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エステリーナ

 まさかの婚約から数日。あれが嘘だったかのように翌日からはリーシアもデイリドも何もしてこず、普通の日が続いたので、皆で図書館探索をしていた。

 俺は転移について書かれた本を探し、クロードは魔力の使い方の書かれた本を、ソフィアは魔法についての本を、アイリーンは俺の手伝いをしながら飽きたら子供向けの童話を読むというのを三日ほど繰り返している。


 「いや、見つからねえ」


 見ていた本を閉じて横に置く。転移魔方陣の話が載っていただけで、転移魔法については存在するとしか書かれていなかったことに落胆して机に突っ伏す。ヒンヤリとした机の心地良さが俺のむしゃくしゃとした感情を和らげてくれる。

 図書館の目ぼしいところは見て回ったが、それらしき本は無い。本を読むのは嫌いでは無いが、こうも違うものばかりだと嫌になってきた。


 「一旦諦めて、何か別のことでもしますか?」


 ソフィアが読んでいた本を置き俺を見てくる。アイリーンは完全に飽きているし、クロードも本を読むよりは試したいという感じだ。

 ここは休憩がてら、図書館探索は終了して別のことでもするか。転移は欲しいが、すぐに必要なわけでは無い。たまには動かないとフラストレーションが溜まっていつ爆発するか分からない。特にアイリーンが。


 「皆さんここに居たんですね。何かお探しですか?」


 声のした方を見ればエステリーナがいつの間にか俺の隣に立っていた。今日は教会の服ではなく、私服で来たようで一瞬誰か分からなかった。

 白いカーディガンに青いスカート。無難な感じだが、素が良いからかとても似合って見える。


 「ああ、ちょっと本をな。エステリーナは何か俺達に用があったか?」


 「教会の方の引き継ぎや準備が終わったので、今日から皆さんと一緒に行動させてもらいたいなと思って」


 そう言えば、俺達が持って来た礼装を使う儀式があるとかで、教会の人達は準備に忙しそうだったな。

 俺としてはエステリーナが一緒に行動するのは構わない。むしろ、この街に関してはエステリーナがいた方が色々聞けるから良いだろう。


 三人の様子を見れば、アイリーンはどっちでもといった様子で、クロードは歓迎しているようだ。

 ソフィアは……。エステリーナと馬が合わないのか視線を逸らし、一度机に置いたはずの本を再び読み始めていた。


 別にエステリーナのことが嫌いというわけではなさそうなのだが、どう接すれば良いのか分からないといった感じだろうか。複雑そうな表情を浮かべるので、どう声をかけたら良いのかも分からない。


 「一緒に行動するのは大丈夫だが、本当に問題ないのか?」


 「はい。流石に今すぐ街を離れるのは無理ですが、街の中や周辺くらいなら問題ありません」


 「それじゃあ、街の外にでも行くか。図書館ばかりで動いたりしていなかったから街の外で適当に何かしよう」


 依頼は受けなくていいか。金が欲しい訳でも無いし、依頼を受けたら目的ができてしまってゆっくりできないからな。

 誰も反論しないので立ち上がる。俺が動き出せば三人とも本を片付けようと動き出す。俺の読んでいた本も三人が分担して片付けてくれるので、手持ち無沙汰に待っていれば、隣でエステリーナがニコニコとしている。


 「何かあったか?」


 「いえ。本当に仲が良いなと思って。奴隷としてではなくて、一個人として自らケーマ様と一緒にいたいと思っているのが分かります」


 「奴隷として扱うつもりはないからな。冒険者としても俺自身の実力は高くない。人としても一人でどうこう出来るわけではないから、あの三人には助けられている」


 ソフィアがいなければ冒険者としてやっていくのを諦めていたかもしれない。俺一人ではノーマルスライムですら最初は苦戦していたのだ。レベルが上がってノーマルスライムは苦労せずとも倒せるようになったが、ステータスの上昇値がほとんど無いこの世界のレベルアップでは、五匹以上のゴブリンに囲まれれば今の俺でも運が悪ければ負けるかもしれない。俺の戦闘スタイル的に、一対一もしくは数的優位でないと厳しいからな。


 クロードには知識や細かなところで助けてもらっているし、アイリーンは戦闘面でかなり助けられている。


 「そういう考え方だからこそ、三人ともケーマ様のことを慕っているんですね」


 そうであるなら有難い。俺一人では何もできないからこそ、信頼できる仲間は一人でも多くいる方がいい。


 「そのケーマ様って言うのやめてくれない?」


 あいつらは好きなように呼べばいいと言って、呼びやすい呼び方で呼んでいるから止める気はないが、エステリーナの場合は違う。


 「神託だのあるかもしれないが、俺自身にそんな何かは無いから気にしなくていい。それに、これからずっと一緒にいるのだから呼びやすい呼び方でいいよ」


 慣れてはきたが、様とかつけられるとむず痒くなる。俺が何かをした結果としてそう呼ばれるのはいいが、エステリーナには何もしていないどころか、俺の方が腕を治してもらったりしたくらいだ。


 「じ、じゃあ、け、ケーマさんと」


 顔を赤く染めて恥ずかしそうに言うので、これ以上は何も言わないでおこう。あんな家系で育ってるくらいだから、仲の良い男友達なんてのもいなかったのかもしれないな。

 だって、リーシアとデイリドなら気に食わない奴は潰しそうだし。


 俺的には、婚約者ではあるけれど、年の差もあるから近所の妹みたいな感覚が強いんだけど。


 「あ、あの!」


 「どうした?」


 「私のことはエステリーナじゃなくてエステルと呼んでください。家族にはそう呼ばれているので」


 「エステルね」


 可愛らしい見た目だからな。エステルと言った方が気持ち的にしっくりくる。


 「じゃあ行くか、エステル」


 「はい!」


 青空を漂う雲を見ながら寝転ぶ。小高い丘の上から見る景色はいつかの迷宮の中を思い出すが、ここにはあそこのような湖は無い。

 それでも、のんびりと見上げる空が綺麗であることに変わりはない。


 「何もしないんですか?」


 せっかく外に出たのにといった感じでエステルが聞いてくる。ソフィアは俺の隣に座り、アイリーンは魔物を探しに、クロードは少し離れたところで一人で訓練している。


 「ゆっくりできる時にゆっくりしておかないとな。意味もなく気を張ったところで良いことがあるとは限らないし」


 俺は強くなりたいわけでも、冒険者として名を馳せたいわけでもない。何か目的があるわけでもないから、生き急ぐ必要なんてないんだよ。

 今やることと言えば、転移の詠唱が書かれた本を探すことと、できれば静かに暮らせる場所を探したいくらいだ。


 後者に関しては、エステルをもらった(押し付けられた)せいで不可能に近いけど。


 「そうですね。私も今日はゆっくりします」


 俺の左隣。ソフィアとは反対側に座ったエステルは俺と同じように寝転ぶ。

 小さく息を吐き出し、手を突き上げて伸びをしたエステルの表情は気が抜けたかのようにあどけない表情へと変わっていた。


 教会の方で忙しかったみたいだしな。さらに俺との婚約。色々気を張っていたのだろう。

 俺でも逃げ出したいくらいだ。昔の俺なら逃げていただろう。今は意外とこんな毎日も楽しいとか思ってしまっているから、本当に逃げるなんてことはしないけどね。


 のんびりと流れて行く雲を何も考えずにただ見ている。

 こんなゆっくりした時間も時には必要だ。ずっと気を張り続けていれば、いつか失敗するか壊れてしまう。


 隣に寝転ぶエステルを見れば、うとうととして今にも寝てしまいそうだ。

 起こした方がいいか? いや、こういう時くらい好きにさせてやろう。エステルもそうだし、俺の周りにいる奴らがしっかりしているから忘れてしまいがちだが、日本で言えば皆学生の年齢だもんな。

 四人の中で一番年上のアイリーンですら16歳だ。そこからエステル、ソフィア、クロードの順で一歳ずつ若い。


 考えてみれば、15歳と婚約ってなかなかだな。おかげで手を出すのは躊躇ってしまうから、その点では良かったかもしれない。


 「ソフィア。何か飲み物淹れてくれない?」


 「はい。暖かいのか冷たいのかどちらが良いですか?」


 読んでいた本を置き、少し嬉しそうな表情で用意を始めるソフィアに冷たいのでと頼む。


 ストレージから毛布を取り出してエステルにかけてやり、俺は起き上がってソフィアの淹れてくれたお茶を受け取る。


 お茶を一口飲んでは物思いにふけるなんてことを繰り返し、ただ時間が流れて行くのを楽しむ。


 「退屈ですね」


 「そうだな」


 何かやるわけでもない。やれることもない状況を退屈と呼ばずにどう呼べばいいのかは分からない。

 でも、意外とこんな時間が楽しいと思えるのは皆のおかげだろうか。


 「でも、悪くないですね。こうして暇にしてるのも良いものです」


 危険なことに巻き込まれるのは、もうこりごりです。と呟くソフィアに苦笑いを返す。

 スタンピードに盗賊騒ぎ。両方とも死んだと思ったからな。俺としても巻き込まれるのはもうこりごりだ。そこそこ稼ぎながらゆっくりしたいが、そうはさせてくれなさそうだ。


 ソフィアやクロードはもっと俺の知名度を上げたそうにしているし、アイリーンは強い敵がいれば戦いたいってタイプだ。そこに、リーシアとデイリドとかいう厄介な奴らも俺に肩入れしてきたとなれば、平凡な毎日を続けられるとは思えない。


 どこに行き着くのだろうか。冒険者としてこれ以上名を上げるには俺の実力が足りない。周りの実力に乗せてもらうだけでは何処かで崩れてしまうのが目に見えるから、そんな安易なことをリーシアやデイリドがやるとは思えない。

 教会内で。というのはあるかもしれないが、俺は熱心な信徒でも無いし、教会内でできることもたかが知れてる。


 「ケーマ様はよく考え込みますよね」


 「そうかな? いや、そうかもな。今の状況が上手く行き過ぎていて疑心暗鬼になっているのかもしれない」


 俺って、もともとこんなに考えるタイプの人間だっただろうか。

 そりゃあ、命の、これからの人生が掛かっているとなれば悩むのは普通だけど、それでも考え過ぎている気もする。


 「考えていても仕方ないな。俺も寝るから次の鐘が鳴ったら起こしてくれ」

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