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106/151

106、小熊先輩はキスをしない

 

 14日は夜明け前から雪が降っていた。

 まだ暗く静まり返った学園の二年生寮にたった一つだけ明かりを灯している小さな窓がある。その曇りガラスの向こう、部屋の小さなキッチン台の前に立ち尽くして頭を抱えているのは鈴原紫乃であった。

「はぁ・・・」

 紫乃は今年も作ってしまったのだ。弓奈に渡せるはずがないヴァレンタインチョコレートを。昨年は自分からのものと分かる紫色の箱に入れた愛のメッセージ付きチョコをあやうく弓奈の手に渡してしまうところだったが運良く取り戻し、食いしん坊な体育教師に渡して処分することに成功した。前回あんなにヒヤヒヤしたのだから、まともな神経を持った少女であれば今年はゆっくりと睡眠をとって何事もない平穏なヴァレンタインを迎えたことだろう。しかし紫乃が抱えている弓奈への愛は2月14日を何もせずに迎えられるほど大人しい規模のものではないので、今年もめでたく災厄のタネが完成したのである。

「どうしよう・・・」

 弓奈さんに食べてもらいたい・・・色々考えたがこの願いが紫乃の全てだった。大好きな人のことを考えながら徹夜でチョコミルフィーユを作ってみれば紫乃の気持ちがいくらか分かってもらえるかもしれない。

 しかし、弓奈に直接チョコを渡すのはまず不可能である。クールでかっこいいはずの紫乃がヴァレンタインチョコを作ってくるだなんてどんな言い訳も通用しない珍事だからだ。

「はぁ・・・」

 いい案が浮かばない。やはり人間は人生の4分の1くらいはお布団の中で過ごすべき生き物なのであり、寝不足は肉体にも精神にもよくない。ミルフィーユを冷蔵庫に入れた紫乃は一時間程度ではあるが眠ることにした。

 しかし布団に潜り込んでも頭の中はチョコレートフェスティバル。チョコが脳裏で暴れていて目がちかちかした。食べ物に精神を脅かされる日が来るとは思わなかった紫乃は、枕を抱きしめたまま邪念を振り払うようにごろごろ転がった。

 ごつんとおでこを壁にぶつけてしまったとたん、ささやかなアイデアが浮かんだ。

「・・・そうだ!」

 紫乃は独り言全開で体を起こした。

「匿名で渡せばいいんです!!」



「匿名で渡せばいいんだ!!」

 紫乃のベッドから壁を一枚はさんだ隣りで、弓奈も同じようにベッドの上で叫んでいた。

「私からのチョコだってことがバレなければ渡せるじゃん!」

 弓奈は部屋の電気を消して横になり、あやとりしながらずっとチョコのことを考えていたのだ。おととい作って冷蔵庫で眠っているガトーショコラはぼちぼち消費期限のはずなので今日渡せなければ自分で食べるしかないと思っていたが、匿名で渡すという手段があった。自分からのものと気づいてもらえなくても構わない。ちょっと食べてくれれば本望なのである。すでに今日はヴァレンタイン当日であるが、前日に小熊先輩に無理矢理食べさせられたフライングチョコがやたら甘くて胸焼けを起こして眠れないので、せっかくだから東の空に太陽が顔を出すまで細かなプランを練ることにした。



 昨日の夜はなかなかにひどかった。

 午後7時。お気に入りのトリートメントが切れていることに気がついた弓奈は制服とコートを着て三年生寮に向かった。彼女が使っているトリートメントは二年生寮のフォッカでは販売していないのである。ヴァレンタインの前日なので嵐の前の静けさというわけではないが人影も少なく、弓奈は無事にトリートメントを買うことができた。三年生寮のコンビニはリリーマシュマロというお菓子が名物でとても美味しいらしいのだが余計なものを買うとお小遣いがなくなるのでガマンした。

「あら弓奈ちゃん。珍しいところにいるのね」

 まるでここに弓奈が来ることを知っていたかのような堂々たる登場をしたのはいつものハーフの女である。

「こ、小熊先輩。こんばんは」

「お買い物かしら」

「はい。トリートメントを買いに来てました。もう帰るところです」

 帰るアピールをしておかないとなにか悪いことに巻き込まれる予感がしたのだ。

「丁度いいわ。弓奈ちゃん、私の新作を見ていってくれないかしら」

「新作・・・ですか」

 何が丁度いいというのか。小熊先輩からの誘いはいかなる場合も基本的に断る姿勢を示さないと身が危ない。

「いやぁ・・・ちょっと今日は宿題があるので」

「あら、さっき職員室で二年C1組の指導案を全部盗み見てきたけど今日宿題は出てないはずだわ」

 あなた職員室でなにしてんのと弓奈は思った。

「さ、私の部屋に案内するわ。いらっしゃい」

「う・・・」

 小熊先輩は場の空気を支配する天才である。丸め込まれた弓奈はしぶしぶ彼女に付いていった。

 三年生寮はかなり落ち着いており勉強する環境としてなかなか適している。学園らしいヨーロピアンな魅力もありながら決して古い建物ではないので細かな設備も充実しているのだ。先輩の部屋は三階の角部屋らしい。廊下の突き当たりの小窓からは時計塔がぼんやり見えた。

「どうぞ。入って」

「はい・・・」

 意外なことに部屋の中は絵の具のにおいがせず、ちょっとオトナなハーブの香りが漂っていた。つまり先輩は絵の具を使う作業をすべて生徒会室で行い、自分の部屋は勉強に最適な空間に維持するという卑怯なやり方をしていたということになる。

「結構・・・きれいなんですね」

「アトリエみたいになってると思った?」

「ええ。まあ」

 ダークブラウンを基調とした寮部屋がなんだかかっこよく弓奈は思わず見とれてしまった。

「コート脱いだらどうかしら」

「あ、そうですね」

「ベッドにでも腰掛けてて」

「はい」

 先輩はキッチン台の奥の冷蔵庫へ向かった。こんなに奇麗な部屋に高校生が住んでいると考えるとあのアパートに暮らす石津さんが不憫に思えてならない。

「はい、これが私の新しい作品」

「え」

 先輩が持って来たのは手のひらくらいの大きさがあるハート型のチョコレートだった。

「そ、それって!」

「ヴァレンタインチョコ。今日渡す方が賢明だと思ったのよ」

 あろうことか先輩はいつかの食堂の時のようにシャツのボタンをいくつか外しすでに下着を露出している。

「はい、弓奈ちゃん。あーん」

「いや、チョコは頂けないっていうか! ま、まずそのボタンを留めてください」

「あーん、して」

「ち、近づかないで下さっ! きゃあ!」

 弓奈はベッドに押し倒された。部屋の様子などに気をとられてあっさりコートを脱ぎ、油断しきったポジショニングをしたことが敗因である。

「食べさせてあげるわ」

「やめて下さーい!」

 先輩は笑いながらチョコをくわえると、それをそのまま弓奈の口元に運んできた。弓奈は口を閉じて必死に抵抗するが、その間も先輩は弓奈のシャツのボタンをひとつひとつ外していく。こんなことを続けられるとどこまで脱がさせるか分からないので弓奈は仕方なくチョコをくわえた。パクッとくわえれば先輩はチョコを放してくれると思っていたのだが彼女もチョコをくわえたままである。顔が非常に近い。

「ん・・・んん」

 チョコそのものはかなり甘いがなかなかに美味しい。だがそんなことどうでもいいほどに弓奈は今全身に先輩のいやらしい攻撃を受けている。手はボタンを外しながらブラの上から胸を撫でてくるし、お腹から下は完全に密着しているため足がいやらしく絡んでいた。だがここまでは所詮布地を挟んだニセのスキンシップである。問題はスカートがめくれ上がってからだった。

「んっ!」

 突然弓奈の内ももに温かい素肌の感触がやってきた。先輩の足と自分の足が直接触れ合ったのだ。あたたかくてすべすべのお肌がたまらなく心地よくて弓奈はどうしていいか分からなかったが、足の動きは意識して止めることにした。動いてしまうと余計すりすりしてしまうことになるからだ。

 この最悪の状況を抜け出すにはとにかくチョコを食べきってしまうほかない。先輩は弓奈の胸を撫でる手を弓奈の背中に回してぎゅっと抱きついてきたが、弓奈は必死にチョコと格闘した。ブラからこぼれたお互いの胸の感触がなめらかな素肌を通じていやらしく一つになるのを感じながら、いつのまにか弓奈の両足の内ももは先輩の左足のすべすべのももを抱きしめるように挟み込んでいた。

 小熊先輩は弓奈の気持ちを知らないからこんないたずらが出来るのである。もう弓奈はかつてのような同性お断りみたいな体質ではなく、それなりのことをされればそれなりの反応をしてしまうように生まれ変わっているのだ。

 弓奈が自分の両腕を先輩の背中に回さぬよう必死にお布団を握りしめていると、先輩がチョコから口を離した。

「どう? おいしい?」

 弓奈はチョコを食べているので、そのままいけばキスしてしまうところだったから弓奈としては放してくれて大助かりである。弓奈はチョコの最後の一口をなんとか飲み込んで返事をした。

「・・・甘すぎです」

「あら。甘すぎるくらいが丁度いいわ。一年に一度くらいはほろ苦い毎日のことは忘れたいものね♪」

 会長は何事も無かったかのようにベッドを下りて服を整えた。先輩の言うほろ苦い毎日がなにを意味するか弓奈にはよく分からなかった。



 気がつけば弓奈は足をもじもじさせていた。

 カーテンの隙間から漏れた細長い朝日が床に転がっている。昨日のことを思い出しているうちに朝が来てしまったらしい。弓奈は寝返りを打って紫乃の部屋のほうを向いた。

(紫乃ちゃん・・・)

 もしもあんなことを紫乃ちゃんとしたら・・・そんなことを考えかけた瞬間、心臓がバクンとはねた気がした。もうどうしようもなく顔が熱くなってしまったのである。弓奈は体を起こしてベッドを飛び降り、顔を洗いにいった。

「がんばれ私・・・今日はヴァレンタインでしょ」

 鏡の中の彼女は完全に恋する乙女であった。

 

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