124、浴衣
生徒会室の紅茶が切れた。
小熊先輩が茶葉の缶をいくつか残していってくれたのだが、あかりちゃんが浴びるように紅茶を飲むのであっという間にすべて空っぽである。弓奈は夏休みに入ったばかりのヒマを利用してお茶っ葉を買いに駅前のショッピングセンターに行くことにした。
このショッピングセンターは隣街のタワーほどの大きさはないが女性向けの商品を扱ったそこそこセンスのいいお店がたくさん入っているので学園の寮生活に必要なものは大抵揃う。弓奈は本当は紫乃と一緒にお買い物に来たかったのだが、彼女は期末試験の復習をするらしく部屋に籠ってしまっていた。テストの後も勉強をするなんて紫乃は高校生の鑑である。
さて、弓奈が目指す先はエスカレーターを上がった二階のティールーム『セヴァーン』である。ここは基本的にカフェなのだが茶葉だけを買いにくる客も多い。
「これとこれ下さい」
「か、かしこまりました」
セイロン茶とアッサム茶のブレンドを二種類買うことにした。実は紫乃とあかりでは紅茶の好みが違うので二つ買って帰ると生徒会の総合的幸福度が上がる。
「が・・・学生証はお持ちですか」
「はい」
なぜか学園生徒は割引の対象である。
「お、お会計3150円になります」
「はい」
安い買い物ではないがお金は三人で出し合うので問題はない。
「ちょ、ちょうど頂きます」
おねえさんは弓奈に出会った緊張から手が震えている。早く離れてあげようと思った弓奈がレジに背を向けると店員さんがかすれた声で弓奈を呼び止めた。
「お、お客様」
「はい?」
「た、ただいま一階の会場に合計2000円以上のお買い物レシートをお持ち頂くと福引きが出来ますのでぜひご利用下さい!」
「あ、どうも」
「ありがとうございました!」
店員さんはそう言って燃え尽きたように床にへたり込んだ。
福引きができるらしいが、弓奈はこういうものに参加するタイプの人間ではない。エスカレーターを下りながら何気なくレシートを天井のシャンデリアにかざした弓奈は昔のことを思い出した。
弓奈にモテ以外の魔力が備わっていることは明白な事実であり、今までに福引きをやって悪い目が出た事がない。小学生の頃から花の種やらマッサージチェアやら温泉旅行券やらを当ててきたので母は喜んでいたが弓奈は少し恥ずかしかった。「おめでとうございまーす!」と騒がれベルをからんからん耳元で鳴らされながら、集まってきた見物人たちに拍手される経験は人生で一度くらいで充分である。
一階にたどりついてふと脇を見ればそこは福引きの会場だった。もっと庶民的で賑わった空間かと思っていたのだが、一転してそこは小洒落たバーのような空間になっている。シャランドゥレタワーもそうなのだが学園周辺にあるショッピングセンターは大して重要でもない場所をやたらお洒落にしたがる傾向にある。
そんな会場を無視して出口へ向かって歩いていた弓奈の瞳に見覚えのある女性の姿が映った。彼女は福引き会場の端の柱にもたれて腕を組み、なにやら考え事をしている。
「石津さん?」
「おお、弓奈くんか。珍しいところに来たな」
今日の石津さんはなぜか弓奈によく似たポニーテールである。
「こんにちは。ここで何されてるんですか」
「うん、実は三階の楽器店で松ヤニを買ったんだ」
「まつやに?」
「ヴァイオリンの弓に塗るやつだ」
「へー、そんなのがあるんですか」
普通のヴァイオリンもエレクトリックヴァイオリンも弓毛に松ヤニを塗らなければ摩擦が起こらず音が出ない。
「その松ヤニが1900円だったんだ」
「はい」
「1900円だったんだ・・・」
「は、はい」
「このレシートでは・・・100円足らないんだ・・・」
泣き始めた。石津さんは福引きがしたいらしい。
「ふ、福引きって2000円のレシートが要るんでしたっけ」
「その通りだ・・・私はぜひ7等の商品が欲しい」
随分と謙虚な望みである。弓奈は柱の陰から顔を出して赤いじゅうたんに立てられた景品の一覧パネルを覗き込んだ。
「季節のドーナツセット?」
「そうだ・・・例のドーナツ屋の新商品が詰まった夢のようなセットをタダで貰えるらしい」
例のドーナツ屋というのは石津さんが気に入っている駅前のお店である。彼女は以前にドーナツをつまみ食いしてアルバイトをクビになっているのでこの店にあまりいい思い出はないはずなのに未だそこのドーナツを愛し続けているらしい。
「石津さん、よかったらこのレシート使って下さい」
「な、なに! ホントか」
「はい。私のと石津さんの合わせれば二回できますよ」
「感謝する。この恩は忘れない」
この程度の恩は忘れてもらって大いに構わないなと弓奈は思った。
石津さんは二枚のレシートを持って受付へ行った。弓奈は石津さんのすぐ後ろから戦いの様子を見守ることにした。名前はよく分からないがコーヒー豆挽きと観覧車が混ざったような福引きマシンに石津さんが手をかける。
「石津さん、それ逆です」
「ん、こっち回しか」
石津さんがガラリガラリと福引き機の取っ手を回すと軽やかな音を立てて小さな球がひとつ受け皿に落ちた。白い球である。
「ざんねんでした、はずれです。うちわをどうぞ」
「はずれか・・・」
石津さんはかき氷を頭に乗せた2匹のネコがこたつに潜ってチェスをしている涼し気な柄のうちわをもらった。
「お客様はもう一度お引き頂けますよ」
「んー・・・」
石津さんは悩み出した。このまま自分がもう一度引いたら2匹のネコが4匹になる気がしたらしい。
「弓奈くん」
「は、はい?」
「キミが引いてくれないか」
「わ、私ですか」
石津さんは弓奈の反則なまでの強運を知らないからそんなことが簡単に言えるのである。弓奈はパネルを再度確認したが、1等はヨーロッパ一周旅行ではないか。そんなものを当ててしまったら石津さんも困ってしまうだろうから弓奈は悩んだ。
「あ、石津さん」
「なんだ」
「一緒に回しませんか」
「一緒か、なるほど」
弓奈の強運と石津さんの不運を足し算して7を導き出す作戦である。二人は小さな取っ手に手を重ねあった。
「せーのっ」
福引き機はまたガラリガラリと大袈裟な音を立てて回り、球をひとつ受け皿に落とした。銀色の球である。
「おめでとうございまーす! 2等でーす!」
「2等ですか!?」
「なに!?」
あぶないところである。もう少し弓奈の調子が良ければ石津さんの夏はヨーロッパ一色になるところだった。
「2等の景品は」
店員さんは奥の部屋から大きな袋を持ってきた。
「こちらになります」
「サイズはどうだ」
「あ、今度のは丁度いいです」
まさか石津さんの家で着替えをする日がくるとは思わなかった。
「いい色だな」
「そうですか? 浴衣なんて久々に着たのでドキドキします」
「なかなか似合っている」
「ありがとうございます」
2等の景品はフランスの衣料品メーカー、サンベルナール社オリジナルの浴衣全12着のセットだった。薄着好きの石津さんでも12着は持て余す数字らしく、協力者の弓奈に半分譲ってくれるらしいのでこうして石津さんのアパートで浴衣のチェックをしているのである。
浴衣姿の石津さんがギターをポロンポロン弾き始めた。弓奈は浴衣のままちゃぶ台のそばに座ることにした。石津さんの部屋にはエアコンが無いが、そもそもこの辺りの夏の暑さはあまり厳しくないのでそれなりの格好していれば決して不快な午後ではない。
「一石で一鳥落とせたら〜もうそれで充分だよ〜♪」
石津さんが妙な歌を歌い出した。おそらく一日一歩みたいなメッセージだろう。石津さんの作る歌詞はいつだってシュールで、そしてやさしい。
「そういえば石津さん」
「なんだ」
「実は、ちょっと報告がありまして」
弓奈はこの春の出来事と自分の決心、そしてその決心が石津さんの恋への姿勢に感化されたものであることを告げた。自分は非常に高難度の恋に身を置いており、それに果敢にも挑むつもりであると表明したのである。
「そうか。相手も女の子か」
「はい・・・それもすっごく硬派でクールなしっかり者です」
「なるほど、それはむずかしいな」
石津さんは目をそっと閉じてギターの弦を指でやさしく鳴らした。いつの間にか外は夕間暮れ、部屋に茜が差している。
「だから私も恋の人です。先輩」
そう弓奈が言うと石津さんは照れながら笑った。どうも弓奈にとって石津さんは夕焼けに非常に縁がある女性のようだ。
「頼りになる後輩ができて嬉しい。私でよかったらいつでも相談に乗ろう」
「ありがとうございます」
とりあえず浴衣から下着がはみ出ない着方をして下さいと弓奈は言いたかった。
「そう言えば私からも報告がある」
「報告ですか」
「ああ。例のカントリーソングをレコーディングした」
「レ、レコーディング?」
「そうだ」
「え、それってCDになったりするんですか?」
「んー、あの曲がシングルとして発売され全国のCDショップに並ぶかどうかは事務所次第だな」
「あー・・・なるほど」
まあ石津さんにワインをくれたりする音楽事務所なのだからいい方向に考えてくれる可能性がない訳ではないなと弓奈は思った。
「前に君に相談した通り作詞が途中から全く進まなかったのだが仕上げることに成功した。つまり、悩んでいることを素直に歌詞にしたのだ。必然的に納得のいかない箇所は消え、私の心とあの歌は一体になった。あとはどこでどう歌うのかという問題だ」
「なるほど」
もしも石津さんのCDが発売されることになったら3枚くらい買っちゃおうと弓奈は思った。
あまり長居すると夕食の時間になってしまい、紫乃ちゃんに紅茶を出しに行くタイミングを逃すことになりそうなので弓奈は学園に戻ることにした。
「私はこの三着だけでいいからあとは君が貰ってくれないか」
「え、でもこんなに貰っちゃうと私もどうしていいか」
「友達にも分けてあげるといい。君は私と違って友達が多いからな」
「さ・・・淋しいこと言わないで下さい」
石津さんはギター鳴らしながら笑った。出会った頃に比べれば、石津さんは弓奈の前でよく笑ってくれるようになった。
「それじゃあ、頂いてもいいんですか?」
「もちろんだ」
「ありがとうございます。大事にしますね!」
大きな袋を抱えた弓奈は床にくっついたままのフライパンを飛び越えて靴を履いた。
「それじゃあ石津さん、失礼します」
「ああ。君の恋、がんばってくれ」
やはり人間は自分の悩みを素直に相談できる相手ができるだけで心を大きく救われる。確かに石津さんはぱっと見かなり怪しいし、彼女の不思議なセンスと奇妙な言動を訝しむ人は多いはずだ。しかし、他の人が石津さんをどう思っていようと、財布の底を睨みながら夢を諦めず、しかも盲目的でなくきちんと自分の心やこの世界に向き合って歌い、近所の女子高生の相談にも真剣に乗ってくれる彼女は弓奈にとっては頼りになる素晴らしいおねえさんだ。
弓奈は石津さんへの応援もかねて可能な限り明るく返事をした。
「はい! ありがとうございます!」
石津さんの部屋に制服を残し、浴衣のまま出て来てしまったことに弓奈が気づいたのは学園前でバスを下りたあたりである。




