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143、モチ肌

 

 紫乃はぐったりしていた。

 生徒会室のソファはよく妹が巣を作っている場所だが今日ばかりは自分のものにさせてもらうしかない。とにかく体が芯から重いのだ。

「うー・・・」

 弓奈に自分の恋心がバレてしまった、紫乃はそう勘違いしている。そして今日の日中に弓奈がしゃべり掛けてくれなかったのはきっと自分に失望しているためだと思ったのだ。

 そういえばさっき生徒会室に来る前に廊下であかりたちに会った気がするのだが、何をしゃべったか紫乃は覚えていない。とてもではないがあんなハイテンションな少女のおしゃべりについていける精神状態ではないのだ。あかりたちは好きだが、今日だけは一人にして欲しかったのだ。

 昨夜彼女は布団をすっ被って声を必死におさえながら一晩中泣いておりほとんど眠っていないため、体のだるさに紛れて睡魔がじわじわ紫乃に迫ってきた。

「うー・・・」

 紫乃は唸りながら仮眠をとることにした。



「おーい、鈴原いる?」

 仮眠はおよそ30秒で終わってしまった。生徒会室になぜか自分を探しに来た女がいるのだ。紫乃はもう生徒会長ではないのにここへ探しにくるあたりどうやら訪問者はあまり賢い少女ではない。

「開けるよーん」

 居留守を決め込んでいたのに少女が勝手にドアを開けて入ってきた。鍵をかけておかなかった紫乃の失態である。

「あ、鈴原いるじゃん」

 入ってきたのは舞である。いつもの友達も一緒らしい。

「なんでそんな砂浜に打ち上げられたアザラシみたいな格好してんの?」

「うー・・・」

 紫乃にはおしゃべりする元気がない。

「うーじゃないよ。あんた今日の掃除の時間違えてうちらのクラスの掃除ロッカーのちりとり使ったでしょ。C1組のロッカーに2個入ってたよ。道具が無くなったってんでうちらが叱られたんだけど」

「うー・・・」

「うーって・・・鈴原? なんかあったの?」

 ここでさすがの舞も紫乃の異変に気づいた。いつもの紫乃なら背筋を伸ばして華麗なる論理のトリックを展開し舞を言いくるめて自分の失敗を揉み消すはずだが、いつまでも彼女はアザラシのままである。

「こいつモチ肌だなぁ」

「やめなよ舞・・・」

 ほっぺをつついても反応がない。どうやら深刻な症状らしいことに気づいた舞はふざけるのをやめて、紫乃の頭を撫でてあげた。

「どうしたんだよ」

 紫乃はうつぶせのまま動かない。

「もしかして倉木のこと?」

 紫乃の肩がビクッと動いた。図星である。

 今の舞には恋による胸の痛みがどんなものかよく分かる。つらい経験を乗り越えてちょっぴり大人になっている舞は、紫乃をなぐさめてあげられるだけの思いやりを持っていた。

「話してみなよ。うちらでよかったら力になるよ」

 舞は紫乃の髪を撫でながらそうささやいた。紫乃にはもう強気な態度を演じる気力が残っておらず、おまけに思いがけず舞がとても優しいので枯れたと思っていた涙がまたこみ上げてきた。

 根拠はなかったが、舞たちになら自分の身の上について正直に話しても大丈夫かもしれないなと紫乃は思った。おそらく恋のライバルだった者同士が無意識下に抱く友情のようなものがそう思わせたに違いない。

「じ、実は・・・実は・・・」

 紫乃は入学以来その小さな胸に抱え続けた自分の恋について、そして日曜日での一件についてを全て舞たちに話した。



「なるほど・・・そいつぁ、つらかったね」

 舞はひどく共感した。つい最近まで自分も秘密裏に人を想い続ける切なさを経験していたからだ。

「・・・驚かないんですか」

「ん?」

「私が・・・弓奈さんのこと好きだったっていうことに」

「ああ・・・お、驚いたわ! マジで!」

 本当は学園祭のステージの上で既に気づいていたが紫乃の名誉のために舞はそう答えた。ちなみに舞の友達のほうはこの時初めて紫乃の恋について知ったので大変驚いたのだが、彼女の適応力と気の使い方は全国平均を大きく上回っているため敢えておとなしく黙って紫乃たちの様子を見守った。

「そんな訳で・・・私は弓奈さんに嫌われてしまいました。もうおしまいです」

 紫乃はうつぶせのまましくしく泣いている。この体勢でどうやって呼吸しているのかは不明である。

「気持ちはよぉーく分かるんだけどさ・・・でもなんか、そう諦める必要もないんじゃないかな・・・」

「あります・・・もう嫌われちゃいました」

「いや・・・なんだろう。なんか裏がありそうなんだよね」

 舞は日曜日のデートの話を聴いてどことなくしっくりこない感を覚えていた。なぜ弓奈がそんなデートみたいなお出かけに紫乃を誘ったのか。そして弓奈が紫乃の抱える自分への恋心に気が付いてショックを受けたとして、それは旅先で一時間も涙を流すほど強烈なものだったのだろうか。何か本当の理由が別にありそうな気がしたのだ。

「おいアザラシ」

「・・・アザラシじゃないです」

「ネコ」

「・・・ネコでもないです」

「んじゃ鈴原」

「はい」

「たぶんだけどさ、鈴原が考えてるより複雑な状況なんじゃないかな」

「複雑・・・?」

「うん。もう一回しっかり倉木と話をしたほうがいい気がするぞ」

「うー・・・」

 紫乃は返事だかうめき声だか分からない声を漏らした。

「元気出せよぉ・・・」



「紫乃ちゃん・・・いる?」

 舞が友達と一緒に紫乃の後頭部を撫でまわしていると、不意に誰かが生徒会室の前にやってきた。

「紫乃ちゃん・・・いるかな」

 弓奈である。彼女は一枚の写真とあかりたちの活躍によって再起し、ここへ来たのだ。

「舞! 倉木さんだよ」

「おい鈴原、倉木が来たみたいだぞ」

 紫乃は慌てて体を起こし、ソファの回りをぐるぐる走り回ったのちテーブルの下に隠れてしまった。

「なにしてんの鈴原」

「弓奈さんに・・・合わせる顔がないです・・・」

 今日の昼間は弓奈がしゃべり掛けてくれないことがとても悲しかったのに、いざ彼女のほうから来てくれると今度はどんな顔をして会えばよいか分からない。紫乃はテーブルの下で頭を抱えて横倒しになった玉子のように小さく丸まった。禁断の恋を悟られてしまったと思っているのだからこうなってしまうのも無理はない。

 紫乃がその華奢な体格を生かして隠れ身の術を披露したとて、舞と舞の友達もこの居留守作戦に乗るとは限らない。二人は顔を見合わせて、本当に紫乃のためになるのはどちらの選択なのかを真剣に考えた。

「倉木、鈴原なら中にいるよ」

 そして舞はドアを開けたのだった。 

「あ、ありがとう。おじゃましまーす・・・」

 あかりの情報通り生徒会室に紫乃はいたが、舞たちもいるとは思ってなかったので弓奈は少し驚いた。

「し、紫乃ちゃん?」

 紫乃はテーブルの下で顔を伏せたまま小さくなっている。弓奈は彼女と話をするためにしゃがんでテーブルの下に潜り込んだ。

「紫乃ちゃん、ちょっとお話していい?」

「は・・・はい」

 返事をして貰えて弓奈はとてもほっとした。顔を合わせてはもらえないが、これでも充分である。

「あのね・・・今回のことは、ごめんね」

 紫乃は顔がアツくなった。むしろ謝りたいのはこっち方だと紫乃は思った。

「べ、別にいいです・・・」

「・・・ほ、ホントに?」

「・・・はい」

 舞たちは口笛を吹きながら本棚に並べてある学園のパンフレットなどを開いて弓奈たちの会話を聴いていないフリをしながら耳はしっかりそばたてていた。

「それでね・・・今度紫乃ちゃんに・・・大事なお話をしたいの」

「は、はい」

「クリスマスイブにさ、行くでしょう? 音楽祭。その時にどういうタイミングでもいいんだけど、私と二人きりになってくれないかな」

「ふ、二人きりですか」

「うん・・・大事なお話があるの。いいかな」

「わ、わかりました」

「そっか、よかったぁ」

 弓奈は元気のない紫乃ちゃんの頭をなでなでしてあげたかったが、日曜日に「そういうことは嫌いです」と言われてしまったばかりなので思いとどまった。ここは大人しく帰るしかない。胸がきゅっと冷えるくらい切なかった。

「そ、それだけなの。それじゃあ、また今度ね」

 弓奈は持ち前のド根性で笑顔を作りながらそう言って舞たちにも手を振りながら生徒会室を去っていった。弓奈は本当に頑張った。



「鈴原、もうあいつ帰ったよ」

 舞に呼ばれて紫乃がのそのそとテーブルから這い出してきた。

「よかったじゃん。二人だけでゆっくり話できる機会ゲットしたね」

「大事な話って言ってました・・・」

「んー、なんだろうなぁ」

「きっと・・・改めてハッキリとフラれるんです・・・紫乃ちゃんの気持ちは嬉しいけど、やっぱり私は女の子同士の恋はできないの、本当にごめんね、みたいな話です・・・」

 随分とリアルなセリフを思いつくものである。

「・・・そんなことないって」

「そんなことあります・・・」

「音楽祭の会場はいい感じのデートスポットなんだって。付き合えませんごめんなさいって言うためにそんなところをわざわざ選ぶわけないじゃん・・・もしかしたら、オッケーの返事かも」

「でも・・・今の弓奈さんはそんな感じの雰囲気じゃなかったです・・・」

「まあ・・・たしかにそうだけど・・・」

 どんどん暗い顔をしていく紫乃を見かねて、思わず舞は彼女の肩を後ろから抱いてしまった。

「元気出るまでそばにいるかさぁ・・・元気だせってぇ・・・」

「そうだよ鈴原さん。ちゃんとお話できるチャンスができたんだから、倉木さんに伝えたいこと、何かあるなら24日までにしっかり考えておかなきゃね」

 舞に抱きしめられ、舞の友達に頭を撫でられ、紫乃はまた目頭がきゅうっと熱くなった。こうなるともう涙は止まらず、紫乃の呼吸のペースなど無視してポロポロと目から雫がこぼれていった。しかし二人は本当に紫乃が泣き止むまでずっと一緒にいて頭を撫でてくれた。

 しばらくして多少の落ち着きを取り戻した紫乃は、二人にくっつかれたままの体勢がだんだん恥ずかしくなってきた。

「も・・・」

「ん?」

「もう大丈夫ですから・・・離れてください」

「お、そうかいそうかい」

 そろそろ寮に帰るべき頃合いだが、その前に紫乃は舞たちにお礼が言いたい。おそらく二人がいなかったら弓奈が来てくれたときに居留守をしていたはずだから、クリスマスイブの約束ができなかったはずである。明日以降の学舎でも紫乃が「合わせる顔がない」とか言って弓奈から隠れまくっていたとしたら約束をするチャンスなんてなかったかもしれない。そしてなによりも彼女たちの腕と手のひらの温もりに救われたことにも感謝しなければならない。

「あの・・・」

「ん?」

「あ・・・ありが・・・」

 言葉は詰まってしまったが気持ちは舞たちに通じた。舞は白い歯をキラキラさせて笑いながら紫乃のほっぺを人差し指でつついた。

「お前、やっぱモチ肌だなぁ」

「・・・う、うるさいです」

 本当にいい友達を持ったなと紫乃は思った。

 

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