119、後輩たちの騒動
「美紗ちゃーん♪」
「はぁっ!」
放課後の廊下をマジメにお掃除していた美紗の背中にあかりがのしかかった。
「つ、津久田様!」
「キミはまた雪乃ちゃんのことを考えていたのかね!」
「や、やめて下さい・・・!」
素直な美紗はあかりとおしゃべりする間に色々と口を滑らせてしまい、もうすっかり雪乃ちゃんへの恋心があかりにバレている。
「今日は美紗ちゃんのお手伝いをしに来たんだよ♪」
「い、いえ、先輩のお手を煩わせるわけにはいきません。清掃は私一人でやります」
「そうじゃなくて、恋のお手伝いだよ」
「こ、恋のお手伝いですか・・・?」
あかりは美紗の細い肩に抱きついて耳元でささやいた。
「雪乃ちゃんに好かれる方法を教えてあげるよ」
「す、好かれる方法ですか・・・」
おしゃべりすら出来ないのに好かれるだなんて美紗には想像できない。
「そんなの・・・私には無理です!」
「ボクを信じるんだぁ!」
「ひぃ! わ、わかりましたっ・・・わかりましたから、おやめくださいぃ!」
あかりに脇腹をくすぐられた美紗は泣き笑いしながら彼女に服従した。
「私のメモ帳はすごいんだよ」
美紗はあかりによって二年生寮のフォカッチャドルチェのカフェコーナーに連れ込まれた。ここは弓奈が二月までアルバイトをしていたお店であり、彼女の影響で今年ここでのお仕事を希望する生徒は例年の100倍になった。弓奈は今年度もときどき手伝いにきてくれることになっているので、そこでの触れ合いを狙っているのであろう。
「えーっと、雪乃ちゃん雪乃ちゃん雪乃ちゃん・・・」
あかりのメモ帳にはたくさんの付箋が貼られている。それらはあかりが各方面から収集してきた情報たちの結晶だが、よく考えてみたらそのほとんどが弓奈の情報である。
(しまった、雪乃ちゃんの好みとか調べてなかった・・・!)
無責任な先輩である。
「津久田様・・・どうかされましたか」
「ムム・・・」
このままでは先輩としての威厳が損なわれると思ったあかりは、雪乃ちゃんの好みを自分で考えることにした。
「えーとね、雪乃ちゃんはね」
「は、はい・・・!」
美紗の真っ直ぐな視線があかりに突き刺さる。かなりリアルな設定を考えなければ美紗ちゃんを誤摩化すことはできないだろう。
「たしか随分前に、おしゃれな人が好きって言ってたかなぁ・・・」
「お、おしゃれですか・・・!」
「うん。なんか・・・大人っぽい感じがいいみたい」
「分かりました・・・ありがとうございます!」
美紗はすごい勢いで頭を下げるとカフェを飛び出していった。
「ふー、危ないところだったぁ・・・」
胸を撫で下ろしたあかりは美紗が残していったオーロラパフェを食べることにした。
美紗は雪乃ちゃんを発見した。今日の彼女は記念館ホールの脇にある屋根付きテラスで魚のぬいぐるみとお話していた。
「ねえバニ。おねえちゃんがね、雪乃も敬語を使えるように練習しなさいって言ってたの」
『そうなんだ。でもね、紫乃お姉ちゃんの敬語はちょっとだけおかしいと思うんだ』
「おかしいって、どのへん?」
『できませんって言えばいいのに、できないですって言うでしょう? ちょっぴりおかしいよ』
「そうかな」
『そうだよ』
これが一人二役の会話だというから驚きである。案外雪乃は人並み以上の観察力を潜在的に備えているのかも知れない。美紗は頬を染めながら物陰から彼女と魚を見守った。
美紗はたった今大急ぎで駅前の人気コスメティックショップで買ってきたリップグロスを唇に塗ってみることにした。大人っぽくておしゃれな女になれるアイテムと言われて美紗はこれしか思い浮かばなかったが、初めて塗ってみたにしては上手くいった気がした。唇がぷるぷるになり、いい香りがする。これで憧れの雪乃さんと仲良くなれるかも知れない。
正面から飛び出るのもどうかと美紗は思ったが、背後から忍び寄っても仕方ないので堂々とご挨拶してみることにした。
「ゆ、雪乃さん・・・!」
顔を上げて美紗を見た雪乃ちゃんはしばしキョトンとした顔をしていたが、やがて青くなって震え始めた。
「雪乃さん・・・お待ち下さい!」
雪乃ちゃんはバニウオを抱きしめて逃げていってしまった。口の周りが真っピンクのピエロみたいな顔をした少女が名前を叫びながらいきなり現れたらそりゃ逃げるだろう。
「津久田様・・・」
「わ!」
あかりがフォカッチャドルチェの本売り場でいけてるヘアスタイルブックを立ち読みしていると、美紗が現れた。
「申し訳ございません津久田様・・・私の器量では先程頂いたアドバイスを生かしきることが出来なかったようで、雪乃さんに逃げられてしまいました」
「そ、そっかぁ、残念だったね」
雪乃ちゃんはさぞ怖い思いをしただろうなと美紗の顔を見てあかりは思った。
「とりあえず口の周り拭いたほうがいいよ」
「はい・・・」
美紗はあかりのハンカチで顔を拭いた。ちゃんとメイク落としを使わないと明日の肌が危うい。
「津久田様のおかげで私は雪乃さんの前に自ら立つことができ、あの人の視線を全身に感じられてとても幸せです。感謝してもしきれません」
「う、うん」
「ですがその・・・とても申し上げにくいのですが・・・もしも、もしも先程のアドバイス以外のもので雪乃さんの好みについてお心当たりはありましたら、それを私に教えて頂くことはできませんでしょうか」
他に何かないですかと言えば済むのに美紗ちゃんは随分と回りくどい言い方をする女である。
「さっきの以外で雪乃ちゃんの好みかぁ・・・」
「はい・・・ぜひお願いします!」
美紗の真剣な眼差しに貫かれ、なんだか後に引けなくなったあかりはメモ帳を取り出し、情報を探すふりをして雪乃ちゃんの別の好みを考えることにした。今度はもっとリアルなものにしないといけない。
「えーと・・・頭のいい人が好きって言ってたかなぁ」
「頭のいい人ですか・・・!」
「う、うん・・・でも単に勉強の成績がいいっていうのじゃなくて」
「は、はい・・・!」
「知的な冗談が言える人、みたいな」
「なるほど・・・! ありがとうございます津久田様!」
美紗はすごい勢いで二度頭を下げると本売り場を飛び出していった。
「ふー、セーフ・・・」
人間としてはアウトである。
美紗は再び雪乃ちゃんを発見した。今度は音楽準備室である。
「ねえバニ。敬語ってどうやって練習したらいいの?」
『うーん難しいね。練習とはいえ誰かとおしゃべりしてる時に間違えちゃったら恥ずかしいもんね』
「おねえちゃんはどうやって練習したのかな」
『あ、小さい頃の紫乃お姉ちゃんはね、壁に向かってよく練習してたよ』
「そうなんだ。バニは何でも知ってるんだね。すごい」
『照れるなぁ』
雪乃は何でも知っている。問題は本人にその自覚がないことだ。
さて、美紗は先程の経験から正面からの接近は雪乃ちゃんを怖がらせてしまうと学んだので、廊下からでなく音楽室側の小さなの扉を使ってこっそり準備室に侵入し、雪乃ちゃんの背後をとることにした。上履きを脱ぐことによって足音を消したので上手くいった。さあ今こそ知的ユーモアを披露する時である。
「青信号って渡らなかったら信号無視になるのでしょうか」
突然後ろからささやかれた雪乃ちゃんはびっくりして両腕を上げ、その拍子にバニウオのぬいぐるみが天井に向かってすっ飛んだ。
「落雷の稲妻も、コンセント挿した時のパチッと光るやつもみんな青や紫色なのに、電気と聞くと黄色のイメージがあるのはなんででしょう」
そしてその魚は美紗の頭の上に落ちたのだった。
「いたっ・・・」
雪乃は美紗の頭でぐったりしているバニウオをさっと抱きしめると音楽準備室から飛び出していってしまった。これは知的で面白い人になる以前の問題である。
「津久田様・・・」
「ひ!」
あかりが二年生寮の靴箱でローファーに履き替えていると、またまた美紗が現れた。
「申し訳ありません津久田様・・・私程度の凡人に知的な冗談など言えるはずがなく、また雪乃さんに逃げられてしまいました」
「そ、そっかぁ、難しいよねぇ」
冗談が言えなかったからといって逃げられるわけがないので、おそらく変な近寄り方をしたんだろうなとあかりは思った。
「とりあえず今日はもうやめておけば・・・?」
「そのほうがいいですか・・・」
「う、うん」
あかりはとにかく自分がアドバイスをし、それを美紗が実行するという流れを止めたいのである。
「津久田様・・・もう一度だけ、もう一度だけ私にチャンスを頂けないでしょうか」
「も、もう一度?」
「はい・・・私はわがままな後輩ですよね」
むしろ遠慮しすぎているくらいである。
「じゃあ、雪乃ちゃんの他の好みね・・・んーっと」
「お願いいたします・・・!」
あかりはメモ帳を白いページを睨みながら何かいいアイディアはないものかと頭を痛めた。自分で蒔いた種であるのでなんとか上手い具合に摘まないと先輩後輩の関係に禍根を残しかねない。
「えーとね」
「は、はい・・・!」
「強い女の人が好きって言ってたかな・・・」
「つ、強い女性ですか・・・!」
「う、うん。なんか勇敢な人が好きみたい」
「分かりました! 本当にありがとうございます津久田様!」
「いやぁ、なんのなんの」
美紗はすごい勢いで三度頭を下げると二年生寮を飛び出して行った。
「ふー、乗り切ったぁ」
いつかバチが当たるに違いない。
雪乃ちゃんは食堂二階にあるひと気のない休憩所の白い長椅子に腰掛けていた。二度に渡るおかしな人との邂逅でさすがに周囲を警戒しているようである。
「バニさん。私は今日から敬語を使います」
『え、ほんとに? やめておいたほうがいいよ』
「なぜでしょう」
『つかれるから』
「そうかな」
『そうだよ』
独り言をつぶやきながも雪乃ちゃんはあたりをキョロキョロしている。近づくのは容易ではない。
とりあえず美紗は自分の勇敢さをアピールする方法を考えることにした。そもそも美紗は別に勇者ではないのだが、雪乃ちゃんのためだと思えば多少の困難など問題ではない。手っ取り早い勇気の出し方といえば、ちょっと怖そうな先輩を注意をすることである。
美紗は階段を一度下りて食堂に集まってくる人並みの中から良き人材を探った。スカートの丈が短かったりリボンが緩かったりしている先輩が狙い目である。するとそこへおあつらえ向きな少女が現れた。おそらく運動部の三年生と思われるが、制服がちょっと乱れているだけでなく口元から尖った歯がキラッと覗いていてなんとも悪そうである。
「あの・・・少しお時間よろしいでしょうか」
「ん? なに?」
先輩の攻撃的な眼差しに気弱な美紗の心はポッキリ折れかけたが、雪乃ちゃんへのピュアな恋心がそれを即座に補強した。
「一分で終わりますので、ちょっと二階へ来て頂けませんか・・・」
「・・・は? 早く並ばないと牛乳プリン売り切れるんだけど」
「お、お願いします・・・!」
「ええー・・・?」
美紗は怖そうな先輩の背中を押して彼女を無理矢理二階に連れ込んだ。
「リ、リボンはゆるめてはいけません・・・!」
「な、なんなの急に」
「それから、スカートも短いと思います」
「え、そう?」
「短いと思います・・・!」
「短いって言っても、1センチくらいでしょ」
「1センチでもいけないと思います・・・!」
「わ、分かったよ直すよ・・・そんなにおこらなくていいじゃん」
先輩は身だしなみの改善を美紗に約束してから食堂へ去っていった。案外いい人である。
さあ今の勇姿を雪乃さんは見てくれただろうかと美紗は振り返ってみたが、休憩所には人の姿はおろか魚の影すらない。
「あれ・・・雪乃さん・・・?」
実は雪乃は階段の下から牛乳プリンがどうのこうのと騒ぐ声がした時点で身の危険を感じ、こっそり裏の階段から抜け出していたのだった。美紗の勇気は空回りし、テニス部の部長のリボンとスカート丈にのみ影響を与える結果に留まってしまった。
「津久田様・・・」
「う!」
あかりが食堂に向かって歩いていると、背後から美紗が現れた。すっかり疲れきった顔をしている。
「申し訳ありません津久田様・・・私はやはり雪乃さんと仲良くなんてなれないようです・・・」
「ま、また失敗したの?」
「はい・・・ひとえに私の力不足です」
美紗に足りない力があるとすればそれはアドバイスを貰う相手を適切に選ぶ能力である。
「あ、今から晩ご飯食べに行くんだけど一緒にくる?」
「ご一緒してよろしいのですか・・・?」
「もちろんモチモチきな粉持ちだよ」
あかりは美紗の落ち込みようを不憫に思い、少々責任も感じているのでマカロニグラタンくらいご馳走しようと考えたのだ。
ため息をつきながらの食事は体によくない。美紗に喜んでもらいたくてマカロニになった小麦たちの気持ちも考えて欲しいのだ。
「雪乃さん・・・」
美紗の落胆ぶりが凄まじい。彼女がこうなった原因が自分であることを知っているあかりは、美紗を元気づける責任がある。
「美紗ちゃん、大丈夫だよ! 雪乃ちゃんは誰に対しても人見知りなんだから」
「そうでしょうか・・・」
「うん! だから自分だけが避けられてるみたいに考えなくていいんだよ。誰も雪乃ちゃんには触れない、これが面白いところなんだから」
「そ、そうですよね・・・!」
「そうそう! 美紗くんはまだ誰にも負けていないゾ! 焦らず時間をかけて人魚姫ちゃんのハートを狙うんだ!」
「はいッ!」
元気を取り戻した美紗とあかりの元へ、この学園の美の化身である弓奈と生徒会長の紫乃が現れた。
「おねえさま方! こんばんはっ」
「あ、こんばんはあかりちゃん、美紗ちゃん」
「これからご飯ですかぁ?」
「うん。みんなで食べよっか」
その弓奈の背後に、あかりと美紗は見覚えのある姿を見つけた。バニウオの耳を首に巻いて背負った色白の少女である。
「あ、さっきそこで雪乃ちゃんに会ったの。一緒に食べるってさ」
雪乃ちゃんは弓奈の腰におもいっきり抱きついて頬擦りしている。それはもう甘える子猫のようで、美紗には刺激が強すぎる光景だった。
「はぁ! 雪乃さんが・・・倉木様の体にほっぺをすりすりと・・・!」
「美紗ちゃん! 見たらだめだぁ!」
あかりの制止虚しく美紗はその場にへたり込んでしまった。美紗には弓奈という越えなければならない高い高い壁があったのだ。
「美紗ちゃんしっかりするんだ! 寝ちゃだめだっ」
あかりが肩を揺さぶると、美紗は半分泣きながら小さな声で呟いた。
「素敵なものを見させて頂きました・・・」
「え・・・」
前向きなのか後ろ向きなのかハッキリしない少女である。
「私はもっと修行を積んで参ります・・・! いつか私も・・・倉木様のように・・・!」
美紗はグラタンのお皿を抱えたままどこかへ駆けて行ってしまった。二人の様子を黙って見守っていた紫乃はため息をついてあかりに注意をした。
「お二人とも騒々しいです。食堂では静かにしなきゃだめです。一体この騒動の原因はなんですか」
あなたの妹である。
少女たちの思惑など何も知らない無邪気な雪乃は、弓奈の手のぬくもりの中で夕暮れの心地よい空腹感を楽しんでいた。




