ピアノを習ったことのある子は手を挙げて、と言われたことから始まった。私はなにも考えずに手を挙げた。そして放課後、2年生でピアノを習っている子が集められて、ちょっとこの曲を弾いてみて、と別の学年の初めて見る先生に言われた。毎週谷山先生にイジメられているのに、学校でもピアノを弾くなんて嫌だな。私はそう思った。


今考えれば当たり前のことなのだが、初見の楽譜を弾くなんて小2の子にはとてもとても難しいことだ。みんな苦労して弾こうと頑張って、始まって比較的すぐに先生に止められていた。先生だって最初から弾ける子を探しているわけではなかったと思う。先生が探していたのは学芸会までに伴奏を弾けるようになる子を探していたに違いない。


でも私は初見で最後まで弾き通すことができた。その頃谷山先生に習っていた曲に比べると遥かに簡単な曲だったからだ。


「すごい。この曲弾いたことがあったの?」


先生の言葉に私は首を振った。本当に初見だったからだ。


「じゃああなた、今レッスンで練習している曲を弾いてみてくれない?」


私はその時谷山先生のところで練習していた曲を弾いた。ちょうど仕上がる直前だったから、暗譜で最後まで弾き切った。するとただの練習曲なのに先生が拍手してくれた。そしてそれは他の生徒たちまで広がってみんなが拍手をしてくれた。


「すごーい。吹雪ちゃんてものすごくピアノ上手なんだね」

「すげえな。いっぱい練習してるんだろ?」


そしてまだ名前を知らない先生が私を見て言った。


「吹雪ちゃん? でいいのかな? ものすごく上手だったから、先生びっくりしちゃった。でもね。もっと笑顔でもっと楽しもうと思って弾けたら、もっと上手になるよ。そしたら吹雪ちゃんだけでなく、聞いてる人もみんな楽しくなるよ。そうだ、今度新しい曲を弾けるようになったらその度に私に聞かせて欲しいな」


その時、私にとってピアノはそれまでとはまったく別のものになった。多分その時私は初めて音楽というものに触れたのだと思う。


私の中でピアノが変わったことに、谷山先生はすぐに気が付いたはずだけど何も言わなかった。いつものように厳しく私の過ちを指摘した。学芸会が無事終わった後も、私は新しい曲が弾けるようになったらすぐにあの先生のところに行って、そして音楽室で弾いて聞いてもらった。


先生は音楽の先生だった。私たちは担任の先生が音楽も教えることができるけど、そうじゃない先生もいる。そういう先生のクラスではこの先生が教えているのだと聞いた。


私はできるだけ笑いながら、できるだけ楽しく弾いた。少し間違えても先生は、すごく上手だと私を褒めてくれた。3年生の終わりに転任されるまで、私たちの関係は続いた。


そして谷山先生と私の関係はもっと長く、私が中3でピアノをやめるまで続いた。

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