26、嫌われ薬
魔法の本を見つけた。
司書の先生のお手伝いをする図書委員のお手伝いをする紫乃のお手伝いをしていると、弓奈は廃棄処分が決まった本の収まる箱の中に興味深いものを見つけた。もはや本としての機能が危ぶまれるほどボロボロになっているので表紙を読むのにも苦労したが、そこには確かにザ・マジックブックと記されていた。
司書の先生の許可を得てその本を持ち帰った弓奈は、授業中にそれをこっそり引っ張り出して読み耽った。そしてとうとう見つけてしまったのだ。『他人の愛を無差別に被る幽鬼の魔薬』というページを。飲めばいろんな人から愛されるようになるということなので弓奈はその薬には何の興味もないのだが、ページの一番端に『反作用を期待する場合』というコラムを見つけたのだ。逆の効果を生む薬も作る事が出来るらしいのだ。人から愛されすぎて困っている人がいつの時代、どこの国にもいるらしい。
「用意するものは・・・」
「ではこの問題を、倉木さんに答えてもらいましょう」
「・・・海老フライ、芋ようかん、風船ガム?」
「はい。正解です」
放課後弓奈はちょっと用事があるからと紫乃に言い残して理科室へやってきた。危険な薬品を使うわけではないので見つかっても許してもらえるだろう。弓奈は本に書かれてある通り材料を加工していった。そしておよそ5分という長時間をかけて薬は完成した。その「惚れられない薬」は試験管の中で怪し気なスライミーグリーンに輝いている。これを飲めば同性からモテまくる奇妙な毎日ともおさらばだ。
「よし!」
気合いを入れて試験管のままぐびっと飲もうかと思ったが、さすがにちょっと気持ち悪いので別のジュースで薄めて飲もうと弓奈は思った。彼女は薬を理科室のテーブルに置いたまま売店へ出掛けていった。
「弓奈さん・・・ここですか」
目撃情報をもとに紫乃が理科室までやってきた。そもそも「ちょっと用事があるからニューヨークに飛んでくるね」などと言われても納得がいかない。なにか困っていることがあるなら手伝いたいと思い紫乃はここへ来たのだ。
「いない・・・みたいですね」
引き返そうとしたが、ふとテーブルの上に置かれた試験管が目についた。弓奈の忘れ物かもしれないと思った紫乃は試験管を手にとってみた。なんて気味の悪い液体だろうか。これを飲んで明日がある生き物がこの星にいるとは思えない。しかしよく見ると試験管の傍らに一冊の古びた本が置かれているではないか。
「・・・他人の愛を無差別に被る幽鬼の魔薬。これがそうなのでしょうか」
残念だがそれは全く逆の作用をする「嫌われ薬」である。しかし紫乃は、何かを思った弓奈が他人から好かれる薬を作ったものと勘違いした。
「なんで、弓奈さんがこんなものを・・・」
弓奈は誰からも好かれているのでこのようなものが必要ないことは紫乃にも明らかだ。なのに誰かから好かれたいと望んだということは、彼女が叶わぬ恋をしているということに他ならない。
「弓奈さんが・・・叶わぬ恋を・・・」
小熊会長、香山先生、それからなんとか舞とかいうテニス部員・・・何人かが紫乃の頭に浮かんだがいずれもピンと来ない。
「もしかして・・・私」
あり得る・・・紫乃は息を飲んだ。これほど親しいというのに自分は弓奈に優しい言葉のひとつもかけない。実はいつのまにか自分は弓奈に好かれていて、彼女はその恋心を実らせるためにこのような如何わしい本に手を出したのではないか・・・紫乃は試験管を持ったまま耳まで赤くなった。すると廊下から足音が近づいてきた。弓奈かもしれない。この場にいてはいけないと察した紫乃はとっさに掃除用具入れの中に身を隠した。
「いやぁ掃除忘れてたねー」
「舞・・・サボる気満々だったでしょ」
弓奈ではなかった。理科室清掃の担当になっていたらしい安斎舞とその友達である。幸い二人は掃除用具入れに向かうより先に試験管と謎の本の前に立ち止まった。
「何これ」
「授業で使ってたんじゃないかな」
「他人の愛を・・・あー駄目。漢字多すぎ」
「・・・舞。これ惚れ薬だよ」
紫乃は用具入れの隙間から二人の様子を息を殺して観察した。
「マジうける。うち飲んじゃおうかな」
「やめておいたほうがいいよ・・・怒られちゃうよ」
「代わりに別の試験管置いとけば分かんないって」
舞は側にあった空の試験管に適当に水道水を注いで薬のあった台に立てた。
「これでよし」
「舞! 誰か来たよ! 素直に戻したほうがいいよ」
「何言ってんのおバカ。隠れるよ」
「ええ!」
舞は薬の入った試験管をつかんだまま、あろうことか紫乃隠れている掃除ロッカーへやってきた。
「あんた! あいつの友達じゃん」
「す、鈴原です。いいから入るなら入って下さい。見つかっちゃいます」
「ああ、そっか」
狭い用具入れの中に紫乃と舞、そして舞の友達の三人が収まった。ちょっと顔を動かすと頬が触れ合いそうな距離である。
「誰か来たけど」
「弓奈さんですよ」
「え、これあいつが用意した薬なの!?」
フタ付きティーカップのイチゴ牛乳を握りしめた弓奈がご機嫌な様子で理科室に駆け込んできた。そして彼女はただの水道水とも知らずにテーブルの上の試験管の中身をカップの中に投入し、一気にイチゴ牛乳を飲み干した。しばらく弓奈はお腹をさすったり頬に触れたりしていたが、やがて薬作りに使用した用具を元通り片付けると理科室を飛び出していった。
「ふー」
「ふーじゃありません! あなたのせいで! あなたのせいで!」
「ちょっといたずらしただけじゃん。何をそんなに怒ってるの」
「別に・・・何でもないです」
紫乃は舞たちを置いて不機嫌そうに理科室を出て行った。
「舞・・・その薬どうするの?」
「うちが飲む。あんた、うちのこと好きになっちゃ駄目だからね」
「え・・・」
舞は腰に手を当てて薬をぐいっと一気に体内に流し込んだ。海産物と良質な澱粉がケミカルに融合した、糸を引く味わいである。
「んー特に変化はないみたいだけど」
「舞・・・」
舞の友達はうつむいたまま舞の襟に手を伸ばした。
「さっき舞さ、私のことバカとか言ったけど」
彼女は舞の襟首をつかむとそれをグイっと引き寄せる。
「どっちかって言うとさ」
それはいまだかつて舞が耳にしたことがないような殺気を伴ったささやき声だった。
「舞のほうがバカだよね」
「・・・ハイ」
嫌われ薬の効果が切れるまでの三日間、舞と舞の友達の立場は完全に逆転していた。




