130、花火
「弓奈ぁ・・・」
疲れたからおぶるのじゃと言って弓奈の背中に乗った竜美さんはいつの間にか眠ってしまったらしい。彼女を起こさないように弓奈はゆっくりゆっくりひまわり畑の小道を辿って学園へ向かっていた。足元がぼんやりして見えるのはただ暗いからだけでなく、まだ目の奥深くに色とりどりの閃光が残っているからである。お祭りの打ち上げ花火は大盛り上がりだった。
「は、花火ぃ!?」
「花火上がるみたいですね」
くじで当てたシャボン玉を弓奈の顔に向かって吹きまくっていた竜美さんは花火の知らせを聴いて目をキラキラ輝かせた。竜美さんはとにかくスケールの大きなものが好きらしい。
「なぜそれをもっと早く言わぬ! いくぞ!」
二人は既に多くの人が集まっている川原を避け、人影の少ない公園へ向かった。せっかちな竜美さんは早くも「たーまやー!」と騒ぎながら滑り台の周りをぐるぐる走り回った。ベンチのようなものが見当たらなかったので弓奈は砂場で遊んでいるパンダの置物に腰掛けることにした。
弓奈は小型煙火のような小さなものが上がると思っていたのだが、夜空に咲いたのは立派な大輪であった。
「ふおぉ・・・」
弓奈の真正面に立って妙な感じで感嘆の声を漏らした竜美さんは、不思議なことに大人しかった。
咲いては消え咲いては消える夏の花に、弓奈は自分の高校生活の思い出の影を見た気がした。花火の彩りのひとつひとつが自分の過ごしてきた季節のようで、まるでアルバムでも見ているようなぼんやりした切なさに包まれた。胸の底を打つような花火の破裂音も、回り続けるこの星の胸の鼓動のようで愛おしく感じられた。
「弓奈」
パンダの背中に乗って弓奈にぴったり寄り添った竜美さんは、花火の色に横顔を染めながら遠慮がちにささやき出した。
「お前には礼を言いたいのじゃ・・・」
「れ、れいですか?」
公園は静かだが打ち上げ花火の合間を狙ってしゃべらないと声は聴こえない。
「私は・・・心配しておったのじゃ。私がこっちへ来ても、お前はええ顔せんのじゃないかって」
竜美さんは足の先で浅く履いたサンダルをぶらぶらさせた。
「私は・・・わがままじゃからの」
「そ、そんなことないですよ」
気の利く花火の音は二人の沈黙をそっと埋めてくれた。
「お前は優しいの・・・」
「・・・え?」
「私には分かるのじゃ。お前はさっきから顔には出さんが、ずっと紫乃のことを心配しているのじゃ」
そんなことありませんと言いたいところだったが、実はその通りなので弓奈はなにも言えなかった。
「本当はこんなところへ遊びに来ている場合じゃないのに、お前はそれを隠して笑ってくれたのじゃ。私はもう満足じゃ」
竜美さんは弓奈の温かい肩にそっとおでこをあてた。
「すまないことをしたの。嬉しかったぞ」
「い、いいえ」
彼女はおでこのついでにほっぺも押し当ててきた。
「お前は人のことばかり考えておる。もうそろそろお前の順番なのじゃ」
「・・・順番?」
「お前が幸せになる順番じゃ。今までお前は自分のことは二の次で、アホみたいに人の幸せばかりを祈ってきたのじゃ。周りの人間はきっとみんな気づいておるぞ。だからもうお前が幸せになってイヤな顔をするやつなんていないのじゃ」
今自分が恋の嵐の中に身を置いていることを竜美さんがすっかりお見通しな感じなのが弓奈はとても意外だったが、お陰で彼女の胸はほっこり温まった。石津さんだけにしか流れ得ないせき止められたはずの秘密の恋の海が、少しずつ弓奈の人生に染みて根付いていくような不思議な感覚だった。
「私は・・・私はずっと味方じゃ」
竜美さんは弓奈の腕にぎゅっと抱きついた。
「・・・ありがとうございます。嬉しいです」
弓奈は竜美さんのらしくないいじらしい態度にじれったくなってパンダにまたがると、竜美さんを自分の胸の中へむぎゅっとうずめて抱きしめた。
「ありがとう。ホントに嬉しいよ!」
竜美さんは弓奈のぬくもり確かめるように何度も何度も浴衣の上からおっぱいにやさしくキスをした。
「私は・・・お前をぜったい忘れないぞぉ・・・」
どんな夢を見ているのかは分からないが弓奈の背中で竜美さんがごにょごにょ言っている。おんぶしたまま寮の階段を上るのはかなりしんどかったが、決してわるい気分ではなかった。
弓奈は自分の部屋に行くよりも何よりもまず紫乃の部屋に寄ろうと思った。じっとして動かない最強の兵法の一部を華麗に披露しているはずの犬井さんに少しでも早くお礼が言いたいのと、やはり紫乃が気になるからだ。
「倉木でーす、失礼してよろしいですか?」
「はい」
犬井さんの声だ。戻ってきていることに気づいていたような素早い返答である。
「お邪魔しまーす・・・」
ドアをそっと開けると、少々妙な光景が弓奈を出迎えた。相変わらず紫乃は安らかな寝顔を見せているが、そのベッドの傍らに犬井さんが立て膝をして紫乃につきっきりでいたのである。彼女は服も白いのでまるでクールな看護士さんだ。
「犬井さんありがとうございました」
「いいえ。ご無事でなによりです」
自分の部屋に一度戻り、着替えるついでにささっとシャワーを浴びようと思った弓奈はおねむの竜美さんも誘って一緒に部屋のお風呂場へ行った。竜美さんは余程眠かったらしく、弓奈の胸の谷間や背中のあたりに二三回チュウをしただけで、たいしていたずらをしてこなかった。
パジャマに着替えた弓奈は4人分の晩ご飯を作って紫乃の部屋へ運んだ。本当は食堂で盛大な宴を開いて差し上げたいところだが、今夜ばかりは仕方が無い。竜美さんは急に目をキラキラさせて弓奈の作ったごはんをむさぼった。
「やはり弓奈の料理はわるくないのう!」
「あ、ありがとうございます」
「うむ、中の上じゃ!」
竜美さんはお皿まで舐めていた。
食器を片付けて早くも寝る準備を済ませた弓奈は再び紫乃の部屋へ向かった。今夜は紫乃の面倒をみながらあちらの部屋で夜を明かす気満々である。
「犬井さんもシャワーどうぞ」
実は先程も犬井さんにシャワーを勧めたのだが「お先にどうぞ」と言われてしまったのだ。
「わかりました」
犬井さんはカーペットからふわりと立ち上がって弓奈の部屋へ帰った。
「弓奈、あいつの風呂は長いぞ」
竜美さんはそう言って紫乃のベッドにあごを置いたままあくびをした。
「あ、竜美さん、この寮に来客用のお部屋があるんですけど、一緒にシーツ敷きに行きましょうか。もう眠いですよね」
「私はここで寝る」
「え・・・ここはもう寝る場所ないですし」
「ここで寝るぞ」
「せめて私の部屋のベッドで・・・」
竜美さんはもう一度「ここで寝るのじゃ」と言って弓奈にもたれた。どうしても弓奈と一緒にいたいらしい。遠方からのお客様をもてなす手段としてはあまり褒められた一手ではないが、弓奈も竜美さんがそばにいてくれるのは嬉しかった。
「じゃあ、ベッドで寝たくなったら言って下さいね」
「おーう」
すでに竜美さんは半分夢の中である。
いかほどの時が流れたかわからないが、弓奈は暗闇の中で目を覚ました。
カーペットに腰を下ろして紫乃のベッドに突っ伏しいつの間にか眠っていたらしいが、部屋の電気を消した記憶はない。おまけに自分の肩にはあたたかいブランケットがかけられている。
「・・・犬井さん?」
弓奈はこれらの気を利かせてくれた人物を消去法で導き出した。椅子のほうから気配がしたかと思うと、突然目の前に犬井さんの色白フェイスが現れた。ちょっとしたホラーである。
「看病をしているあなたがお風邪を召してしまっては困ります」
「そ、そうですね。いつのまにかこのまま眠ってて・・・ありがとうございます。犬井さんはぜひ客室のベッドで・・・」
「私は眠りません」
「え、いや、おつかれでしょうしぜひ・・・」
「ではここで眠ります」
よろずよ学園の人は横にならずに寝ることに慣れているらしい。それでは申し訳ないと思った弓奈は何度か説得したが犬井さんは聞かないのでこの部屋で一緒に一晩過ごしてもらうことにした。
紫乃ちゃんのおでこの冷却ジェルシート『北極の本気』を貼り代えて弓奈は一息ついた。目が慣れてくると部屋のカーテンの隙間からぼんやりと夏のお月様が透けているのが見える。
「倉木様」
弓奈が再びうとうとし始める頃、犬井さんがしゃべり出した。タイミングのわるい人である。
「私はあなたから多くのことを学びました。この世界の仕組み、人間性の温かみ、そして私自身の望むものについて」
「そ、そうですか・・・」
「お気づきでない振りはせずとも大丈夫です」
「え?」
「竜美様も紫乃様もおやすみですのでご安心下さい」
弓奈は彼女がなにを言っているのかよく分からなかった。実際弓奈はなにも気づいていない。
「私はあなた方から学んだ全てを生かし、この星を素晴らしい明日に導くことをお約束いたします。何百年かかろうと、もう私の決意は変わりません。私は何も信じられず、ただ怯えていただけのようです」
一体どんな返事をしてよいかわからず「が、がんばってくださいね」と弓奈は言った。
「過去からのメッセージのお礼に、未来からのメッセージです。過去に起きた出来事はもう変えられないけれど、明日の行い次第で過去の出来事が持つ意味はいかようにも変えることができる」
「か、過去が・・・未来の・・・え?」
「物事の後先にとらわれて生きなければならない皆様に与えられた素晴らしい権利のひとつだと私は考えております」
「な、なるほど」
「では、おやすみなさい」
犬井さんは言いたい事だけいって暗闇に帰っていった。寝ぼけていた弓奈になぞなぞはキツい。
翌朝は霧につつまれた白い朝だった。
夜明け前から上洛の準備をしていた二人に弓奈は絶妙な焼き加減のトーストにサラダと目玉焼きをセットにして出してあげた。竜美さんはやはり美味しそうに食べてくれたが、もうすぐお別れなのが淋しくて口数は少なかった。
「それじゃあ、気をつけて帰って下さいね」
弓奈は二人を学園の門までお見送りをした。竜美さんは弓奈の手を握ったまま放さない。
「た、竜美さん、大丈夫ですよ。また会おうね」
竜美さんは弓奈の体にしがみついて泣き出してしまった。弓奈のブラウスに竜美さんの涙がぽたぽたついた。
「また会おうね」
弓奈はしゃがんで竜美さんの頭を撫でてあげた。竜美さんはしばらくえぐえぐと泣いたあとゆっくりうなずいた。昨日の花火の合間に聞いた竜美さんの言葉を思い出して弓奈まで泣けてきてしまった。
「帰りましょう、竜美様」
犬井さんの声に竜美さんは振り返らない。弓奈は立ち上がって彼女の向きをくるっと変えてあげようと思ったが頑固な竜美さんに抵抗されてしまった。
「竜美様」
そんな様子を見かねた犬井さんは意外な行動にでた。そっとしゃがんで竜美さんを後ろから抱きしめたのである。
「い、犬井・・・?」
犬井さんの温かい腕は竜美さんをやさしくぎゅっと包み込んでいた。どうやら彼女はこの遠征でなにか大切なことを学んだらしい。
「し、仕方ないのじゃ。今日はもう帰るのじゃ」
さすがの竜美さんも折れてくれた。ちょっと照れているようである。
「では弓奈、またお前のまぬけ面を眺めにきてやるから首を洗って待っておるのじゃ」
「はーい」
「それまで元気でがんばるのじゃ!」
「竜美さんもね!」
「当たり前じゃ、私が元気じゃなかったことなどないわ!」
竜美さんは涙を拭きながら「ダンケダンケ」と叫びつつ坂を下りて行く。ところでなぜ竜美さんがドイツ語を好んでいるのか弓奈はよく知らないが、とにかく大切な仲間同士の挨拶なので弓奈も「ダンケー!」と何度も叫び返した。
仲良し姉妹のように手をつないだ二人の姿が青い銀杏の木の陰に隠れる頃、朝日が弓奈の目をさした。いつの間にか東の空から晴れ間が広がり、霧もほどけてきたようである。
空の青の美しさにしばらくその場でぼーっとしてしまった弓奈が我に返り、紫乃ちゃんの様子を見に行かねばと踵を返した瞬間、なんとも懐かしい声が坂を駆け上がってきた。
「弓奈おねえさまぁー!」
弓奈は振り返った。
「あ、あかりちゃん! それに美紗ちゃんも!」
朝日のまぶしい坂を上ってきたのは合宿と呼ばれる旅行に行っていた二人である。随分と妙な時間に帰ってきたが、旅先でお金を使いまくってしまったらしく帰りは夜行バスで戻ってきたらしいのだ。
弓奈はとても不思議な感じがしていた。よく考えると竜美さんや犬井さんと関わり合うのはいつも弓奈だけだし、今思えば昨日出掛けたお祭りだってまるで夢の中の出来事みたいである。もしかしたら二人は幽霊か京都の町の神様なのではないか、そんな気すらしてしまうのだ。夏休みにはひとつやふたつ不思議なことが起こっておかしくない。
「ええ! 紫乃先輩がお風邪を!」
「はぁ・・・! 私たちが合宿なんかに出掛けてしまったせいで生徒会長である鈴原様への負担が大きくなりこのような結果に繋がってしまったのでしょうか!」
「いやぁ、そんなことないと思うけど。でももうたぶん大丈夫。一緒に様子見に行こうか」
三年生寮へ向かった三人は紫乃の部屋を慎重にノックした。
「し、紫乃ちゃーん。おはよー・・・」
返事がない。やはりまだ安静にしなくてはならないだろうか。
「紫乃ちゃーん・・・」
「聴こえています。どうぞ入ってください」
「おお!」
部屋に飛び込むと、いつのまにか夏制服に着替えたいつもの元気な紫乃ちゃんがベッドに腰掛けていた。
「熱下がった!?」
「お・・・おかげさまで・・・下がりました」
「やったぁ!」
三人は紫乃の部屋で飛び回った。紫乃は自分が完全にダウンしていたことと、その原因がちょっと恥ずかしいのでとりあえず顔を赤くしてそっぽを向いていた。
「紫乃先輩、ずっと看病しててくれた弓奈お姉様にお礼言わなきゃだめですよっ!」
あかりが余計なことを言い出した。けれどこれでもしかしたら自分に対する株が上がり、紫乃から好かれる第一歩になるかもしれないと思って弓奈は嬉しかった。
「い、いいよお礼なんて。それに看病してくれたのは私一人じゃなくて、姉妹校の人たちも」
「し、姉妹校ってなんですか」
「え・・・」
紫乃ちゃんが目を丸くしている。昨日のことはなにも覚えていないらしい。
「いや、昨日の午後に親善訪問で来て・・・あ、さっき帰っちゃったけどね」
「学園長へは?」
「あ、会ってもらってないや・・・」
どうやら株は上がりそうにない。
「お姉様、せーんぱい、そんなことよりも私たちからお土産があるんです!」
空気の入れ替えが得意なあかりは巨大な荷物の中からこれまた巨大な紙袋を取り出した。
「じゃーん! 花火でーす!」
二夜連続で浴衣を着ると思ってなかった弓奈は洗濯してしまったものの代わりに新しい浴衣をおろすことにした。こんな贅沢な服選びは浴衣を福引きで大量に当てたとき以外はできないだろう。
四人が浴衣を着てもまだ小さなサイズの浴衣が一つ残っていたので弓奈は学園のどこかに隠れているという雪乃ちゃんを探しまわって図書室の本棚の裏で鍵盤ハーモニカを吹いているところを発見し、花火に誘った。
紫乃の家の庭は学園から徒歩40秒の位置にありながら学園の敷地内でできないことをやれる便利な場所である。
「美紗ちゃんもっとこっちに来て花火するんだぁ!」
あかりが呼んでも美紗はこっちへやってこない。どうやら雪乃に花火の煙がいかないように風下にいるらしい。彼女は仲良くなれるチャンスをものにできないタイプである。あかりはやたら派手な花火を両手に持って美紗のもとへ走って行った。
「紫乃ちゃん・・・」
「は、はい」
「あ・・・な、なんでもない・・・」
浴衣姿の紫乃は本当に奇麗で、花火の光に浮かぶ横顔は息をのむ美しさだった。
「ありがとうござました・・・」
「え?」
「ずっと看病しててくれて・・・」
「あ、うん。全然・・・気にしなくていいよ」
「た・・・助かりました」
嬉しくって弓奈は赤くなった頬がじんじんした。脇から二人の様子を見ていた雪乃は、二人ともほっぺを赤くしてどうしたんだろうかと思ったが、別になにも言わなかった。
「お姉様たちは線香花火ですかぁ?」
あかりが美紗の腕を引いてやってきた。
「じゃあ、第一回おまじない線香花火対決ー!」
第二回があるのだろうか。
「五人がいっせいにそれぞれの線香花火に火を点けて、一番最後まで火の玉が落っこちずに残ってた人の優勝、その人の願い事は叶いまーす!」
願い事の土俵に相対性を持ち込まないで頂きたいものである。
「じゃあ皆さん準備はいいですかー!」
「はーい」
弓奈は雪乃ちゃんの花火を一緒に点けてあげることにした。
「せーの!」
遠慮がちな煙をちょっぴり上げて五人の線香花火はゆっくりゆっくり燃えはじめた。少しずつ咲いていく小さな花に弓奈は心を奪われた。一瞬だけ顔を出しすぐに消えていく火花のひとつひとつが一期一会の存在であることに弓奈は惹かれたのかもしれない。
「ああ! 落ちたぁ! 一番に落ちるなんてぇ・・・」
「はぁ! 私も落ちました・・・!」
後輩の二人は仲良く表彰台行きである。雪乃の花火もゆらゆらとけむって蛍のような輝きを残したあと、やがて落っこちた。
「お姉様方の決勝せーん!」
「ど、どちらもがんばって下さい!」
弓奈はちらっと紫乃を見たが、目が合ってしまったのですぐにまた花火に目をやった。もう火花も出終わったらしく、やわらかそうな火玉がひもの先にかろうじて残っているだけである。
紫乃ちゃんに思いを伝えられますように・・・弓奈がそんなお願い事をした瞬間に、二人の火玉は同時に地面に吸い込まれ、じゅわっと音を立てた。




