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101、紫乃ちゃんと一緒

 

 おかしいと思っていた。

 弓奈の目に映る近頃の紫乃のかっこよさと可愛さは普通ではなかったのだ。姉妹校を訪問しているあいだ弓奈は紫乃と離れていたが、おそらくこれが引き金となって今回の問題に発展したと考えられる。一度恋の魔力に取り憑かれてしまったらそれは加速するばかりで、何かにぶつからない限りはもはや逃れることもできない。 

「あけましておめでとうございます。倉木様」

「今年もよろしくお願いします! 女神様ぁ」

「新年もお美しゅうございますわぁ・・・」

 寮の靴箱で上靴に履き替えているだけで人が集まってきた。弓奈は引きつった笑顔で挨拶を返してから小走りに自室へ逃げた。以前は全く理解できなかったはずの「同性への恋心」を抱いている点において、今や弓奈は彼女たちとなんら変わりない。

 がらんとした自分の部屋。大掃除を念入りにやり過ぎたせいでここで再び生活を始めるには少々特別な準備が必要だ。とりあえず弓奈は実家から長い時間電車に揺られて学園にやってきたのだから足を休める権利くらいあるだろう。手を洗った弓奈は部屋の暖房をつけてベッドの端に座り一息ついた。

 冬の香りに鼻の底を冷やしながら弓奈は紫乃のことを考えた。早く会いたい・・・けれど会うのが怖い・・・弓奈は恋に怯えていたのである。彼女は幼い頃に何度か年上の女性に対してトキメキに近い感覚を抱いたことはあったが、思春期を迎えてから、しかもこれほどまでに決定的に、本格的にドキドキしたのは初めてである。分析の仕方にもよるが初恋と呼べなくもない。

「・・・そうだ」

 嫌いになってみよう。弓奈はいいことを思いついた。現在弓奈の紫乃に対する愛情メーターは『好き』に大きく振れているのだから、彼女をちょっと嫌いになってみれば元どおりの友情と呼べる段階に戻せるに違いない。相手のイヤなところを探すことになるから決して健全な精神活動とは言えないが、恋をしたままではまともに暮らせないのでこれも致し方ない。

 噂をすればなんとやらで、隣りの部屋から物音がした。授業開始日の前日なので学園にいるとは思っていたが、こんなにも早く紫乃との接触のチャンスが訪れるなんて想定していなかったので弓奈の緊張感は高まってきた。弓奈は新年のご挨拶をするために気合いを入れてから紫乃の部屋へ向かった。

「し、紫乃ちゃーん」

 人影のない廊下はとても静かなのでつい小声になった。

「しーのちゃん。いる?」

 二度目に呼びかけたとき、部屋からバタバタと物音がして紫乃が出て来た。

「ゆ、弓奈さん! ・・・ノックはしなきゃだめです」

「あ、ごめん」

 ふわふわで繊細な姫カット。やわらかそうなほっぺ。冷ややかな瞳。抱きしめたくなる細い肩。そして体の真ん中がキュンとするいい香り。今年の紫乃の魅力は天井知らずである。

「新年早々、自分の妹と同じ注意を同級生にするなんて思いませんでした」 

「あは。ごめんね」

 冷静な指摘に弓奈は照れ笑いをした。だが照れてばかりはいられない。なんとか彼女を嫌いにならなければいけないのだ。人を嫌いになるにはとにかく相手の悪いところを探すのが一番なので弓奈は紫乃の顔をまじまじと見つめた。

「な、なんですか・・・」

 かわいい。これを続けると逆に恋が加速してしまうおそれがあるので弓奈はそっと目をそらした。

「そういえば紫乃ちゃん。明けましておめでとう・・・」

「おめでとうございます」

「こ、今年もよろしくね」

「・・・弓奈さん。挨拶するときは相手の目を見ないと失礼ですよ」

「あっ。そ、そうだね」

 弓奈は紫乃に叱られてしまった。優しく睨みつけてくる紫乃ちゃんのかわいい瞳に弓奈は頭が混乱してきたが、目的達成のために頑張って彼女を観察しなければならない。

「今年もよろしくね」

「はい。今年もよろしくお願いします」

 紫乃はかっこよく自分の髪をなでた。

「あれ、紫乃ちゃんこれからどこか行くの?」

 よく見ると紫乃は部屋着ではなく冬服の黒セーターを着ている。ちなみにこの学園のセーターにはいくつかのカラーバリエーションが存在し、弓奈はもっぱら桃色かボワイトのものを選んでいるが紫乃は薄紫かブラックである。

「あ、ちょっと生徒会室に行って学園通信の原稿を書こうかと」

 学園通信に月一回載せられるコラム欄は生徒会長が書くことになっている。紫乃にとっては生徒会長就任後の初仕事というわけである。

「それって、私も一緒に行っていいかな」

「え」

 原稿を書くのに手伝いなどいらないに違いないが、弓奈はなんとか紫乃に張り付いて彼女を嫌いになる糸口を見つけ出さなくてはならないのだ。ここはついていくしかない。

「まあ、いいですけど」

「やった! すぐ準備してくるね」



 大掃除のときに撤去したはずのイーゼルがいつのまにか生徒会室に戻っていた。イーゼルはキャンバスを立てる大きなスタンドで、当然小熊先輩のものである。どうやら彼女は二人よりも先に新年の学園へ来てこの部屋を再び自分好みに改造したらしい。

「すでに美術室と同じ匂いがするね」

「もう慣れましたね」

「そうだね」

 さて、生徒会室の本棚には学園の歴史的資料が数多く並んでいる。歴代の生徒会長たちはみんな学園通信のコラムを作成するときにこれらを利用しているのである。

「どんな原稿にするの?」

「そうですね。新年最初の学園通信ですから学園の沿革やなにかでもいいのですが少々月並みな内容になってしまうので、テーブルマナーについてでも書こうと思います」

「なるほど。テーブルマナー大事だもんね」

「はい」

 本を探す紫乃の背中を眺めながら、弓奈はなんとか紫乃を嫌いになるべく彼女のイヤなところを探した。

 例えば足元、上履きである。ここで硬派な紫乃ちゃんの靴が汚れていたりすれば幻滅したのだろうが、やはり彼女の上履きは新品のようにピカピカだった。彼女のことだから新年を迎えるにあたり、物に感謝をしながら丁寧に洗ったに違いないのだ。

 ならばスカートやセーターはどうだろうか。ここでクールな紫乃ちゃんのスカートが乱れていればガッカリしたのだろうが、やはり彼女のスカートは計算されたように美しく整っていた。彼女のことだから着替えるに際し、鏡を見ながら後ろ姿までしっかり調整したに違いないのだ。

 どうやら紫乃ちゃんはイメージ通りしっかり者のかっこいい同級生である。ここに彼女を嫌いになれる隙などない。

「・・・すごいなぁ」

 弓奈はなんとなくそう呟いて陶製のテーブルにつっぷしたのだが、テーブルがやたら冷たかったのでやっぱり顔をあげた。

 すると、なんだか紫乃の様子がおかしい。背伸びをして本棚の最上段に手を伸ばし、時折ぴょんぴょん跳ねている。どうやらめぼしい本を見つけたらしいが手が届かないらしい。弓奈もここですぐに紫乃を助けにいけばよかったのだが、彼女の背中にしばらく見とれてしまった。まるでお魚屋のかごを狙う子ネコのようだったからだ。ちなみに本物のネコは一般人が普段お目にかかれない驚異の跳躍力を興味の対象に向けて披露することがあるが、紫乃は人類なのでそうもいかない。

 しばらくすると紫乃がちらちらと弓奈を見てきた。手を貸して欲しいらしい。

「どれ取るの」

「・・・あれです」

 弓奈は本を取ってあげた。

「はい」

「・・・ありがとうございます」

 紫乃が原稿を書き始めた。手書きの文章をそのままスキャンして載せるコラムであるので紫乃の達筆具合が学園じゅうに知れ渡ることになる。特に紫乃の書く「紫」という字は生命の神秘や宇宙の構造について考えさせられるくらい美しいのでぜひみんなに見て欲しいと弓奈は思っている。弓奈は紫乃の作業を邪魔しないようにちょっと離れた椅子に腰掛けて彼女を見守った。暖房のやさしい吐息が窓を曇らす、穏やかな時間だ。

「どんなテーブルマナーについて書いてるの?」

 邪魔しないようにとは思っていたのだが、つい声をかけてしまった。

「ナイフとフォークを使ってサクランボを食べる方法です」

「へー」

 弓奈のような一般女子には使えそうにない知識である。将来必要にならないという点では遠足のリュックに入れられた懐中電灯に近い。

「紫乃ちゃんはサクランボ好き?」

「普通です」

 そりゃそうだろうなと弓奈は思った。もっと面白い話をしてクールな彼女をくすっと笑わせてあげたいのに、いまいち愉快な話題が見つけられない。弓奈はもう大人しく紫乃を応援することにした。

 どのくらい時間が経っただろうか。足元からのぼってくる心地よい疲労感に弓奈がうとうとしていると、彼女の肩をそっと揺らした人があった。

「弓奈さん。終わりましたよ」

 ぼんやりしたまま顔を上げてしまった弓奈はすぐに紫乃から顔を背けて前髪を整えてから彼女に向き直った。

「終わったんだ。どれくらい書いた?」

「これくらいです」

 紫乃がグレーのいろ紙を見せてくれた。寝ぼけた弓奈の目には識別不能だったかもしれないが、その紙の灰色を生み出している細かいドットのひとつひとつが紫乃の字だったのである。紫乃は初仕事に張り切りすぎである。

「じゃ、帰ろっか」

「はい」



 人影のみえない渡り廊下をゆっくり歩きながら、弓奈は横目で紫乃を見ていた。もちろんこれも彼女を嫌いになろうキャンペーンの一環であるが、紫乃を見つめたい、目が離せないといったマジカルな欲求に取り憑かれていることが原因といっても間違いではない。

 紫乃ちゃんという女は、時折哀しそうな目をする人だった。そんなことを弓奈が感じたのはこの時が始めてではない。確かに弓奈と紫乃は無二の友と言っていいほどに親しい付き合いをしているが、相手の考えていることが分からない瞬間だってある。そして紫乃が見せる「哀しそうな目」は、弓奈の予感によると弓奈以外の人間の前では発現しないものなのである。あくまで弓奈の勘の域を出ないが、紫乃は心の一部を弓奈に隠しているのだ。そうでもなければこんな目はできない。だから弓奈は悲しかった。自分の知らない紫乃がいるようで切なかったのだ。しかし、どうしてそんな目をするのかと質問してはいけない気もしているのだ。

 二人は何も言わずに寮の昇降口まで戻って来た。さっきは生徒が何人かうろついていたのだが今は偶然だれもいないようである。

「ちょっと待ってて下さい」

「ん?」

「買い物をしていきます」

 二年生寮のフォカッチャドルチェは今日から営業をしている。弓奈が週二回アルバイトをしているカフェエリアは授業開始日以降の営業なので今日のフォッカはちょっとせまい。弓奈は紫乃が買い物を済ませるまでノート売り場のそばの白い柱にもたれていた。一緒に色々な商品を手にとりながらちょっと面白いことを言ってコミュニケーションをとることにやぶさかでなかったが、今はなんとなく考え事をしたかったのだ。

 自分は同性に恋をしている。年末から年始にかけて、この事実が弓奈の一日の平均脈拍数を大きく増やしている。今まで理解できなかった女同士の恋に自分が完全に足を浸しているという事実が彼女のハートをかき乱しているのだ。まこと皮肉なことだが、これからは自分に愛を振りまいてくる女子生徒たちの精神世界から活かせるものを学んでいかなくてはならいない。そこから自分の恋を止める方略を見つけ出すことができるかもしれないからだ。可能であれば少しでも紫乃のことを嫌いになって、「友達」と呼べるレベルにまで感情の高ぶりを抑えたいものである。

「弓奈さん」

 紫乃が買い物袋を提げてやってきた。

「これ・・・間違えて二つ買っちゃったので、あげます」

「え」

 紫乃が差し出したのは温かいコーンスープ缶だった。やたらミルキーな味わいとシュールな缶デザインで話題を呼び、学期中は朝一番にここへ来ないと売り切れているような人気商品である。

「別に・・・今日一緒にいてくれたお礼とかじゃないですから・・・」

 顔はそっぽを向いているが、コーンスープの缶は紫乃の小さなお手手両方によって包まれて丁寧に差し出されている。いつも通りの冷たい表情はしているが、『今日はありがとうございました』という素直なメッセージが彼女からひしひしと伝わってきたのだ。

「ま、間違えて二つ買っちゃっただけですから・・・」

 ああ、この子を嫌いになれるわけないな・・・コーンスープを受け取ってその温もりを胸にぎゅっと抱きしめながら弓奈は心の底からそう思った。

「ありがとう! 紫乃ちゃん」

 弓奈はこの恋心と一緒に生きていくことに決めたのだ。

 

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