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134、雨音

 

 弓奈は雨の日が嫌いではない。

 すれ違う人と目が合うことを避けながら生きなければならないモテ女弓奈は、傘によって顔を隠す口実を与えてくれる雨の日が割と好きなのだ。あまりザーザー降って靴下が濡れるのはイヤだが、今日のようなしとしと降りは歓迎である。

 まず弓奈は駅前のポストに手紙を二通つっこんだ。一通は姉妹校宛て、そしてもう一通は沢見さん宛てである。沢見さんは弓奈が小学生のときによく一緒に遊んでくれた例のエッチなおねえさんだが、最近また妙な下着を送ってきてくれたので一応そのお礼をしようと思ったのだ。はっきり言ってあんなセクシーな下着いらないのだが、昔の知り合いから連絡がくるのはやはり嬉しい。

 さて、今日のおでかけの本題は石津さん宅訪問である。彼女に会いに行くにはなにか手土産を持っていくと良いかもしれないと思った弓奈は自分のお財布と相談しながらドーナツ屋に寄った。



「石津さーん、こんにちはー」

 錆び付いた外階段を上った弓奈はドアに向かって呼びかけた。

「ピンポーン。こんにちは。いらっしゃいませんか」

 返事がない。さすがの石津さんも忙しい日くらいあるということだろう。色々話したいことがあったし、石津さんの好きなクリスピーチョコリングまで買ったのだが仕方が無い。今日は帰ろうと弓奈は思った。

 すると、ナイスなタイミングでボロボロのビニール傘を差した女性が階段を上ってきた。この哀愁は間違いなく石津さんである。

「石津さーん! こんにちは」

「おお! 弓奈くんか! 久しぶりだな」

 髪が濡れた石津さんはやっぱりオバケっぽい。

「元気そうだな。寄っていくといい」

「ありがとうございます! お邪魔します」

 石津さんは傘を畳んでそのままあっさりとドアを開けた。なんと鍵をかけていなかったらしい。

 床のフライパンを跨いだ石津さんはまず片手に抱えていた電気屋の段ボール箱をこたつの上にドンと乗せた。

「お買い物されてたんですか」

「ああ。家電売り場など久しぶりに行った」

 珍しいこともあるものだ。もしかしたら音楽事務所に提出した例の歌が関係者に好評でお給料を弾んでもらえたのかもしれないなと弓奈は思った。いよいよ貧乏脱出か・・・じっと見つめる弓奈の前で石津さんは箱を慣れない手つきでがさごそと開けた。

「オーブントースターだ」

「と、とーすたーですか」

「そうだ。これからの時代はマルチな活躍ができる品が生き残る。オーブントースターというやつはパンも焼けるが同時に部屋を温めることができるんだ」

 それはそういう機能があるわけではなく単に熱を部屋に放出しているだけである。

「1980円だったんだ。電気ストーブを単体で買うよりも安いに違いない。今年の秋と冬はこれで乗り切るつもりだ」

「なるほど・・・」

 どうやら貧乏からは脱していなかったらしい。

「あ、石津さん。これお土産というか差し入れのドーナツです」

「おおお! ありがたい!」

 石津さんはガタッと身を乗り出した。本当にお腹が空いていたらしい。これはお礼だと言いながら石津さんが出してくれた薄くて温かいレモンティーを飲みながら弓奈もほっと一息ついた。

 雨が窓の外でしとしと降り続けている。なんとなく気持ちも落ち着いてきたのでさっそくだが弓奈は石津さんに恋の相談を持ちかけることにした。

「あの、石津さん」

「ん、なんだ」

 石津さんはほっぺにチョコをつけたまま顔をあげた。彼女はホントに美味しそうにドーナツを食べる。

「実は・・・以前お話した私の好きな人のことなんですが」

「お、ずっと気になっていた。その後どうだ」

「はい、好かれたくて頑張ってはいるんですけどなかなかうまくいかなくって平行線というか。いいお友達のままです」

 恋の話をしている自分が照れくさくて弓奈はなんとなく自分のほっぺを触った。近頃顔が熱くなることが多くて困っている。

「でも、実はそろそろ、機会がれば伝えようかなって少し思ってるんです」

「・・・告白というやつか」

「は、はい。それです」

 弓奈は恥ずかしくって告白という言葉を口に出来ない。

「私・・・こんなこと初めてなんです。だから一人で悩んでるとすごく不安で」

「その気持ちはよく分かる」

「そんなこと自分で考えろって思うかもしれませんが、どんなタイミングですればいいか、少しだけでもヒント頂けませんか・・・」

 石津さんはドーナツをくわえたまま腕を組んだ。

「うーん・・・」

 やさしい雨音を聴きながら弓奈も腕を組んで首をかしげた。すでに弓奈はこれ以上悩めないくらいこのことについて考えてきたので今更頭を使っても更なる名案など出て来ないが、石津さんが自分のために真剣に考え事をしてくれているときに呑気にドーナツをむさぼっているわけにはいかない。

 しばらくすると石津さんはおもむろに立ち上がりベッドで寝ていたギターを持ってきた。歩きながら考え事をする人がいるように、ギターを弾きながらのほうが頭が冴える人もいるのである。石津さんは雨音に溶け込むようなゆるやかな音色で一曲弾き始めた。

 弓奈は随分あとになってから気づくのだが、この時に石津さんが弾いてくれた曲は石川啄木の詞にメロディをつけた初恋という名の歌曲だった。

「・・・ロマンチックな場面での告白がいいというような話を聞くが、これはもしかしたら順番が逆なのかもしれない」

 ポロンポロンとギターを弾きながら石津さんはしゃべり出した。

「順番・・・?」

「うまくいく二人というのは告白のような恋の要所を迎える前に既にドキドキし合っているから、ちょっとしたおでかけもある程度ロマンチックなものになるんだろう。例外はあるだろうがやはり目指すべきは素晴らしいシチュエーションの探索ではなく良好な人間関係の構築そのものだ。人の心に誠実であれば、ロマンチックな場面にも自然に遭遇できるに違いない。この二つが揃った時がおそらくチャンスだ」

 ああやっぱり石津さんは大人だなぁと弓奈は思った。弓奈のせまい考え方では全く顔を出さなかったような理論がポンと出てくる。

「今自分が抱えている恋を大切にしていれば、何気ない休み時間に突然相手に好きですなどとは言えないだろう。君はこの点に心配はいらない」

「は、はい」

 しかし石津さんはここまで語って急にギターを弾く指を止めた。そしてちょっぴり目を伏せて、淋しそうな顔をしたのである。

「どうかされましたか」

「いや・・・昔のことを思い出してしまった」

 昔のことと言えば彼女が高校生だった時のことに違いない。

「誠実であればきっとチャンスはくるから、告白の機会にばかりこだわって大切なものを見失わないようにしよう・・・これは私が君に贈れる最大限のアドバイスに違いない。しかし・・・恋に一生懸命であるばかりに機会を逃すこともあるかもしれない」

 石津さんには何か哀しい思い出があるらしい。おそらく彼女が今も一途に恋い焦がれている女性に関係した思い出だろう。

「あの」

「ん?」

 しばらくドーナツをもぐもぐしてから弓奈はずっと気になってることを尋ねてみた。

「石津さんの好きな人って、どんな人なんですか」

 石津さんは顔を上げてちょっぴり微笑むと、ケースから取り出したヴァイオリンのマリアちゃんをぎゅっと抱きしめて語り出した。

「君によく似ている。誰からも好かれるが控えめで優しく、動物と・・・そして家族を大切にする少女だった」

 弓奈はちょっと照れた。そんな素敵な人に似ていると言われたら光栄である。

「当初私は彼女の弾くヴァイオリンの音色に惹かれたのかと思っていたがそれは違ったんだ。私は・・・こんな私に青春の輝きを与えてくれたあの人の温かくて、そして透き通った心の惚れたのだ」

 随分と恥ずかしいセリフを織り交ぜてしゃべってくれるが、石津さんの言葉は全部が歌の詞のようで素直に弓奈の心に沁みてくる。

「三年の時の十二月だったと記憶しているが・・・ある日を境に彼女と私との間に距離が生まれてしまった」

「・・・ケンカでもされたんですか」

「いや・・・仲は良いままだったのだが・・・」

 石津さんはそっと目を閉じてヴァイオリンを優しく撫でた。

「当たり前だと思っていた毎日を突然失うこともある。君にはそこで後悔をして欲しくないんだ」

 石津さんの言う通りかもしれない。親友の紫乃ちゃんがいつも自分のそばにいてくれることを当然だと思っているところが弓奈にはある。

「だから・・・意識して告白のチャンスを作るのもありかも知れないな」

「そ、そうですね・・・がんばってみます」

「私のように何かあって全てを逸するよりは遥かにマシだろう。しかしあせってはいけない。いくつかチャンスを作り、自分の心や体の変化、相手との距離感を様子見するのもいいかも知れない。うまくいけば相手も君のことを意識してくれるだろう」

「なるほど・・・」

「大切なのは自分の立ち位置、そして恋の全体像を見失わないことだ」

 本当に石津さんは妙なところで非常にしっかりしていて頼りになる。弓奈のような一人の高校生のために真剣に相談に乗ってくれる彼女を尊敬せずにはいられない。

「石津さん」

「なんだ」

「本当にありがとうございます」

「ん、どうした」

「石津さんとお友達になれて・・・ホントによかったです」

 石津さんは照れたらしく、ヴァイオリンを抱いて顔を隠した。

「わ、私とて感謝している・・・君のお陰で私は自分の夢と恋を諦めずに済んだのだ」

 そう言って石津さんはなにやら目を丸くした。

「そうか、分かったぞ」

「なんですか?」

「私と君の共通点だ」

 生物学的に言えば共通点だらけだがどうやらそういう意味ではないらしい。

「私があの人に伝えたい言葉と、君がその子に伝えたい言葉はきっと同じなんだ」

「それって・・・好きっていう言葉ですか」

「もちろんそれもあるが、おそらく好きだと告白する前の一言だ。人が何かの拍子にちょっと好きになっただけの相手には決して言わない言葉に違いない」

「え・・・なんでしょう」

 石津さんは笑いながらギターをぽんぽん鳴らした。彼女の笑顔は見ていて落ち着けるような、懐かしい感じがする笑顔である。

「告白のセリフなんかも練習するといい」

「そうですね。まあでも、前もって練習したことなんてきっと飛んじゃいますけどね」

 弓奈も薄いレモンティーを飲みながら笑った。慣れるとこのレモンティーはとっても美味しいのだ。

 不意に石津さんはギターを置いてそっと立ち上がり、なぜか弓奈の背後に回った。

「い、石津さん・・・?」

 石津さんは何も言わずに腰を下したかと思うと、なんと背中から弓奈をぎゅっと抱きしめたではないか。薄着の石津さんのあったかい肌を感じて弓奈はドキドキしてしまった。

「大丈夫。君ならきっと、うまくいく」

 耳元でやさしくささやかれた石津さんの温かい言葉が胸に響いて弓奈は頭がぼーっとなってしまうくらい嬉しかった。嘘で固めた友達関係のまま終わりたくないから思い切って告白したい、けれどそれで嫌われてしまったら本当に本当につらい・・・そんな恐怖と弓奈が毎日戦っていることに石津さんは気づいているのだ。

 石津さんのすべすべほっぺの柔らかさを耳のあたりに感じながら、弓奈も全力で彼女にエールを贈ることにした。

「石津さんも・・・」

「ん?」

「石津さんも、きっと大丈夫です」

 こんないい人が報われないわけがない、そう弓奈は思うのだ。

「ありがとう」

 石津さんは微笑みながらさらにぎゅっと弓奈を抱きしめてくれた。

 ささやくような十月の雨音に包まれて、二人はしばらくその格好のままお互いの胸をあたため合っていた。

 

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