62、水着
日焼け止めはSPF50のPA+++に限る。
紫乃は自分の日焼けを防ぎたいというよりは、弓奈に日焼けをして欲しくないという願いから、今日のレジャーに海ではなく隣り街の屋内プールを推したのだ。
「やっぱりこっちでいいみたいだよ」
弓奈がシャランドゥレタワーの案内嬢さんに道を聞いて外へ出て来た。
「弓奈さん。そろそろ日焼け止めを塗ったほうがいいです」
「え、でもさっき塗ったばっかりだよ」
「油断はいけません。21世紀の紫外線は人の心の隙につけ入りますから」
「そ、そうだね。ありがとう」
紫乃は弓奈の手の甲にクリームをしぼってあげた。
「紫乃先輩、私にも日焼け止め下さい!」
「だめです。このクリームは2年生寮で買ったものなので2年生専用です」
「そ、そんな決まりがあるんですか!」
「はい。あるんです」
目指すプールはシャランドゥレタワーの近くに立つやたら大きな施設で、名前を「スイミングラグーン・シャランドゥレ」といい、タワーと地下で繋がっているらしいのだがほとんど迷子の紫乃たちはお天道様に見守られながら歩を進める他に道はない。
「日傘を持ってくればよかったわね」
会長はそんなことを言っているが実に涼しい顔をしている。おそらく彼女には暑いとか寒いとかを感じる神経が不足している。
日傘担当の雪乃は学園にお留守番である。雪乃は暑い日に運動をすると鼻血が止まらなくなるのでとてもプールには連れていけないのだ。弓奈はとても残念がって「こんど涼しいときに一緒に行こうね」などと雪乃に約束していたが、紫乃にとってみればライバルが減るのでちょっとだけラッキーである。
一行はプールにたどり着いた。小さな町ならすっぽり収まってしまうのではないかと思うほど大きな建物だったので、ここを目指すために弓奈さんに道を訊いてもらったのかと思うと紫乃はなんだか恥ずかしかった。
「きゃあ!涼しいです! お姉様見て下さい! この靴箱100円返ってくるタイプですよ!」
騒々しい後輩である。高校生まではこども料金だがそれでも普通に入場しようと思うと1400円するらしい。しかし今回紫乃たちは小熊会長がどこからか仕入れて来たスバラシイ割引券があるためひとり140円で入ることができる。やはり会長はただ者ではない。
「早く行きましょう! 私お腹空いちゃってぇ!」
「そ、そうだね」
「あかりさん。ここはレストランじゃないんです」
「あら、でも軽食は売ってるはずだわ」
「そうなんですか! 軽食って例えばどんなやつなんですかぁ?」
「水道水とかです」
「なるほどぉ!」
このプールは例のタワーと直結である点からも窺える通り女性専用の施設なので更衣室もひとつしかないが、その更衣室の広さは尋常ではない。すべてのロッカーの内側に避難経路の案内図が貼られているくらいである。駅からプールまでの道のりですでに迷子になっていた紫乃たちであるから、ここからプールサイドにたどり着けない可能性だってないとは言えないから注意しなくてはならない。
紫乃は更衣室が苦手だ。何から脱げばいいのか、いつ脱げばいいのか、それらが全てこんがらがってしまい、いつもやっていることなのにスムーズに出来ないのだ。既に下に水着は着て来ているのでどんどん脱いで問題はないのだがそうもいかない年頃である。
「じゃあ・・・私ここ」
弓奈だ。このような露出の多い世界にあっては自分を頼って来てくれるに違いないと紫乃は無邪気に期待していたが、これは大きな幸福であると同時に紫乃の心拍数への猛威でもある。エッチな会長と色んな意味で積極的なあかりを警戒するために紫乃を盾のように使う位置取りをする弓奈の体は、紫乃からは丸見えなのだ。大変デンジャラスな状況である。
「紫乃ちゃん」
「は! はい」
ブラウスのボタンを開けては閉め開けては閉めを繰り返していた紫乃は声が裏返ってしまった。
「・・・水着ってもう下に着てる?」
「は、はい」
「これって帰りはどうするの?」
「それは・・・」
すっぽんぽんになって着替えて下さい・・・紫乃は心の中でつぶやいた。
「ゆーみーなーちゃん。まだ脱いでないの?」
会長がやってきた。彼女の髪と瞳の色にマッチするライトブルーのチェックでビキニを選ぶ辺りはさすが会長であるが、紐成分の多い少々大胆な三角ビキニなのであまり弓奈さんには見せたくないなと紫乃は思った。
「脱ぐの手伝ってあげるわ」
「ゆ、弓奈さんに触らないで下さい!」
そう紫乃が叫ぶと会長は弓奈ではなく紫乃のブラウスに手を伸ばしてきた。
「じゃ、まずは鈴原さんね」
「わあ! 自分で脱げます! やめて下さい! 怒りますよ!」
紫乃が会長に襲われているあいだに弓奈はこっそり水着姿になっていたので、彼女の水着を見た最初の少女はあかりだった。
「お姉様・・・す、すごいです」
紫乃はプールサイドの巨大な柱の陰で準備体操をする。
「紫乃ちゃん。天井たっかいねー」
確かに天井は入場料よろしく高く、やわらかくなった夏の陽光をゆるやかに水面に降らしていて屋内とは思えないほど明るかった。だが今の紫乃にとってはそんなこと3年後の朝食のメニューと同じくらいどうでもよい。
「・・・ねぇ紫乃ちゃん」
「は、はい!」
「私の水着、似合ってないかな」
紫乃は今日ほど素直に首を横に振ったのは初めてだった。
「・・・その、似合ってます。そこそこ、とても」
「そっか・・・よかった」
まぶしすぎて見ることができなかった。一度見てしまったら、そのまま自分の心と体がこぼれてあふれ、弓奈に全てがバレてしまう気がするのだ。紫乃の「硬派な少女」という看板は今、美と恋の嵐によって猛烈な勢いで浸食される崖の上に立っているのだ。
「お姉様ぁ! 泳ぎましょー!」
あかりがやってきた。プールサイドは絶対に走ってはいけない。
「あ、うん。紫乃ちゃん。行こう」
「は、はい」
私の水着はどうですか・・・そう弓奈に訊きたかったが、訊けないとも思っていたので諦めはすぐについた。昨日の夜眠れないほど悩んでいたこの疑問が永遠に解決しないことは分かっている。なぜならそんなことを訊いても弓奈は必ず「似合ってるよ」と微笑んでくれるに違いないからだ。彼女がそういう人であることを紫乃は知っている。
プールサイドを歩きながら、とうとう紫乃は弓奈の後ろ姿を見た。その瞬間にプールサイドは一枚のきらめく絵画になり、時間はその流れをぴたりと止めてしまった。紫乃は自分が歩いているのかもよくわからないままに弓奈の水着姿を後ろからポーっと眺め続けた。
「鈴原さん」
「わ!」
会長が笑っている。紫乃は真っ赤になった顔を冷やすためにプールへ飛び込んだ。
「あ、紫乃先輩! さすがです! 安全確認のために一番に飛び込むなんて!」
あかりは膨らみきっていないスイカのビーチボールを抱えたまま紫乃を追って水面にダイブした。
「紫乃先輩! ここ思ったより深いですね!」
あかりは紫乃の腕に抱きついてそんなことを言う。紫乃は水の底を片足でぴょんぴょん跳ねながら顔を出していたくらいなのにそんなことをされてしまったら共倒れだ。
「ゆ、弓奈さん。流れるプールのほうがきっと浅いです。あっちへ・・・」
そう助言を伝えながら、紫乃は波間から弓奈の水着をはっきりと見てしまった。真っ白い肌を優しく抱く淡い桜色のフラワープリントがされた清楚なフリルスカートのビキニが紫乃の脳裏にしっかり焼き付いた。
「きゃあ! 紫乃先輩! しっかりして下さい!」
これは氷水に4、5ヶ月浸からなければ頬の紅潮は収まらないことだろう。




