22.大学2年生・夏(その3)
ビーチの予選リーグは4チーム、そのうち上位2位は無条件で、3位でも条件次第で予選突破でき、決勝トーナメントは16チームで争う。一方インドアの予選リーグは6チームで、4チームが予選突破、決勝トーナメントは8チームが上がれる。よってビーチの方が早くトーナメントに入る。
昨日はビーチの準々決勝とインドアの予選リーグ最終戦が重複した。2試合目からそういう傾向はあったが、今日の相手は最初からどんどんリスクを見込んだサーブを狙ってくる。外れたら当然こちらの点になるし、入っても早苗がちゃんと拾ってくれる。たまに私の方や二人の間にも飛んでくるので私もそれを拾う。みんなこんな環境で長い試合をやりたくないのかもしれない。早苗もガンガン強いサーブを入れている。私もさぼらずにちゃんとできる範囲で頑張っている。私は外れるようなリスクのあるサーブは打たないけど。結果としては、最初から最後までこちらが有利な状態で試合は終わった。
その後インドアに合流したが、もう決勝トーナメント進出が決まっていたからだろう。私と早苗は調整のためにちょっと試合に出ただけで終わった。出番があれだけだったら、あんなに慌てて来なくても良かったな。初日程ビーチが終わってから、インドアが始まるまでの時間間隔が無かったのだ。
そして明日はビーチの準決勝とインドアの準々決勝が重なる正念場だ。トーナメントだから負けたら終わり。ここまで来たらどちらかを捨てるなんてことはできない。
そんなわけで試合の無い今日も、他の選手は午前中は練習しているが、試合過多の私と早苗の二人は完全オフ。だが決して選手村から出てはいけないと厳命されてしまった。私たちには初戦の前日に二人で選手村の外に出た前科がある。いくらムンバイはインドでは治安がいいとは言え、安全だとは言い切れない。せっかく海外に来たのに、練習と試合だけじゃもったいないけど、仕方がない。
私たち以外のチームメイトは、午後は日本から来た首相の激励を受けるとのこと。お疲れ様です。オリンピックは外交の場でもあるからね。
私も早苗も流石に疲れていたので、昼前に起きて腹ごしらえをした後、選手村内をぶらつく。雨季に開催するのがわかってから、即席で作られたと思われる渡り廊下を使って、選手村内のアミューズメント系の建物に入った。
「何する? 映画でも見る?」
「ほんまやったら、散歩とかでええねんけどなあ。しゃあないから部屋に戻ってから、」
そこで急に早苗が言葉を切った。
「ナエ、どしたの?」
「ほら、あれ」
早苗の指の先を追うと、ホールの壁寄りにグランドピアノが置かれていた。私たちが近づいて見ると、特にロープなどで区切られてはいないし、ピアノの蓋が開いている。誰でも弾いていいってことかな?
私はふらふらと導かれるようにピアノの前に腰かけた。そういえば日本を離れてからピアノに触ってなかったな。
本当はいきなり曲を弾くのではなく、指慣らしを先にしたいが早苗が退屈するだろうから省略。
「適当に弾くね」
早苗にそう言って、私は早苗でも知っているだろう有名なクラッシックの曲をアレンジしながら弾き始めた。そうやって弾き始めると、数人の人が足を止めてくれる。よしじゃあもっと気合を入れて弾くか。私はさらにアレンジを加えてロック調に弾いてみた。テンポをガンガン上げ、気分次第で和音トレモロを入れ、グリッサンドを多用して音を滑らせた後に転調し、最後に分散和音を大音量で叩いて曲を終わらせた
曲が終わったのが分かった人から拍手がホール中に広がる。ヒュー、とか、ワオ、とか掛け声が飛ぶ。
気持ちいい。私は椅子を立って、観客に礼をするとまた拍手と歓声をもらえた。
私はジェスチャーで静かにするように伝える。
『ええっと、もう一曲、こんどは歌ってもいいですか?』
私が拙い英語で話すと再び大きな拍手が起きた。
次も有名な曲がいいだろう。私は有名な英語のバラード曲を、初めは原曲通り落ち着いて弾いて歌うが、今回も途中からアレンジをガンガン加えて弾いた。歌った。
私はほぼテナーからソプラノの上の方まで声を出せるので、歌も思いのままに音を原曲からわざと飛ばして歌う。ピアノはテンポはゆっくり、装飾音も控える。次第に声と合わせて転調を繰り返すアレンジを加えながらホール中に私の歌声を響かせた。そして最後は優しい和音で曲を終えた。
再び拍手が巻き起こり私の気分が高揚する。でも今日はここまで。私はピアノの蓋を閉じて、席を立とうとする。
「Play it. One more!」
どこかから声がした。もう一曲弾いてくれってことかな?
『私は日本のバレーボーラー、長崎吹雪よ。悪いけど明日は2試合に出るから今日はここまでね。もし優勝できたら、またここで弾くからみんな私たちを応援してね』
これで私たちの応援が増えたらいいな。
『インドア? それともビーチなの?』
さっきとは別のところから声が上がる。
『どちらも残っているわ』
また別のところから少しおどけた声が聞こえた。
『なんてこった、うちの国も勝ち上がっているから応援できないや』
それは仕方がない。でもできれば私も応援してほしい。
『いいじゃない、あなたの母国と私たち、両方を応援してよ』
そういうと周りから笑い声と拍手が起きた。やはり音楽は素晴らしい。でもせっかくのオフなのに、ちょっとエネルギーを使いすぎたかもしれない。
その時、私はずっと自分のすぐ隣にいる早苗に気がついた。彼女は笑顔だったがどこか寂しそうに見えた。
「ねえ、ナエ」
「ん? なに?」
私はちょっと喉が渇いたので早苗を誘う。
「ちょっとお茶しに行かない?」
早苗は今度は普通に笑ってうなずいてくれた。




