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音楽室と体育館  作者: 多手ててと


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49.有閑マダム

単なる自慢に聞こえるかもしれないが、客観的に見てもうちの子は成績が良い。いや良かった。だから中高一貫校を勧めた。だが、仲のいい子が地元の中学に行くから、そんなことを言って地元の公立中学に行った。娘に甘い夫もその方がいいだろうと言ったからだ。


小6の時、オリンピックで女子バレーが金メダルを取ったことに触発されたのか、中学に入るとバレーボールを始めた。背丈もあるので勧誘されたのだという。そのうち徐々にバレーボールにのめり込み勉強がおろそかになり、それに従って成績もトップクラスから緩やかに落ちていった。だが、一生懸命に練習したおかげで2年生でレギュラーとして出場するようになると、地方大会はもちろん、全国大会に私も夫も一緒に見に行って、勝った娘たちを見ては拍手をし、負ければ一緒に泣いた。


問題はその後だ。3年生が引退すると娘は部長に推され、ますますバレーボールに傾倒するようになった。塾すら行こうとしない。流石に受験を意識しているのか、休みの日には自主的に勉強しているようで、なんとか成績上位層からは落ちないようにキープしていた。そして3年の夏の大会もまだなのに、早くもバレーボールに力を入れている私立の高校からいくつか声がかかるようになった。


だがスポーツ推薦で高校に行くと、もう高校生活がバレーボール一色になることは目に見えている。そしてバレーで食べて行けるかというと親馬鹿の私から見てもかなり微妙。リスクが大きいと思う。


だから夏の大会が終わったら、勉強して普通の高校に行ってバレーボールは辞めなさい。私は娘のことを思ってそう言ったが、娘はバレーの強い高校に行きたいと言い張った。娘に甘い夫も、スポーツ推薦はどうかと思う。せめて入試は受けなさい、と珍しく私の側に立った発言をした。


そういうわけで、家庭内で冷戦が続いているある日曜日、夕食の場で娘が突然夏の大会が終わったら勉強に専念すると言い始めたので私たちは驚いた。


「どうしても行きたい高校があるの。都立大前高校」


もちろん私もその名前は知っていた。よく月曜日の新聞に塾のチラシが入るのだけれど、「筑駒」「学附」などと並んで、一番上の行に学校名と合格者数が大きな字で表示されている都立のトップ校だからだ。いまだになんとか成績上位層にはいるものの、この中3の夏までバレーボールに時間を使ったから、流石にあそこまでのトップ校に今から勉強しても難しいのではないかと思う。


だが、この子が勉強にやる気を見せてくれたのはとてもいいことだ。突然の変貌に驚きはしたがものすごく安心したのも確かなことだ。仮に大前高校に受からなくても、勉強に専念してくれたら、私立の結構いいところにひっかかるに違いない。


「いや、大前を目指すのはパパもすごくいいことだと思うけど、なにかあったのかな?」


そう、それだ。私もぜひそれを聞きたかった。


「あのね。私が大前高校に入ったら、バレーボールを続けたいの。いいでしょう?」


東京でバレーの強い高校というのは群星学園とか、元々強い子をスカウトしている学校だ。都立、しかも最難関の進学校。娘が大前高校を目指すことについては大賛成だが、それがバレーボールを続けることとつながらない。私は正直に聞いた。


「あなたが大前を目指すのは私も大賛成よ。でもバレーボールとの関連がわからないわ」


私の言葉が終わるや否や娘が勢いよく話す。


「今年のインターハイ予選で都のベスト16に入ったの」


都立の進学校が?


「とても強い先輩がいるのかな?」


夫の言葉に娘が首を振る。


「強い先輩がいるんじゃなくて、凄い先生が顧問になったの。ムンバイで金メダルを2つ、インドアとビーチの両方で取った神様みたいな人が」


金メダルを取って引退した人が都立高校のコーチを務めたりするのだろうか? 疑問に思って今度は私が聞くと、娘が答える。


「ううん。まだ現役の日本代表。世界で一番バレーボールが上手い人なのに、大前高校の先生をやっているの。先生が本業だから、バレー部の顧問もやっていて、Vリーグや代表はアルバイトなの」


娘の言っていることがよくわからない。都立高校の教師ということは公務員。だから副業は禁止のはず。都立高校の「講師」をやりながら、残りの時間でバレーボールをやっているということなのかしら?


「確かに大前はいい高校だと思うよ。あそこに行くんだったら、バレーを続けるのもパパは賛成だな。でもこれからとても勉強しないと難しいと思うよ」


私も頷いた。バレーボールの推薦で私立に行くよりも、勉強して名門都立高校に入ってくれたほうがいいに決まっている。例えバレーボールを続けるのだとしても。仮に失敗してもスポーツ推薦でないのならば、そこそこいい私立に入れるだろうし、部活一色の生活にはならないだろう。


「よかった。まずは夏の大会だけど、それが終わったら塾にも行くつもりだけどいいかな?」


もちろん私と夫は賛成した。


娘は夏の大会で、全国ベスト8まで行った。約束通りその後は塾にも行き、たまにチートデイと言って友達とバレーボールをする時以外は、勉強に専念し、成績も予想以上にどんどん上がっていった。


「都立大前高校 A判定」


秋の終わり頃の模試の結果を見て、私たち夫婦はいい意味で驚いた。


「でも、まだまだ安心できないわ。多分私のような子が都内にもいっぱいいるし、越境してくる子もいると思うの」


娘はますます勉強に勤しんだ。私は夜食を作ったり、できるだけのことはやった。でも入試直前に発表された志願者の倍率が2.5倍に近いのを見て動揺した。例年なら1.5倍程度だからだ。


でもうちの子はやればできる子なのだ。無事に大前高校の合格に漕ぎつけた。合格が決まった後の土曜日、娘は大前高校を見に行くと言って中学のユニフォームやシューズを持って出かけた。


なぜそのようなものをと尋ねる私に、試験の時に顧問の先生に声をかけたら、合格が決まったら練習に参加してもいいと言われたのだという。


やれやれ、高校でもこの子はまたバレーに時間を使うことになりそうだ。私はため息をついたが、そのため息には喜色が込められていることに自分で気が付いた。

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