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129/151

129、かわいいということ

 

 夏の虫の声の隙間に東京音頭が響き始めた。

 弓奈は青葉町へ来たのは初めてだが、なんだか懐かしい感じがする町だなと思った。川の周辺が開けていて歩道に小奇麗な花壇がやたら設置されているあたりは弓奈のふる里にそっくりなので、あとはこの町の両側に山があれば完璧である。弓奈は割と山奥で育っているのだ。

「あっちじゃ!」

 竜美さんはサンダルをぺたぺたいわせながら弓奈の手を引いて火灯し頃の街角を駆けた。彼女はかなり強く手を握ってくるのでそろそろ弓奈の左手は痛い。お祭りは神社の境内で行われるらしく、竜美さんが持ってきたチラシの地図など見なくても浴衣姿の人波を追って歩いていたら大きな鳥居までたどり着けた。提灯に照らされた石の階段の前は人でいっぱいである。

「すごい人ですねぇ」

「なに? どいつじゃ」

「いやどいつじゃっていうか、この辺り全体の混み具合の話ですよ」

「なんじゃそういうことか」

 たまに会話が噛み合ないが、竜美さんが細かいことを気にしながらおしゃべりをしている様子はないので弓奈もあまり気にしてくてよさそうである。

「お、弓奈! あっちはすいておるぞ!」

 竜美さんは階段脇の林を指差した。

「すいてるっていうか・・・そっち道じゃありませんから」

「行くぞ!」

「ええ!」

 竜美さんは細かいところだけでなくかなり大きなところも聞き流しているようだ。

 暗くて足元も見えない小ギツネの通学路レベルの獣道を駆け上がって二人は境内にたどり着いた。突然暗がりから少女が二人現れたので居合わせた人はさぞビックリしたことだろう。

「どうじゃ! 近道じゃったろう!」

「そ、そうですね」

 弓奈は竜美さんの頭の上に葉っぱが乗っていたので払ってあげた。

「なんだかええ匂いがするのう」

 屋台がたくさん出ていた。弓奈は今日のお昼ご飯を紫乃のご飯作りの合間でかなり適当に済ませてしまっていたためお腹はペコペコである。寮に戻ってからしっかり晩ご飯は食べるものとして、せっかくお祭りに来たのだからここでもちょっとくらいは何か買って食べたいものだ。

「竜美さん、何か食べますか」

「お前ゲル持っとるか」

「げ、げるってなんですか?」

「銭じゃ」

「あ、はい。持ってきてますよ」

「よし」

 なにがよしなのか。弓奈のお小遣いも無限ではない。

「お、あれなんか美味そうじゃな!」

「あれは金魚すくいですよ・・・」

 小さい頃の弓奈は「金魚すくい」と呼ばれる屋台に納得がいかなかった。それは「すくい」の部分を「掬い」ではなく「救い」だと勘違いしていたからであり、自分で人間の世界の小さなプールに金魚たちを閉じ込めておきながら「誰か救ってあげてくれないか!」などと主張する人間たちに怒りを覚えていたのである。白雪姫に毒りんごを食べさせた魔女がその足で町を訪れて「みんな! 白雪姫を助ける方法を一緒に考えよう!」などと言ってきたら「いや、だったらなんでりんご食べさせたの」と訊きたくなるのが自然だろう。まあこれら全ては弓奈の誤解だったので今は全国の金魚すくい屋の人をわるく思ったりはしていない。

「あ、りんご飴でも食べましょうか。たぶんあっちのほうにお店が」

「なんじゃこの気色のわるい屋台は!」

「へ、変なこと言わないで下さい! お面屋さんですよ」

「お! 弓奈、わたあめじゃ! わたあめが売っておるぞ!」

 会話が感情の高ぶりに追いついていない竜美さんは、甘い香りを入道雲のように熱くやわらかく立ち上げるわたあめ製造機に夢中である。この機械はなぜか橙色のカバーがついているものが多い。

「弓奈! これが欲しいのじゃ!」

「はーい。なんか色んな味があるみたいですけど」

「コーラじゃ! ドイツコーラ!」

「ド、ドイツコーラじゃないと思いますよ」

 わたあめの味は、かき氷のように完成した後に何かを加えるのではなく、製造機の中央に投入するザラメに既についているらしい。

「すみません、コーラ味ひとつ下さい」

「は、はい」

 サンキスト女学園の生徒かどうかは分からないが、近所に住んでいると思しき少女が綿菓子屋のお手伝いをしていた。彼女が震える手でわたあめを割り箸にくるくるまとめていると竜美さんは「大掃除じゃ!」などと失礼なことを言って騒いだ。よろずよ学園の大掃除ではこれくらいの綿ぼこりが出るらしい。

「は、はい、どうぞ」

「ありがとうございます」

「でかいのう!」

 竜美さんの顔の二倍はある。ちなみに弓奈は綿菓子に限らず割り箸にくっついているタイプのものを食べるときは左右どちらか向きの水平に持ち、横から食べるのが礼儀だと母から教わったが、その理由は謎である。

「あんまいのう」

「まあ、わたあめですからね。美味しいですか?」

「まあまあじゃの!」

 竜美さんは意味もなく弓奈の周りをぐるぐる回ったり彼女の背中に抱きついたりした。非常に歩きづらいが負けてはいけない。弓奈も何か食べたいのでりんご飴を買った。

「やはり食べる物の大きさに本人の器が現れておるのう!」

 などと竜美さんは吠えたが、物欲しそうな顔をするので弓奈はりんご飴もかじらせてあげた。

 二人は中央に大きなやぐらが立った広場に出た。夜空にこれでもかと連なった満天の提灯の行列に竜美さんは目をきらきら輝かせた。

「弓奈! こいつらはなにをしておるのじゃ!」

 このあたりに来ると、歌っているご本人がスピーカーから誤って顔を出すのではないかと思われるほどになんたら音頭の音量が大きいので、ある程度声を張らなければ会話ができない。

「盆踊りですよ」

「んあ?」

「盆踊りでーす!」

「おお盆踊りか。滑稽じゃが、あの太鼓はなかなかにいかしておるの!」

 竜美さんはやぐらの上で和太鼓を打ち鳴らすお姉さんに興味を持ったらしく、ためらいもせずに踊り舞台のはしごを上がろうとした。

「ちょ、ちょっと竜美さん!」

「なんじゃ」

「なんじゃって、この人たちの邪魔しちゃだめですよ」

「邪魔などせぬ。私が手伝ってやろうというのじゃ」

 周囲の人々の自分たちへの視聴率がぐんぐん高まっていることを弓奈は背中で感じた。とんだ人気番組である。これはなかなかに恥ずかしい。

「いや、なにもしないのが一番のお手伝いっていうか・・・」

「安心するのじゃ。私は演歌民謡の類いの手拍子には自信があるのじゃ。太鼓とて同じじゃ、見ておるがよい」

 やぐらの下でなにやら揉めている二人に気づいた和太鼓のおねえさんが、なんと手招きしてきた。たしかに和太鼓が1、2分休んでもスピーカーは大声を張り上げているのだから盆踊りが止まることはない。ここのお祭りは案外自由なのである。

 粋なはちまき姉さんに手ほどきを受けながら竜美さんは太鼓をドンドン叩いた。リズム感の欠片も感じられないが、お腹まで響くこの音の出し方は見事である。

「弓奈! 写真を撮ってもよいぞ!」

「カメラ持ってませーん!」

「ならばその目に焼き付けるのじゃ!」

 結局竜美さんは一曲まるまる太鼓を打ち鳴らしていた。




「くーん」

 突然の物音に犬井さんは椅子からガタリと立ち上がった。紫乃の部屋には人が出入りしたような物音など一切なく、熟睡中の紫乃と自分しかいないものと犬井さんは思っていたので警戒した。

「誰かいるのですか」

 犬井さんは竹刀や木刀のような棒があれば強気になれるのだが、現状はきびだんごを家に忘れてきた桃太郎のようなものでなにも打つ手がない。手探りで紫乃の机の上を探索してみたが奇麗に片付けられていたせいで鉛筆の一本も手に引っかからない。丸腰で対処するしかないようだ。

「誰かいるのですか」

 二度目の問いかけである。仮に紫乃の部屋に侵入者がいたとして、一度目の質問に答えなかったものが二度目の問いかけで急に「いまーす♪」などと言って出てくるわけがない。部屋には静まり返った夏の夜がうずくまっているばかりである。

 気のせいかと思った犬井さんは椅子に戻ることにした。

「くーん」

 その瞬間にもう一度あの声である。やはり気のせいなどではなかった。どうやらこの声は侵入者の潜み得る物陰からではなく、ベッドの上から聴こえるものらしい。

「・・・紫乃様?」

 紫乃はまた悪い夢を見始めたらしく鼻声で鳴き出したのだ。この手のトラブルはホスピタリティの能力に長けた弓奈であればすぐに解決できる性質のものだが、犬井さんはそうもいかない。どうしてよいか分からずベッドサイドに立ち尽くした。

「悪夢にうなされていらっしゃるのですか」

「・・・くーん」

 随分と淋しそうな声が返ってくる。まだ弓奈たちが戻ってくるような時間ではないので犬井さんは自分で対処しようと決意した。

「その夢は大脳皮質と辺縁系が内的もしくは外的な刺激により記憶映像の一部を再生し、それに合致する物語を勝手に作り出した幻覚です。ご安心下さい」

 犬井さんはそうささやいてみたが紫乃はますます苦しそうに鳴き始めた。そのうち泣き出してしまいそうである。さすがの犬井さんもこれではいけないと悟り、もっと柔軟な対応策をはじき出すために真剣に頭を使い始めた。

 犬井さんは目隠しこそしているが竜美さんに接するときの弓奈の姿はいつもだいたい見えているので、彼女の普段の様子を参考にすることにした。あの包み込むような優しさ、慈しみの姿勢が内からにじみ出るものであることは確かなのでこれを今から学ぶことは難しいかもしれない。だからせめて仕草だけでも彼女の真似をしてみるべきなのかもしれない。犬井さんはこれまでの弓奈の行動のパターンを頭の中で再構成し、もし弓奈がこの場に居合わせたらどうするかを必死に考えた。

 打ち出した結論はズバリ「頭をなでなでする」である。

 犬井さんはベッドの脇で立て膝になると、ぎこちなく紫乃のおでこに手を伸ばした。指先はおでこに貼られた熱冷ましシートに辿り着き、同時に犬井さんはふわふわ柔らかな紫乃の前髪を感じた。犬井さんは自分の手のひらが人の頭に触れるための形をしていない気がしたが、可能な限り穏やかに前髪を撫でてあげた。しかし紫乃はつらそうにうなされたままである。頑張りが足らないと思った犬井さんは前髪だけでなくちゃんと頭を撫でてあげることにした。竜美さんが何をどう認識していて次にどんな行動を起こすか計算するのが得意な犬井さんも、紫乃の頭をどのような角度で、毎分何往復の早さで撫でればよいのかなどはさっぱり分からなかった。人間の心に関わるような頭の使い方は苦手なのである。

 しかし、しばらく頭をなでなでしていると紫乃の様子が変わってきた。熱にうなされていたはずの横顔が、花がほころぶように少しずつ穏やかになっていったのである。もちろん目隠しにこだわって生きる犬井さんに紫乃の顔が見えるはずなどないのだが、うなされた鼻声が聴こえなくなった点からもおおよそ察することができた。自分の手のひらで落ち着きを得る紫乃という動物に犬井さんは不思議な感覚を覚えたのだった。

 すると、すっかり寝ぼけている紫乃が犬井さんの手に自分から頭をすりすりしてきたのだ。犬井さんはかなりびっくりしたが手は引っ込めなかった。一体どんな夢を見ているのかは不明だが、なんとも幸せそうな寝顔になった紫乃はまるで子猫のように頭や頬を犬井さんの手にすりすりした。

 天から解が降りてくるようなひらめきが犬井さんの鉄のハートをゆさぶった。

「なるほど・・・」

 犬井さんはフードの下でそっと呟いた。

「これが・・・かわいいということ」

 

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