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アトルバ

 少し喉が渇いたので、机の上に置いてあったベルを軽く鳴らす。部屋の中に軽く響く程度の音量しかしないベルに、これで本当に使用人が来るのだろうかと不安になりながらも再び椅子に座ろうとしたところで、コンコンとノックの音がした。


 「何かご用でしょうか?」


 「この後の予定ってどうなってる? 時間があるようなら飲み物を持ってきて欲しいんだが」


 「あと三十分程で主の所用が終わりますので、それから食事になります。飲み物は紅茶でよろしいでしょうか?」


 「俺はそれと水も持ってきてくれ。クロードはどうする?」


 「僕は紅茶でいいです」


 「かしこまりました。では、ご用意させていただきます」


 紅茶は口に合うか分からないから水も頼んだけど、水ならソフィアに魔法で出してもらった水がストレージにたくさんあったな。ストレージの水は非常用として置いておくか。


 「ご主人様も水を頼むなんて流石ですね」


 何が流石なんだ?尊敬していますといった視線を向けてくるクロードに理由を尋ねることもできずにいれば、クロードが続きを言ってくれた。


 「綺麗な飲み水をすぐに用意するというのは、客を出迎えるという意識がないと難しいです。基本的に水は、濾した水を一度沸騰させてから飲み水として使うので予め用意していないと時間がかかります」


 こっちには水道なんて便利なものは無かったな。水の魔石から出すこともできるがコストが高いし、魔法で作り出すのは魔力に限界がある。俺はソフィアから水をいつももらっているから気にしていなかったが、店でご飯を食べる時も水を出してくる店は少なかったな。

 井戸水なんかも、綺麗なことは綺麗だが、客人相手にそれを出すのは貴族としてはナンセンスってところか。


 「お待たせいたしました。紅茶とお水でございます。食事の用意ができましたら呼びにきますので、それまでゆっくりしておいてください」


 「ああ、ありがとう」


 カップに注がれた紅茶を受け取り香りを確かめる。それほどきつくない柔らかな香りに、これなら飲めそうだと安堵する。クロードにも紅茶を渡し、今度はコップに注がれた水を俺に渡してくる。

 紅茶が飲めそうな紅茶だったから別にこの水はもういらないが、せっかく用意してくれたのだから受け取らないのは申し訳ない。

 水を受け取れば、常温よりは冷たいのがコップ越しに分かる。この短い時間で冷やすのは無理だろうから、もともと用意していたのだろう。クロードの話を聞いた後なので、無駄に感心して、コップをついつい見てしまった。


 「良ければ、食事までまだ少しありますのでこちらをどうぞ」


 クッキーのような見た目のお菓子であろうものが机に置かれる。紅茶にはちょうど良いから、有難く貰っておくことにする。

 使用人が部屋から出て行きドアが閉まったのを見て、クッキー擬きに手を伸ばす。


 「まあまあかな」


 砂糖控えめって感じで、味が薄い。代わりに少しよもぎのような風味がする。


 「イアクトの名物の一つですよ。スロンクッキーという名前で、胃薬に使われるスロン草が含まれているんです」


 体に良いってことか。それでこの味なら、食べやすくて良いな。そこまで甘くないからお菓子としては微妙だが、甘くない分食事として食べることもできるし、後味もすっきりしていい。


 紅茶を啜りながらクッキーを摘む。なんだか金持ちの坊ちゃんみたいな体験を味わえば時間はどんどん過ぎていく。クロードと話しながらゆっくりしていると、ドアがノックされる。


 「ケーマ様。食事の用意ができたようなので行きましょう」


 使用人かと思えば、ソフィアとアイリーンが俺達を呼びに来た。準備するものも無いので、そのまま部屋を出て歩き始めたソフィア達に着いていく。


 「場所は分かるのか?」


 そこまで広くない屋敷とは言え、狭くはない。少なくとも10はあるドアのうち、どれが食事をするための部屋なのかは俺には分からない。


 「さっきまで暇だったので、屋敷の中を軽く案内してもらってたんで大丈夫です」


 「部屋の中で待ってるなんて退屈」


 そういうことね。アイリーンが暇だから部屋から出ようとして、屋敷を案内してもらうという口実でソフィアを連れてぶらついてたわけね。


 「あんまり迷惑かけるなよ。俺達は泊めてもらってる立場なんだから」


 「そこらへんは大丈夫。ちゃんと暇そうにしてた人に声かけた」


 それは大丈夫な理由になってない。俺達用に配置されていた使用人だろう。ある意味仕事を果たしてはいるが、もしかしたら怒られているかもしれない。

 俺にはどうもできないから、その使用人が怒られていないことを願っておく。


 ソフィア達の案内で辿り着いた部屋に入れば、既にレザルタと見たことのない男が席に着き話している。

 あれがこの町の領主でもあるアトルバか。疲れの見えるその顔から、しっかり仕事をしている貴族であることがわかる。盗賊団が現れて大変な時に、上の立場の人間が全く疲れていないなんてはずがないからな。


 「君達がレザルタの護衛で来た冒険者か。私はアトルバ。この町の領主だ。あまり持て成せはしないが、ここにいる間はゆっくりとしていってくれ」


 「このパーティーのリーダーをしているケーマです。突然なのに部屋も食事も用意して頂きありがとうございます。何か手伝えることがあれば、言ってくだされば出来る範囲で手伝います」


 アトルバがよろしくと手を伸ばしてくるので、握手に応じる。ソフィア達の名前をアトルバに教えれば、俺の後ろで三人が軽く頭を下げる。

 俺達が席に着けば、アトルバの合図で食事が始まる。料理も華美ではないが、町の食堂とは違い、しっかりと下味から考えられた味付けで、この世界に来てからずっと感じていた素材の味の押し売りが無いため、ほっこりと食事をすることができる。

 さすがに品種改良を重ねた地球の食材から比べれば、この世界の食材は野性味溢れると言った表現が近い味や食感をしているため、この屋敷の料理人でも、調理法や味付けだけでそれを完全に消し去ることはできていないが、十分に満足できる味だ。気がつけば、料理を全て食べてしまい、楽しい時間に終わりが来てしまった。


 「足りないならおかわりするかい?」


 「いいんですか? ならお言葉に甘えて、スープのおかわりをお願いします」


 「他におかわりがいる人はいるかい? ああ、レザルタは分かっているから言わなくていいよ」


 すぐに皿を持ち上げようとしたレザルタをアトルバが止める。いつものことなのだろう。レザルタの分だけすぐに新しい皿が運ばれてきた。

 クロードとアイリーンがスープを、ソフィアが小さな器に入れられていたお浸しのようなものをおかわりする。見切り発車でおかわりを頼んでしまったが、クロードが何も言わずに自分もおかわりをしているので、俺の選択は間違いではなかったようだ。


 「ケーマくんはもしかしてスタンピードの英雄かい? 噂とは随分雰囲気が違うが、名前は同じだから気になったんだが」


 ここでもスタンピードの英雄とかいう脚色されまくった噂が広がっているのか。オークロード相手に圧勝したとか、素手でどんな武器でも叩き折るとか誰のことだよ。

 心当たりがあることなのが辛いが、オークロードには辛勝だったし、素手で剣を叩き折れたのはあの剣がボロボロだったのと偶然が重なっただけだ。


 「一応、噂が示している人物は僕ですよ。ただ、偶然が重なったおかげでスタンピードを止めれたのと、そのせいで一ヶ月間病室送りになったりと、噂のような化け物ではないですけどね」


 教会からの依頼と、国王への謁見が終わったら、しばらくの間余っているお金で引きこもろうかな。Cランクとかいうギルドランクに関しても、身の丈に合ってないんじゃないかとおもうくらいだから。


 「おお! 本当にスタンピードの英雄だったのか。仕事も一段落したから気晴らしに、スタンピードの話でも聞かせてくれないか?」


 疲れなどどこ吹く風といったかのように、一気に疲れの見える表情から楽しそうな表情へと変わったアトルバに苦笑いしつつ、チラッと壁際に控えた有能そうな執事に視線をやる。

 視線をやった執事に付き合ってあげて下さいと言わんばかりの深い頷きを送られたので、断る口実も潰れた。


 「いいですよ。噂で流れてるような英雄なんて話じゃないですが、それでもいいならあの時のことくらい話させてもらいますよ」






 「いや、良い息抜きになったよ。話題の英雄の裏にも、相応の苦しみがあるものなんだね」


 異世界から来た。なんて俺以外の人からすれば荒唐無稽な話は出さずに適当な嘘で誤魔化しつつ、俺が冒険者になった理由辺りから話をした。

 自分のことだが、こうやって話せば何かの物語を読んでいるかのような話に感じてしまうが、聞いている周りの奴らが何故かかなり聞き入っていたので20分くらい食事を取りながら語り続けてしまった。


 「英雄なんて質じゃないですよ」


 「そんなの関係ないさ。世間が、その人を英雄か英雄じゃないか判断するのは、挙げた功績と生き様くらいだからね」


 「偶然が重なっただけの英雄には、周囲の評価が重すぎます」


 「だから、英雄は早死にするのかもしれない。背負う期待に応えるには自分の限界で生き続けないといけないからね」


 本当にそうだと思う。その期待を裏切れば、英雄から屑へと評価は急変してしまう。英雄に残された道は、努力し続けるか、屑へと成り下がるか、全てを捨てる覚悟で逃げるかだ。

 俺は選べるのなら、全てを捨てて隠居したいな。現状、そこまで追い詰められてはいないから逃げるつもりはない。俺が挙げた功績は英雄としてはそれほど大きくないから、かかる期待も少ないってもんだ。


 「さて、食事は終わりにしようか。今日はゆっくり泊まっていってくれ。討伐隊は出したから明日になれば、リディルへの道も君達なら通れるようになるだろう」


 討伐しきれなくても、盗賊に襲ってくるだけの余力はそれほど残らないから、自衛するだけの力があれば通ることはできるだろう。

 馬車の旅は楽だったが、何時までもイアクトで立ち止まってるよりは、歩きででも進む方がいいか。


 一日泊めてもらっただけだが、疲れは驚くほど取れた。寝心地の良いベットで眠れるということはこれ程違うのか、と思ってしまう。

 出来れば、もっとあのベットを堪能したかったが、そうも言ってられない。アトルバにも迷惑をかけることになるし、アトルバの言葉の裏には討伐隊の撃ち漏らしを俺達に倒して欲しいというのもあるだろう。撃ち漏らし程度なら捕まえるのも追い払うのも、今の俺達ならできるだろうから、一泊のお礼として引き受けてやろう。


 朝食を食べ終われば、片付けるものも用意するものもないので、すぐに出発する準備が整う。使用人に出発することを告げると、アトルバにそれを伝えに行ったので、ゆっくりと玄関へと向かう。


 「もう行くのかい? もう少しゆっくりしても良かったのに」


 二階から下りてきたアトルバの手には何やらカードのような物が見える。それを差し出してきたので受け取れば、何やら立派な紋章が描かれていた。


 「それはこの家の家紋だよ。私の部下や知り合いの貴族に見せれば、少しは手助けしてくれるだろう。必要な時があったら使ってくれていい」


 「ありがとうございます」


 使う時があるかは知らないが、もし必要な時が来たら遣わしてもらおう。出来れば使わなければいけないような場面に巻き込まれたくはないが。

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