アスクト
ふうっと息を吐きだして椅子に座ろうとしたときに、目の前のフーレがにこにこと笑顔を浮かべてこちらを見ていることさえ無ければ、選択は間違っていなかったと思っていただろう。
慌ててクロードを止めようとするが、時既に遅し。皆が村の名前を言おうとするクロードを見ていた。
「おい! クロード!」
俺の咄嗟の声も前方で鳴らされた指笛によって掻き消されてクロードには届かない。
ポンと肩を叩かれたので振り返れば、フーレが満足そうな顔で頷く。
「君は駆け引きって奴が得意じゃないね。いや、下手ではないんだけれど、自分に降りかかるものから逃げようとするせいで誘導されてしまうって感じかな」
確かに逃げようとはしているが、それだけで誘導されるようなものなのか?
今はフーレの思い通りになっているから、分かりやすいのかもしれない。こんな重要な何かがかかった駆け引きなんてした経験なんてほとんどないせいで自分の癖なんかも分からない。
後手に後手にと回るのは好きじゃないが、後手に回るしかない状況なのは仕方ないよな。俺にこれ以上何をしろって言うんだ。
「君は逃げるよりも飛び込むくらいの方が良さそうだけれどね。今回は自分で決めない限りは結果は同じだっただろうけど」
「へ?」
素っ頓狂声が漏れてしまったが、同時に聞こえてきたクロードの声で、隣にいたフーレ以外には聞こえていないだろう。どんな名前を付けるのか。フーレが付けさせようとした名前が何なのか聞こうと、フーレにどういった意味か尋ねるのも止めてクロードの言葉に耳を傾ける。
「リピディールの森にできた最初の村。これからもここを中心に作業は進んでいくと思います。だからこそ、ご主人様がここを統治していることを示すためにも、この村の、この場所の名前はアスクトにしたいと思います!」
「は?」
再び上がった俺の素っ頓狂な声に、フーレの口から笑いが漏れる。
なんで俺の名前?
それに名前と言っても家名だろ?家名ならまだましか。今は俺一人だが後々はどういった経緯から来たのかも忘れられていくだろう。
「残念だけれども、アスクトの名は君だけのものだよ。君の家名はまだ決まってないよ。自分で申請するか、必要になったら国が勝手に付けることになる。だいたいは治めている領土の名前か挙げた功績に絡んだ名前になるから、君の場合は放っておくとケーマ・アスクト・リピディールになるね」
アスクトってミドルネームかよ!
名前に関しては、ケーマ・アスクト・リピディールってのも響きは悪くはないから、良い家名が浮かばなかったらそのままにしておこう。
ただ、俺自身をさす名前ってことは、これから先ずっと、俺が死んでもこのアスクトが滅びたり名前が変わったりしない限りは俺のことが語り継がれるってことだろ?死んだらそんなの関係ないのかもしれないが、後世に語り継がれるって考えるのは嫌だな。下手なことをすればそれも語り継がれる可能性もあるってことだし。
「先にアスクトの名を告げておいて良かったよ。君の仲間なら、こう提案してくれると思っていたし、へレナート達も空気を読んでくれていただろう」
俺が周りに振るのを見越してってことか。今回のは読みやすいな。俺相手なら自由に決めて良いと言えば周りに振るのは容易に予想できる。
そして、そうするのを見越して先に印象付ける為にアスクトの名を告げておけば良い。
来た時に間に合ったみたいと言っていたのは、村の設立に間に合ったのではなく、名前を付ける話し合いに間に合ったということか。
あの段階から、ここまで完全に誘導されたわけだ。
……これだから、駆け引きってのは嫌なんだよな。どの段階で勝負が決まったのかも結果を見ないと分からない。たった一つのミスが明暗を分けるなんてことが普通に有り得るんだものな。
俺が小さく溜息を吐いていれば、周囲が静まり、視線が集まっていた。
クロードはどうしたと見てみれば、後は頼みますと言いたげな顔でこちらを見ているので、もう一度分からないように小さく溜息を吐いて顔を上げる。
「この村の名前はアスクトだ! ここをもっと発展できるように皆で頑張っていこう。だが、今日くらいは皆で騒いで、今までの頑張りを労い、そして楽しもう」
ソフィアが持ってきてくれたお酒を受け取って掲げる。
俺の乾杯という声とともに、アスクトの地に喧騒が訪れた。




