迷宮
少しゆっくりすれば、MPは満タンとなっている。本当に便利なスキル効果だ。ただ、ステータス上では全快しているが、精神的にかなのかはわからないが、体が少しだるい。
この程度の怠さなんて、ちょっと寝すぎた日と同程度だ。この後の迷宮探索には支障をきたす事もない。
転移陣があれだけ魔力を消費することも、理解した上でならそれほど支障はない。次からは忘れないようにしておこう。
「それじゃあ、先に進むか」
そう言って歩き出す。普通なら奴隷と主人ならば、未知の場所では奴隷が前になるのが普通なのだろう。ソフィアが少し前に行くか悩んでいたが、手でそっと後ろに続くように合図する。
だって、俺たちの場合、完全に俺が近接でソフィアが遠距離なんだもの。ソフィアを前にする利点が、肉壁以外に見当たらない。
「迷宮って不思議ですね」
「そうだな。明かりもないのに明るいし、こんな地下なのにジメジメした感じも息苦しさも全くない」
まるで造られた部屋の中にいるかのように快適だ。階層によっては真っ暗だったり、ジメジメしていたり、湖があったりする階層もあるらしい。
迷宮は誰かが作り出したものという説も、本当の様に思える。迷宮が攻略される時に最後に倒すダンジョンマスターという存在が迷宮を作り上げた。そう考えるのが一番しっくりとくる。
迷宮とダンジョンの違いは、攻略される前が迷宮。迷宮を攻略する時にダンジョンマスターを倒しダンジョンコアというアイテムを手に入れ、攻略した迷宮をダンジョンコアの力で維持しているのがダンジョン。この定義からして、ダンジョンコアによって迷宮が作られたと考えられる。
現状、ダンジョンコアの解析が進んでいなさすぎて、ダンジョンの維持にしか使えていないから確証はないようだが。
迷宮やダンジョンそのものの成り立ちはどうでもいい。
今は初めての迷宮探索を楽しみつつ、危なげなく進むために、周囲に気を張らなければ。
安全地帯を抜けて、一つ目の角を曲がろうとすれば、その先に広がる空間に魔物の姿が見えた。
「魔物だ。気付かれていないうちに魔法で先制攻撃を頼む」
「分かりました」
詠唱を始めるソフィアの邪魔にならないように軌道を空け、追撃できるように剣を引き抜く。
魔物……これも細かいことを言えば、迷宮やダンジョン産の魔物はモンスターと呼ぶのだが、俺達みたいな一介の冒険者には関係のない話だ。
「いきます!」
ソフィアの合図共に駆け出す。俺の横を魔法が追い越していき、ウシ型の魔物の横腹に当たる。
よろめく魔物に魔力を込めた剣を振り抜けば、あっさりと攻撃を食らってくれる。
悲鳴ととも怒声とともとれる鳴き声を上げ、こちらを睨んでくる。オークロードと戦ったからか、装備が前よりも整ったからかは分からないが、対峙しているというのに落ち着いて相手を見ることができる。
真っ直ぐ突進してくるウシ型のブッファルの攻撃を避け、すれ違いざまに攻撃を加える。足を切りつけられたブッファルは自分の体重も相まって盛大に倒れこむ。そこにソフィアの二発目の魔法が飛んでいき、ブッファルは息の根を止めた。
「そんなに辛くはないな。ブッファルが一匹しかいなかったのと、相手が気づいていなくて先制攻撃ができたのも大きいが」
「そうですね。でも、きっちり戦っていけば、この辺りの階層であれば迷宮もそれほど怖くはないですね」
下手に囲まれたりさえしなければ大丈夫というのは確かにある。きっちり戦闘をする場所を確保しつつ、各個撃破を怠らなければ大丈夫だ。
「よし。このまま迷宮探索を続けるぞ」
金は馬鹿みたいにいっぱいもらったが、それでも一生暮らしていけるような額じゃない。ちょっと贅沢した暮らしも、精々数年しか持たないだろう。
迷宮でどのくらい金が稼げるかというのも、しっかり確認しておかなければいけない。
順調に狩り続けられてはいる。もう何度目か数えていない戦闘を終えて一休憩挟む。
「一戦一戦は問題ないが、こうも立て続けにあるとな」
全然進めていない。20層から19層へと上がる階段まで来るだけで30分はかかった。初めてだということで慎重になっていたのもあるが、各個撃破でやっていると時間がかかりすぎる。
もう少し、一度に釣る敵の数を増やすか?いや、今の俺たちでそれをやるには経験も戦力も足りない。俺では複数の敵を引き付けるのは辛いし、ソフィアは連撃や範囲攻撃を叩き込めない。
壁役か、引きつけながら戦える仲間が必要か。
「すいません。私が足を引っ張っているせいです」
「そんなことはない。戦力としては十分だ。俺もソフィアも迷宮向けのスタイルじゃないってのが問題なだけで」
もっと動き回れる場所があるのなら、俺でも引き付けることはできる。もっと敵を遠距離から狙える場所が用意できるのならば、ソフィアが使える中で一番高火力の魔法を叩き込めばいい。
迷宮じゃ、そのどちらの戦法も取れないんだよな。こういう狭い場所だと盾持ちが欲しいな。
「さて……戦えはするが、時間がかかる。このまま進めば、迷宮で一泊する必要があるかもしれない。進むか、戻るか。どっちがいい?」
俺としては一泊してみたい気もする。食料とかは十分あるし、17層まで行けば野営のしやすい安全地帯があることは、しっかり調べてある。気分的にはピクニック気分だ。無謀な特攻をせずにしっかり釣って狩ってを繰り返せば、20層以下の迷宮の魔物ならなんとかなる。魔力切れなんてしょうもないことにはならないからこその気楽さだが。
少し悩んだソフィアは、俺の顔色を窺い、そして笑顔で言い切る。
「せっかくなんで、一泊していきましょう。そうすれば、私達に足りないものがもっと見える気がします」
ソフィアも乗り気のようだ。そうくるなら、とことん迷宮を楽しんでやろうじゃないか。
「じゃあ決まりだな。とりあえず、17層を目指すぞ」
* *
「うわぁ!綺麗ですね!」
小高い丘のてっぺんから辺りを見れば、キラキラと光る湖が目に映る。
ふわりと風が吹き、手を広げて立つソフィアの髪を舞わせる。
「……そうだな。とても迷宮の中だとは思えない」
青い空と白い雲まで再現されている。実際には空のもっともっと手前に天井はあり、外の空を映しているだけのようだが、言われなければ分からない程の綺麗さだ。
17層。迷宮に疲れた冒険者にとって癒しの階層。
現れる魔物の数は少ない。さらに言えば、凶暴な魔物は殆どおらず、ある程度警戒していれば大丈夫だ。奥の方にはボス級の魔物がいるらしいが、危険を冒してまでわざわざ行く必要はないだろう。
「今日はここで野営するか。他の階層で野営するのは、もっと慣れてからだな」
二人だけで野営することが、そもそも初めてだからな。前はアルトもいたし、セネディ達もいたから、最悪誰かが魔物の存在に気づいたが、今回は完全に二人だからな。見張り役のことも考えれば、このくらいの楽な所で試さないと。
冒険者としてやっていくなら、自分のパーティーだけでも野営ができるようにしないとな。一番の問題点はやっぱり人数か。
こればっかりは、適当に見繕うわけにもいかない。しっかり必要なスキルやタイプを見定めないと。
「ソフィア。疲れは大丈夫か?」
「はい。魔力はケーマ様から頂いていますし、ペースとしてはゆっくりでしたので、まだまだいけますよ」
だったら、一回試してみるか。幸いにも良い場所がある。
湖からは反対側になる山に向い、岩がゴロゴロと置かれた場所に到着する。
「ソフィア。あそこに水魔法と火魔法を威力抑えめで使ってくれない?」
窪みのようになっている岩を指差してソフィアに頼む。何がしたいのか分からないソフィアが首を傾けるが、俺の指示に従って魔法を使う。
水魔法で窪みに溜まった水が、火魔法により熱せられる。水が蒸発していくが、ある程度すれば収まり、残されたのはいい感じに温まったお湯。
「風呂きた! 久しぶりの風呂だ!」
テンションが上がって駆け寄るが、服を脱ごうとしてはっと気づく。ソフィアいるじゃん。
「俺は風呂に入るけど、ソフィアはどうする?ここなら見張りも必要ないだろうから、周囲を探索してきてもいいぞ」
俺は風呂に入る。それだけは譲らない。
「一緒に入ってもいいですか?」
ソフィアの問いに言葉が詰まる。少しの間、二人の間に静寂が訪れる。
そうか。そうだな。風呂なんてこの世界の一般市民、特に小さな町や村では見ることすらない。ソフィアがどうやって風呂に入るか知らなくてもおかしくは無いか。
「ソフィア。よく聞け。風呂は裸になってお湯に浸かるんだ。分かるか?はだかになってだ」
「裸になって……っ! すいません! 湖の方を見てきます!」
逃げるように走っていくソフィア。良かった。一緒に入るなんてことになったら、俺の精神力では抑えきることができるか怪しい……いや、無理だったな。
助かった。
ソフィアの姿が見えなくなったのを確認して即興風呂へと向かう。こんなのでも、久しぶりの風呂なのだ。テンションが上がる。
ストレージから手持ちサイズの桶とタオルを取り出してお湯へと手を伸ばす。
うん。温度は丁度いい。
浸かれる温度であることを確認して服を脱ぐ。無造作に服を脱ぎ捨てて、早速お湯を被る。簡単に体を洗い流して、すぐにお湯に浸かりに行く。
「あぁ……生き返る」
久しぶりの風呂は体に染み込んでいくかのように、じんわりと体を温める。周りが岩だから少し体が痛いが、それを補って余る程の気持ちよさだ。
「悪く無いな。この生活も」
何度目か分からない程の異世界生活の振り返り。日に日に、この世界に来れた喜びが高まっていくのが思い返す度に分かる。
ありがとう。この世界に連れてきてくれて。
誰かは知らない。これが夢で無いのならば、それこそ神様の仕業としか思えない。
神様ありがとう。そう呟いた時に、どういたしまして。と聞こえた気がした。
そんなことを考えていれば時間はどんどん過ぎていく。温くなり始めたお湯に、もう終わりかと溜め息を一つ吐く。
それでも、元気は出た。リラックスした心に気合いを入れ直す。
着替えて、ソフィアが向かった湖へと俺も向かう。なんだか、今は早くソフィアの顔が見たい気分だ。
意外な休息もでき、迷宮探索は想定よりも順調に行うことができた。魔物の強さが、ペネム周辺で狩りをしていた時と変わらないというのも大きな要因の一つではあったが、ソフィアが動きながら魔法を使えるようになっているのもかなり大きかった。
俺一人では抑えきれない数の魔物が現れた時に、ソフィアが回避行動を取れるかどうかは大きかった。多分、以前までの俺達ならば、この迷宮探索はもっと辛いものになっていたであろう。
「さて、20層に戻ってきたがどうする? 20層から下も探索するか、迷宮から出るか」
一日目は17層まで。二日目は13層まで行って17層に戻り、三日目の今日に20層に再び戻ってきた。
迷宮には階層毎にボスモンスターがいるらしいが、ここの迷宮は一度倒したら出ない階層や一定期間毎に復活する階層が多いらしい。13層から19層まではそのどちらかに当てはまる階層なため、俺達はボス級の魔物とは戦いはしていない。
「20層はフロアボスもいますし、魔物の強さも少し上がるので止めておきましょう」
パタパタと飛んでくる蝙蝠。意外とこいつが厄介で面倒。ソフィアが魔法で撃ち落としながら答える。
俺の方にも飛んできた蝙蝠を剣で一閃……出来ずに剣は空を切る。顔めがけて飛んでくる蝙蝠を剣を握っていない手ではたき落として、剣で止めをさす。
俺の見切り系のスキル補助は人型の生き物にしか発動しないようなのだ。だから、こういう魔物相手だと空振ったり、上手く防御しきれなかったりすることが多い。
「これ以上魔物に絡まれる前にさっさと帰るか」
「そうですね。そうしましょう」
俺が空振ったのを愉快そうにソフィアが見つめて答える。
やっぱり、素の身体能力がそれほど高くないから、スキル補助が無いと戦うのは大変だな。




