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107、恋の味覚

 

 まるでダイヤモンドのようだった。

 あかりは自分で作った雪のウサギを晴れ間に透かしながらその美しさにうっとりしていたが、第三管理棟の裏口に人の気配を感じて花壇の陰に素早く身を隠した。雪のウサギは裏口の方に顔を向けて花壇の端に設置した。

(雪乃ちゃーん・・・出ておいでー)

 あかりの計算では、2時間目の後の休み時間に第三管理棟裏で待機をしていれば、朝のお勉強を終えた雪乃ちゃんが散歩するために外に出てくるはずなのである。雪乃には専属のスクーリングティーチャーがつけられており、あかりたちが授業をしているときは彼女もお勉強中なのだ。

(・・・来たぁっ!)

 息をころすあかりの視線の先に日傘を差した雪乃ちゃんが現れた。彼女の表情にあまり変化は見られないが、日傘をちょっとだけくるくる回しているので雪の積もった冬の晴れ空を喜んでいるのかもしれない。

(・・・気づいてぇー)

 あかりの念が通じたらしい。雪乃は雪で白く染まった花壇のレンガにちょっこり顔を出しているウサギに気が付き、ちょっと警戒して遠巻きに眺めながらも一歩一歩近づいてきた。

「雪乃ちゃん捕まえたぁ!」

「ふえ!」

 あかりはウサギに釣られて寄ってきた雪乃ちゃんの捕獲に成功したが、驚くと両手を挙げるくせを雪乃が持っていたために彼女の手があかりの顔面を直撃した。

「雪乃ちゃーん! 会いたかったよぉ!」

 あかりは赤くなった自分の鼻を押さえながらも笑顔である。

「はい、チョコあげる! 雪乃ちゃんのために魚型のチョコ買ってきたんだよぉ!」

 雪乃はしゃがんで日傘をすっ被りぶるぶる震えている。

「ほら、ほーら。チョコだよぉ」

 震えてはいたが、雪乃はあかりのことを知らないわけではないし、どうやらお菓子をくれようとしていることに気づいてそっと顔を上げた。

「はい。どうぞ」

「・・・ありがと」

 思わず雪乃は受け取ってしまった。あかりの押しの強さには誰もかなわないのだ。雪乃はペコリと頭を下げてから第三管理棟に逃げ帰っていった。長靴の小さな足跡を目で追いながら、あかりはとても満足気である。

「雪乃ちゃん捕獲作戦成功! 次はいよいよお姉様たちですぅ!」

 あかりがチョコレートをあげたいと思っている人物は4人。鈴原姉妹、弓奈お姉様、そして小熊先輩である。弓奈については言うまでもなく、残りの二人もかなりの人気者なのでチョコを渡しにいくことは困難と思われるが、したたかなあかりはすでに完璧な作戦を練っている。その名も昇降口手渡し大作戦。通常、昇降口の靴箱と言えばヴァレンタインにおいて間接的なチョコ渡しに利用するスポットであるので、わざわざここで待機して手渡ししようとする少女は皆無なのだ。灯台下暗し。チャンスは案外ど真ん中に転がっているものなのだ。あかりは放課後一番に昇降口へたどり着けるようしっかりと体操をしながら教室へ帰っていった。





「弓奈ちゃーん! チョコです!」

「貰ってぇ! うちの愛だよ!」

「お願いします! このチョコと一緒に私を受け取って下さい!」

 弓奈の元にはあらゆるタイミングで少女がやってくる。

「ご、ごめんなさい! チョコは誰からも受け取れないんです」

「きゃあ! 断わり方もやっぱり素敵ぃ!」

「初めてお目を合わせて頂き感激です!」

「今日のポニーテールは昨日より3ミリ程高いですわね」

 隣りの席の紫乃は弓奈に集まってきた少女たちを生徒会長の威厳で無言のままに追っ払ったが、胸の中は少々もやもやした。そういえば弓奈は誰からもチョコレートを貰わない系女子だったのである。紫乃が匿名でチョコをこっそり渡しても弓奈が受け取ってくれる可能性は限りなく少ないのだ。

「うーん・・・」

「どうしたの紫乃ちゃん」

「わ! なんでもないです」

 帰りのホームルームを受けながら紫乃はなかなかの名案を思いついた。放課後になった瞬間に弓奈と別行動をとり、昇降口へ向かうのである。そして弓奈の靴箱を開けてそこに自分のチョコをつっこむのだ。もちろん靴箱戦法は数えきれないほどの女子がとっているものであり、現時点ですでに弓奈の靴箱にはチョコが溢れていることだろう。なので、紫乃はそのチョコたちにまず靴箱からどいてもらい、自分のチョコ一個だけを入れておくのだ。もちろんそれはわるいことだが、どうせ人からチョコを受け取らない弓奈はそういったチョコたち全てを後で本人たちに返すのだから、今日の夜にでも「間違えて私の靴箱に入っていましたよ」みたいなことを言って弓奈に全部届ければ、順番が前後するだけであって特に問題はないはずである。もし靴箱を開けて一個だけチョコが入っていたら思わず手にとってカバンに入れてしまうのではないか、紫乃はその僅かな可能性にかけることにした。

 一方弓奈も、帰りのホームルームを受けながらなかなかの名案を思いついた。放課後になった瞬間に紫乃と別行動をとり、昇降口へ向かうのである。そして紫乃の靴箱を開けてそこに自分のチョコをつっこむのだ。その後しばらくして何食わぬ顔で彼女と合流し「そのチョコなぁに?」と言えば「ああ、これは靴箱に入っていたんです」となり「すごーい! 食べてみたら?」と返し「そうですね。食べてみます」となるわけである。我ながら完璧な作戦だと弓奈はにやにやした。

「起立。礼」

「さようなら」

 挨拶をした瞬間、二人は「弓奈さん!」「紫乃ちゃん!」とお互いのことを同時に呼び合っていた。

「な、なぁに紫乃ちゃん」

「弓奈さんからどうぞ」

「あ、えーと、実は私このあと用事があって。紫乃ちゃんは一人でゆっくり寮に戻っててくれるかな」

「え、そうなんですか」

「うん。ゆーっくりね」

「分かりました。じゃ、寮まで別行動で」

 紫乃にとってもこれは好都合である。二人は教室前の廊下で分かれることにした。

 弓奈は東階段へ、紫乃は西階段へ向かったが、お互いの背中が見えなくなったとたん二人は昇降口に向かってダッシュした。二人は靴箱も隣り合っているので目的地がほぼ被っている。このまま行けば昇降口前でコンニチハになり妙な空気になってしまうこと請け合いだが、この学園に住むいたずら好きの女神様がそれを許さなかった。

 弓奈がたどり着いたその昇降口にはまさかの先客がいたのだ。

「うっ!」

 思わず弓奈は靴箱手前の展示物用のショーケースの側面に身を隠した。

 一方西側から階段を下りていた紫乃もここにたどり着いたが、同じようにとある人物が目に入りショーケースの陰に身を隠した。このショーケースは各大会の優勝旗などが飾られているもので、やたら横に長く、壁にぺったり張り付いているものなのでその両端に隠れても二人が出会うことは無かった。

「お姉様ぁ。あかりはここで待っておりますぅ♪」

 頬を染めてクネクネしているのは財閥の娘、津久田あかりである。ホームルーム後に走ってきた二人よりも先に着いているということは、おそらく教室を1分程早く抜け出してきたに違いないのだ。彼女はずいぶんと高そうなチョコを持っている。

 あかりの存在で二人の計画は狂い始めた。早くそこをどいて貰わないと他の生徒たちが大勢やってくるので弓奈も紫乃もショーケースの陰で頭を痛めていた。

 すると、ここへ新たな風が吹く。

「あら、あかりちゃん。こんなところでなにをしているのかしら」

「きゃあ! 会長様ぁ!」

「んもぅ。私は会長じゃなくて先輩だって言ってるでしょう」

「先輩様ぁ!」

 小熊先輩の登場である。ややこしい事態になったものだ。小熊先輩があかりをどこかに連れて行ってはくれないだろうかと弓奈たちは願った。

「今、チョコを渡そうと弓奈お姉様をお待ちしているんです! 小熊先輩様にもこのあとお渡ししようと思っておりました!」

「まあ嬉しい」

「どうぞ! ルノワールの描いたイレーヌちゃんをかたどった特大チョコです!」

「まあ素敵。ありがとう、嬉しいわ♪」

「きゃあ! こちらこそぉ!」

「おっきいのね」

「先輩様のお胸のほうが大きくて素敵です!」

「んもぅ。あかりちゃんはエッチなんだから♪」

 そういうやりとりはどうか別の場所でやって欲しいと弓奈たちは思った。

「ところであかりちゃん」

「なんですか!」

「弓奈ちゃんを待つなら別の場所がいいと思うわ」

「どうしてですか?」

「ここへ来るときの弓奈ちゃんは必ず鈴原さんと一緒にいるもの」

「でも私、紫乃先輩にもチョコ渡したいのでそれならちょうどいいと思うんですけど」

「弓奈ちゃんがチョコを受け取らないこと、有名でしょう? 可愛いあかりちゃんがそうやって直接渡せばもしかするかもしれないけれど、弓奈ちゃんの親友の鈴原さんはきっと許さないわ。弓奈さんは嫌がっています、さようならって言われちゃうわよ」

「なるほどぉ・・・」

「夜の二年生寮をうろついて弓奈ちゃんが一人になるタイミングを探したほうがいいと思うわ」

「わかりました! ありがとうございますぅ! やっぱり小熊先輩様はすごいですぅ!」

「まあ。あかりちゃんったら」

 驚いたことに、弓奈と紫乃の願いが現実のものとなった。

「それでは! 失礼しますぅ!」

「はーい。ごきげんよう」

 あかりはまぶしい雪の世界へ、小熊先輩は再び階段へ向かって靴箱のそばを離れていったのだった。

 さあこんなチャンスもう二度と来ないことだろう。帰りのホームルームが終わって既に3分ほど経っているので温厚で歩幅が狭い生徒ばかりが集まっていると噂の本学園においてもさすがにそろそろ生徒たちが昇降口にたどり着くだろう。自分一人がお目当ての少女の靴箱を独占できるのは今しかない、弓奈と紫乃は同じことを思ってショーケースの陰から飛び出したのだった。

「え!」

「にゃ!」

 当然ばったり出会うことになる。

「し、紫乃ちゃん!」

「弓奈さん!」

 不運なことに、この短いチャンスをものにするために二人は自分のチョコを既にカバンから取り出して手に持っていたのだった。明らかにヴァレンタインチョコと分かるそれである。

「いや、違うの、これは・・・」

 二人はチョコを後ろに隠してもじもじした。言い訳のできない状況である。こんな場面を救ってくれる女神様がこの学園にいるのだろうか。



 階段を上りかけていた小熊先輩は違和感を覚えて立ち止まった。彼女の天才的計算では、放課後一番に紫乃が弓奈の靴箱を狙うが、あかりがその邪魔になっているので彼女をどかしてやり、紫乃のチョコが無事に弓奈の靴箱に届くはずだった。これは単なる勘ではなく先輩が人の心理を数値化して計算した合理的な解でもあった。しかし、なにかが引っかかったのである。自分が見落とした誰かの感情とその変化が妙なことを巻き起こしている気がしたのである。これは彼女が自分の計算外の、いわゆる勘というやつを信じた珍しい例である。小熊先輩は再び階段を下り始めた。

「そのー・・・このチョコは・・・」

 二人はなにも言えなくなって立ち尽くしてしまった。弓奈はこんな愛情たっぷりなチョコを紫乃にあげれば完全に引かれてしまい、あなた本当は女好きなんですねみたいなことを言われて絶交されると思っており、紫乃のほうはそもそも誰かにチョコを作っていることがバレただけで問題であり、紫乃ちゃんって本当は女の子が好きなんだねみたいなことを呟かれて弓奈に嫌われると思っているのだ。本当は両想いであるのに、こんなややこしい状況が生まれてしまったのは彼女たちの運命のせいであり、ある種の試練なのかもしれない。

「あら、お二人ともここにいたのね♪」

 場違いな明るい声が弓奈たちの緊張をぱっとほどいた。

「せ、先輩!」

「どうしたのかしら弓奈ちゃん、鈴原さん。そんなに可愛いお顔して」

 先輩は紫乃に歩み寄って耳にふっと息を吹きかけた。

「んにゃ! やめて下さい!」

「鈴原さんの作ったチョコ、美味しかったわよ」

「・・・私の作ったチョコ?」

 もちろん紫乃は小熊先輩にチョコなど渡していない。

「それ、私が鈴原さんに作らせた私のためのチョコの残りでしょう? 弓奈ちゃんにも食べてもらうことにしたのね。確かにあれは多すぎたものね」

 先輩は巻き髪をふわふわ揺らしてエレガントに笑った。

「実はね、私が無理矢理チョコを作らせたのは鈴原さんだけじゃないのよ。実は弓奈ちゃんにもやってもらったのよ。弓奈ちゃんのチョコも美味しかったわぁ♪」

 弓奈は「へ?」と妙な声を出してしまった。

「あら、弓奈ちゃんも余ったチョコを他の人に食べてもらうことにしたのね。自分で全部食べちゃっていいのに、やっぱりちょっと材料を買い過ぎたのかも知れないわね」

 弓奈も紫乃も、この辺りでようやく気がついた。先輩が助け舟を出してくれているのだ。二人は互いに相手が小熊先輩のためにチョコを作らされたのだと思い込み、自分にも同様の依頼が先輩からあったことにして、どうしようもなく余ってしまったチョコを仕方なく友人に譲る、という形でこの場を説明して丸く収めることにしたのだった。

「そ、そうなんだよ紫乃ちゃん! 実は私もね、先輩に強制的にチョコ作らされちゃって余ってたの! だから、あげるね」

「わ、私もです。小熊先輩は食い意地の張った女なので、弓奈さんだけでなく私にもチョコを作らせたんです。作り過ぎた分は仕方ないのであなたにあげてもいいです」

 それを聴いた小熊先輩は後ろ姿で笑うと階段に去っていった。彼女の背中を見送りながら二人は「先輩にはあとでお礼を言わなきゃ」と思った。

 三階の踊り場で小熊先輩は立ち止まり壁にもたれた。古い卒業制作と思しきステンドグラスの彩りが放課後の階段を虹色に染めているのをうつむきがちにぼんやり見つめながら、先輩は優しいため息をひとつついたのだった。

「そっかぁ。弓奈ちゃん・・・あの子も」

 彼女の瞳には静かな高揚感とある種の悟り、そして切なさが輝いていたのだった。




 寮に戻った二人は当然それぞれの部屋に帰る。ドアを閉めた瞬間の紫乃の喜びといったらない。

「やったぁ・・・!」

 彼女はひそひそ声でそう叫んでからベッドの上でカンガルーのように飛び跳ねた。先輩に作らされたチョコの残りとは言え大大大好きな人から手作りチョコを貰えた上に、持て余していた自分のチョコもうまいこと弓奈にあげることができたのだから彼女が喜ぶのも無理はない。紫乃は危うく床に落っこちるところをぎりぎりでお布団にしがみついて持ちこたえた。ぽっと燃えるような熱を頬に感じながら見上げた天井はいつもより木目がはっきりと見えた。なんだか世界がより色鮮やかになったようである。紫乃はとりあえずよーく手と顔を洗ってから弓奈のチョコの箱を開けることにした。

「わぁ・・・」

 ガトーショコラだった。それはもう紫乃がイメージする弓奈の美しさの欠片がそのまま空から舞い降りてきたような、夢のようなチョコレート菓子だった。こんなものを食べてしまおうとしている自分が恐ろしく多少胸も痛むが、ガトーショコラは物理的に痛んでいくものなので勿体ないと言っておればいずれもっと勿体ないことになる。ここは勇気を出して食べるしかない。紫乃は食器棚にある一番気に入っているラベンダー柄のお皿を取り出してガトーショコラをのせた。

「い、いただきまぁす・・・!」

 口に入れた瞬間、とろけるように甘い香りと優しい舌触りが紫乃の体じゅうをしびれさせた。こんなに美味しいお菓子が今までこの星にあっただろうか。弓奈さんと結婚すればこんな美味しいお菓子をたくさん作ってくれる・・・紫乃が妙な妄想までし始めてしまう程にガトーショコラは美味しかったのである。



 さて、問題はここからである。誰もが忘れている情報ではあるが、紫乃は学園でも一位二位を争うほどに料理が下手なのである。

「やったぁ・・・!」

 部屋に戻った弓奈はひそひそ声でそう叫んでから床をバレエダンサーのようにくるくる回った。小熊先輩に無理矢理作らされたチョコの残りとは言え、あの超硬派な紫乃ちゃんが作ったとっても希少価値の高いチョコを頂けたのだ。おまけに自分が作ったガトーショコラも無事に渡せたときたのだからハッピーこの上ない。弓奈は一度シャワーを浴びてから紫乃ちゃんのチョコを食べることにした。

 紫乃の箱を開けると乾いた流木が出て来た。いや、よく見ると多少不格好ではあるがチョココーティングされたミルフィーユのようである。唐辛子のような刺激と怪し気な苦みが箱からゆらゆらと香ってきた。

「い、いただきまーす」

 正常な神経を持った人間であればとても食べられた味の代物ではないが、ミルフィーユを口に運んだ弓奈の目はキラキラ輝いていた。

「美味しい!!!」

 愛の成せるわざなのか分からないが、今日の弓奈はひどく味音痴なようである。

 

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