40.藝大バレー部員
よく小説とかマンガとかにあるだろ。普段あまり練習をしていない部活動、そこにやる気に満ちた1年生が入ってきて、皆がそれに感化されてハードな練習を始め、そして強くなっていく。そういうありふれたストーリーが、自分の身にも起きるなんて思いもしなかった。
勧誘の時、女子部員が長崎を連れてきた時がまさにそれだった。俺よりも背が高いから経験者だ、っていうのは納得がいった。だが長崎はただの経験者では無かった。
ここは東京藝術大学のバレーボール部。つまり絵とか彫刻とか、そういうの作り出す人間が集まるところだ。既に一度どこかの美大に入ってた奴とか、5浪や6浪もざら。その間ずっと「美」に魂を捧げた人間たちの集まりだ。ちょっと運動不足だし、体を動かしながら親睦を深めるのが体育会で、その中からバレーボールを選んだ奴らのたまり場だ。
だが、長崎は違った。まず音楽学部だ。俺がバレー部に入った時から音楽学部の人はほとんどいなかった。俺より3こ上に、声楽をやっていた人がいたのしか知らない。
音楽、特に器楽をやっている奴は当然指先を大事にしている。いや俺だって指先は大事にしてるさ。普通の人でもケガをするのは嫌だろう? 俺がケガしたらその具合によっては治るまで彫金ができなくなるから、他の人よりも自覚して気を付けている。でも、ピアノとかバイオリンとかをしている奴は、俺たちよりももっと指先を大事にしているから、藝大に来るような連中は、体育の授業でもサボるのが当たり前だと聞いた。
長崎はまさにそのピアノ専攻だった。そしてその経歴だ。詳しくはしらないが、小学生で朝コン入賞なんていうのは、ピアノ畑だとよくある話だろうと思う。女子によると歌もメチャ上手いらしい。それもわからないではない。だがバレーボールで、高校の部活で負けたことがないという人間は初めて聞いた。インターハイ、国体、春高、その3大タイトルを3回とも取った。そのすべての決勝の舞台に出場した。
「Vリーグに行った先輩や同級生が普通にいましたから」
「その先輩や同級生も代表に選ばれているのか?」
その問いに対して長崎は、私の友人の一人はそうですね、と答えたそうだ。つまり他の人は代表に選ばれていない。協会や代表の監督が揃いも揃って節穴なわけではないだろう。長崎は普通のプロよりも強い現役の選手だということだ。そんな選手が、体をちょっと動かした後に酒を飲んだり楽しんでいる体育会に入って来た。
いわゆるエンジョイタイプとガチタイプの違い、なんてものではない。もっと隔絶したもの、ネアンデルタール人とガンダムぐらいの違いがあった。
長崎は俺たちにも辛抱強くバレーボールを基礎から教えてくれた。部活の無い日は母校の後輩指導に行ったり、他の大学の練習に参加させてもらったりしているという。そりゃ高2で代表に選ばれる人間となら、誰だって一緒に練習したい。俺だってもし彫金の人間国宝の人が呼んでくれたら、授業なんて無視して飛んで行くに決まっている。
そして、時には俺たちも他の大学の練習に参加させてもらったが、レベルが違いすぎて、最初は基礎練習だけで動けなくなったりする奴もいた。
でも長崎は諦めなかった。辛抱強く俺たちに働きかけ、体育館を使える日を増やそうとしたり、これまで参加していなかった大学連合に参加申請するようにもなった。美大リーグは長崎は出さないつもりだったけど、相手が是非入って欲しいと言ってきた。女子はもちろん男子でも長崎は5点ぐらいあっさり取って、その時点で交代したけど、残りは俺たちだけで、男女とも優勝できた。
その長崎は今、テレビの向こうで女子のワールドカップの最終戦を、ベンチで隣の選手と何か話をしながら試合を見ている。それを見ながら俺たちはビールを飲んでいた。女子の何人かは現地、と言っても代々木だけど、に応援に行ってる。
現時点で、セット数は 1-2 で負けていて、この第4セットも 17-22 だから、後3点取られたら負けだ。でもワールドカップは全12チームの総当たり戦。ここまで全勝の日本は既に優勝を決めているので、この試合は落としても全然構わない。
「だからと言って主力選手を温存したまま負けてよいものなのか。監督はどう考えているのでしょうね」
「そうですね。これだけのお客さんが入ってくれているのに、その前で負けて優勝というのもしまらないですからね」
そうこう言っている間に 17-23 になった。俺が客だったらもう帰り支度を終えているスコアだ。
「ここで選手を変えてきました。鳥羽、そして長崎、二人の選手が同時に入ります。ここから試合をひっくり返せるのでしょうか、ニッポン」
その後日本は試合をいとも簡単にひっくり返し、全勝で優勝を決めた。やはり長崎は化物の類だと改めて思った。




