117、中庭
「ひどい手紙です」
紫乃は激怒していた。
「二度あることはサンドイッチですねぇ! 去年の人と同じ人じゃないですかぁ♪」
あかりは楽しんでいる。
「舞さんからかぁ・・・」
弓奈はすっかり憂鬱だ。
テニス部のお嬢ちゃん安斎舞から生徒会室に今年も果たし状が届いた。今度こそ体育祭のクラブ対抗リレーでぶちのめすから、生徒会で出場してテニス部と当たるよう調整するように、といった内容である。
「またあの人は弓奈さんの名前を間違えて・・・許せません」
紫乃は小さな拳をぎゅっと握ってわなわな震えている。
「い、いいじゃん紫乃ちゃん。競争してあげようよ」
「いいえ、もう許せません。無礼な女のために使うカロリーは生徒会にありません。文句を言って来ます」
紫乃はぷんぷん怒りながら手紙を掴み席を立った。
「安斎さんに抗議してきます。まともな手紙に書き直してこないと挑戦には応じないと言ってきます」
「私も行きまーす!」
あかりは両手を上げてそう宣言した。あかりは他人の機嫌に影響されない女であり、それがいいことかどうかはちょっと分からない。
「あかりさんは来ないで下さい。ややこしくなります。弓奈さんもここで待ってて下さい。現場は危険になるかもしれませんので」
「あ、うん・・・」
一体何をするつもりなのか。
「いってきます」
「いってらっしゃーい・・・」
行ってしまった。紫乃ちゃんは怒らせるとこわい子なのである。
「弓奈お姉様っ。二人きりですね・・・」
「そ、そうだね」
あかりが頬を染めてくねくねし始めた。弓奈にとってはイヤな空間である。
「あ、日誌でも書こっかな」
「そんなことよりお姉様、一緒に何かして遊びましょう!」
「え・・・」
触れ合いのある遊びは勘弁して欲しいと弓奈は思った。
「触れ合いのある遊びをしましょう!」
「日誌書くね・・・」
「えー」
えーではない。弓奈と紫乃が生徒会の任期を終えたらどう考えてもあかりが生徒会の中心になるのだから、もう少しお仕事への情熱を持って欲しいところである。
「じゃあお姉様、雪乃ちゃん探ししましょう」
「ゆ、雪乃ちゃん探し?」
「はい。最近流行ってるんですよ。学園のどこかにいる人魚姫ちゃんを発見すると幸せになれるっていう」
「へー・・・」
雪乃ちゃんが幸福の妖精みたいにされている。彼女も大変である。
「一緒に見つけて一緒に幸せになりましょうー♪」
あかりは弓奈の腕に抱きついた。面倒だがもう断る元気もなくなってしまったので弓奈はしぶしぶ雪乃ちゃん探しゲームをすることにした。
「あんまり遠くは行きたくないなぁ・・・紫乃ちゃん帰ってきちゃうから」
管理棟の廊下を歩くあかりの背中を追いながら弓奈は呟いた。
「それは分かりません。雪乃ちゃんの居場所次第です♪」
あかりは笑って振り返った。弓奈にとって、生徒会室に戻るのが遅れて紫乃に呆れられてしまうことだけはどうしても避けたい不幸である。幸せを探しに出掛けて不幸になってしまうなんてイケてる皮肉である。
「んー、どこにいるんだろう・・・音楽室とかかな・・・」
「あ! 弓奈お姉様あれ見て下さい!」
「え?」
管理棟の窓から見おろす中庭の小さな池の畔に見覚えのある日傘がひとつ咲いている。間違いなく雪乃ちゃんだ。しっかりバニウオの巨大ぬいぐるみも背負っている。
「やったーお姉様! これで私たち幸せになれますぅ!」
「早いなぁ・・・」
牛乳を買いに行こうと思ったら玄関の前に牛がいた感じである。
「雪乃ちゃん、何してるんでしょうね」
「んー」
池の周りをてくてく歩いているようだが、よく見ると白いアヒルのあとをゆっくり追いかけているらしい。アヒルの子みたいである。時々アヒルに気づかれて逆に追われているようだが、本人は楽しんでいるようである。彼女は一人遊びの天才だ。
「さ、帰ろうかあかりちゃん」
「あれあれ? ちょっと待って下さい」
あかりは早く帰って紫乃を待ちたい弓奈の腕を抱いて強引に引き止める。
「な、なに?」
「あれ見て下さい。なんか・・・すごく怪しくないですか」
「え?」
あかりの指差した先、中庭のしだれ桜の陰に何やら少女の姿がある。そもそもこの中庭は花壇とアヒルに用のある人間以外滅多に人の立ち入らない場所なのに、そのさらに木の陰に隠れようものなら怪しさ爆発である。
「怪しいですね」
「ま、まあね・・・でも取りあえず戻ろうよ」
「いいえ、あれは学園のアヒルを狙うハンターである可能性があります。生徒会員として彼女の企みは阻止しなきゃいけませんっ!」
あかりは都合のいい時だけ生徒会員としての責任感を開花させる。
「行きましょう! ほらほら」
「ああっ、うん・・・わかったよ」
飛び跳ねるあかりに手を引かれて弓奈は中庭へ向かった。
あかりは念のため渡り廊下に置かれていたバケツを頭から被り、竹ぼうきを持って武装した。
「怪しい奴を相手にするにはこのくらいの準備が必要です」
今のあかりちゃんが一番怪しいなと弓奈は思った。
大きく回り込んだ二人はしだれ桜の少女の背後をとった。どうやら学園の生徒のようである。
「一体なにをしてるんでしょうねぇ」
「んー・・・」
弓奈はなんとなく少女の後ろ姿に見覚えがある気がした。知り合いだったらやだなと思いながらも確認のために弓奈は花壇の陰をしゃがんだまま移動し、少女の横顔を覗きに行った。
「ん!?」
純粋で執念深く、それでいて気弱なあの瞳・・・残念だが彼女は弓奈の知り合いである。
「美紗ちゃん・・・?」
チューリップの陰から弓奈がそう呼びかけると少女はビクッと飛び跳ねてしゃがみ込んだ。間違いなく以前隣り街のプールでお話した蒔崎美紗ちゃんである。美紗はアヒルと戯れる雪乃にバレないようにハイハイをしながら弓奈の元へやってきた。
「倉木様・・・お恥ずかしいところをお見せしてしました!」
声高いなぁと弓奈は思った。
「いや、別にそれはいいんだけど、美紗ちゃんってこの学園に入学したんだね」
「はぁ! お伝えしていませんでしたかっ」
「う、うん」
「申し訳ございませんっ・・・あの時は慌てていたもので・・・!」
今も十分慌てている。
弓奈が怪しい少女との接触に成功した様子を見て、バケツを被ったあかりも花壇のそばへやってきた。
「ひぃ! バケツの妖怪ですか?」
「あ、大丈夫だよ、この人は人間だから」
あかりは「じゃーん」と言ってバケツを脱いだが、そのとたん彼女は目を丸くした。
「え! 美紗ちゃん?」
「はぁ! 津久田様っ」
「え・・・二人は知り合いなの?」
「美紗ちゃんは私の友達の妹なんです。懐かしいなぁ、亜理沙元気にしてる?」
「は、はい。姉は親友である津久田様と、そして憧れの女性である倉木様と同じ学園に入学出来なかったことを気に病み、倉木様の声が収録されたMP3プレイヤーを日夜聴いて暗い毎日を過ごしておりますが、元気です」
どこが元気なのか。
実は美紗の姉とあかりは中学時代一緒にこの学園の学園祭に来ているほど仲良しであり、一緒に弓奈宛てのラブレターを書いたりしたくらいなのだが、あかりだけがやたら勉強の成績が良かったせいもあり高校では離ればなれになってしまったのである。
「それで美紗ちゃんここで何してるの?」
「そ、それは・・・!」
当然抱き得る疑問をあかりは美紗にぶつけたが、弓奈はその答えを概ね理解しており、美紗のハートを守るために助け舟を出すことにした。
「あかりちゃん。美紗ちゃんはね、しだれ桜の幹を観察してたんだよ」
「く、倉木様! それもあるのですが・・・実は私・・・雪乃さんを見ておりましたっ!」
助け舟謎の転覆。美紗は嘘がつけない女らしい。
「万が一雪乃さんが池に落っこちてしまったとき・・・真っ先助けたかったのです・・・!」
「へぇ〜、亜理沙も変わってたけど美紗ちゃんも変わってるなぁ♪」
あなたも結構変わってるよと弓奈は心の中で呟いた。
『グワッ』
「わあ!」
突如背後で聞こえたアヒルのご挨拶に三人は声を揃えて叫んでしまった。広い中庭の花壇の陰に三人が頭を寄せ合ってこそこそしゃべっているのだからアヒルが怪しんで当然である。アヒルに続いて雪乃ちゃんが顔を出した。彼女は弓奈に会えた喜びからか日傘の軸をくるくる回した。その愛らしい仕草に胸を射抜かれた美紗は目をぎゅっと閉じて赤面した。
「ゆ、雪乃ちゃんこんにちはー」
「弓奈!」
雪乃ちゃんはふんわりと前髪を揺らしながら三人の目の前にしゃがんだ。美紗は思わず弓奈の背中に隠れた。
「なにしてるの?」
「い、今? えーとねぇ・・・あ、チューリップ見てたの! ほら、奇麗だねぇって」
「チューリップ?」
「うん!」
雪乃は白い指でチューリップの厚い葉を揺らしてそっと笑った。その横顔を美紗は涙が出る思いで眺めた。憧れの少女が、手を伸ばせば届きそうな距離で天使のような笑顔を見せてくれたのだから仕方ない。
『グワッ』
「いたっ。いたいいたい」
一方なぜかアヒルはあかりが気に入らないらしく彼女の背中をしきりにつっついていた。
頼りになるアヒルさんこそいたが雪乃ちゃんが一人遊びをしていたことに変わりはなく、こうしてせっかく出会ったのだからもうしばらく一緒にいてあげようと弓奈は思ったが、早く戻らないと紫乃に怒られてしまう。
「雪乃ちゃん。これから私たち生徒会室行くけど、一緒に来る?」
「行く!」
「よぉし、行こー♪」
弓奈は雪乃ちゃんと手を繋ぎながら、こっそり美紗に「一緒においで」と耳打ちした。美紗は頬を染めてゆっくりうなずいた。
『グワッ』
「グワッグワッ!」
『グワッグワッ』
「グワッグワッグワッ!」
「あかりちゃんも早くおいで・・・」
紫乃は三年生寮でリリーマシュマロの小袋を二つ買ってきた。
安斎さんに果たし状の再提出をさせて手紙の書き方などを厳しく指導していたらこんな時間になってしまった。もう夕ご飯の時間である。待ってて下さいとは言っておいたが、もう弓奈さんとあかりさんは寮に帰ってしまったかもしれないと紫乃は思った。もし待っていてくれたのならお詫びにマシュマロをあげるつもりだが、望みは薄い。
誰もいないだろうなと思いながらも一応扉はノックした。
「ただいまぁ・・・」
「あ、おかえりなさーい!」
「えっ!」
誰もいないどころか人数が倍に増えていた。




