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135、Snow Bath

 

 紫乃ちゃんはお口が小さい。

 ご飯をもぐもぐしている様子はまるで小動物のようにカワイイので弓奈はほうれん草のソテーの香りの合間に彼女をじろじろ見てしまった。食堂で過ごすひとときはとても幸せである。

「パンはパンでも食べられないパンはなぁーんだ! はい美紗ちゃん」

「わ、私ですかぁ!?」

 隣りの席のあかりちゃんが弓奈のミニオムレツにケチャップのハートを描きながらみんなにクイズを出した。どうでもいいが食堂でごはんを食べていると、弓奈を見たくて寮から出て来た色んな学年の少女たちがテーブルの周りにちゃっかり集まっていて妙な光景である。

「も、もしかして、フライパンでしょうか」

「ブー」

「ひぃっ」

「正解は、消費期限が三日くらい過ぎたパンでしたー」

「なるほどぉ!」

 美紗ちゃんはわるい人にだまされるタイプである。

「あかりさん。いい加減なことを美紗さんに教えちゃダメです」

 正義の味方紫乃ちゃんが口をはさんだ。やっぱり紫乃ちゃんは頼りになるなぁと弓奈は思った。

「消費期限は賞味期限と違ってかなり繊細な表記です。半日過ぎたらもう食べないほうがいいです」

「わかりました! 美紗ちゃん、正解は消費期限が半日以上過ぎたパンでしたー」

「お、お勉強になります!」

 なんかおかしな話になってるけどまあいいかと弓奈は思った。みんなで食べるご飯が美味しければそれでいいのである。

 弓奈は友達に恵まれてはいるが、それは同時に紫乃と二人きりになるチャンスが非常に少ないことを意味している。休日などにどこかへ誘えば問題ないのだが、この忙しい時期に生徒会長の紫乃ちゃんを連れ出せるような立派で魅力的な用事を弓奈はまだ思いつけずにいる。紫乃への告白のチャンスはとりあえず学園祭が終わってから探したほうがよさそうだ。

「そう言えばお姉様、紫乃先輩。劇のラストシーンは決まりました?」

「まだです・・・」

「んー、私は主人公と王子様がキスするのがいいなぁって思いますよ」

「そういう意見が多いですがまだ未定です・・・」

 メンバーの三分の二が三年生演劇に従事するため今年の生徒会の出し物はなくなった。どうしたって生徒会ファンは演劇を見に行くので問題はない。

 生徒会としての出し物が無くなった代わりに、あかりと美紗には学年を越えて演劇の補助スタッフとして参加してもらうことになった。ちゃっかり生徒会員に美紗が混ざっているが、「これも修行だ!」などと騒ぐあかりによって多数の事務を任されてきた彼女は今ではあかり以上に仕事ができる優等生になってしまったので仕方ない。彼女には今度の選挙で正式な生徒会員になってもらうことになっている。

 で、そのスタッフの一人であるあかりが言うには、劇の最後は少女と王子様のチュウがいいらしいのだ。色んな童話やおとぎ話があるが、特に西洋のお話では物語にロマンチックさとメリハリを出すためにキスという要素を放り込むことが多い。この学園で行われる演劇にも三年に一回くらいの割合でヒロイン役の女の子と王子様役の女の子が舞台上でキスをしている。今年の劇は恋の物語であり、割と素直なハッピーエンドなのだからやはりチュウをさせるべきだという主張である。

「脚本のあの感じなら、やっぱりキスするべきだと思いますけど。ダメなんですかぁ?」

「ダメです・・・」

 キスと言ってもこれは学園祭の演劇なので本当に唇を重ねるわけでなく、ぎゅっと抱きしめ合って鼻先をちょんとくっつける程度でなのだが、紫乃に言わせてみればそんなこと絶対に「ダメです・・・」なわけである。ライトに弓奈に恋をしている層にしてみれば憧れの弓奈様が演出上でロマンチックな姿を披露してくれるのは大歓迎なわけだが、真剣に弓奈に恋している紫乃はどうしても王子様役の舞に妬くのである。監督としてさっさと決めなければいけないのだが彼女にとっては厳しい選択である。



「うわぁ、寒い」

 弓奈と紫乃が枯れ葉の吹きだまる桜並木の夜道を三年生寮に向かって歩いていると、冷えた北風がスカートの中を過ぎていった。食堂でおかわり自由の温かいスープをもっと飲んでくればよかったと弓奈は後悔した。朝晩はやはり冷える。

「寒いねぇ」

「寒いと思うから寒いんです・・・」

 そう言いながら紫乃は弓奈よりもガタガタ震えている。紫乃は暖炉の前で丸くなって暮らす生き物なのである。

「そうだ、また一緒に大浴場行ってあったまろっか」

「えっ!」

 紫乃は細い肩をビクッとさせた。急にそんな心の準備はできない。

「きょ、今日は忙しいので・・・やめておきます」

「そ、そっか」

 自分で誘っておきながら紫乃が断ってくれて弓奈はほっとした。あまり深く考えずに誘ってしまったので弓奈も心の準備ができていない。

 寮の廊下で紫乃と別れて自室に戻った弓奈は鏡の前でぼーっとしていた。先程自分の口から出た大浴場というキーワードの魅力に取り憑かれて、自分の部屋のバスタブにお湯を張りあぐねているのである。こんな日に大きな湯船に全身を浸けたらさぞ気持ちいいだろうなと思うのだ。

 初めて弓奈が大浴場を利用したのはおよそ一年前、まだ彼女が紫乃への恋心に気づいていなかった頃のことである。あれ以降も弓奈はひと月に一回くらいのペースで香山先生オススメの貸し切りタイムにこっそり入浴しており、自室のお風呂では味わえない開放感を楽しんでいる。今夜も出掛けようかなと弓奈は思った。

 お風呂セットを桃柄のビニールバッグに詰め、ブレザーの下にセーターを着込んだ弓奈は時間を見て寮を抜け出した。



 人に会わないようにしようと第三管理棟の裏を回って大浴場に向かっていると、白いベンチに何やら見覚えのある人影を見つけた。ふわふわ素材のジャケットを着込んで雪ん子みたいになった小さな小さな女の子である。

「雪乃ちゃん、こんばんは!」

 弓奈に気づいた雪乃ちゃんが目を輝かせてぱたぱた走ってきたので弓奈は彼女を抱っこしてあげた。巨大魚のぬいぐるみも一緒なので抱きしめるとかなりボリュームがある。

「お星様見てたの?」

「うん。弓奈はどこ行くの?」

 本当に少しずつではあるが、この二年間で雪乃ちゃんはおしゃべりが上手くなっていっている。

「今からお風呂。この時間は貸し切りなんだよ」

「かしきり?」

「私以外誰もいないの」

 ここで弓奈はひらめいた。広いお風呂に浸かる幸せを雪乃ちゃんにも分けてあげようと思ったのだ。

「そうだ、一緒にお風呂行く?」

 雪乃ちゃんは白いほっぺを桃色に染めた。

「一緒に、行こっか」

「うん」

 雪乃ちゃんはぎゅっと弓奈に抱きついた。



 脱衣所はお風呂屋のような心地いい湯気の匂いが香っている。

 相手は紫乃ちゃんではなく雪乃ちゃんなので弓奈は割と平気で服を脱いでいった。雪乃ちゃんももぞもぞと脱衣していったが、やがて手を止めて弓奈の体をぼーっと見つめ始めた。何か問題でもあっただろうかと弓奈がふと自分の体を見てみると、なんと今日の弓奈は沢見さんから届いた荷物に入っていたセクシーな下着を着ていたのだ。洗濯物のローテーションを失敗してしまったためにやむを得ず身につけた下着だったのだが、弓奈はすっかり忘れてそのままお風呂場に来てしまった。人に見られると知っていたら絶対に着ない下着である。

「い、いつもこういうの着てるわけじゃないんだよ! 今日はホントに、たまたま!」

 雪乃ちゃんはゆっくりうなずいたが、やっぱり視線は弓奈の体に釘付けである。刺激が強かったようだ。

 とはいえ、下着でいくら失敗しようと全て脱いでしまえば問題ない。

「いこっか」

「うん」

 長椅子に乗ったバニウオにバスタオルを掛けて寝かしつけた雪乃ちゃんが弓奈の手をそっと握ってきた。雪乃ちゃんの柔らかい髪が脇腹のあたりをふんわりかすめてドキッとしてしまったことは内緒である。大好きな人の妹なので多少の緊張は避けられない。

 雪乃ちゃんがお風呂椅子をゴロゴロ押して弓奈の椅子にくっつけるので一緒に体を洗うことにした。雪乃ちゃんは非常に孝行な少女で、何も言わずとも弓奈のお背中を流してくれた。弓奈も負けじと雪乃ちゃんの体をごしごししてあげた。ジ・ウェリントンというメーカーのシャンプーを弓奈は愛用しているが、これのボディーソープを使ったのは初めてだった。やはりとてもいい香りである。

 二種類あるお風呂のうち、まず最初に浸かるべきは「花の丘の湯」である。

「ふー・・・!」

 肩まで湯に浸けたとたん、弓奈の桜色の唇から幸せな吐息が漏れた。体の疲れがじんわり溶け出して、心まで軽くなっていく感じがする。

「あったかーい・・・」

 目を細める弓奈の元に雪乃ちゃんがやってくる。初め彼女は弓奈にぴったりくっつくように肩を並べてきた。座高の差があるため雪乃ちゃんは下唇のあたりまで湯に浸かっている。どうかおぼれないで欲しい。

「あったかいね」

 弓奈がそうささやくと雪乃ちゃんはいつにも増して輝いた顔で笑った。濡れているせいで文字通り輝いている。雪乃ちゃんは嬉しそうに弓奈に寄りかかって弓奈の肩に小さなあごを乗っけた。

「弓奈」

「なぁに?」

 お顔がとっても近い。それでなくても雪乃ちゃんは紫乃ちゃんに顔が似ているのだから弓奈は頬が熱くなってしまった。このドキドキを悟られないようにするためには、とりあえず自然な感じで距離をとる必要があると考えた弓奈は、雪乃ちゃんが弓奈の腕をやさしく抱きしめてきたことを利用し、「くすぐったーい!」と言って飛び上がった。雪乃ちゃんはますます楽しそうに笑うと、一度ちゃぷちゃぷとお湯をかき分けながら弓奈から離れてくれた。作戦は成功である。弓奈はほっと一息ついた。

 しかし、弓奈はさらなる緊張を強いられることになる。雪乃ちゃんは弓奈の右ももと左ももの間に滑り込むように、正面から弓奈にくっついてきたのである。

「わおっ」

 異邦人風におどけてみせたが、弓奈は内心非常にビビっている。雪乃ちゃんは弓奈のすべすべの体にぴったり密着してきて、おまけにバニウオを抱きしめる時のようにお手手を弓奈の背中に回してきたのだから。

 しかし、弓奈の首のあたりにほっぺを当てて幸せそうに微笑む彼女に離れろとは言い難く、しばらく弓奈はドキドキしっぱなしでスキンシップを耐え抜いた。そっと雪乃ちゃんの背中に腕を回してあげてみたりしたのだが、何やらいけない気持ちよさを感じてしまったためすぐにやめた。

 しばらくすると、離れるに良い口実が生まれた。お湯やその他諸々の要員によって体が熱くなってきたのである。

「ちょ、ちょっと上がろうか」

 雪乃ちゃんはおとなしく離れてくれた。小さい子のほうが早く体が温まるので仕方ない。

 段に腰掛けて足だけをお湯で温めながら、弓奈は菜の花色の丘の壁画をぼんやり眺めた。ここでふと彼女が思い出したのは、いつだったか紫乃と話した、学園の裏に広がる丘の向こうへ一緒に出掛けようみたいな計画である。学園祭が終わったところで受験前の忙しい時期であることに代わりはないから、優等生の紫乃ちゃんが乗ってくれる可能性は低いが、二人きりのおでかけに誘う持ってこいの計画かもしれないと思った。二人っきりで半日サイクリング・・・なんとも健康的なデートではないか。

 と、弓奈が自分の恋に向かってそこそこ深い思索に耽っているあいだに雪乃ちゃんの興味が弓奈の体に注がれていた。

「・・・ん? どうしたの雪乃ちゃん」

 雪乃ちゃんの目に真っ先にとまるのは弓奈の胸である。弓奈の胸は特別大きい訳ではないが決して小さくない。姉の小振りなおっぱいを見ながら育った雪乃にとってはちょっぴり刺激的な光景だった。

 雪乃ちゃんが彼女の胸のあたりをぺたぺた触りながら弓奈の胸を見つめてくるので、彼女がなにを考えているのか弓奈は容易に把握できた。

「だ、大丈夫だよ。雪乃ちゃんもすぐにおっきくなるよ」

 弓奈も雪乃ちゃんくらいの年のころは例の沢見さんみたいなお姉さんの体に興味があったりしたので不思議な懐かしさを覚える。

「この辺がぷっくらしたらすぐだよ」

「どうすれば弓奈みたいになれる?」

「え・・・」

 雪乃ちゃんは弓奈に憧れているのでとにかく弓奈のような女性になりたいらしい。

 どうすればこうなれるのかと訊かれても、バランスさえ整っていればむしろ胸はもっと遠慮がちなサイズになって欲しかったくらいなので、大きくさせるための手法など心得ていない。

「んー・・・乳製品をたくさん摂るといいような・・・違うかなぁ」

「にゅうせいひん?」

「ミルクだよ」

 そう聞いた雪乃ちゃんはしばらく弓奈と見つめ合ったままお目目をぱちぱちさせていたが、やがてそっと弓奈の胸に向き直り、姉譲りの小さなお口をあーんと開けて弓奈のふわふわなおっぱいに迫った。

「あっ! ・・・ええとね、ミルクっていうのはそういう意味じゃなくって、牛乳とか」

 ぎりぎりで止めることに成功した。雪乃ちゃんはなるほどといった表情でゆっくりうなずいた。いつの間にか弓奈の顔は真っ赤である。



 もうひとつの大きな湯船「青い月夜の湯」に浸かりながら、弓奈は雪乃ちゃんとのんびりおしゃべりした。ここはプラネタリウムの中にいるような不思議な空間なのでちょっとロマンチックな内緒話にも花が咲く。

「そしたらその絵がなんか凄い賞をとっちゃって、賞品でもらったハチミツをたっくさん先輩が分けてくれたの」

「へぇー」

「ようやく最後の一瓶がこの前なくなったけどね、ホントにもう、色んな食べ物にハチミツ使わなきゃいけなくて大変だったの。美味しかったけどね♪」

 星を数えるようにゆっくり優しく話す弓奈の声に、雪乃ちゃんは終止目をキラキラさせていた。雪乃ちゃんは音感や音楽のセンスの他に想像力にもそこそこ長けているので、誰かがしゃべってくれるお話にどこまでも深く入り込み、ともすれば本人以上に色鮮やかに追体験することができる。まして大好きな弓奈の話してくれる物語とあらば、いつまでもいつまでも聴いていたくなる話ばかりだ。

「なんか・・・卒業したくないなぁ」

 ずっと学校の話ばかりをしていた弓奈の胸に不意にセンチメンタルな夜風が吹いた。幸せなのにきりきり胸が痛むあの気持ちである。

 今でこそ弓奈は自分の恋と勉強と生徒会の仕事に大忙しで毎日がめまぐるしいが、夜空のお月様があと数回満ち欠けすればもうこの学園の制服に袖を通さなくなることは紛れも無い事実なのである。教室のざわめきも、体育館の床に差す午後の陽も、夜明け前の寮の静けさも、花壇に咲くコスモスも・・・全てが思い出になる。友達も例外ではないかもしれない。

 雪乃は湯船の中から弓奈の抱える幸福感と切なさを小さな胸いっぱいに感じ取り、湯煙の中に自分が体験するかもしれない不思議な学園生活の姿をぼんやり思い描いてみた。

「弓奈」

「ん、なぁに?」

「学園は、楽しい?」

 弓奈はなぜかとても大事な質問をされた気がして雪乃ちゃんのお目目を見つめ直した。もちろん彼女は紫乃に顔が似ているのだが、こうして見つめ合ってると幼い頃の自分自身に似ている気がするなと弓奈は思った。この時弓奈は、自分が大きな大きな時間の流れの中に身おいていることに気づき、同時にその神秘的な魅力の欠片を雪乃ちゃんの瞳の中に見た気がした。

「うん! すっごく楽しいよ!」

 色んな願いを込めて弓奈が満面の笑みで答えると、雪乃ちゃんも花のようににっこり笑ってくれた。控えめで繊細な日陰の天使雪乃ちゃんのこの時の笑顔が、真夏の太陽に輝く広い丘に背筋を伸ばして立つヒマワリのように見えたのは、おそらく偶然ではないだろう。

 

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