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121、綱引き

 

 水たまりの中で虹が朝日に輝いている。

 雪乃は姉が本部席の横に作ってくれたサンクチュアリ、水色のパイロンで囲まれた聖域の中で日傘を差して椅子に座っていた。雪乃には美紗のような根強いファンが多いが、本人に自衛の能力はないためこういう場所を作らないとなにかトラブルが起こりかねないのだ。

「弓奈さん、晴れてよかったですね」

「そうだね!」

 実は明け方まではかなり強い雨が降っており、体育祭はもう一週間延期だなぁと布団の中の弓奈は思っていたのだが、朝食のパンとたまごサラダを食べているうちにどんどん雨雲は帰宅していき、あっという間に虹が出た。ちなみに弓奈の『弓』という字には虹という意味が込められているらしいので今日はそこそこ縁起がよい。

「晴れてよかったですね」

「そ、そうだね」

 二度目の会話である。紫乃はやっぱり湿気が嫌いらしい。

 今日の紫乃は気合いを入れているらしく、髪を下のほうで束ねている。時代劇のお姫様が弓のお稽古をするときみたいな見た目が非常にステキので弓奈は後ろからじろじろ見てしまった。

「弓奈」

「わ!」

 紫乃に見とれている弓奈に日傘の少女が声をかけてきた。

「どうしたの雪乃ちゃん」

「きょう、がんばってね」

 そう言って雪乃ちゃんは日傘の軸をくるくる回した。彼女はたまに笑う時以外は姉に似てなかなかクールなお顔をしているので、その無表情のままで傘を回されると可愛くて仕方がない。弓奈は彼女を抱き上げた。

「ありがとう、がんばるね!」

「走るの?」

「ん? あ、対抗リレーね。今年もやるよ。去年と同じテニス部の舞ちゃんから挑戦状もらっちゃったんだ」

「まいちゃん」

「そう、舞ちゃん。紫乃ちゃんは舞ちゃんのこと無礼な人とか校則の乱れの元凶とか言ってるけど、実はけっこういい人だと思うんだ」

 弓奈は小さい子どもが好きなのだが、どうやらその理由は彼女たちの瞳にあるものらしい。こんなに奇麗なお目々で見つめられたら、人生や人間関係への肯定的な発言しか口から出て来なくなる。弓奈は雪乃ちゃんの柔らかい髪をなでた。

 紫乃はてっきり弓奈が自分のそばにいるものと思い込んでいたのに、振り返ってみると彼女が妹と仲良くしているので非常に妬いた。

「ゆ・・・雪乃。弓奈さんからおりてください。重いです」

「あ、そんなに重くないよ」

 雪乃ちゃんと日傘とバニウオがセットになってこの重さ、非常にお買い得である。

「いいえ、今年は綱引きもあるんですから腕の力は温存しなきゃだめです」

「そっかそっか。雪乃ちゃんおりよう」

 雪乃はもっと弓奈に体をくっつけていたかったがこうなってしまってはおりるしかない。弓奈の肩におでこをちょんとつけてから雪乃はグランドにおりた。

「きゃー倉木さまー!」

「今日もすてきー!」

「応援しておりますわー!」

 人が集まってきた。弓奈は彼女たちに引きつった笑顔で手を振ったあと生徒会の仕事の用事を思い出したふりをして本部席に逃げ帰ることにした。



 さて、開会式の最中実質生徒会の副会長を務めている弓奈は本部テント内のパイプ椅子に座って生徒達と向かい合う形になったのだが、紫乃が開会宣言などをしている時にふと顔をあげると、その拍子に目があった少女たちが次々と幸せそうな顔をして倒れていった。これだからこの席はいやだったのである。再びうつむいた弓奈は長机の上にうすく積もった砂を手でぱっぱと払う作業に戻った。

 そんな弓奈の様子を脇の椅子から見ていた雪乃は日傘の陰でちょっとだけ笑っていた。雪乃は割と客観的立場から生徒達と弓奈と見ているので、なんとなく弓奈のモテ具合とそのパワーに気づいているのである。



「作戦会議をしまーす!」

 応援席のはるか後方で紫乃が声をあげた。しかし紫乃の華奢な体から出せる声では誰も振り向かない。

「作戦会議をしまーす!!」

「み、みんな集まってー・・・」

 ちょっと弓奈が声を添えると、背中を見せていたクラスの仲間たちが次々に振り向いた。彼女たちは空気の振動すべての中から弓奈の声を抽出する能力をこの二年間で身につけたらしい。

「クラス対抗綱引きの作戦会議をします! 今障害物競走に出場してる人たちにはあとでこの会議の内容を伝えておいて下さい」

「はい!」

「はーい!」

 毎年三年生には午前中のプログラムに綱引きの対決が組み込まれている。「綱がちくちくする」という妙な理由から数年前に一度消えた競技だったのだが、クラスの団結力を養うためにはやはり必要という結論が教員のあいだで出たため三年前にめでたく復活したのである。

「まずは並ぶ順番を決めます! なにか案がある人はいませんかー!」

 頭上の巨大なスピーカーから降ってくる放送委員の生徒のハイテンションな実況に負けないように紫乃は声を張った。

 綱を引く生徒の並びに関してだが、弓奈は幼い頃からなんとなく疑問に思っていることがある。弓奈は小学校と中学校とで綱引きをしてきたが、いずれの場合も力のありそうな運動部の子を最後尾においていたのだ。何の根拠もないのだが素人の弓奈に言わせると、一番力のある生徒は一番前に行ったほうがいい気がするのだ。後ろのほうの引っ張る力なんて途中で消えてしまうかもしれないからだ。まあ、せーので全員が同時に力を加えられるのならば問題はないだろう。

「特に案のある人がいないようですので、私が決めます!」

 ここは頭のいい紫乃ちゃんに決めてもらうことにした。



 いよいよ綱引き、C1組の出番である。

 あかりちゃんの過剰な応援が視界の隅でちらちらしているので弓奈は一応彼女に手を振っておいた。あかりの隣りには美紗ちゃんもいた。

「弓奈さん、集中してください」

「あ、うん。がんばるね!」

 弓奈のすぐ前は紫乃である。あいだに一人入っていたはずなのだが、綱を挟んで交互に並んでいくので二人は前後に並んだのである。すべて紫乃が決めた順番なのでこれは彼女が望んだポジションなのだが、弓奈はこれを偶然の産物だと思い込み、自分のラッキー具合に胸を踊らせた。

(紫乃ちゃんのうしろかぁ・・・)

 まもなく勝負だというのに緊張感のない弓奈は紫乃の柔らかい黒髪を前にすっかり頬を染めていた。雪乃ちゃんの時のように気軽に撫でられたらどんなにいいだろうと弓奈は思った。ちなみに弓奈たちのクラスのはちまきは今年も桃色である。

 いよいよ第一回戦の始まりだが、本学園生徒たちの体育祭への意気込みについてまず触れなければならない。ここの生徒は基本的にマジメであり、手を抜こうだとかサボろうだとか考える少女は少ないのだが、その代わりにやたら照れる者が多い。ちょっとしゃがんだり、ちょっと地面に手をついたりするのをいちいち恥ずかしがったりするので、さあ綱を引いてごらんと言われてよっしゃあと引き出す女など皆無である。なので余程意識の高いクラスでない限り競技に関する技術的研究は行われておらず、実力がかなり低いレベルで拮抗しているため、勝負の行方はやる気の問題ということになる。頑張った方が勝つ、なんて良い世界だろうか。

「それではC1組対A3組をはじめます」

 腰をおろして綱を握る弓奈の手にも力が入る。ちなみに美の女神弓奈とお人形系生徒会長紫乃にはさまれている生徒は、綱の反対側で構えているとはいえあまりの緊張にくらくらしている。目の前で倒れられても困ってしまうので競技中は意識を保っていてもらいたいものである。

「よーい!」

 腰をあげた瞬間、弓奈は紫乃との距離の近さを改めて実感した。弓奈は人通りの多い自動改札口を通ろうと思ったら切符に不備があり「ピンポーン」と引っかかってしまって、すぐ後ろを歩いていたOLさんが自分の背中にぶつかりそうになった経験があるのだが、だいたいそれくらいの距離感である。

「どん!」

 さあ引かなければならない。両チーム共に作戦もなにもないのでただがむしゃらに引っ張るだけである。両者に違いがあるとするならば、それは学園の女神弓奈を抱えたクラスかそうでないクラスかくらいだ。C1組の生徒たちは「あのスポーツ万能な倉木弓奈様が綱引きで初戦敗退だなんて考えられない!」と意気込んでおり、その気持ちがとてつもない力になってA3組を襲った。

『ピピー!』

 勝利のホイッスルが天高く響き渡ったとき、C1組の生徒たちは勢い余って後ろに尻餅をついていった。

 クラスが勝ったことは嬉しいのだが、そんなことがどうでもよくなるような事件が弓奈に起こっていた。なんと紫乃ちゃんが弓奈の元に倒れ込んできたのである。弓奈も地面に尻餅をついていたので、紫乃の体は常時内股気味な弓奈の足のあいだを抜け、彼女の胸にすっぽりと収まったのだ。弓奈は自分のおなかを紫乃の小さくてあったかい背中に密着させ、胸を枕のように紫乃の後頭部に提供する形となった。

「あわわ・・・」

 紫乃は慌てた様子で手足をばたばたさせたが起き上がれない。弓奈は真っ赤になった顔を隠すためにうつむきながら、紫乃の細い肩に手を当ててそっと押してあげた。

「・・・大丈夫? 紫乃ちゃん」

「だ、大丈夫です!」

 紫乃もこの時とてつもない幸福感を味わっていたことは言うまでもない。



 ともかく弓奈の存在がC1組を強くしていた。A3組との二本目の勝負も打ち取って流れに乗った彼女たちはこのトーナメントをほどほどの勢いで勝ち抜いていった。応援するあかりのジャンプ力も凄まじいものになっている。ちなみにテニス部の舞ちゃんのクラスは「ヘビっぽいものには触れません!」と綱に怯えて辞退する生徒が5人もでたせいで早々に敗退してしまったため彼女との勝負は午後のリレーまでおあずけである。

 問題は決勝戦だった。

 綱引き自体そんなにビッグイベントでもないのであっという間に決勝戦がきても不思議ではなく、そこに弓奈たちのクラスが残っていたとておかしなことはないのだが、対戦相手がわるかった。

「弓奈さん、決勝相手はB1組です」

 紫乃はずいぶんと怖い顔をしている。

「そうだね。なにか知ってるの?」

「B1組はこの半年、体育祭の綱引きのために毎日お昼休みに特訓を積んできたクラスなんです」

「半年!?」

「お昼に教室に残ってベランダに出るとかけ声が聞こえていたらしいです。それはB1組のものだったんです」

 紫乃は腕を組んだまま弓奈の周りをうろうろした。紫乃は負けず嫌いなのでどうしても勝ちたいらしい。しかしB1組のような異例の努力家集団を前に勢いだけで勝ち上がってきたC1組が太刀打ちできるとは思えない。

「作戦会議をしまーす!」

 紫乃は再びクラスメイトたちを招集した。

「知ってる人も多いと思いますがB1組は綱引きの特別訓練を積んできています。体格は私たちと変わらない生徒たちばかりですが、体の使い方と息の合わせ方は他のクラスとは比べ物にならないくらい高レベルです。準決勝の時点で辛勝だった我々には厳しい相手であることは言うまでもありません!」

 B1組の少女たちの努力を讃えてここは負けて然りだが、全力を出さないと当然失礼なので作戦も最善のものを打ち出さなければならない。

「なにか案はありませんか!」

 クラスメイトたちが首を傾げている。たしかに難しい問題ではある。

 弓奈は最後まで意見を出さない予定だったのだが、紫乃ちゃんも困っている様子だったので力になれるかどうかは分からないが、自分の持論を出してみることにした。

「あのー・・・これはかなり微妙なアイデアだと自分でも思うんだけど、一番力のある人を前に持っていったらどうかな」

 全員が顔をあげた。弓奈はどこを見ていいか分からず紫乃に目をやった。

「なるほど・・・斬新ですね」

「いや、適当なアイデアだからあんまり参考にしないで」

「参考にしましょう! みなさんもそれでいいですか!」

 クラスメイトたちは笑顔で大きくうなずいた。弓奈の意見は大抵通ってしまう。

「では一番力のある人ですが・・・」

 全員の視線が弓奈に集まったので弓奈は目をそらした。

「弓奈さん、一番前お願いできますか?」

「ええっ!」

 弓奈は運動センスこそあるが別にアスリートではないので腕力や脚力そのものに期待されても困ってしまうが、自分で出した意見なのでこれも仕方がない。

「わ、分かりましたぁ・・・私が前いきまーす」



 B1組も決勝戦を迎えて少々緊張しているようだが、それでも慣れた様子で立ち位置についた。弓奈たちも並びに行かなければならない。

「おねえさまぁー! やっつけちゃってくださーい!」

 あかりちゃんが騒いでいる。応援はありがたいが、別にケンカをするわけじゃないのでやっつけるのはまずいだろう。弓奈はしゃがんで綱を握った。

「弓奈さん、がんばりましょうね」

 すぐ後ろから紫乃がささやいてくれた。弓奈は背筋がぞくぞくしたが、振りむいて紫乃にウインクした。一番力がある人が前に行く作戦で、二番目が紫乃というのはどうかと思うかもしれないが、これも紫乃の判断なので気にしてはいけない。

「それでは決勝戦、B1組対C1組をはじめます!」

 実は弓奈はある予感を抱えていた。

「よーい!」

 それは、圧勝してしまう予感である。

「どん!」

 勝負が始まった。力を入れて引っ張るにはそれなりの体勢をとる必要があり、まず体重をかける方向とは真逆に顔を向けなければならず、うつむいてなどいられない。顔をあげた弓奈から数メートル先の正面にはB1組の先頭となる生徒がおり、彼女もまた顔をあげているので自然と目があう形になってしまう。

(く・・・倉木さん・・・!)

 体質にもよるが、弓奈と目があった人間の精神と肉体にはなにかしらの影響が出る。開会式でも顔を上げただけで何人かの少女を卒倒させたモテレベル5の弓奈の瞳がここでもその魔力を発揮してしまったのだ。

「み、美紗ちゃん見て! B1組の様子が!」

「倒れていきます・・・! これは一体・・・!」

 観客たちもビックリである。B1組の生徒たちが前から順番にバタバタ倒れていってしまったのだ。それも全員なんとも幸せそうな顔をして。これはC1組の圧勝である。

 夢見心地な生徒たちに二本目を戦う気力はなく、C1組の優勝が決まった。

「弓奈さん、おめでとうございます。作戦勝ちですね」

「う、うん。そうだね」

 負けず嫌いな紫乃ちゃんは優勝できてちょっと嬉しそうである。

「それにしても、先頭に力のある人を持ってくるだけでこんなに効果があるなんて思いませんでした。なにか引く時のコツがあるんですか」

「いやぁ、んー・・・別にないけど」

「不思議です。なんであんなに圧勝できたんでしょう」

「な、なんでだろうねぇ」

 これだから先頭はイヤだったのである。

 本部席の雪乃ちゃんが日傘の陰でまたくすくす笑っていた。

 

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