149、ありがとう
紫乃はベンチに腰掛けてうつむいていた。
三日月の広場はホールの三階と短い陸橋で繋がっておりかなり高さがあるので港の夜景が一望できて素晴らしいのだが、夜風が吹き抜けて結構寒い。とはいっても紫乃は抜け目ない女なのでこんなこともあろうかとセーター二枚重ね、ロングマフラーぐるぐる巻き、ふわふわ耳当て装着というかなりの重装備でここへやってきた。寒くはないがかなり動きづらい。
流行やメディアを嫌う紫乃ですら知っていた超有名歌手Akaneと弓奈さんが知り合いだったことは衝撃だったが、今はそれどころではない。このあと自分はハッキリと弓奈さんにフラれる・・・紫乃はそう思っているのだから。
弓奈はエスカレーターを駆け上がって三階のガラス戸の前までやってきた。外を見ると広場のベンチにちょこんと座る紫乃の姿が見えたので弓奈は服の乱れをきっちり正し、息も整えてから扉を開けた。
ふわっと弓奈のスカートの中を海風が駆け抜けた。曇っているせいか夜空に星は見えない。弓奈は髪が乱れないように主に前髪を手で整えながら敢えてゆっくり、落ち着いて広場に向かった。陸橋のあたりで紫乃もこちらに気づいたらしく猫背だった姿勢をピッと伸ばしていた。
弓奈が何気なく広場を見渡すと中央に立つ三日月のモニュメントがなんとなく目にとまった。弓奈はあれを夢の中で一度見た事がある気がしたが間違いなく気のせいである。
「し、紫乃ちゃん・・・」
風に紛れて聴こえた大好きな人の声に紫乃は思わずベンチから下りてちょっぴり前に駆け出した。
「お・・・おそくなってごめんね」
「い、いえ、別に・・・」
およそ2メートルの距離を置いて二人は向かい合った。モニュメントの台座の下部に据えられた温かい照明がお互いの横顔をきらきらと照らしてくれている。その光があまりに幻想的だったため二人はお互いのことを「ああ、やっぱりこの人は世界一奇麗だな」と思った。
弓奈は緊張のせいで胸の鼓動に合わせて目がちかちかする気がしたが、今日は絶対に負けない。彼女はさっそく口を開くことにした。
「あ、あのね・・・」
のどが乾く。声がかすれて胸の奥までじんじんする。
「さっきのこと・・・びっくりした?」
「え?」
「Akaneさんのこと」
弓奈はとりあえず雑談をして様子を見ることにした。
「あ・・・はい。びっくりしました」
「私もびっくりしちゃった。私あの人の名前が石津茜さんだってことすっかり忘れてて。去年の学園祭に呼ぼうと思ってた石津さんっていうのはあのAkaneさんのことだったんだよ」
「そ、そうだったんですか」
よく分からないけど弓奈さんはやっぱりすごいなと紫乃は思った。これだけの美貌があれば芸能人の知り合いくらいいても不思議ではない。
二人はまた黙ってしまった。冷たい夜風はゆっくり二人の間をすぎていく。
ちなみにこの頃あかり、美紗、雪乃、舞、舞の友達の5人はこっそり弓奈のあとをつけて陸橋にやってきていた。もう少し進んで木陰や花壇に隠れれば弓奈と紫乃の会話を聴く事もできるに違いない。
「おい津久田あかり。もうすぐ音楽祭の後半はじまるからお前らは戻っていいよ」
「なに言ってるんですか! 私たちは弓奈おねえさまを最後まで応援します!」
「応援ってなんだよ。うちらは鈴原になにかあったときにサポートしてやろうと思って近づいてるの」
あかりと美紗は紫乃の恋心を知らず、舞と舞の友達は弓奈の恋心に気づいていない。
「ねえバニ。このあとどうなると思う?」
「弓奈ちゃんと紫乃おねえちゃんの両方がきっと幸せになれると思うよ」
「そうかなぁ」
「そうだよ」
一人二役の雪乃がバニウオと会議している。雪乃はもしかしたら二人の恋にずっと前から気づいているのかもしれない。
「・・・紫乃ちゃん」
どれくらい時間が経っただろうか。弓奈の心がいよいよ未来へ、明日に向かって動き始める。
「は、はい・・・」
紫乃は自分のほっぺが真っ赤なのが恥ずかしくて必死にマフラーに顔の半分を埋めて返事した。
「もう少しさ・・・近づいてもいいかな・・・」
「え・・・」
弓奈は二人の間を過ぎる北風に負けたくなかったのだ。
「いい?」
「べ、別にいいですけど・・・」
弓奈は微笑みながら一歩前に出た。
「もうちょっと近寄っていい?」
「は、はい」
弓奈はさらに一歩前へ動いた。手をぐっと伸ばせば届く距離である。
「もう一歩だけ・・・近づいていいかな・・・」
「え・・・」
紫乃の心臓はウサギのように跳ねまわった。
「い、いいですけど・・・」
紫乃の返事を聴いて弓奈はさらに彼女に近づいた。もう北風の通り道はない。二人はお互いの髪のにおいをふんわりと感じた。
「・・・あのね」
弓奈は思い切って紫乃の手をとって両手で包み込んだ。
「・・・あのね紫乃ちゃん・・・大切なお話があるの」
至近距離で弓奈の奇麗でまっすぐな瞳に見つめられて紫乃は身動きがとれなくなった。弓奈のお目々の魅力は、吸い込まれると二度と外に出られない、言わば宇宙一幸せなブラックホールと呼んでもいい。しかも手袋をしているとは言え自分の手をふわっと包み込まれたら頭がどうにかなってしまう。
「紫乃ちゃん・・・紫乃ちゃん・・・あのね・・・」
弓奈は言葉がつまった。覚悟はもうできたし、言葉も胸いっぱいにふくらんでいるのだが、涙がそれにフタをしてしまっているのだ。
「ゆ、弓奈さん・・・?」
弓奈は紫乃を見つめたまま大粒の涙をぽろぽろとこぼした。紫乃の手のひらをだきしめるようにちょっぴり顔を傾けてこぼす彼女の涙は、照明の力により大粒のダイヤモンドのようにまばゆく輝いた。紫乃は現実離れしたあまりに美しい光景に息を飲んだ。
「紫乃ちゃん・・・」
「は、はい」
弓奈が紫乃に一番伝えたかった言葉は次のようなものである。
「今まで、本当にありがとう」
「え・・・」
「紫乃ちゃんがいたから・・・私、毎日楽しかったよ。こういう性格だからさ、女の子同士でもあんまり心開けなかったりしたんだけど、紫乃ちゃんだけは違ったの」
告白が済めば紫乃にフラれて自分の青春が終わってしまうという悲しみのせいもあるが、それよりもなにかもっと温かい感情が弓奈に涙を流させていることは間違いない。次から次へとあふれ出す「ありがとう」という感情の泉である。
「紫乃ちゃんはいつも私のそばにいてくれた・・・ピンチの時はいつもかっこよく私を助けてくれたよね。それから・・・時々すごくかわいくて・・・紫乃ちゃんと一緒にいると胸の鼓動も時計の針も駆け足になるの」
泣きながらやさしく微笑む弓奈は紫乃から全く目を逸らさない。紫乃も体が固まってしまっているため二人は完全に見つめ合っている。
「ずっと紫乃ちゃんに言いたかった・・・私に楽しい毎日をプレゼントしてくれて、本当にありがとうって。私、すごく幸せでした・・・」
紫乃の心は乱れた。ありがとうという感謝の気持ち、それは紫乃も持っている。ものすごく持っている。体じゅうから溢れそうになるほど弓奈へ感謝している。紫乃のほうこそ弓奈がいたから学園生活がこれほどにまで楽しくなったわけだし、今思えば彼女なしの学園生活など考えられないくらい、弓奈は紫乃の人生に根付いた心の拠り所になっている。今すぐにでも素直に「こちらこそ、本当にありがとうございます」と言えれば良かったのだが、紫乃の胸に訪れた小さな不安がなかなかそうさせてくれない。
というのも、この「紫乃ちゃんありがとう」の流れは「でもね、感謝はしてるんだけど、私は紫乃ちゃんの恋には応えられないの。ごめんね」に容易に連結できるからである。つまりこれは自分がフラれる流れの一部に違いないと紫乃は思ったのだ。そう考えていると、沈みきっていたはずの紫乃の心がさらに重くズーンと哀しみの海におぼれていく。
「おい津久田あかり、今倉木は何をしゃべってるんだ」
舞たちは無事に広場の脇の花壇の陰に到着した。
「紫乃ちゃんありがとう、みたいなことを言ってますね」
「なんだあいつそんなことを言うために鈴原を呼んでたのか」
「違いますよ。告白はこの後するんです。順序ってものがありますよ」
あかりの何気ない返事に舞は一瞬言葉を失った。
「・・・は?」
「はってなんですかぁ。弓奈おねえさまはご自分の言いたい事をしっかり紫乃先輩にお伝えするんです。告白は最後ですよ」
「こ、告白!?」
「・・・どうしたんですかぁ安斎先輩」
「こ、告白って、倉木が・・・鈴原にってこと!?」
「ほ、他に誰がいるんですか?」
舞と舞の友達は顔を見合わせた。彼女たちはとんでもない事実に他のメンバーより数分早く気がついてしまった。
「そ、それって・・・」
「つまり・・・」
「ねえ紫乃ちゃん・・・」
「は、はい・・・」
いよいよフラれるのかと紫乃は覚悟を決めた。
「念のため・・・念のためなんだけどさ・・・」
「な、なんですか」
弓奈は紫乃から目を逸らさない。紫乃も弓奈から目を逸らせない。
「前にも訊いた質問なんだけど・・・もう一回訊いていいかな」
いったいどの質問なのか紫乃には心当たりがない。
「ど、どうぞ・・・」
「そ、そっか・・・じゃあ質問するけど・・・」
弓奈は微笑みながらさらに大粒の涙をこぼして言った。
「紫乃ちゃんは・・・女の子に恋したりしないよね」
紫乃の心臓は今までにないくらい激しく鼓動した。これは二人が初めてしゃべった日、校舎の屋上でされた質問である。
「そうなんだよね? 紫乃ちゃんは・・・女の子を好きにはならないんだよね?」
どうも様子がおかしい。自分が想定していたフラれるまでの流れと違う雰囲気を感じて紫乃は混乱した。なぜ今弓奈が泣いているのか、なぜこんな質問をするのか・・・紫乃にはサッパリ分からないのである。
一方弓奈はこれまで戦ってきた切ない恋の痛みの最後の波に襲われていた。伝えたくても伝えられない・・・近くて遠い・・・見えるのに届かない・・・すべての哀しみが今弓奈のハートを一挙に攻撃している。しかし今日の彼女は負けない。たとえフラれたとしても、大好きな紫乃ちゃんに嘘をついたまま、ニセモノの友情だけでなんとなく手を繋いで卒業なんてしたくない・・・「ありがとう」という気持ちが、弓奈の心の一番切なくて、恥ずかしくて、大事なところを紫乃に見せる勇気を与えてくれたのだ。
つまり、愛の正体は「ありがとう」ということになる。
「紫乃ちゃん・・・私は・・・」
非常にいいタイミングで、風に乗ってささやかなメロディが聴こえてきた。弓奈の勇気の最後のあと押しをしてくれる音楽である。これはホール三階の陸橋で石津さんと香山先生がそれぞれギターとヴァイオリンを使って奏でてくれているものだった。
弓奈はそれがうれしくてもうひと雫だけ涙を落としたあと、紫乃の手をそっと頬に当ててやさしく、けれど彼女にはっきり聴こえる声でこう告げた。
「私は・・・あなたが好きです・・・」
紫乃はハッと息を吸って固まった。そして空からは弓奈がこれまで我慢していた紫乃への愛の言葉のごとく、雪が次から次へと降り始めたのだ。
「紫乃ちゃんが・・・好きです・・・私・・・紫乃ちゃんが好き。大好き」
雪はどんどん降ってゆく。
「紫乃ちゃんのこと・・・好き・・・好き・・・大好き・・・大好き・・・」
弓奈は紫乃の手を優しく両手で包みながら、真っ直ぐ目を見て、何度も何度も紫乃に愛の告白をした。
「好き・・・好き・・・好きだよ・・・大好きだよ・・・紫乃ちゃんのこと・・・ずっと前から・・・大好き・・・大好き・・・本当に・・・大好き・・・」
ギターとヴァイオリンの音色が真っ白い雪と溶け合って少女たちの心に降り積もっていく。
「フラれてもいいから・・・ちゃんと言ってみたかったの・・・大好きですって。びっくりしちゃったかな・・・」
弓奈は泣きながらニッコリ笑った。
「ゆ! 弓奈おねえさまがついに告白しましたぁ! 紫乃先輩の反応は・・・意外と薄いですねぇ」
これはやっぱりフラれちゃうのかなとあかりはがっくり肩を落とした。
「い、いや・・・あれは・・・」
紫乃の気持ちを知っている舞には分かる。あれは反応が薄いのではなくあまりの衝撃に心も体もどこか遠い世界に取り残されているのである。紫乃が現実を理解するまではしばらく待つ必要がありそうだ。
「おい津久田、蒔崎、魚、よく聴け。今からお前らに重要な連絡をする・・・」
舞はあかりたちを集めて花壇の陰でひそひそ話の緊急会議を開いた。
紫乃はこのとき、時間が止まっていた。
それは弓奈の告白のあまりの衝撃のせいで、脳を守るために神経活動のリミッターが作動したためである。しかしそんな脳内情報整理タイムも、非常に単純明快な解答に辿り着く事であっけなく終わることになる。つまり弓奈が先程から紫乃に言っていることの意味は「あなたのことが好き」に他ならないのだ。
「え・・・あ・・・」
ようやく紫乃が息をし始めた。
「あ・・・は・・・ひ・・・」
息と呼べるか怪しい息である。
「は・・・あ・・・い・・・う・・・」
紫乃は顔を真っ赤にして奇声をもらしながら、弓奈の真っ直ぐな瞳と降りしきる白雪、そしてやさしい音楽の真ん中で立ち尽くした。私も好き・・・そう言えば全てが、なにもかも全てがうまくいくというのに、この人生最大のチャンスがあまりに急に訪れたものだから全く声が出なくなってしまったのだ。3年間、いや、17年間貫いてきたキャラクターをこのような土壇場で急に曲げて素直になれるほど紫乃は器用な人間ではない。完全に壁にぶつかってしまったのである。
「鈴原ぁー!」
このまま何も言えずに弓奈と別れることになるのかと思った矢先、三日月のオブジェの背後から聞き覚えのある声援が聴こえてきた。
「鈴原ぁ! がんばれ! もうちょっとじゃんかよお!」
「そうだよ鈴原さん! がんばって!」
舞と舞の友達である。
「紫乃先輩! 安斎先輩から全部話は聴きました! もう少しです! がんばって! がんばってくださぁい!」
あかりも泣きながら飛び出してきた。鼻水は拭いたほうがよい。
「す、鈴原様! 今度は鈴原様の番なんです! 今まで隠していたお気持ち、打ち明けてみてはいかがでしょうか!」
美紗も彼女なりの声援を飛ばした。
「おねえちゃん・・・!」
人魚姫っぽい妹も応援している。
紫乃は今まで我慢していた涙が一気にお目々に駆け上がってきて困った。それでなくとも声がでないのに泣いていたのでは言えるセリフも言えなくなってしまいそうである。
しかし、所詮言葉は言葉、気持ちは気持ちである。口が達者な時はなかなか表に出ない本当の気持ちが、言葉が全く使い物にならない瞬間に限ってしっかりと顔をだしてくれるものなのである。
紫乃は涙のせいで肩で息をしながら、必死に声を出した。
「ゆ・・・ゆ、ゆみなさん」
「うん・・・なぁに・・・紫乃ちゃん」
弓奈はあかりたちの声援の意味がよく分からず多少混乱しているのだが、紫乃の言葉を聴き逃すまいとしっかりと耳を澄ませた。どんどん降っていく雪がモニュメントのまばゆいライトの中で真っ白に輝きながら二人を包んで回った。まるで二人の春を待ちきれず遠い恋の国から集まってきた桜の花びらたちのようである。
紫乃の頭の中に今までの弓奈との思い出が一気によみがえってきた。
「紫乃ちゃん」
ヴァイオリンとギターが一瞬だけ演奏を止めた。
「私、紫乃ちゃんのことが好きです」
改めてささやかれた愛の言葉に、もう紫乃は我慢が出来なかった。
「私も・・・!」
紫乃は弓奈の手を振りほどいて一歩後ろに下がった。
「好ぅきぃー!!!!!!!!!!!!」
そしてこう泣き叫びながら助走をつけて思いっ切り弓奈に抱きついたのだ。
「やったああああああああああああ!!!!!!」
二人を囲んであかりたちは大騒ぎである。
「弓奈おねえさまぁ! 紫乃先輩は、ずーっとおねえさまのことが大好きだったんですって!」
「そ、そうなの!? ほんとに!?」
紫乃は弓奈の胸に思い切りしがみつきながら「今まで嘘をついていてごめんなさい・・・!!」「弓奈さん大好き、大好きです・・・!!」と何度も繰り返した。人生というやつは本当に何が起こるか分からない。弓奈は気持ちの整理が全くつかないが涙だけはどんどん溢れた。
そしてどういうわけか、ここでとんでもない量の花火が夜空に打ち上がった。湾に沿って発射台が設置されてあったらしく、一瞬昼間のような明るさになった。
「キャー!!! ステキですぅ!!! なんの花火ですかぁ!?」
「わかんねぇ!」
わかんないけどとりあえず彼女たちは弓奈と紫乃を囲んで抱きしめ合った。二人は花火の音に紛れてわんわん泣いた。全てを出し尽くし、それぞれが心に抱えていた厚く高い壁を乗り越えたことによる安堵の涙だったのかもしれない。
「あらあら、奇麗なお顔が台無しよ。弓奈ちゃん、鈴原さん」
ちょっとしたゲストの登場である。陸橋から優雅に歩いてきたのは、髪型を随分サッパリさせているが紛れも無くあのねえちゃんである。
「会長さまぁ!」
「んもぅ、今の会長はあなたでしょう、あかりちゃん」
小熊アンナである。
「こ、小熊先輩・・・! どうしてここへ!?」
「あら弓奈ちゃん。私の大好きな弓奈ちゃんが運命の女の子に告白する日を私がチェックしてないわけがないでしょう?」
実は先程あがった花火はすべて小熊先輩が用意したものだったのだ。美術の大学で花火の火薬を調合するかどうかは不明である。
「小熊先輩・・・あの写真・・・」
「あら、なんのことだったかしら。それよりあかりちゃんたち」
「はーい!」
「弓奈ちゃんと鈴原さん以外は私と一緒に音楽鑑賞の続きへ行くわよ」
「えー・・・つまんないです!」
「文句がある子はいたずらしちゃうわよ♪」
「キャー! すてきですぅ!」
「いいからおいで♪」
小熊先輩は弓奈たちを二人きりにさせてくれたのだ。なんて素晴らしい先輩だろうか。
「先輩さまぁ、弓奈お姉様が歌手のAkaneとお友達だったって知ってました?」
「あらぁ、もちろん知ってたわよ♪」
弓奈が一年の時の学園祭でただ一人、マスクをして現れた石津さんに対して「あなたのような方にこんなところでお会いできてとても光栄ですわ」と発言した金髪の天才少女がいる。
「弓奈くーん! 私たちも音楽祭に戻る! また今度アパートへ遊びに来てくれ!」
石津さんともしばしのお別れらしい。それにしても石津さんは本当にいい声をしている。
「は、はい! ホントにホントに、ありがとうございました!」
さて、これらのやり取りの最中もずっと紫乃は弓奈にずっとしがみついており、先程のような大声ではないにしろしくしく泣いている。弓奈もまだこれが現実なのか夢なのかほとんど区別がついておらず、心の上半分がふわふわと浮き上がっているような感じがしている。
「紫乃ちゃん・・・」
「ん・・・」
「大丈夫?」
紫乃は弓奈の胸に顔をうずめたままそっとうなずいた。
「ベンチ、座ろっか」
紫乃はまた黙ったままうなずいた。
雪はいつのまにか小降りになっており、広場にもうすばらくいても問題なさそうである。弓奈がベンチに座ると、紫乃はその左側に腰掛けた。そしてゆっくり弓奈のほうにもたれかかってきて、おでこを肩の辺りに当てた。顔を見られるのが恥ずかしいのである。
弓奈は先程の告白が現実のものか確かめるためにちょっとだけ紫乃に訊いてみることにした。
「し、紫乃ちゃん」
「はい?」
紫乃ちゃんの声がいつもよりちょっと高い。
「私のこと・・・好きだったって・・・本当?」
紫乃は黙ったままうなずいた。おでこが肩についたままなので弓奈は非常にドキドキしている。
「ずっと前から?」
紫乃はまたまたうなずいた。肩がとてもくすぐったい。
「わ、私もね・・・ずっと好きだったよ」
そう言うと紫乃は甘えた子猫のように弓奈の腕におでこやほっぺをすりすりした。弓奈は全身が熱くなってしまった。
「紫乃ちゃんは・・・かっこよくて・・・かわいくて・・・クールなんだけどホントは友達想いで優しくて・・・その・・・大好き」
紫乃はお手手を使って弓奈の腕にぎゅっとしがみついて、肩のにほっぺを押し当てた。
「だから今日・・・すごく嬉しかった。今までつらい想いさせて・・・ごめんね・・・」
紫乃は首を横に振った。甘えん坊モードの紫乃ちゃんはやたら無口である。
「紫乃ちゃん・・・お願いがあるんだけど・・・いいかな」
紫乃は引き続き弓奈の肩に頬擦りしている。
「さっきみたいに・・・正面からぎゅって、していい?」
そう言うと紫乃はゆっくり体を起こしてくれたが、やっぱり顔を見られたくないらしくうつむいている。弓奈はベンチに座ったままちょっと体を紫乃のほうへ向けた。
「はい、いい? ぎゅってするよ」
紫乃が動かないので弓奈のほうから抱きしめにいった。紫乃は厚着をしているが本体はかなり華奢なので抱きしめると案外かさが減る。
「・・・も、もうちょっとこっち来てくれる?」
顔を真っ赤にしながら弓奈がそうお願いすると、紫乃は弓奈のほうに寄りかかってくれた。腕の中にすっぽりと紫乃の体が収まり、紫乃の細い腕が弓奈の背中に回った。胸と胸がふんわりくっついて、厚着の上からでも気持ちいい。そしてなによりも自分の頬のすぐ横に相手の頬が来たので、とっても良い香りがして二人はゾクゾクした。
そのまま弓奈と紫乃はこれまでのお互いの妙な距離感を埋め合わせるようにぎゅっと抱きしめ合い続けた。もう離れない、放さない・・・そんな熱い想いがお互いの体を血液と一緒にぐるぐる巡った感じだった。とっても、とっても幸せな時間だった。いつの間にか二人は嬉しさのあまりしくしく泣いていたのだが、それも乾くほどに長い時間抱きしめ合った。
抱きしめ合う最中、ちょっと弓奈の頬が紫乃の頬に触れると紫乃はビクッとしていた。とにかく紫乃は恋の刺激に慣れていないのでちょっとしたスキンシップにも大緊張なのである。
「紫乃ちゃん・・・もうひとつお願いがあるんだけどさ」
弓奈はそっと目を閉じ、耳を真っ赤にしながらささやいた。
「チュウしちゃ・・・だめかな・・・」
無口な甘えん坊モードの紫乃ちゃんはしばらくなにかを考えていたが、やがて弓奈の背中に回した手にぎゅっと力をいれてさらに強く弓奈を抱きしめた。これはオッケーの合図なのだろうか。
「いい?」
そう尋ねると紫乃はゆっくりゆっくりうなずいた。
一度お互いの腕から離れて二人は向かい合った。
弓奈は幼い頃の経験から自分の唇に妙な魔力が備わってしまっていることを知っている。なのでそんな自分がいきなり紫乃ちゃんの唇を奪ったら、彼女は倒れてしまうに違いない。それは困る。
しかし弓奈はどうしても紫乃とチュウがしたい・・・キスがしたかったのだ。そしてそれは紫乃も同じである。紫乃はもう微熱レベルで体中が燃えているのだが、もっともっともっと弓奈さんに触れて欲しかったのだ。
「じゃあ・・・紫乃ちゃん」
紫乃は前髪を小さな手で整えた。
「まずさ・・・その、おでこでいい?」
紫乃はそっとうなずいた。弓奈はゆっくりゆっくり紫乃のおでこに顔を近づけた。紫乃は緊張のせいで心臓の鼓動に合わせてベンチが揺れているような錯覚を覚えた。
『チュ』
紫乃は一瞬で呼吸が乱れた。おでこに残っている弓奈の唇のぷるぷる柔らかな感触が胸をきゅうっとしめつけて放さない。
「だ、大丈夫?」
紫乃はこくんとうなずいた。初めての紫乃ちゃんのお肌の味に弓奈のほうもドキドキが止まらない。
「つ、次は・・・ほっぺでいい?」
紫乃はうなずくより早くほっぺをこちらに向けてくれた。雪みたいに白いほっぺが桜色に染まっているのがとっても美味しそうで、弓奈は頭がくらくらした。
「じゃあ・・・いくね」
弓奈はゆっくりゆっくり紫乃のほっぺに寄り、やさしく唇を押し当てた。
『チュ』
紫乃の呼吸がまたまた乱れた。50メートルくらい走ってきたのではないかという息づかいである。
「だ、大丈夫?」
紫乃はまたうなずくより早く、反対のほっぺを弓奈に向けた。こっちもチュウして欲しいのである。
「じゃあ、こっちも・・・するね」
弓奈はゆっくりゆっくり紫乃の頬に顔を近づけた。
『チュ・・・チュ・・・』
あまりに美味しいのでこっちのほっぺは二口も食べてしまった。紫乃はまた呼吸を荒げたがとっても、とっても幸せだった。弓奈さんにならもっともっと食べられたいと思ってしまった。
「じゃあ・・・紫乃ちゃん・・・ここ、いい?」
紫乃はきゅっと唇を結んだ。
「大丈夫?」
紫乃はうなずいた。
弓奈は紫乃の腰に左手を回して、なるべく彼女にくっついた。
「紫乃ちゃん・・・」
紫乃は恥ずかしがってうつむいたままである。
「紫乃ちゃん、こっちむいて」
右手でほっぺをくすぐると紫乃は自分からほっぺを手にすりすりしてきた。
「こっちむいて」
でもやっぱり恥ずかしいらしい。
「えい・・・」
弓奈がマフラーをよけて紫乃の下あごにやさしく指を添えてあげると、紫乃はゆっくり顔をあげてくれた。
「紫乃ちゃん・・・」
弓奈がまっすぐ目を見つめると、紫乃も弓奈から目が放せなくなった。例のハッピーなブラックホールである。
「好きだよ・・・紫乃ちゃん・・・」
紫乃は全身がとろけてしまいそうだった。
「私も・・・好きです・・・」
『チュ』
世界レベルの美少女弓奈からの口づけはやはり紫乃には刺激が強すぎたらしく、唇と唇をやさしく触れ合わせた瞬間に彼女の全身の力は一気に抜けてベンチの上でひっくり返ってしまった。
「し、紫乃ちゃん!? 大丈夫!?」
「・・・だ、だ、大丈夫です」
しばらくは練習が必要らしい。
さて、二人きりのラブラブな時間は結構だが、実はこれら全て行為は小熊アンナが昼間のうちにこっそり仕掛けていたカメラによって撮影されていたのだ。二人だけにさせてくれた小熊先輩の優しさの半分はヨコシマな想いでできていたということになる。




